ユーノス・プレッソは1991年6月~1998年6月まで発売されたクルマだ。
発売当時は1800ccのみのラインアップだった。AZ-3とは姉妹車である。
排気量は初期型がV6・1800ccエンジン搭載で販売当時は世界最小のV6エンジンとして
話題となった。
メーター廻りはこんな感じだったようだ。
途中から1500ccモデルがラインナップに加えられ、1800ccとともに
2グレードラインアップされた。
1996年4月から“ユーノス店”廃止に伴い“アンフィニ店”と統合し
“マツダ・アンフィニ店”が誕生する。尚、名前はそのまま“ユーノス・プレッソ”
で販売を続ける。
しかしながら“フォード傘下”に入り車種絞り込みの影響の為、1998年6月をもって生産を
終了した。
一代限りモデルとなってしまった。
オートザム・AZ-3は1991年6月~1998年6月まで発売されたクルマだ
発売当時は1500ccのみのラインアップだった。
ユーノス・プレッソとは姉妹車である。
内装はこんな感じだったようだ。
オプションのサンルーフ付き車はこんな感じだった。
途中から姉妹車のユーノス・プレッソV6・1800ccエンジンをラインナップに加え、
さらに運転席全車エアバック標準装備をするなど差別化を図った。
しかしながら“フォード傘下”に入り車種絞り込みの影響の為、1998年6月をもって生産を
終了した。
一代限りモデルとなってしまった。
1999年には“オートラマ株”の全てをフォードへ売約した。
尚、トヨタの“レクサス”、日産の“インフィニティ”、ホンダの“アキュラ”に
対抗した海外高級ブランドとして、マツダも“アメティ”と言うブランドを立ち上げる
計画があったが“経営状況悪化”の為に計画中止になったのは言うまでもない。
経営再建後のマツダは生産車種を絞り込んでルーチェ・センティアと続いた
大型FRセダンやミレーニアのモデル廃止など上級車市場からの撤退、
デミオ・ベリーサなどに始まるコンパクトカー市場への開拓など経営・開発資源を集中させ、
2000年以降はスポーティさを前面に押し出すことで、本来のブランドである
“マツダ”の市場イメージ向上を図るようになった。
尚、軽自動車においては、自主生産撤退・OEMへの切り替えを行った。
(1998年10月発売の4代目“マツダ キャロル”から“スズキ・アルト”が
OEN供給され、“AZ-ワゴン”他、現在もなおその関係が続いている。)
販売店の再編も行なわれ、現在3チャンネル体制で販売を行っている。(一部地域を除く)
(マツダ系・アンフィニ系・オートザム系)
マツダ 短名車列伝 “ユーノス・プレッソ、オートザム・AZ-3”
1996年4月 “マツダフォード傘下”に入った為、これを境に“フォード主導”での生産車種を
絞り込みの動きについて紹介してきました。
シリーズ8を終わります。間違えがあったらごめんなさい。
次回からは、AZ-1・キャラ・ビート・カプチーノ(A・B・C)
20年経っても人気爆発!!!シリーズ8回に渡ってその魅力とエアロパーツ装着車などに
ついて紹介する予定です。
では、仕事に行ってきます。
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Posted at
2012/10/02 06:59:24