• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

昭和の堕天使のブログ一覧

2017年11月09日 イイね!

50年代、アメリカの絶頂期を象徴する「テールフィン」の世界パート2♪



1950年代後半のアメリカ車はボディのフルサイズ化と

エンジンの大排気量化を競い合うようになり

ついには大衆車クラスまでフルサイズボディにV8の大排気量エンジンを搭載するようになり

テールフィンもますます長くなり高くそびえたつような先端を競い合うかのようになります


テールフィンが最も栄華を極めたクルマ





テールフィンが最も栄華を極めたのが

なんといっても1959年型キャデラックシリーズ62でしょう

キャデラック史上最も煌びやかなクロームに最も高いといわれるテールフィンと

特徴的な灯火器類はジェット機の噴射口をモチーフにしたと言われています





キャデラックシリーズの中でも「黄金郷」を意味する「エルドラド」はその名の通り

エアコン、パワーステアリング、オートマチックトランスミッション、パワーウィンドー

クルーズコントロール、6wayパワーシート、オートクロージャートランクを備え

V型8気筒OHV6396ccエンジンを搭載、345馬力を発揮し

エアサスまで備える等、現代のクルマにも引けを取らない高級車です

特にこの1959年型は57年型ベルエアと並び50’sアメリカンの富の象徴として

さまざまなモチーフになっています






また、アメリカで一世を風靡したこのテールフィンは

世界中のカーデザインに影響をもたらします

なかでも当時、ありとあらゆる最新の技術と文化をアメリカから採り入れていた

日本では特に顕著で、国産車がこぞってテールフィンを採用します


なかでも、代表的なのが日本のRS型トヨペットクラウンでしょう





当時、トヨタ車の販売を一手に担っていたトヨタ自動車販売株式会社の社長

「神谷正太郎」は第二次大戦前にGM日本法人の副支配人を務めていたこともあり

神谷率いるトヨタ自販のマーケティングにはGMに倣っている部分がうかがえ

トヨペットクラウンのデザインにもアメリカ車の影響がみられます





これは当時、クラウンの主要なマーケットであったタクシー業界では

ドライバーからアメリカ車に対する信仰ともいえる信頼性があったのと

利用者からもアメリカ車のような見栄えのするデザインのタクシー車両が

好まれたという事情があるようです


テールフィンの流行は高級車だけにとどまりません

なんと360ccの軽自動車にまでおよびます






当時の日本人にとって「テールフィンの生えたクルマ」は

「富める国アメリカ=豊かさ」の象徴だったのです






ヨーロッパのテールフィンたち


テールフィンの流行はアメリカ車信仰の強い日本だけに限りません

欧州でもさまざまな自動車メーカーが導入します






なんとドイツのメルセデスベンツも1959年に登場した

W111型Sクラスでテールフィンを採用し、そのものずばり「フィンテール(FinTail)

」日本でも「ハネベン」という愛称で知られています






合理性が正義のメルセデスですらテールフィンを採用する

くらいにマーケティング上無視できない存在だったのでしょう







1950年代のアメリカ車をそのままダウンサイズしたようなその風貌で

一瞬日本のトヨペットクラウンを思わせる(?)ものがありますが

このクルマはシムカ・ヴデッドというフランス車です

ちなみに筆者はヴデッドというクルマを初めて知った時に

「こんな国産車あったっけ?」と思ったくらいです

ただし、ヴデッドのブランドはシムカが買収した

フォードのフランス現地法人が開発した車両という事情もあるとは思いますが

欧州でも1950年代後半にはテールフィンがそれなりに浸透していたという事でしょう。






こちらは、日本でもいすゞのノックダウン生産で有名になった

イギリスのルーツ社ヒルマン・ミンクスですが

当時の世界的なカーデザインのトレンドに則りテールフィンが採用されています


消えたテールフィン


しかし、1959年を最後にテールフィンは熱が引くように小さくなっていき

1960年代後半になるとテールフィンはアメリカ車から完全に姿を消します


一見言いがかりにも思えますが

事実1950年代のアメリカの大衆車はフルサイズ化により価格が高騰し

1960年代に入るとVWやダットサンといった外国製の安価で経済的な

小型車が北米市場でも台頭しはじめ

1970年代に入るとオイルショックや品質低下により

それまでのフルサイズに過剰な装備品というマーケティングは次第に求心力を失っていき

1970年代半ばになるともはやテールフィンのアメリカ車は

アメリカ本国でも恐竜のような過去の遺物のような扱いになります


1950年代、すべての力と富を支配していた

戦勝国アメリカの絶頂期を象徴するアイコン

それが長く巨大なテールフィンを持つアメリカ車なのかもしれません













如何でしたか?

