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ウルトラザウルス改のブログ一覧

2007年08月05日 イイね!

草むらのヒーロー『日産 バネットラルゴ(初代)』

草むらのヒーロー『日産 バネットラルゴ(初代)』現役中は大家族や大勢の友達を乗せていろんなところに・・・。
退役後は資材やら粗大ゴミ等を載せてひっそりと草むらに・・・。
これこそワンボックスカーの正しい使い方ではなかろうか!(爆

余談ですがワタクシ小学生の頃、サッカーなんぞやっておりまして、試合とかで他校に行くときには父兄が車を出して送迎してくれてました。
当然この初代バネットラルゴなんかにも乗ったことがあります。
そのときには気が付かなかったのですが、3列目の窓、開くんですね。
ハメ殺しの窓が多い昨今、この窓はいいですね。
というか今の技術なら、パワーウインドウぐらい付けれないものだろうか?
スライドドアのレールがあるから厳しいかもしれんが・・・。


初代 C120型(1982 - 1986年)
1982年9月、「バネット(C120型)」派生の上級車種として「バネット」の名前を冠して「バネットラルゴ」とされ、販売チャンネルごとに「ダットサンバネットラルゴ」、「サニーバネットラルゴ」、「チェリーバネットラルゴ」が設定された。ボディ形状はキャブオーバー型1BOXで、ベースとなるバネットに対し車幅を90mm拡大し、バンも設定された。搭載するエンジンは直列4気筒OHC・Z20型、1952ccディーゼル・LD20型、1952ccディーゼルターボ・LD20T型、およびバン用のOHV1487ccガソリン・A15型の4機種。3車種の相違点の1つはヘッドランプの枠にあり、ダットサンバネットはシルバー、サニーバネットは外側が黒、内側がシルバー、チェリーバネットは外側がシルバー、内側が黒となっている。

グレードはワゴンが「グランドサルーン」、「LX-G」、「LX-J」、「LX」の4種。グランドサルーンには2列目キャプテンシートとセンターアームレスト付き3列目シート、1BOX唯一のガラスハッチが装備されていた。

なお、この型のラルゴがDレンジのままエンジンを始動したところ、暴走して民家の壁を突き破る事故があった為、AT車のシフトロック機能装着が義務付けられたきっかけを作ったモデルでもある。


おお!時代の最先端をリードしてたんだね(爆

この記事は、草むらのヒーロー⑨『三菱ミニキャブ・バン』 について書いています。
Posted at 2007/08/05 16:45:47 | コメント(6) | トラックバック(0) | 旧車烈伝 | クルマ
2007年08月05日 イイね!

日産ブルーバード(U11)

日産ブルーバード(U11)この2台は別々のところで撮影したのですが、いまでもこうやって見かけることができるとは驚きですよね。
ちょうどFR→FFに変わりつつある頃の車は、どれもあまり見かけることは無くなってきました。
「こんなん旧車のうちに入んないぞ!」って意見もあるでしょうが、冷静に考えるとコレもすでに20年以上が経過しているのですから、そろそろ旧車の仲間入りなんでしょうか。
ワタクシ中学生の頃の「憧れの車」の1台でもあったりします。






7代目(U11型、1983年-1987年 バン/ワゴンは-1990年)

1983年10月、U11型にモデルチェンジ。前モデルの910型が人気・販売共に好調だった事から、910型の流れを汲んだデザインが採用された。特に前期型はT11型オースター/スタンザの後期型に近いものだった。 ボディタイプは4ドアセダン、4ドアハードトップ、ワゴン、バンの4種類。 910型までラインナップされていた2ドアハードトップは廃止された。(タクシー仕様車は910型の項を参照)。
グレードは、スポーツ系のSSSシリーズとフォーマル系のエレガントシリーズに大きく差別化が図られた。また、SSS系はハードサスにより、安定した操縦性を確保している。
このU11型より駆動方式はFF(前輪駆動)となり、以降の日産FF車の基となる。当時のFF技術は発展途上にあったが、出来るだけFFのクセを取り払う工夫がなされた。4輪駆動車の設定はなかった
910型と同様、当時の最新エレクトロニクス技術を用いた装備も積極的に採用された。代表的なものにセーフティドライブアドバイザーや電子制御パワーステアリング(油圧式ではあるが操舵力を3段階のうちドライバーが任意に選択できるもの)などがあったが、実用性は今一歩であった。
また、ブルーバード史上で唯一、SSS系でのワゴンの設定があり、当初ワゴンのSSSはターボモデルのみという思い切った設定だった
ガソリンエンジンは、すべてCA型エンジンに統一され、CA16 90馬力/CA18 100馬力/CA18E 115馬力/CA18ET 135馬力/CA20 110馬力の計5種類が搭載された。ディーゼルエンジンは、910型に設定されていたターボディーゼル仕様は設定されず、ノンターボのLD20型 65馬力の1種類が搭載された。
ちなみに、7代目が発売された1983年は日産設立50周年で、これを機に米国のペンタグラム社が製作したロゴフォントに一新している。
また、1981年7月、当時の石原俊社長の方針で、それまで展開していた「ダットサン」ブランドを廃止して「日産」ブランドに順次変更する事が発表され、日本国内で「ダットサン」ブランドとして販売されていたブルーバードは、U11型にフルモデルチェンジされたのを機に、それまでの正式車名であった「日産・ダットサン・ブルーバード」から「日産・ブルーバード」へと切り替えられ、車検証の車名欄も「ダットサン」から「日産」に切り替えられた。


