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Miki.Raikkonenのブログ一覧

2018年05月06日 イイね!

#36 鳥追観音

#36 鳥追観音真言宗金剛山如法寺、番外札所三であり、本尊は聖観世音。

R49を新潟方面へ、西会津IC交差点の次の大久保入口交差点を左折、県道339号を磐越道の下を潜り、山を登り始めた約2㎞、道標・看板等で直ぐに解りました。

…と言うよりこの339号線終点の大山祇神社に、幼少期は毎年家族で参拝に来ていたので縁深い土地です。こちらも古来県内外から信仰も篤く霊験あらたかな名社で、妻もここの御本社まで義母さんと参拝したら…私が現れたらしいです(笑)。

如法寺の創建は平安初期大同2年(807)に会津の名僧、徳一上人が開山したと伝わります。本尊は奈良期天平8年(736)、行基上人が巡錫の折り当地を訪れた際、鳥獣被害と子宝にも恵まれない農家を見て自ら彫り込んだ念持仏を与えると、豊作と子宝に恵まれるようになったと伝えられ何時しか「鳥追観音」と呼ばれ、その霊験から徳一上人が如法寺の本尊として迎え入れ秘仏として祀られる様になりました。

歴代領主からも帰依され室町期には地頭である荒井氏、大槻氏、江戸期には会津藩主が庇護し、戊辰役の際は松平容保公も戦勝祈願に参拝に訪れています。現在の観音堂は江戸初期の慶長16年(1611)の会津地震で倒壊した後、同18年(1613)に再建されたものです。

御堂彫刻も極めて壮麗で特に左甚五郎作と云われる「災難より隠れ猿」「災難より逃れ猿」「安楽に暮らし猿」の『隠れ三猿』の彫刻は有名です。前二匹は簡単に見つけましたが、最後の一匹は直ぐには見つかりませんでした…心に迷いがあると見つからないそうです(苦)。

新潟との県境でもある西会津という立地から、古くから会津西方浄土の地として信仰を集め、会津三十三観音番外別格総結願所会津ころり三観音にも数えられています。 また西方浄土を表現する為に東西両方に向拝口を設け、東方に配された仁王門から入り西口に(西方浄土に向って)出るという演出がなされています。

…その西方浄土から某社を救済に来たのが私らしいです(苦)。

金剛き 山の如きの 法の寺 まこと大悲の 浄土なるらん

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境内にはまだ雪が残り、には早かったのですが結願して来ました。

最初は興味本位でしたがコチラで投稿する事により、積年の疑問が解けたり、会津の歴史文化、地質を深く掘り下げて勉強出来たり、問題点が見えて来たり、筋肉痛になったり…(笑)

特に龍興寺での住職様との邂逅、下荒井や竹屋など我が故郷との連環を知り得たのは何ものにも代え難い経験となりました。

現在の境遇に感謝し、願う事は一つだけ、公私共に次代の担い手が無事に成長してくれる事です。

いつか来たる再巡礼の日まで…自分探し、自分磨きを続けます。m(^^*)
Posted at 2018/05/06 17:29:24 | コメント(1) | 会津三十三観音 | 旅行/地域
2018年04月17日 イイね!

#35 柳津観音

#35 柳津観音臨済宗霊岩山円蔵寺、番外札所二であり、本尊は聖観世音他。

R49は会津坂下IC交差点から只見川沿いにR252を約5㎞南下、道標や『赤べこ』の看板が在るので直ぐ解ります。福満虚空蔵尊円蔵寺として内外からの信仰も篤く、丑寅の守護本尊である事からこちらも度々参拝に来ていました。

今回も正月の帰省帰りに家族で会津の初詣として立ち寄ったのですが、予習のつもりが巡礼として採択されてしまい、時期が前後するのは特に問題有りませんが、載せるべき画像が撮れてない!…てかこちらだけフリでの巡礼って事に(苦)。

