
主にとって、アイドル=彼女=岡田有希子さん、なのです。
ホントに久しぶりのブログ更新です。すみません。
明日、8月22日は、岡田有希子さんの誕生日。
そんなこともあって、昔のこと、今の心境などを、つらつらと綴ってみます。
1985年、主は中学3年生でした。
小遣いを工面して入会した岡田有希子ファンクラブ。

きっかけは「好きなアイドルって誰なん?」ってやつ。
当時は、菊池桃子さん、荻野目洋子さん、斉藤由貴さん、などなど(もっとたくさんいましたけど💦)
もう”選び放題”的なアイドル全盛時代。
「アイドル」には、全く興味が無かった主が、友人から「アイドル誰が好きなの?」を聞かれたときに、
ふと、頭に浮かんだ姿が、そう。岡田有希子さんでした。
平凡、BOMB、DUNK、アクションカメラ等々、アイドルを掲載している雑誌をみて、
彼女の笑顔が、ひときわ印象に残ったんです。
「あぁ、この娘、自分よりも年上なのに、可愛いな」って。
本当に素敵な笑顔。
アンバランスなほどの体型と、テレビでは恥ずかしがり屋で、必死にコントに取り組んでいたり。
そして、歌がとても上手だったこと。
そして、当時は音楽を聴くといえば、レコードが全盛時代。
お年玉で買うくらい高価なシロモノ。プレーヤーなんぞ、親に借りるとか…。
自分のコレクションとして音楽を集めるためには、手間隙、掛かったんですよね。
レンタルショップでレコードを借りてきて、カセットテープにダビングするか、
テレビの音楽番組を見ながら、テレビの目の前でラジカセを置いて録音するか。
家族の声や、物音も一緒に録音されてしまうので「みんな動くな+喋るな」なんてね。
今のように、接続ケーブルで録音するなんて、贅沢モノでした。
はたまた、AM/FMラジオの番組をラジカセ(ラジオとカセットデッキの合体したモノ)で、録音するか。
(ラジカセの電源をオン/オフするため”だけ”の、デジタルタイマーなんてモノもありました)
そんな、涙ぐましい努力をするウチに、アイドルファンに変化していったんでしょうね。
修学旅行に行くまでには、完全にユッコファンになってました!(笑)
同時に、音源も”レコード”から”コンパクトディスク(CD)”に変遷して、
驚くほどクリアーな音楽を、日常的に聴くことができるようになりました。
閑話休題。
当時は、ファン同士の交流ってあったのかな。参加したことが無かったので、わかりません。
当然、携帯電話もインターネットも無い時代でしたからね。
定期的に、サンミュージックから送られてくる「ファンクラブ会報」を自作して、
(ホッチキスを使って、冊子にするんですよ。今じゃ考えられないほど質素!)
それをニヤニヤして眺めているのが、精一杯の贅沢タイムでした。
そして、あの事故があったのですが、そこで主のアイドル追っかけは終止符を打つのでした。
当時は、自殺願望もありましたが、生きることで「彼女の思いを受け継ぎたい」と考えました。
そして、封印して数年…
会社員になって、自分で収入を得るようになり。
ふと、ユッコちゃんのグッズを収集するようになりました。
手放された関連商品が、中古販売店に並ぶことが多かったんです。
(捨てることができなくて、中古品として流通したのだと勝手に想像しています)
レコード、CD、ブロマイド。
古本、カセット、写真集。
おおよそ、気付いたものは買いまくった感じです。
浅草の「マルベル堂」にブロマイドを買いに行ったのも、この時期。
そして、平成3年ころかな。
ふと思い立って、彼女の出身地である愛知県に、クルマでツーリングしてみることにしました。
彼女の足跡に逢いたくて。衝動的な行動でした。
そのきっかけは「愛をください」という、夭折後に発刊された本の巻末にあるのですが。
お寺さんの名称「成満寺」と、戒名「侑楽院釋尼佳朋」が記銘されていたので、それを手掛かりに愛知県入りしました。
生来の性格もあり、熱田神宮内に在る図書館に行けば、お寺さんの場所くらい出てくるでしょう。という、無鉄砲企画でした。
