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お茶犬おじさんのブログ一覧

2006年04月01日 イイね!

プロドライブ 2008年F1エントリー申請を発表

プロドライブ 2008年F1エントリー申請を発表プロドライブの代表であるデビッド リチャーズは、プロドライブが2008年F1世界選手権に対するエントリー申請を行なったことを今日明らかにした。すでに、少なくとも12チームはF1への2008年エントリー申請を行なっている。

リチャーズは声明において、「F1は依然としてモータースポーツの最高峰としてみなされており、それゆえにプロドライブにとって自然な次のステップである」と、コメントしている。

バーニー エクレストンは以前にF1のエントリー枠は12チームになると語っていたため、プロドライブは今週はじめにすでにエントリー申請を発表しているポール ストッダートのミナルディF1に挑戦状を叩きつけたことになる。
 - F1.Racing.jp - より


Super AGURI、4ヶ月でF1チームを立ち上げたのはここまできっと読んでたんですね。
亜久里に先見の明があったか。
昔どっかのバラエティ番組で亜久里がカート大会に出ていて、パワーウェイトレシオを良くする為に、という理由で、運転しながらシートの上でピョンピョン跳ねていたのを見て、『こいつ、物理の法則もわからんアホだなぁ』と思ったことがあるんですが(失礼)、記憶の中から削除しときます。

でも亜久里ってカートでも世界的にいいところまで行った選手の筈、カートの世界にはそんな裏技もあるんだろうか?
パワーウェイトレシオは基本的に前後関係に関係する質量だから跳ねても関係ない筈。縦方向の接地荷重(今回の場合ダウンフォースと同義)を考えれば、ピョンピョン跳ねて着地した時や跳ねようとする瞬間は荷重は掛かるが、跳ねた直後は荷重は抜けるから±0で無意味。
ああ、くだらない事で悩んでしまった。どなたか詳しい方がいらっしゃったら教えてくださいな。

※そう言えば、空気抵抗を減らす為に、という理由で、フォーミュラーのコクピットの中で首をすくめて運転してるドライバーもおりました(誰だか忘れたけど)。
Posted at 2006/04/01 07:09:33 | コメント(2) | トラックバック(0) | Motor Sports | クルマ
2006年03月31日 イイね!

何だかなぁ…

何だかなぁ…エスエス製薬(東京)は来月1日から栄養ドリンク「エスカップ」の新CMにマクラーレン・メルセデスを起用すると正式発表した … だそうだ … 

■今回、エスカップブランドのエッセンスである、勢いや挑戦イメージを象徴するモチーフとして、キミ・ライコネンやファン・パブロ・モントーヤらを擁し、フォーミュラー ワン レースにおいて、世界的にも実力と実績のある「チーム・マクラーレン・メルセデス」と契約、TVCMに起用することで、店頭からも消費者へエスカップを強くアピールできると考えます。

■また、エスカップの店頭販促デモンストレーション等を通じ、チーム・マクラーレン・メルセデスの話題を提供して参ります。更に、プロモーションユニット「エスカップクイーンズ」と共に、エスカップブランドの認知度を一層高めていきたい所存です。

     … ふぅ~ん …

これやらせるなら、ルノーの二人の方が似合いそう… (ボソッ)

関連情報URL : http://www.ssp.co.jp/
Posted at 2006/03/31 00:33:21 | コメント(3) | トラックバック(0) | Motor Sports | クルマ
2006年03月25日 イイね!

二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ③

二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ③以上が私の記憶の全てです。30年以上経ったんで、記憶はシンプルに整理されましたが、これ以上シンプルになることは無いでしょう。このブログを書く為にインターネットや文献で確認しましたんで、眠っていた記憶が蘇った部分もあります。
この事故については様々な角度でメディアに取り上げられ、現在でもインターネットで検索すると様々な情報にたどり着く事が出来ます。
これ以降の内容は、事故以後様々なメディアによって得られた情報をまとめて整理した物です。

第1ヒートは、ポールポジションの黒沢を国光がスタートで一気に抜き去り優勝。この時、国光がフライングではないか、いやポールの黒沢のフォーメーションラップにおけるペースが遅すぎたのだ、という点で紛糾。緊急で第2ヒート前にコース上でミーティングが行われたのでした。私が震えを感じたのは、こんな険悪な雰囲気を感じ取ったからでしょう。
また、この事故が起こった直接の関与メンバーは、黒沢・国光・北野の日産三羽烏でした。以前私もブログで取り上げた、あの栄光の1969日本GPのR382を駆ったあの3人が、プライベーターとしてこのGCに参加し、事故の発端を作ったのです(様々なトリガーがこの事故の陰にはあるのですが、それを書くのは差し控えます)。

朝日新聞が鬼の首を取ったかのようにモータースポーツを糾弾したのも不愉快でした。あの頃は丁度オイルショックの時代。燃料を撒き散らすかのごとく書き立てられたモータースポーツは徐々に下火になっていきます。

これを境に魔の30度バンクが永久に閉鎖になったのは、皆様ご存知の通りです。

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来年の日本GPがFSW(富士スピードウェイ)で開催との発表がありましたが、基本的には私は大賛成です。理由は簡単。鈴鹿は危険だから。狭いエスケープゾーン等、古い設計年次が近代F1には危険すぎるレイアウトだと思います。テクニカルコースだから、歴史があるから、という安直な議論は止めにして、これを機に安全なサーキットに改修して欲しいと感じます。

ではFSWは安全か?

私は80年代暮れまで静岡に住んでいたので、60年代末~80年代後半のFISCOのビッグレースの多くを観てきました。いつも陣取ったのは第一コーナー。グループCカーでは優に300数十キロに達するストレートエンドから、100キロ弱まで一気に減速し、インを奪い合うこのコーナーが大好きでした。
でも、このコーナーで観戦する時はいつも覚悟を決めていました。ブレーキングを争うマシンが接触しバランスを崩したら、フェンスを越えてこのスタンドまで飛んでくるかもしれない…。

実際1983年の高橋徹の事故死は、ウィングカーが後ろを向いた時には空を飛ぶ事を証明してしまったし、フォーミュラーであればタイヤが絡めば、後続車は必ず宙を舞います。
実際1977年の富士で行われたF1では、ロニーと絡んだビルヌーブが宙を舞い、観客二人が死亡しました(私はこのレースも観戦していましたが、数百m離れたブラインドコーナーにおり、コース上を走る救急車で何かが起きたな、位にしか感じませんでした)。

あってはならない話ですが、2007年の日本GP富士の第一コーナーで、アロンソに肉薄するライコネンのフロントタイヤがアロンソのリアに乗り上げたら、ライコネンの真下には数百人の観客が居た、なんて事もあり得るのです。改修されて第一コーナーのフェンスがどうなったか知りませんが、安全には念を入れて頂きたい。
※今FSWのHPを確認したら、第一コーナーのフェンスは当時の2倍以上の高さになっているようですね。ちょっと安心です。

長文になってしまいました。以前からこの1974GC第2戦を思い出す度に、自分の記憶を整理しておきたいとずっと思っていました。偶然にある文献でこの事故記事を見つけてしまった為、ブログにしたためてみた次第です。
どんなに面白いレースも安全が基本です。盛り上がっている2006年のモータースポーツシーンですが、浮かれすぎないようにしたいものです(自戒)。

事故の危険性が無いモータースポーツなど有り得ません。


関連ページ:二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ①
関連ページ:二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ②
関連ページ:二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ③
Posted at 2006/03/25 08:00:21 | コメント(2) | トラックバック(0) | Motor Sports | クルマ
2006年03月24日 イイね!

二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ②

二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ②事故現場目指してドッと走り出す観客達。
私は足がすくんで、その場から一歩も動くことが出来ませんでした。

ピットに居たチームクルーも全員がコース上を走って現場に向かいます。赤旗がどうのこうのと言う状態で無い事は誰にでもすぐにわかりました。救急車、消防車の全てが現場に向かいましたが、その動きはスローモーションの様に感じられました。
レースカーが徐行しながらストレートに戻ってきます。蒼褪めた顔で降りてくるレーサー達。スタンドに居た私の周囲には僅かな人しか残っていませんでした。殆どが事故現場に“見物”に行ってしまったのです。
私の足の震えはここでやっと治まりました。“虫の報せ”という言葉を初めて実感した瞬間でした。事故後1時間はスタンドでぼんやりと周囲の状況を見ていました。誰かが亡くなったらしい事は雰囲気ですぐにわかりました。ましてやあの炎を見た瞬間、最悪の事が起こってしまった事を直感しました。

1時間以上たって、やっと事故現場に向かう決心がつき、とぼとぼと一人でバンク目指して歩き出しました。現場から戻ってくる観客達の話し声から、おおよその状況はつかめました。
現在の第1コーナー手前付近で複数のマシンが焼け爛れているようです。既に火は鎮火し、多くの関係者が事故処理の真っ最中でした。現第一コーナーの付近に2台の黒い塊がありました。1台の上に更にもう1台が覆い被さる形で止まっていました。
胸が詰まった、というよりはただ唖然として見ていました。ふと周りを見ると、合掌している人が何人か居ました。私も慌てて手を合わせました。

鈴木誠一選手と風戸裕選手の死を知ったのは場内放送なのか、翌日の新聞なのかは覚えていません。ただ、二人とも私は何年も前から良く知っており(一方通行のファンでしたが)、何とも言えぬ無念さを感じました。

また、当日の事故現場では気が付かなかったのですが、翌日の新聞の事故現場図を見ると、コース手前側(スタート地点から見てコース左側、先ほどの2台とは逆方向)にもう2台が焼け焦げていたことを知りました。私が現場で見た位置からは死角で見えなかったのです。
実は、亡くなった二人が乗っていたマシンはこの2台だったのです。


関連ページ:二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ①
関連ページ:二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ②
関連ページ:二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ③
Posted at 2006/03/24 21:51:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | Motor Sports | クルマ
2006年03月23日 イイね!

二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ①

二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ①1974年6月2日。忘れたくても忘れられないレース。

当時高校生だった私は、その時点で既に20戦ほどのレース観戦歴があり、一端の“通”のつもりでいました。その日も原付に乗って3時間ほどの富士スピードウェイで、GC第2戦をひとりで観戦。同級生にレースを理解するような奴はおらず、その面白さやルール等を説明するのも面倒だったんで、私はいつもひとりで観戦する事にしていました。
当時のGC(グラチャン)は、トヨタ・日産ワークス対決なきあとの日本レース界の屋台骨を支えた、70年代中盤の日本を代表するシリーズでした。

レースは2ヒート制。第1ヒートがどんなレースだったかは、30年以上昔の事で、すっかり忘れてしまいましたが、第1ヒートと第2ヒートの間にコース上で行われた緊急ドライバーズミーティングから後の様子は一生忘れることが無いと思います。

私はストレートのスタートライン付近に陣取っていました。ドライバーズミーティングの様子が何かおかしい。勿論会話の内容が聞こえる筈が無いんですが、何か殺気立ったものを感じました。
何故か足の武者震いが止まりません。こんな事は後にも先にもこれだけです。震えが止まらない…。

そうこうするうちにミーティングが終了。ドライバー達がマシンに乗り込みフォーメーションラップが始まりました。このレースはローリングスタートでした。ここで私の震えは最高潮に達します。『俺は一体どうしちゃったんだろう』 そう思いました。

スタート。30度バンクを目指し、たった一本のレコードラインを目指し、20台弱の2リッタースポーツカーが左右にマシンを蛇行させながら猛烈に加速していきます。スタート地点から600m位走ったところで、1台のマシンがコース上を横切るのが一瞬見えました。次の瞬間真っ赤な炎が、コップに垂らした赤インクのように、フワッと拡がるのが見えました。
赤い炎は数秒後に黒い煙に包まれ、何も見えなくなりました。

ドッと事故現場目指して走り出す観客達。
私は足がすくんで、その場から一歩も動くことが出来ませんでした。


関連ページ:二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ①
関連ページ:二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ②
関連ページ:二人のレーサーの命を奪った1974 GC第2戦 ③
Posted at 2006/03/23 22:22:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | Motor Sports | クルマ

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9歳の時に国産主要車種のスペックを全て丸暗記。スーパーカー世代なんかにゃ負けないよ。初めてレース観戦したのもこの歳、以降40年レースは私のお友達。1976年富士...
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