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お茶犬おじさんのブログ一覧

2006年11月02日 イイね!

Memorial Racing Car 31. Brabham BT52

Memorial Racing Car 31. Brabham BT52実に久々(4ヶ月ぶり)のメモリアル・レーシングカー・シリーズも今回で31回目。最近のお友達は是非私のお気に入りのマシンたちを見てやって下さい。

さて、今回は『出し忘れた!』感のあるブラバムBT52。先日放映のF1 Legendsを観ていて思い出しました。

1983年、フラットボトム規制により、他チームが様子見的に、または時間的に無理があって前年度マシンのフラットボトム版といった感じのマシンを投入する中、攻め込んだコンセプトの全くのニューマシンを仕上げてきたブラバムチーム、F1 Legendsの小倉さんの解説によると、デザイナーの鬼才ゴードン・マーレイとチーム監督のバーニー・エクレストンが、『他チームに無い斬新なアイディアでタイトルをもぎ取ってやろう』という野心のもとに開発されたマシンとか。

非常に小さなサイドポンツーンや、上から見ると矢のような形をしていたことから「アロウシェイプ」と呼ばれ、非常に人気がありました。カラーリングセンスも抜群。改良バージョンのBT52Bでは、白と紺の部位をネガポジ反転させてみせました。
小倉さんによると、その矢のような形から、“サンダーバード1号”とも呼ばれていたそうです。

コンパクトなBMW4気筒ターボエンジン、燃料給油&タイヤ交換を前提としたコンパクトなシャーシ、そしてピケのドライビングにより、1983ドライバーズ・チャンピオンシップを勝ち取った傑作マシンです。
Posted at 2006/11/02 23:22:48 | コメント(4) | トラックバック(0) | Memorial Racing Car | クルマ
2006年07月09日 イイね!

Memorial Racing Car 30. マクラーレンM8A

Memorial Racing Car 30. マクラーレンM8Aこれまた3ヶ月半ぶりのMemorial Racing Carシリーズ。


1960年代後半、国内ではトヨタ/日産の2大ワークスが日本グランプリで激闘していた頃、アメリカではCAN-AMシリーズが盛んでした。2シーターのオープンスポーツカーによるこのシリーズはレギュレーションも厳しくない為、様々なレーシングカーがバトルしていました。
そんなCAN-AMを制したのがこのオレンジ色のマクラーレン。当時のチーム創始者、ブルース・マクラーレンとデニス・ハルムの2台のマクラーレンは圧倒的な速さを見せていました。このシリーズにトヨタはターボ仕様のトヨタ7で、日産は幻のR383で挑もうとしたのですが、オイル・ショックや様々な外的要因によりこれを断念した訳です。

私は当時小学校~中学生の頃。2大ワークスが目指したCAN-AMに君臨するこのオレンジ色のマクラーレンは神様のように思えたものでした。毎月少ない小遣いから捻出した小銭を握り締めて、本屋さんにAUTO SPORTを買いに走ったのを思い出します。

このマクラーレンも、Porsche917-10の圧倒的なTurboパワーの前に蹴散らされてしまう訳ですから、“盛者必衰の理”という言葉がそのまま当てはまってしまった訳ですね。
Posted at 2006/07/09 21:39:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | Memorial Racing Car | クルマ
2006年03月25日 イイね!

Memorial Racing Car 29. ブラバムBT55

Memorial Racing Car 29. ブラバムBT55この手もあったか、って感じの極薄シャシー。前面投影面積を抑える為には、タイヤとボディを何とかするしかない訳だけど、タイレルP34の件もあるし、タイヤメーカーに特殊サイズを作ってもらっても、それじゃあ熟成がままならない。ならばボディを薄くしてしまえ、というゴードン・マレーらしいストレートな発想。



今見てもギョッとする程インパクトあるスタイル。BMW4気筒Turboを無理矢理斜めに傾斜して搭載して高さを切り詰めました。現在のレギュレーションではクラッシュテストは絶対に不合格だろうな。そもそもこれじゃ側面衝突時に首が危ない。
って、ゴードン・マレーは考えなかったのでしょうか?御存知のように、このマシンはエリオ・デ・アンジェリスの命を奪いました。

低いサイドポンツーンは、何処となくマクラーレンMP4/4に似てますよね。あっ、これもゴードン・マレーだったな。
Posted at 2006/03/25 22:20:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | Memorial Racing Car | クルマ
2006年03月15日 イイね!

Memorial Racing Car 28. MAZDA 254 (愛するRX-7)

Memorial Racing Car 28. MAZDA 254 (愛するRX-7)自分のクルマと同型式車がサーキットで競争し、しかもそれがあのル・マン24時間だったら、誰でも興奮して応援しますよね。私にとっては1980年前後の、MAZDAワークスとして初期のル・マン参戦だった頃の、MAZDA252i/253/254がそれに当たります。

名前こそ純レーシングカーの様ですが、ボディを見れば一目瞭然、初代RX-7(SA22C)そのまんま。勿論各部にチューニングは施され、エアロパーツは取り付けられているんですが、最近のGT300/500(これらは外皮だけは市販車に似せてありますが、中身は全くの別物ですもんね)と較べれば、オリジナルに極めて近い。親近感の非常~に強いクルマな訳です。

私の乗ってたRX-7についてちょっぴり紹介。1978年に突如現れた、和製スーパーカーもどきのコンパクトスポーツカー。1tそこそこ(確か私のGTはカタログ車重1015kgと記憶)のボディにフロントミッドシップの12A型130PS(グロス)のロータリーエンジン。ワットリンクのリアサスはロールを許さず、非常にクイックなハンドリング。アンダーとは無縁だが、コーナーで少しでも限界を超えようものならスパッとテールは流れ出す。