CMキャラクターには、前モデルの910型のCMで好評を博した沢田研二が引続き起用され、CMには4ドアハードトップが登場している。
キャッチコピーは「ブルーバード、お前はスーパーゼネレーション」「世代を超えたフルチェンジ」「走りが断然素晴らしい」、後に「ブルーバードにならないか」「Be BLUEBIRD」であり、CMでは、沢田研二自身が派手な衣装を装いU11型ブルーバードのルーフ上でダンスするCM、ニューヨークの街中を素早い速度で走行しブルーバード伝統の走行性能の良さをアピールするCM、沢田研二の育ちの故郷である京都市内の町中を走行し周辺の人々の注目を集めているCMなど、前モデルの910型のCMと同様に注目を集めた。CM曲は八神純子が作曲している。
駆動方式がFRからFFに変更されても、ブルーバードの伝統である走行性能の良さ(走行性能面でFRよりも不利なFFを感じさせない走り)を前面にアピールしていた。1981年にFFである事を前面に出して販売していた、バイオレット(発売翌年に廃止)、オースター、スタンザが販売面で苦戦していた事から、ブルーバードではFFである事を隠していた。

1983年12月 日産設立50周年記念車が発売。

1984年1月 パワステ付き5速MTの1800クルージング シリーズ追加 。
SLX-G/SLX/LXはそれまで4速マニュアル車しかなく、この5速マニュアル車が設定されたことで、より快適なロングドライブが可能になった。

1984年4月 25周年記念限定車セダン1800LXとハードトップ1800SSS-E/セダン2000ディーゼルLXエクストラ追加。

1984年9月 ディーゼルエンジンを搭載する「2000ディーゼルSLX-G」を追加。

1984年10月 810型以来の上級車種として「ブルーバード・マキシマ」(後に「マキシマ」として車種独立)が登場。日本初のV型6気筒ターボ(VG20ET型)を搭載したFF車として話題となった。

外観はU11系標準車に対してフロントオーバーハングを90mm延長していたのが特徴で(室内の広さは同じ)、セドリック/グロリアにも搭載された、超音波路面ソナーを持つ「スーパーソニックサスペンション」を採用していた。既存グレードも一部変更で1800cc車は全車5速MT化。2000SLX-Gに大型バンパーを標準装備。

1984年11月 国内生産累計600万台達成。
この年、国内販売はカリーナ、コロナに次いで4位に甘んじていた。(1983年は5位。)

1985年1月 エクストラシリーズを追加。
グレード名は「セダン 1600/1800LXエクストラ」および「セダン/ハードトップ 1800SSS-Eエクストラ」。

1985年9月 マイナーチェンジ(後期型)。
販売のテコ入れのため、エクステリアの大幅な意匠変更が行われ、厚化粧をした外観へと変わり、内装の一部変更のほか、SSSシリーズに直列4気筒DOHC 1809ccターボを採用し、145馬力を発生するCA18DET型エンジンを搭載するモデルが登場している。ちなみに、この時も「日本初 FF TWINCAM TURBO」と謳っている。但し、インタークーラーは装着されていなかった。

そのほか、追加グレードとして「セダン/ハードトップ 1800スーパーセレクト」「セダン 1600SLX-G」および「ADワゴン 1800SSS(NAモデル)」が設定され、CA18S/CA16Sがシングルキャブから電子制御キャブになった。CA18E、CA18SのATが3側から4速になった。

1600ccもMT車は5速MT化され2000ガソリンは廃止された。

加えて、後期型には日産FF車として初めて、1800に教習車が設定された(1986~87年、当初はMTのみで、後にATも追加)。

U11後期型のCMは、CMキャラクターの起用は一切せずにガーシュインの名曲「ラプソディー・イン・ブルー」が流れる落ち着いた雰囲気のCMを採用。キャッチコピーは「人の中へ」であった。

1986年1月 マキシマをマイナーチェンジ。VG20E型搭載モデルを追加。

1986年6月 ツインカムターボにAT車追加。

1987年9月 4気筒モデルの生産終了。U12型へバトンタッチ。但しV6マキシマ(1988年10月まで)とADワゴン/バン(1990年5月まで)は継続。

ライトバン/ワゴン(フルモデルチェンジ当初はブルーバードADバン/ワゴン)は、セダン/ハードトップがU12系に移行した1987年以降も継続生産され、それまでベースグレードのみだったワゴンSSSに装備を上級モデル並みにした「1800ターボSSS WINGROAD」が追加された。ウイングロードの名称は一足早くこちらで使われていた。
1990年に日産で初めてワゴン/バン専用設計を取り入れたRV車「アベニール」が誕生したことから生産終了・統合によるモデル廃止となった。


Posted at 2007/08/05 13:55:12 | コメント(2) | トラックバック(1) | 旧車烈伝 | クルマ
2007年07月24日 イイね!

