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Miki.Raikkonenのブログ一覧

2018年03月18日 イイね!

#34 竹屋観音

#34 竹屋観音曹洞宗大雲山観音寺、第八番札所であり、本尊は如意輪観世音。

熊倉観音から県道69号線を会津若松方面へ道なりに5㎞ほど南下、喜多方市塩川町駒形地区の小高い竹林の中に在りました。

観音寺の創建は安土桃山期の天正元年(1573)、越後出身の木翁快元和尚により開かれたのが始まりとされます。当初は妙峰山明蓮寺と号していましたが、江戸初期の慶安4年(1651)に境内が狭小だった事から現在地に遷し現在の寺号に改めています。

現在の観音堂は江戸期正徳年間に造営されたもので、運慶作とも伝わる三十三観音中唯一の如意輪観音(坐像)が安置されています。特に安産や子育てに御利益がある事から「子安観音」とも呼ばれています。

雪に埋もれて撮影出来ませんでしたが、境内に『管谷不動明王御頭』という御堂が在る事に驚きました。

我が故郷の近郊、新発田市に真言宗諸法山菅谷寺、通称『菅谷不動尊』という名刹が在ります。縁起も平安末期、比叡山で修行していた護念上人(源頼朝の叔父)が平家の圧力から比叡山を下りる際、日頃より帰依していた無動寺の三国伝来の不動明王像の「御頭」を笈に納め諸国を巡錫した後、仏縁有って菅谷に開山したと有ります。

竹冠と草冠の違いこそ有れ名称の近似、不動明王像における伝説の近似性から興味を持ち調べてみると、板木に不動明王の御顔を彫刻したものが祀られているそうです。明治14年9月(1881)、菅谷不動尊から新潟県柏崎市の正雲寺を経て当地に来たと有ります。確かに所縁が有り、妙に親近感を覚えました(苦)。

何れ改めて御朱印を頂戴しながら、住職様に縁起や所縁、説法を受けたいと思います。

今朝の日は 遙か竹屋の 観世音 急ぎ参りて 拝め旅人

こちらを以って定番は総て巡り終えました。残るは番外二堂のみとなりますが、春休みは娘達と時間を共有したいので、結願はの頃にしようと思います。m(^^*)
Posted at 2018/03/18 16:33:05 | コメント(0) | 会津三十三観音 | 旅行/地域
2018年03月16日 イイね!

#33 熊倉観音

#33 熊倉観音浄土宗紫雲山光明寺、第七番札所であり、本尊は千手観世音。

勝観音から県道337号線をそのまま磐梯雄国沼方面へ、熊倉郵便局を越えて直ぐの69号線へ左折、馴染みの雄国味噌の名店さんの並びに光明寺の入口が在りました。

光明寺は室町後期の永正17年(1520)、相模国鎌倉出身の江月和尚の開基とされています。こちらも伊達、蘆名の戦火により多くの堂宇、記録、寺宝等が焼失し衰微しましたが、後に再興されています。

現在の観音堂は江戸末期の安政5年(1858)に再建したもので、戦火でも焼け残った行基上人作とも慈覚大師円仁作とも伝わる千手観音像が安置されています。

古里を 遙るばる出でて 熊倉の 仏に参る 身こそ安けれ

往時は熊倉宿という米沢街道の宿場町でした。旅人が大勢参拝に訪れた事でしょう。m(^^*)

※2021春影
Posted at 2018/03/16 18:02:21 | コメント(0) | 会津三十三観音 | 旅行/地域
2018年03月11日 イイね!

#32 勝観音

#32 勝観音真言宗松島山勝福寺、第六番札所であり、本尊は十一面観世音。

熱塩観音から県道334号線、333号線、R121と喜多方市街へ戻ります。337号線を熊倉方面に左折し約1㎞、すぐ沿線に在りますが油断すると通過してしまいそうです…実際、某営業時代、喜多方市街から猪苗代方面へのショートカットに度々通っていましたが気付いていませんでした(苦)。

勝福寺の創建は不詳ですが、観音堂に安置されてる不動明王、毘沙門天両立像に弘安2年(1279)の銘がある事から少なくとも鎌倉中期には既に成立していた事が窺えます。

伝説では、平安期に中将政保(姓不明)の娘「勝御前」が京から(日本三景の)松島に向かう途中、当地で重篤となり悲嘆に暮れる御前を村人達が哀れみ、松島を模した庭園(山号の由来)を造園すると喜び安堵して亡くなられた。その知らせを聞いた中将が当地を訪れ御前の冥福と菩提を弔う為に観音堂を造営したのが始まり。御前の持仏を新たに造った像の眉間に嵌め、観音堂に3体の像を安置したと伝えられています。

