
以上が私の記憶の全てです。30年以上経ったんで、記憶はシンプルに整理されましたが、これ以上シンプルになることは無いでしょう。このブログを書く為にインターネットや文献で確認しましたんで、眠っていた記憶が蘇った部分もあります。
この事故については様々な角度でメディアに取り上げられ、現在でもインターネットで検索すると様々な情報にたどり着く事が出来ます。
これ以降の内容は、事故以後様々なメディアによって得られた情報をまとめて整理した物です。
第1ヒートは、ポールポジションの黒沢を国光がスタートで一気に抜き去り優勝。この時、国光がフライングではないか、いやポールの黒沢のフォーメーションラップにおけるペースが遅すぎたのだ、という点で紛糾。緊急で第2ヒート前にコース上でミーティングが行われたのでした。私が震えを感じたのは、こんな険悪な雰囲気を感じ取ったからでしょう。
また、この事故が起こった直接の関与メンバーは、黒沢・国光・北野の日産三羽烏でした。以前私もブログで取り上げた、あの栄光の1969日本GPのR382を駆ったあの3人が、プライベーターとしてこのGCに参加し、事故の発端を作ったのです(様々なトリガーがこの事故の陰にはあるのですが、それを書くのは差し控えます)。
朝日新聞が鬼の首を取ったかのようにモータースポーツを糾弾したのも不愉快でした。あの頃は丁度オイルショックの時代。燃料を撒き散らすかのごとく書き立てられたモータースポーツは徐々に下火になっていきます。
これを境に魔の30度バンクが永久に閉鎖になったのは、皆様ご存知の通りです。
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来年の日本GPがFSW(富士スピードウェイ)で開催との発表がありましたが、基本的には私は大賛成です。理由は簡単。鈴鹿は危険だから。狭いエスケープゾーン等、古い設計年次が近代F1には危険すぎるレイアウトだと思います。テクニカルコースだから、歴史があるから、という安直な議論は止めにして、これを機に安全なサーキットに改修して欲しいと感じます。
ではFSWは安全か?
私は80年代暮れまで静岡に住んでいたので、60年代末~80年代後半のFISCOのビッグレースの多くを観てきました。いつも陣取ったのは第一コーナー。グループCカーでは優に300数十キロに達するストレートエンドから、100キロ弱まで一気に減速し、インを奪い合うこのコーナーが大好きでした。
でも、このコーナーで観戦する時はいつも覚悟を決めていました。ブレーキングを争うマシンが接触しバランスを崩したら、フェンスを越えてこのスタンドまで飛んでくるかもしれない…。
実際1983年の高橋徹の事故死は、ウィングカーが後ろを向いた時には空を飛ぶ事を証明してしまったし、フォーミュラーであればタイヤが絡めば、後続車は必ず宙を舞います。
実際1977年の富士で行われたF1では、ロニーと絡んだビルヌーブが宙を舞い、観客二人が死亡しました(私はこのレースも観戦していましたが、数百m離れたブラインドコーナーにおり、コース上を走る救急車で何かが起きたな、位にしか感じませんでした)。
あってはならない話ですが、2007年の日本GP富士の第一コーナーで、アロンソに肉薄するライコネンのフロントタイヤがアロンソのリアに乗り上げたら、ライコネンの真下には数百人の観客が居た、なんて事もあり得るのです。改修されて第一コーナーのフェンスがどうなったか知りませんが、安全には念を入れて頂きたい。
※今FSWのHPを確認したら、第一コーナーのフェンスは当時の2倍以上の高さになっているようですね。ちょっと安心です。
長文になってしまいました。以前からこの1974GC第2戦を思い出す度に、自分の記憶を整理しておきたいとずっと思っていました。偶然にある文献でこの事故記事を見つけてしまった為、ブログにしたためてみた次第です。
どんなに面白いレースも安全が基本です。盛り上がっている2006年のモータースポーツシーンですが、浮かれすぎないようにしたいものです(自戒)。
事故の危険性が無いモータースポーツなど有り得ません。
関連ページ:二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ①
関連ページ:二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ②
関連ページ:二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ③
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Posted at
2006/03/25 08:00:21