京都嵯峨の虚空蔵法輪寺で有名な十三詣りと同じく、会津でも数え十三歳になるとこちらの虚空蔵尊に参詣します。

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円蔵寺の縁起は、弘法大師空海の霊木伝説に端を発し、それを受けた会津の名僧、徳一上人が大同二年(807)に円蔵寺を開創したと伝えられています。その霊木が漂着した茨城の大満虚空蔵尊、千葉の能満虚空蔵尊と共に日本三大虚空蔵尊に数えられ、周囲の人々だけでなく時の権力者である信長公や秀吉公、江戸幕府や歴代領主である蘆名氏や松平氏からも信仰が篤かったとされます。

観音堂自体は福満虚空蔵尊を奉る菊光堂の外回廊を巡った裏手に位置しています。

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現在の円蔵寺菊光堂は江戸後期の文政元年(1818)に焼失、同13年(1830)に再建されたもので、戊辰役の弾痕もあるとか。観音像に関する由来については今回は辿り着けませんでした…今後の課題という事で(苦)。

境内には各所に石や銅の牛の像が在ります。「開運撫牛」とも呼ばれ撫でると福と知の御利益があるとされます。円蔵寺の建立時、どこからともなく現れた赤牛の群れが資材運びに尽力し、竣工と同時に姿を消したと云われ、これが会津の民芸品でお馴染みの『赤べこ』の発祥とされています。

正月七日の夜、下帯姿の男衆が菊光堂(当日だけ「七日堂」と呼ばれる)の大鰐口を目指し麻縄をよじ登る、千年受け継がれる奇祭『七日堂裸詣り』は一見の価値が有ります。

柳津は 岩に聳えて 懸造り 前には只見の 舟の浮橋

京都東山の清水寺やこの巡礼の左下観音堂と同じく、岩上に舞台の様に建てられている懸造で、眼下に見える只見川は絶景、春には桜、秋には紅葉の名所となります。m(^^*)
Posted at 2018/04/17 18:31:49 | コメント(0) | 会津三十三観音 | 旅行/地域
2018年03月18日 イイね!

#34 竹屋観音

#34 竹屋観音曹洞宗大雲山観音寺、第八番札所であり、本尊は如意輪観世音。

熊倉観音から県道69号線を会津若松方面へ道なりに5㎞ほど南下、喜多方市塩川町駒形地区の小高い竹林の中に在りました。

観音寺の創建は安土桃山期の天正元年(1573)、越後出身の木翁快元和尚により開かれたのが始まりとされます。当初は妙峰山明蓮寺と号していましたが、江戸初期の慶安4年(1651)に境内が狭小だった事から現在地に遷し現在の寺号に改めています。

現在の観音堂は江戸期正徳年間に造営されたもので、運慶作とも伝わる三十三観音中唯一の如意輪観音(坐像)が安置されています。特に安産や子育てに御利益がある事から「子安観音」とも呼ばれています。

雪に埋もれて撮影出来ませんでしたが、境内に『管谷不動明王御頭』という御堂が在る事に驚きました。

我が故郷の近郊、新発田市に真言宗諸法山菅谷寺、通称『菅谷不動尊』という名刹が在ります。縁起も平安末期、比叡山で修行していた護念上人(源頼朝の叔父)が平家の圧力から比叡山を下りる際、日頃より帰依していた無動寺の三国伝来の不動明王像の「御頭」を笈に納め諸国を巡錫した後、仏縁有って菅谷に開山したと有ります。

竹冠と草冠の違いこそ有れ名称の近似、不動明王像における伝説の近似性から興味を持ち調べてみると、板木に不動明王の御顔を彫刻したものが祀られているそうです。明治14年9月(1881)、菅谷不動尊から新潟県柏崎市の正雲寺を経て当地に来たと有ります。確かに所縁が有り、妙に親近感を覚えました(苦)。

何れ改めて御朱印を頂戴しながら、住職様に縁起や所縁、説法を受けたいと思います。

今朝の日は 遙か竹屋の 観世音 急ぎ参りて 拝め旅人

こちらを以って定番は総て巡り終えました。残るは番外二堂のみとなりますが、春休みは娘達と時間を共有したいので、結願はの頃にしようと思います。m(^^*)
Posted at 2018/03/18 16:33:05 | コメント(0) | 会津三十三観音 | 旅行/地域
2018年03月16日 イイね!

