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Audi TT Germanのブログ一覧

2006年07月30日 イイね!

これ韓国製のカッパえびせん。

これ韓国製のカッパえびせん。これも弾正さんネタですが、カッパえびせんは日本で出来たと思いますが、韓国製や中国製があります。(多分タイ製もあったはず)

これは、今日買い物に行った韓国のお店の韓国製のカッパえびせん。

味は日本製と同じですが、何か味はちょっと落ちてる気がします。
(薄い感じかな~)

頂いたえびせんにアドレスが出てたので見てみましたが、あんなに食べれそうな「えび」を使っているのか、ちょっと疑問に思いました。
何かで聞きましたが、本来は捨てる部分を使っているらしいですけど、ネットの絵を見る限り、あのままでも食べれそう。
Posted at 2006/07/30 04:26:16 | コメント(5) | トラックバック(0) | 地域 | 旅行/地域
2006年07月30日 イイね!

弾正さんから頂いた「そば」を頂きました。

弾正さんから頂いた「そば」を頂きました。弾正さんから頂いた「そば」を土曜日の夕食として食べました。
相方と2人ですから半分だけゆでて食べました。
結構「こし」がある感じでゆでる事が出来良かったです。

まあ、おそばだけだとお腹に残らないというか、ちょっと物足りないかと思い、スーパーでスペアリブを買って来て、醤油、ミリン、お酒、塩、コショウで下味を付けて焼きました。


初めてやった料理の割には結構美味かったです。
もち、主役は「おそば」でした。

相方が言ってましたが、大阪では「おそば」は無名でお父さんが何処かに行った際に「おそば」を注文し、出てきたら、食べ方が分からず「汁」を飲んでショッパイお茶だな~と言ったとか。
一緒に居た大阪人は麺に汁かけて、テーブルが汁でびじゃびじゃになったとか。

確かに場所が変わると、食べ方変わりますからね~
Posted at 2006/07/30 04:18:25 | コメント(3) | トラックバック(0) | 料理 | グルメ/料理
2006年07月29日 イイね!

ドイツ向きな自分の性格(昔話3)

ゲーテと言う語学学校は有名で世界各国から人がやって来る。とは言っても授業料は1コース20万円ぐらいで国からの援助で来る方以外は必然的に先進国と呼ばれる国が中心となる。
自分の初めのコースはミュンヘンを取り、学生は学生寮に1人部屋か2人部屋に分かれて2ヶ月間一緒に生活する事になり、自分は当然2人部屋を選ぶ(安いから)。
そして1番始めてのルームメイトはアメリカ人となった。
彼は中級コース、自分は初級コースであった。
中級コースレベルはまず日常の会話には殆ど困らないレベルで、自分のレベルとは雲泥の差であった。
今はそうでは無いが、あの頃はアメリカが大嫌いだった。
それは戦争という歴史からも歴然とした強者の理論で弱者を負かしている事実、後、対戦時、長崎、広島の原爆投下後、日本が降伏しなかった場合、次の原爆は自分の故郷「新潟」に落とされる予定だったと聞かされ、もし落とされていたら自分という存在は無いと親から言われた記憶が今でも鮮明に残っているからでもある。
一緒に生活するようになってから数日後、彼と歴史的事実についてデスカッションとなった。
相手は自分からしたらドイツ人そのもののレベルではあったが、勢いが付くと止まらない性格なので、辞書で意図する単語を見つけては彼に示し、自分としては精一杯の努力して自分の気持ちを伝えって行った。
夜中までそんな事が続き、自分の真意をなかなか伝えられずに涙が出てきた事は覚えているが、それでも止めなかった。
そんな感じで真正面から取り組んだお陰で、自分自身で気付いたが「アメリカが悪い」イコールその国に生まれた全てのアメリカ人が悪い訳でも無く、日本で生まれた全ての日本人が歴史における敗戦者のレッテルを持っている訳でも無い。
それまで自分にとってアメリカは歴史上に出てくる名前だけの存在で、一個の人格を有する人間とは結び付いていなかった。
その後、彼とそして彼の友人達(殆どアメリカ人だったが)と時間があると何時も一緒に居るようになった。
もちろんこのグループで1番話せないのは自分で、殆ど何を皆が話しているのか分からない時もあったが、何故か一緒に居た。
結局24時間、どっぷりドイツ語に漬かる毎日で上達も早かったと思う。
日本から多くの人がゲーテにやってくるが、皆授業以外は日本人で固まり、観光客と化していたが、結果的に悲惨になる事は彼らが1番後で分かった事だと思う。
自分は留学中日本人の友人は作らないと決めていた。
日本語は日本に帰ったら必然的に話すわけで、今使う必要は無い、だからドイツ語でしか意思の疎通が出来ない方と友人になるように努めた。
ミュンヘンの後にSchwabisch Hallと言う村にあるゲーテに行ったがそこで最上級コースで学んでいる日本人と知り合いになった。が、その人とはドイツ語で話した、彼も変った人でそれが何も違和感を感じさせなかったのも嬉しかった。(留学中、日本人で友人となったのは彼だけだった)