アメリカのテールフィンの黄金期

1948年から1970年代半ばまで影響を与え続けた約25年間ってスゴイですよね

現在の日本車で?

てか今までの日本車で25年間他国の流行や影響を受け

約25年間こだわってそのデザインを主張して作った車って無いですよね





堕天使の記憶で最近の日本車のデザインに大きな影響を与えたと言えばこの車↓

※最近って言ってもかなり前の話ですが(^^;




























そうです(^^)


ボルボ850エステートです





日本市場では850が1990年代のステーションワゴンブームの火付け役となり

スバル・レガシィや日産・ステージアなどの日本の自動車メーカーの

ステーションワゴンに大きな影響を与えたましたよね


縦型テールのデザインなんかは挙って真似していた様に思います

ワンボックスでもホンダのス○ッワゴンしかりトヨタのノ○&ボ○シーしかり・・・



話は大きく外れちゃいましたが(^^;


アメリカ50s最高です♪^^


最後にアメリカの代表する50年代の車がわんさか出て来る


スピルバーグの初作品?!


この映画を紹介して終わりたいと思います(^^)


最後まで観てくれてありがとう(*^^*)

















































Posted at 2017/11/10 04:39:51 | コメント(3) | トラックバック(0) | 歴史 | クルマ
2017年11月09日 イイね!

50年代、アメリカの絶頂期を象徴する「テールフィン」の世界




CLというと輸入車・旧車が多いのですが

今回はアメリカ車についての話題をお送りしようかと思います

アメリカ車といえば昨年のフォードの日本市場撤退に

まことしやかに囁かれるクライスラーの撤退の噂等先行きは決して芳しいとはいえません

今やGM車で正規輸入されているのはキャデラックとシボレーの一部車種のみで

クライスラーも実はダッジは日本に正規輸入されていない等…




しかし、かつてはフォードとGMが大正時代に日本に現地法人を設立し

日本での現地生産をしたことに始まり

戦後の経済成長期には巨大なボディに大排気量のエンジンを搭載した

アメリカ車は日本人にとっては映画スターや政財界の著名人の愛車として

成功者の象徴だった時代もあります




往年のアメリカ車の象徴といえば?




往年のアメリカ車といえば戦勝国アメリカの黄金時代の象徴と言えば

「テールフィン」ではないでしょうか?

後に50’sアメリカンの象徴となる

アメリカ車のテールフィンはキャデラックの戦後初の新型となる1948年型に端を発します




カーデザインという概念に多大な影響をもたらした当時のハーリー・アールGM副社長の

愛弟子、フランクリン・ハーシェーによってデザインされた

1948年型は量産車初の曲面ガラスとピラーレスハードトップを採用したといわれています

そしてリアフェンダーにはロッキードP-38戦闘機をモチーフにしたという

テールフィンの装飾が施されます





当初はテールフィン(尾翼)といっても申し訳程度の物ですが

このデザインが発表されるや

大反響を呼び各メーカーがこぞって採用することになり

また年々巨大化を競うようになります





当初は、テールフィンの採用には消極的だったライバルメーカーのフォードも

1950年代の半ばになると

テールフィンという当時のトレンドを積極的に採り入れるようになります










1950年代後半になるとテールも変わってきます

1950年代後半になると、テールフィンを強調するかのように

テールエンドが長くなりエッジ部分も鋭角になります

さらにフェアレーンの「スカイライナー」モデルでは

1950年代ですでに電動格納タイプのメタルトップを採用しています








こちらは1957年型シボレーベルエア

アメリカンオールディーズの雑貨等でよくモチーフにされることの多い車種だけに

車名は知らなくてもクルマそのものはご存知の読者の方も多いのではないでしょうか?

GMの中でも大衆車のディヴィジョンを担っていたシボレーブランドにおいてベルエアは

若者のエントリーカーとしてもカリスマ的な人気があったようで

アメリカ人がベルエアに抱くノスタルジーは

日本人がハコスカやケンメリのスカGに抱く思いと同じという記述を読んだ事があります








1958年型プリマス・フューリー

958年型プリマスといえば、スティーヴン・キング原作でジョン・カーペンター監督によって

映画化されたホラー作品「クリスティーン」をイメージする方も多いでしょう




かくいう筆者も「クリスティーン」でテールフィンの50’sアメリカンオールディーズと

クラシックカーのレストアレーションに目覚めました


アメリカ自動車メーカーのビッグ3の中でもクライスラーはGMとフォードとは

一線を画したユニークなメーカーだったようでデザインやメカニズムでも冒険的で

この当時のクライスラーの装備で有名な物に

プッシュボタン方式のオートマチックトランスミッションのセレクターがあります







このあと、連邦の保安基準の改正により

変速機の操作はコラムもしくはフロアのレバー式のみと定められ

プッシュボタン式のセレクターは姿を消しますが

2000年以降、欧州や日本でのインパネシフトの登場により

近年になってアメリカでもコラム・フロア以外のレバー式以外の操作方法が解禁となりました





「テールフィン」の記事はかなりの長文になるので興味がなければつまらないですよね(^^;