果たして図書館に着いたものの「じょうまんじ」という読み名が出て来なくて、どハマりしましたが。
悪戦苦闘の末、佐屋という地名に在るというところまで辿り着き、愛車「シルビア」で現地に向かいました。
当のお寺さんの山門まで来たところで、さすがに躊躇。
(檀家でもない、見ず知らずの者が、当家の墓前にいって良いものか…と)
重い気持ちの中、お寺さんの母屋を訪ねてみたところ、ご住職の奥様に快くご対応いただいて。
「納骨堂に寄せ書きなど沢山あるので、ぜひ観ていってください」という有難いお言葉を頂戴して、とても嬉しくなり長居させていただきました。本当に感謝です。
そして、墓碑の左となりにある記念碑(プレート?)に、お花と星のアクセサリーを添えて、お参りして帰路につきました。
その時にコンパクトカメラで2枚だけ写真を撮影して、現在もイーゼル型の写真立てに収めて、大切に飾ってあります。これは一生の宝物です。
で、この話には、続きがありまして。
その寄せ書きのなかに「Yukiko⭐️Island」というサークルがある。
ということを知り、手紙で事務局さんと連絡を取ることにしました。
ほどなくして、入会を果たして、文集を読み耽りました。
どの寄稿も、すごい内容でしたけど、ここでは語りません。
その後、このサークルに参加しているウチに、回忌の名前を冠したミニコンサートをしよう。
ということになりまして、一念発起。主催側の立場で参加することにしました。
受け入れていただいた、当時の運営さんにも、感謝です。
そして、1992年3月29日、新宿ビプランシアターにて、
「佳桜忌」という名を冠したイベントを開催することができました。
僕の担当は舞台照明。
少しだけ、電気に詳しかったので、会場さんに照明装置のプログラミングを聞いて、
台本の進行のとおり、照明をセッティングして。
電源を切ると、自動的にリセットされるので結構ヒヤヒヤでした。
本番では、最後の演奏シーンでスポットを一つダウンさせたのが心残りでしたけど、
感動のラストは、舞台裏で涙腺崩壊でした。
その後、サークルは解消。
数年は4月と8月の日曜日に気心が知れた人と一緒に、成満寺で逢いましょう。
ということで、何度か墓参させていただきました。
ある時は、マツダロードスターをレンタルして、ストレス解消ドライブを兼ねたり。
次に、ユッコちゃんの墓前に向かったのは、いまの職場で勤続10年の表彰で向かった三重県からの帰路で、敢えて行ってみた。時間もあまりとれない生活の中でも、やっぱり墓碑に手を合わせたかった。
数分のお参りでしたが、幸せな時間を過ごせました。
そして、最近の出来事までワープします。
ツイッターを始めて間もなく、東海ラジオでユッコちゃんのトリビュート番組をやっている。
という情報を得まして。
早速、サイマルラジオで聴くことにしました。
パーソナリティは、ドットーレ山口さんこと、山口悟先生。
番組名は「ドットーレ山口のドキドキラジオ’84」と言います。
生粋のユッコファンが構成する番組なので、ツボな選曲と、当時を知る人物をゲストに、
ファンなら「ここを聞きたい!」という疑問を放送してくれる、ナイスな番組です。
曲抜きであればYouTubeでも配信しています。
関連リンクをつけておきます
30年も経てば、コミュニケーションの方法には隔世の感があります。
気がつけば、花のイマージュが発売されて。
ファンミーティングが2年連続で開催される。
またある時は、お店を貸切って、ユッコファンの集いを開催。
未だに、熱いユッコファンが居て、しかも、若い世代にも想いが伝播して集うことができる。
ということに感動すら覚えます。
人生、何が起きるか。
生きてみないと判らないものですよ。

本当に、ユッコファンで良かった。
これに尽きるとおもう。
乱文ですが、いまの気持ちを纏めました。
最後までお読みいただき、感謝です。
以上、主でした。
おっと、すでに誕生日になってた💦
お誕生日おめでとう!
親愛なる ユッコちゃんへ。
※2018/10/22タイトル画像を追加しました。