#33 熊倉観音

#33 熊倉観音浄土宗紫雲山光明寺、第七番札所であり、本尊は千手観世音。

勝観音から県道337号線をそのまま磐梯雄国沼方面へ、熊倉郵便局を越えて直ぐの69号線へ左折、馴染みの雄国味噌の名店さんの並びに光明寺の入口が在りました。

光明寺は室町後期の永正17年(1520)、相模国鎌倉出身の江月和尚の開基とされています。こちらも伊達、蘆名の戦火により多くの堂宇、記録、寺宝等が焼失し衰微しましたが、後に再興されています。

現在の観音堂は江戸末期の安政5年(1858)に再建したもので、戦火でも焼け残った行基上人作とも慈覚大師円仁作とも伝わる千手観音像が安置されています。

古里を 遙るばる出でて 熊倉の 仏に参る 身こそ安けれ

往時は熊倉宿という米沢街道の宿場町でした。旅人が大勢参拝に訪れた事でしょう。m(^^*)

※2021春影
Posted at 2018/03/16 18:02:21 | コメント(0) | 会津三十三観音 | 旅行/地域
2018年03月11日 イイね!

#32 勝観音

#32 勝観音真言宗松島山勝福寺、第六番札所であり、本尊は十一面観世音。

熱塩観音から県道334号線、333号線、R121と喜多方市街へ戻ります。337号線を熊倉方面に左折し約1㎞、すぐ沿線に在りますが油断すると通過してしまいそうです…実際、某営業時代、喜多方市街から猪苗代方面へのショートカットに度々通っていましたが気付いていませんでした(苦)。

勝福寺の創建は不詳ですが、観音堂に安置されてる不動明王、毘沙門天両立像に弘安2年(1279)の銘がある事から少なくとも鎌倉中期には既に成立していた事が窺えます。

伝説では、平安期に中将政保(姓不明)の娘「勝御前」が京から(日本三景の)松島に向かう途中、当地で重篤となり悲嘆に暮れる御前を村人達が哀れみ、松島を模した庭園(山号の由来)を造園すると喜び安堵して亡くなられた。その知らせを聞いた中将が当地を訪れ御前の冥福と菩提を弔う為に観音堂を造営したのが始まり。御前の持仏を新たに造った像の眉間に嵌め、観音堂に3体の像を安置したと伝えられています。

当地を支配した蘆名氏から篤く庇護され、享禄2年(1529)焼失するも永禄元年(1558)に第17代蘆名盛興により再建。蘆名氏が伊達氏に敗れると衰微しましたが、江戸初期の寛文5年(1665)に再興されました。 室町後期の御堂建築の遺構として大変貴重な事から昭和57年(1982)に国指定重要文化財となっています。

こちらを参拝するまで考えもしませんでしたが鉄板葺の他堂も元来は茅葺だったでしょうね。国指定により茅葺を維持、避雷針や消火設備を施す事が出来ますが、小さな御堂ではそれが出来ません。建築基準法?文化財保護法?…解りません(苦)。

陽照るとも 山の氷は よもとけじ 里に時雨の あらんかぎりは

「しぐれ」「すぐれ」そったに訛ってねえ!(笑)

今日だけは…大震災犠牲者の鎮魂を祈ろうと思います。m(- -*)
Posted at 2018/03/11 18:10:29 | コメント(0) | 会津三十三観音 | 旅行/地域

プロフィール

「Blood will tell http://cvw.jp/b/1551320/48489673/
何シテル?   06/19 18:59
初代ヴィッツやエボⅢを散々改悪した反省か最近ようやくまともになってきました(苦)。
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