興味有る方はパート2でまたお会いしましょう♪^^



Posted at 2017/11/09 13:41:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史 | クルマ
2013年09月20日 イイね!

世界の大量殺人犯をランキングでご紹介・・・怖すぎ・・・






興味深くはあるけどやっぱ怖いっすね・・・


小説や映画などの創作物のモデルになった殺人犯も多く


実際に存在している事自体が何よりも恐怖を感じます















まず殺人をすることが間違っているので


人を殺す人の気持ちなんて解りたくも無いです


堕天使には理解できません



こう言う輩は無条件で「死刑」でイイと思います




Posted at 2013/09/20 14:21:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | その他
2013年08月07日 イイね!

'70年代Vintage cars of Japan ’70








プリンス R380 (PRINCE R380Ⅰ)







'63年3月に開催されたた第1回日本グランプリで、


出場要項を厳格に守り市販車同然のグロリア


スカイラインで出場したプリンス自動車は


予想外の大敗を喫した



続く‘64年の第2回GPでは


4気筒1,500ccのS50型スカイラインのノーズを200mm延長し


グロリア用のG7型6気筒OHCエンジンを


押し込んだスカイラインGT(S54B)で乗り込んだが


突如現れたトヨタのワークスドライバー式場壮吉の


ポルシェカレラGTS904がスカイラインの行く手を阻んだ




このレースでドイツ製レーシングカーに食らいつき善戦した


スカイラインに多くの日本人は感動し


スカイライン神話が生まれたが


先進技術と高性能を売りにしていたプリンスが


場外の駆け引きは別にしても優勝出来なかった事は事実




‘64年9月、2連敗したヒコーキ屋達は櫻井 眞一郎をチーフに


打倒ポルシェを目標に次のプロジェクトを始動させた


これが国産初の本格的レーシングカーR380だった


















同年6月に設計部長の田中次郎が


ヨーロッパで手に入れた


ブラバムBT-8の鋼管スペースフレームを強化し


アルミ製のボディーはデザイナーが造った物ではなく


空力を追求した結果を形にした物だった



この思考は矢張り中島飛行機のDNAなのだろうか?




フレーム以外にもクラッチや


ミッション、ダンパー、ブレーキ等は殆ど


ヨーロッパの一流メーカーの物を


バランスさせて使っていたが


エンジンは完全に自前でS54Bに乗せていた


G7型エンジンのボア・ストロークを75mm×75mm 1987cc


4バルブDOHC 82mm×63mm 1996cc に変更し


潤滑方式もコーナリング中のGで


オイルが偏る事を防ぐ為ドライサンプに変更した



こうして出来上がったGR8型エンジンは殆ど新設計で


出力もS54Bの125Psから200Psと大幅に向上した





打倒ポルシェを目指したマシンは完成したが


’65年5月の日本グランプリは中止となり


戦いの場を失ったR380ⅠAは


その年の10月谷田部の自動車高速試験場に持ち込まれ


国際スピード記録に挑戦した




10月6日午前10時、杉田幸朗のドライブでスタートし


国際自動車連盟FIAの規定による


Eクラス(1500cc~2000cc)の記録を


次々と更新しながら52周した11時15分頃


時速230Km以上で走っていたR380の左前輪がバーストし


車はコースを外れとボディーを大破したが幸い杉田は


左手に軽い怪我を負っただけで済んだ


あと8周すれば200マイルの記録更新が見込まれたが


ボディーだけではなく左前輪のシャフトも破損していた為


この時点で中止となった




その1週間後、再び世界記録に挑戦したが


今度はトランスミッションのトラブルが発生し


記録更新とはならなかった






この日の記録は以下の通りであるが


谷田部のコースはFIAの公認コースではなかった為


正式な記録とは成らなかった
















谷田部で国際スピード記録に挑戦した

R380ⅠA型 










国際スピード記録に挑戦したⅠA型のエンジンルーム


手前のパイプが燃料補給口







前輪シャフト破損








左手負傷したドライバーの杉田幸朗     
           

 R380の記録(国内) 