当地を支配した蘆名氏から篤く庇護され、享禄2年(1529)焼失するも永禄元年(1558)に第17代蘆名盛興により再建。蘆名氏が伊達氏に敗れると衰微しましたが、江戸初期の寛文5年(1665)に再興されました。 室町後期の御堂建築の遺構として大変貴重な事から昭和57年(1982)に国指定重要文化財となっています。

こちらを参拝するまで考えもしませんでしたが鉄板葺の他堂も元来は茅葺だったでしょうね。国指定により茅葺を維持、避雷針や消火設備を施す事が出来ますが、小さな御堂ではそれが出来ません。建築基準法?文化財保護法?…解りません(苦)。

陽照るとも 山の氷は よもとけじ 里に時雨の あらんかぎりは

「しぐれ」「すぐれ」そったに訛ってねえ!(笑)

今日だけは…大震災犠牲者の鎮魂を祈ろうと思います。m(- -*)
Posted at 2018/03/11 18:10:29 | コメント(0) | 会津三十三観音 | 旅行/地域
2018年03月09日 イイね!

#31 熱塩観音

#31 熱塩観音曹洞宗護法山示現寺、第五番札所であり、本尊は千手観世音。

高吉観音から戻り市道を更に直進、県道21号線を喜多方市街方面へ北上、そのままR459、県道333号線と熱塩加納方面へ北上、熱塩温泉のアクセス道路である県道334号線に右折、温泉街の最奥、示現寺の境内に在りました。

というより一度R121に出て米沢方面へ、そして333号線に右折した方が良いかも知れません。この333号線は現在のR121大峠道路が完成するまでR121の代替道路でした。

示現寺は当初、五峯山慈眼寺と称して平安初期、弘法大師空海の開山と伝えられていますが後に荒廃、南朝歴の天授元年(1375)に源翁和尚(那須殺生石伝説で有名、この時、打鎮に使った金鎚が「玄翁」「玄能」の由来)が中興、改宗開山しました。その後は奥州一帯に三十七の末寺を有する名刹として確固たる地位を得ています。観音本尊は源翁の持仏を胎内に蔵しています。

山中で2m以上の雪に隠れていますが、山門や総門など荘厳な境内は容易に想像出来ます。

門前町である熱塩温泉も源翁の開湯で塩分の濃い高温泉が「熱塩」の由来です。太古の地層に閉じ込められた海水が地下水に溶け出し源泉となっています。この辺まで海だったのでしょうか、裏磐梯の北塩原村では同様に山塩が作られますし、立木観音も近い喜多方市高郷町では海洋生物の化石が多数発掘されています。

後の世を 救け給えや 観世音 慈悲熱塩に 参る身なれば

喜多方が生んだ社会福祉事業の先駆、女性初の藍綬褒章受章者の瓜生岩子女史の坐像、墓碑も在りますが雪で拝謁は叶いませんでした。夏に必ず再訪します!m(TT*)
Posted at 2018/03/09 18:21:25 | コメント(0) | 会津三十三観音 | 旅行/地域
2018年03月05日 イイね!

#30 高吉観音

#30 高吉観音真言宗吉例山徳勝寺、第四番札所であり、本尊は十一面観世音。

綾金観音から戻り県道16号線から分岐した市道を直進、喜多方桐桜高校の向かいの小路を入ると直ぐ在りました。

徳勝寺の創建は不詳ですが、中尊寺や毛越寺等を開いた慈覚大師円仁によるとされています。その後衰微しましたが、室町後期の文亀年間、盛尊和尚により中興されています。

本尊は江戸初期元和7年(1621)の火災で焼失以降に造られた十一面観音像が安置されています。基本的に御開帳は無いのか写真額が掲げられていました。

しかし鉄板葺の御堂は臙脂色の率が高いですね…喜多方に限定すれば九堂中七堂、周辺景色でしか判別出来ません(苦)。鶴ヶ城(会津若松城)でも復元された『赤瓦』へのオマージュなのでしょうか。

掻き分けて 参りて拝む 高吉の 仏の光 道ぞ輝く

ウチの外観の赤ラインも『赤瓦』って事で…m(^^;)
Posted at 2018/03/05 18:07:28 | コメント(1) | 会津三十三観音 | 旅行/地域

プロフィール

「Fも完了。エビタイモケーよ。(^^;A」
何シテル?   11/12 15:48
初代ヴィッツやエボⅢを散々改悪した反省か、最近漸く真面になって来ました(苦)。
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