私は学生時代に親から一銭も援助してもらわずに、アルバイトでこのRX-7を買ったのですが、納車当日の深夜、いつもどおりアルバイトに出かけようと深夜の峠道をバイト先にセブンで急いでいました。納車直後ですからとばしていたつもりはないんですが、高いギアを使ってコーナーをそこそこのスピードで攻めてみる。

ん?変な感じ。
ひょっとしてさっきのコーナー、俺、ハンドル切らずに曲がったぞ。

そうです。舵角ゼロのコーナリングを納車当日無意識にやってしまったんですな。
勿論、今のクルマほど限界は高くない。タイヤの性能も低いから、公道でも荷重移動とペダル/ステアリングコントロールで自由自在にマシンコントロールが出来る。それからは毎夜毎夜大垂水峠から大月辺りまでの甲州街道をカウンター充てっぱなしで走り回りました。
そのDNAはロードスターに受け継がれているいるんですな。Z33で、当時のRX-7のような芸当をしろと言われてもそれは無理。歳をとったこともあるけれど、限界速度はとんでもなく上がってるし、車重は1.5倍もある。流れ出したらそれをコントロールする自信は無いわけじゃないけれど、公道でそれをやる程の蛮勇は持ち合わせていない。
サーキット走るなら別ですけどね。
だから私はZ33をエレガントスポーツに仕立てたいと思ってるんですな。

とにかくセブンは楽しいクルマでした。ドリフトマシンとしてAE86がブームになりましたが、SA22Cはたぶんもっと面白いクルマだと思いますよ。エンジンのピックアップトルクがもう少しあれば、アクセル操作にリニアにリアが反応したんでしょうけどね。ま、REだからしょうがないか。


話が大きく脱線しました。
こんな愛するセブンがル・マンに挑戦。“頑張れ! セブン!!”
でも、残念なことに当時はTV中継も無ければインターネットも無い。結果はAUTO SPORTで確認するのみ。年寄りのボヤキじゃないけれど、今はホントにいい時代です。

話をまとめます。上記RX-7改のMAZDA252i/253/254はルマンでたいした成績は残せませんでした。当たり前です。ツーリングカーに毛が生えたレベルのマシンが、ポルシェやその他の純レーシングマシンに敵うわけがありません。
日本でも走りましたが、これらのマシンが争えるカテゴリーが無かった為、他のビッグマシンと走ることになり、これもテールエンダーで終わりました。

でも後にも先にもこんなに応援したレーシングカーは無かったです。


※RX-7の名誉の為に補足。RX-7のレースにおける主戦場はアメリカのIMSAシリーズ。そこで数多くの勝利を記録し、見事チャンピオンに輝いています。写真はル・マン出場のMAZDA 254の模型(笑)
Posted at 2006/03/15 22:53:28 | コメント(1) | トラックバック(0) | Memorial Racing Car | クルマ
2006年03月12日 イイね!

Memorial Racing Car 27 サバンナRX-3

Memorial Racing Car 27 サバンナRX-3初代スカイラインGT-Rを栄光の座からひきずりおろしたロータリー勢の雄、サバンナRX-3。当時のレース界のヒール役(悪役)を演じました。

以前も書きましたが、私の実家が代々スカイラインばかり4台乗り継いでいた事もあり、スカイライン大好き、ロータリー大嫌いの小学生~高校時代を過ごしました。スカイラインが最後はボロボロになりながらも50勝を達成した時には感動したものです。(その内の10勝くらいはこの目で見ましたから)

でも皮肉にも、その後ロータリーばかり3台(コスモ、RX-7×2)を13年23万kmほど乗り継ぐ事になり、ロータリーが当時のレシプロに比較して如何に優れているかを実感しました。GT-Rは敗れるべくして敗れたんだなあ、と実感しました。

その後、このRX-3が国内レース通算100勝した事は、つい最近マツダのHPを見るまでは恥ずかしながら知りませんでした。
獰猛な顔つきをしたサバンナRX-3(市販車名サバンナGT)。まだ公道を走っているクルマは国内にあっても数十台レベルでしょうが、長生きして欲しいものです。

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以下MAZDA HPより抜粋

'71年9月に発表されたサバンナ(初代)は、同年12月の富士500マイル・ツーリストトロフィーレースで優勝し、スカイラインGTRの国内レース通算50勝達成を阻止。翌'72年には、より出力の大きい12Aエンジンを搭載したサバンナRX-3(市販車名サバンナGT)が登場し、5月の日本グランプリ(TS-bレース)では予選上位を独占、決勝でも独走して優勝しました。
この後、信頼性、耐久性に富み、高性能なロータリーエンジンを搭載するサバンナRX-3は、スポーツキットの販売によりワークスチームだけでなくプライベートチームにも広く使用され、スプリント、耐久を問わずさまざまなレースで活躍、'76年5月のJAFグランプリ(TS/GTS-レース)の優勝で、国内レース通算100勝という金字塔を打ち立てました。

関連ページMemorial Racing Car ⑬ 初代スカイラインGT-R
Posted at 2006/03/12 09:47:37 | コメント(3) | トラックバック(1) | Memorial Racing Car | クルマ

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9歳の時に国産主要車種のスペックを全て丸暗記。スーパーカー世代なんかにゃ負けないよ。初めてレース観戦したのもこの歳、以降40年レースは私のお友達。1976年富士...
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