語学を習得する最短方法は何か?それは他人に質問する事である。どんな人でも自分の母国語は流暢に話せる、書く行為は声を文字という全く違った次元と結びつける行為で難しくなるが、話すことは出来る、それは子供の頃、親、又は周りの人々に質問しながら覚えたはずで子供が参考書を見ながら日本語(話す行為)を覚える訳はない。
だから自分は周りにやたらと質問した。
授業中も先生に何回も質問した、授業も一種の戦争であり、皆に等しく授業を受けれる資格は与えられるが、皆が均等にレベルが上がる義務は無い。
どれだけ自分の為に授業を使えるか、それは自分の意思によって大きく違ってくる。
その後夏休みになって日本から多くに日本人が学校の休みを使い参加されたコースがあり、半分以上が日本人になった授業があるが、その時、他の日本人から突き上げられた。
「もっと静かにしてろ!」と言う訳である。
次の授業から自分は全く変えずに質問しまくった。
そして、どうやって人は言語を習得して行くかレクチャーまでやってしまった。(あそこまでしなくても良かったかと今考えると多少後悔している)
その後、突き上げも無く自分の信念を信じて突き進んだコースだった。

この語学に対する自分の信念はちょっと強情な部分があり、読まれて不快感が出たとしたら、申し訳ない。

そろそろ相方が買い物に連れてけ!と言う感じなので、今日はこれでおしまい。
Posted at 2006/07/29 16:08:48 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2006年07月28日 イイね!

ドイツ向きな自分の性格(昔話2)

この渋谷の語学学校に通うようになって重大事件が発生した。
それは同じクラスに女子高の先生という人が居て、その人が自分にとって1番嫌な奴と言うか、非常に性格が合わないタイプの人だった事。
暗がりでボコボコしたいと考える位だったが、それでは大人げ無く最終的に自分が嫌な目に会うのでどうしようかと考えた所、ドイツ語で負かしてやろうと決めた。
初級コースだから程度は知れているにせよ、そのクラスでは彼がトップであった訳で、自分は前にも書いた様に全く初めてだったので、後ろの方から数えた方が早かった。
時間が重複するが、コースが始まって半年位した頃、彼が「●●さんは、学生だから進歩が早いね、負けちゃいそうだな~」と帰り際に言われた。
「はは、そんなことないですよ」と当たり障りの無い言葉で返したが、見えない所でガッツポーズを取った事は言うまでもない。
嫌な存在ではあったが、彼の存在が自分のドイツ語の進歩に大きく貢献した事は確かであり、それこそ感謝しなければいけない所ですが、連絡も出来ず、する気も実はありません。
そんな感じで大学4年目が過ぎて行く中、友人は就職活動を始める。
自分も就職しようかとも思ったが、ゲーテはドイツ国内にいくつもあり、留学して習う事が出来ると知ってしまい、親に相談すると資金面で援助(殆ど出してもらったので、援助の枠は出たが)してくれると言う。(親には感謝しております。)
何がそう、自分を駆り立てたのか、未だに説明もつかないが着々と準備を進め、大学の友人が皆社会人への登竜門に登って行こうとしている時に自分は何になるか全く分からない「ドイツ語」の完全習得の為にドイツ留学の道を選ぶ。(単に先を考えていなかったとも言える)
今でも覚えているが、飛行機は大韓航空機、アンカレッジ経由で20時間以上飛行機に乗って、何度機内食を食べたか思い出せない位乗って、朝早くフランクフルト空港に着いた。
荷物の受け取りの場所で出口は何処か、掃除婦のおばちゃんにドイツ語で聞いて、ちゃんと通じたので、異常に感動し、「努力した甲斐があったな~」と感動した。(もう約17年前の話)
春からのコースを選び、申し込み後、確か1ヶ月の滞在許可証をパスポートにもらってのフライトだったが、丁度良い時期になると飛行機代が高いので2週間前位にドイツに到着していた。(レストランに行くと何が出てくるか分からないので殆どマックを食べてた。)