       Eクラス国際記録    R380ⅠA型 記録

50Km      230.51Km/h       238.15Km/h

50mile    237.21Km/h       234.40Km/h

100Km    239.35Km/h        234.69Km/h

100mile    229.36Km/h        234.88Km/h

200Km    229.18Km/h       234.93Km/h

1Hr       229.23Km/h       235.06Km/h













’65東京モーターショーに展示された記録更新車  

 

第3回日本グランプリは1966年5月3日に場所を


鈴鹿サーキットから富士スピードウェイに変えて行われた


この年の8月1日


日産に吸収合併される事が決まっていた


プリンスは並々ならぬ決意でGPに臨んだ


R380は更に進化し


フレームは鋼管の径を大きくしブラバムを基にした新設計で


ボディーのフロント部をアルミからFRPに変え


リアサイドのエアインテークの


形状等デザインも細かな変更を施した


櫻井 眞一郎を中心とするチームはマシンの性能だけではなく


連日富士スピードウェイを借り切りテストランを重ね


ピットの支援体制も背水の陣を張った


ここで画期的だったのは燃料の補給方法


燃料をポンプで送るのではなく


高い位置に据え付けたタンクから落差で


一気に流し込む方法だった


そのシステムにより通常1分ほどかかる給油が僅か


15秒に短縮されロスタイムの短縮に大いに貢献した




 
この大会でも予想外の強敵が現れた


滝レーシングチームのポルシェ カレラ6だった


国産各社が威信をかけて戦う場に


プライベートチームがしかも高価な最新レーシングカーで


急遽参加表明することに少なからず違和感を覚えたが


日産のフェアレディスペシャル等の改造車やその殆どを


ヤマハが手がけ市販を前提とした








トヨタ2000GTなどの国産車だけを相手に勝っても意味がない







日産との合併でプリンスとしてだけでなく


レース活動そのものが最後になるかも知れないチームは


何が何でも優勝する事を誓った



プリンスは4台のR380をエントリーし


対するカレラ6はプライベートチームで


練習時間も短いハンディは有ったがレースの


経験値は格段に上だった


レースは絶対負けられないプリンスは


ピットのサポート体制も万全で


カレラ6行く手を生沢が阻む作戦で砂子が


3周の差を付けてフィニッシュ


2位に大石、3位に横山が入った



純粋に車の性能だけで勝負したらプリンスは


ポルシェに叶わなかったのではと思われるが


これまで散々辛酸を舐めてきたプリンスは


その名が消え去るほんの数ヶ月前に多くの日本人に


誇りと希望を与えてその役目を終えていった






































‘66年日本グランプリで優勝したR380Ⅰ型










 トヨタ博物館に展示されているR380












1996年に復元されR380Ⅰ

河北新報より 









Posted at 2013/08/07 20:44:06 | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史 | クルマ
2012年12月18日 イイね!

こんな感じで進化してきました






”スカイラインの進化”


というタイトルで紹介されていた海外拾い画像です


日産スカイラインの1957年から2012年までの


車種一覧が掲載されている画像です


スカイラインファンにとっては


興味深い画像ではないでしょうか?


スカイラインも色々と形を変えてきたのだなぁと


実感できるよね~(^v^) フフフ







↑クリック(*^o^*)
Posted at 2012/12/18 21:05:56 | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史 | クルマ

プロフィール

「お悔やみ申し上げます http://cvw.jp/b/1553683/48320267/
何シテル?   03/19 08:39
昭和の堕天使とイイます 古き良き昭和を愛する方々と お話が出来れば幸いです(*^-^*) な~んて言ってるけど21世紀モノも好きで~す!...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

悲しいお知らせ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/12/02 17:20:49
まだ来る筈じゃなかったのに・・・ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/03/03 10:28:52
本日移動しました(^^) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/01/26 21:29:27

愛車一覧

スズキ ワゴンR 鈍足君 (スズキ ワゴンR)
通勤及び買い物車
トヨタ カローラ 70君 (トヨタ カローラ)
ホントは前期型の丸目4灯が欲しかったんだけど(^^; なかなか出て来ないのが現状で 出て ...
スズキ アルトラパン スズキ アルトラパン
アルトラパン4WDターボに乗り換えました これから弄っていくつもりでいます(^^)
ホンダ XLR250R BAJA ホンダ XLR250R BAJA
最初に買ったオフロード車です(^^) この2年後にXR250レーサーに保安部品が付いた ...

過去のブログ

2025年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation