
自分のクルマと同型式車がサーキットで競争し、しかもそれがあのル・マン24時間だったら、誰でも興奮して応援しますよね。私にとっては1980年前後の、MAZDAワークスとして初期のル・マン参戦だった頃の、MAZDA252i/253/254がそれに当たります。
名前こそ純レーシングカーの様ですが、ボディを見れば一目瞭然、初代RX-7(SA22C)そのまんま。勿論各部にチューニングは施され、エアロパーツは取り付けられているんですが、最近のGT300/500(これらは外皮だけは市販車に似せてありますが、中身は全くの別物ですもんね)と較べれば、オリジナルに極めて近い。親近感の非常~に強いクルマな訳です。
私の乗ってたRX-7についてちょっぴり紹介。1978年に突如現れた、和製スーパーカーもどきのコンパクトスポーツカー。1tそこそこ(確か私のGTはカタログ車重1015kgと記憶)のボディにフロントミッドシップの12A型130PS(グロス)のロータリーエンジン。ワットリンクのリアサスはロールを許さず、非常にクイックなハンドリング。アンダーとは無縁だが、コーナーで少しでも限界を超えようものならスパッとテールは流れ出す。
私は学生時代に親から一銭も援助してもらわずに、アルバイトでこのRX-7を買ったのですが、納車当日の深夜、いつもどおりアルバイトに出かけようと深夜の峠道をバイト先にセブンで急いでいました。納車直後ですからとばしていたつもりはないんですが、高いギアを使ってコーナーをそこそこのスピードで攻めてみる。
ん?変な感じ。
ひょっとしてさっきのコーナー、俺、ハンドル切らずに曲がったぞ。
そうです。舵角ゼロのコーナリングを納車当日無意識にやってしまったんですな。
勿論、今のクルマほど限界は高くない。タイヤの性能も低いから、公道でも荷重移動とペダル/ステアリングコントロールで自由自在にマシンコントロールが出来る。それからは毎夜毎夜大垂水峠から大月辺りまでの甲州街道をカウンター充てっぱなしで走り回りました。
そのDNAはロードスターに受け継がれているいるんですな。Z33で、当時のRX-7のような芸当をしろと言われてもそれは無理。歳をとったこともあるけれど、限界速度はとんでもなく上がってるし、車重は1.5倍もある。流れ出したらそれをコントロールする自信は無いわけじゃないけれど、公道でそれをやる程の蛮勇は持ち合わせていない。
サーキット走るなら別ですけどね。
だから私はZ33をエレガントスポーツに仕立てたいと思ってるんですな。
とにかくセブンは楽しいクルマでした。ドリフトマシンとしてAE86がブームになりましたが、SA22Cはたぶんもっと面白いクルマだと思いますよ。エンジンのピックアップトルクがもう少しあれば、アクセル操作にリニアにリアが反応したんでしょうけどね。ま、REだからしょうがないか。
話が大きく脱線しました。
こんな愛するセブンがル・マンに挑戦。“頑張れ! セブン!!”
でも、残念なことに当時はTV中継も無ければインターネットも無い。結果はAUTO SPORTで確認するのみ。年寄りのボヤキじゃないけれど、今はホントにいい時代です。
話をまとめます。上記RX-7改のMAZDA252i/253/254はルマンでたいした成績は残せませんでした。当たり前です。ツーリングカーに毛が生えたレベルのマシンが、ポルシェやその他の純レーシングマシンに敵うわけがありません。
日本でも走りましたが、これらのマシンが争えるカテゴリーが無かった為、他のビッグマシンと走ることになり、これもテールエンダーで終わりました。
でも後にも先にもこんなに応援したレーシングカーは無かったです。
※RX-7の名誉の為に補足。RX-7のレースにおける主戦場はアメリカのIMSAシリーズ。そこで数多くの勝利を記録し、見事チャンピオンに輝いています。写真はル・マン出場のMAZDA 254の模型(笑)
Posted at 2006/03/15 22:53:28 | |
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Memorial Racing Car | クルマ