滞在許可の延長を自分でしなくては行けないと思っていたので、外人局へ延長の申請に行った。でもまだその頃は殆ど話せず辞書で示しながら相手に説明し、確か2箇所ぐらい回されて、あるドイツ人の所へ。話せないなりに必死に説明し、1年間の滞在許可を受け取る。(1日、外人局に居た。)
授業が開始されてから分かったのだが、学校側が滞在許可の申請はしてくれる事になっていたらしいが、既にもらったので先生に滞在許可を見せると大変驚き、「どうやって1年ももらった?」と外人局に電話して何か聞いていた。普通はコースが2ヶ月なので2ヶ月単位らしかったが、結果としてドイツ語を習っている間には更新する必要は無くなった。

気が向いたら、また続く。
Posted at 2006/07/28 23:56:32 | コメント(3) | トラックバック(0) | 暮らし | 旅行/地域
2006年07月28日 イイね!

ドイツ向きな自分の性格(昔話1)

少々弾正さんとのコミュニケーションで感じた事があるので記しておこう。

自分がドイツに興味を持ったのは大学3年の時、ある関係でドイツの会社の社長が夕食会を行うとの事で親父の通訳として参加(あまり英語は話せなかったが、勢いでGO)

その時初めてドイツ語を聞いた。
何故か非常に英語と違う響きで、「こんな言葉があるんだ~」とちょっと感じた。
それをちょっと親父に話したら「だったらやってみたら?」と言われ、実は大学の卒業単位は3年で修得しており、4年は週に2時間だけ行けば良かった内情もあり、これも一興かと考えて一先ず翌日、本屋でNHKのラジオ講座の本を見てゲーテ(語学学校)の場所を確認して出かける。
ゲーテで聞くと、ここは今からじゃ遅いけど渋谷の○○だったらOKかもと言われ、そちらへ。
受付に行って聞くと「今日からコースが始まります、これが教科書ですから無料で体験出来ますよ!」との返事。
「一番最初のコース、お願いします」と言ってコース参加。
先生はドイツ人で何と始めからドイツ語で何か言ってる(その時はドイツ語かも判断出来なかった)

そして自分に向かって何か言ってます!
もう心の中は大パニック!
「コース間違えたか!」
「何言えば良いんだ?!」

超汗かいて、真っ赤になってました。

でも他の参加者、何か話すんですよ!
心の中で「きったね~初級コースじゃないのか!」

と、思ってましたが、何も言わず大きなダイエットになった時間。
コース終了後、参加者に聞くと多少は習った事があるとの事。

自分は決めるとやたら行動するタイプなので、次の日から猛勉強始めました。(今思うと自分でも変ですが)

仲間からは「お前、変だよ!ドイツ語やって何になるの?」と言われ、自分でも答えは無かったのですが、ひたすらドイツ語を習いました。
(その頃はまだドイツ統一もされておらず、EUではフランス語が主流となると言われていた頃で、ドイツ語は全く注目されていませんでした。)

あの頃は1日6時間はやったし、自分のアパートにある全ての物にドイツ語で何と言うか、シール付けてて、これも友人から「お前の家に行きたくない」と言われました。

まあ、学生で時間があった事もあり、このコースでもだんだん話せる様になり、ドイツ人の先生とある時ばったり電車の中で会いました。(多分半年後ぐらい)

その時先生が「あなたはドイツに行って生活した方が良い、あなたの性格はドイツ向き」と言うではありませんか、何がドイツ向きなのか自分にはその時は分かりませんでしたが、その言葉は自分の人生を変えた「言葉」だった事は事実です。

気が向いたら続きます。
Posted at 2006/07/28 01:28:49 | コメント(2) | トラックバック(0) | 暮らし | 暮らし/家族

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「今日日本は祝日、こちらも返信の必要が無く、効率的。」
何シテル?   07/16 00:51
最近TTからマツダのMX-5(ロードスター)に乗り換えました。 諸事情でパワーダウンを余儀なくされ(自己原因)、でも楽しく無い車には乗れないな?と考えて、今回...
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