ロータス・ヨーロッパ

ロータス・ヨーロッパこのブログ初のスーパーカー・・・かな?

あ、トヨタ2000GTってのもあったな。

本物なのかどうか判りません(レプリカって考えも)が、この近所でロータス・エリーゼを中心に弄ってるショップがあるので、恐らくそこ関連の本物なのかも・・・。

それにしても、流し撮りって難しいですね(汗

一応は切れずに全体ちゃんと撮れてるけど、中心からずれてるわ、ちょっと小さいわ・・・。





ロータス・ヨーロッパ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ロータス・ヨーロッパ(Lotus Europa)は、かつてロータスが製造、販売していた自動車。

ロータスとしては初のミドシップにエンジンを搭載したロードカーである。それまで生産して来たロータス・セブンの後を継ぐモデルとして企画され、軽量を武器にしたハイパフォーマンス、そしてできる限り廉価であることを目標にして開発され、1966年にデビューした。

2006年にはヨーロッパSの名で復活する予定である。
歴史

シリーズ1
タイプナンバー46、通称シリーズ1と呼ばれた最初期型ヨーロッパはこの時点で、全てのヨーロッパに共通して言える特徴を備え、エラン譲りの強靭な逆Y字型バックボーンフレームを有し、グラスファイバー製の軽量ボディを架装した。通常のバックボーンフレームではなく、エンジンマウント部をY字に開いているのは、エンジンを可能な限り低く落とし込んで搭載するための工夫であり、エンジンは太いボックス断面を持つ鋼板の間に挟まれるようにして載せられていた。 メカニズムは、ユーザーのニーズやニッチ層の要求に応えて変化を見せるものの、既に当時としては最新であり、完成されていたことで前述の二つについては大きく変更されることはなかった。

フロントにダブルウィッシュボーン式、リアにラジアスアームとロアトランスバースリンク式を組み合わせた、ヨーロッパ専用に設計されたサスペンションを採用している。これは、ギアボックス上を通過するボックス断面型鋼板ラジアスアームを配置し、ドライブシャフトを兼ねたアッパーアーム、それにロアアームを組み合わせたものだった。ちなみにフロントサスは、トライアンフ・スピットファイアのものから流用した既製品である。

当時、ミッドシップの形をした車は存在したものの、それは実用には全く向かないレーシングカーや、富裕層しか手にすることのできない高価なモデルでしかなかった。開発目標の一つ――庶民にも手の届くスポーツカーを目指していたことから、当時としては最先端であるFRPボディを採用していたことや、非常に優秀な空力フォルムなど技術的なトピックに溢れるヨーロッパも、蓋を開けると血のにじむようなコストダウンとの格闘の跡が随所に見られる。 内装に関しては、ウインドウははめ殺しで、カーペットは一切なし、遮音に関することは一切無視など、徹底的にコストカットを重ねた。

パワートレイン関係は、全てルノー・16からの流用で、ルノーの手によって行われたエンジンチューン以外は完全な吊るしの状態で搭載されていた。コストダウンの兼ね合いもあるが、このエンジンには、軽量なアルミ合金が使われているという、立派な大義名分のもとに選択されていた。水冷式直列4気筒OHVエンジンは、排気量1.5リッターで、圧縮比の向上やハイカムなどによって、ノーマル状態から大きくパワーアップされた82馬力を発生する。トランスミッションは、実用車からの流用なので4段マニュアルトランスミッションではあるが、徹底したコストダウンは軽量化にも繋がり、車体重量はたったの610kgに抑えられている。この車重の前には、既存品のパワートレインでも必要にして十分だった。

ちなみに、シリーズ1はフランスを中心に販売されたモデルだったが、イギリス向けに販売された公式記録はなく、そのために母国イギリスの道路事情に合わせた右ハンドル車は存在していない。


シリーズ2
タイプナンバー54、通称シリーズ2と呼ばれたモデルは、1968年に登場した。そしてシリーズ2からようやく、イギリスでの販売が1969年から行われた。このモデルで大きく改良されたのは、ユーザーフレンドリーなものになったことである。つまり、快適性度外視のスパルタンを地で行くシリーズ1に比べ、窓は電動モーターによる可動式になり、シートもアジャスト機能のついたホールド性の高いバケットシートに、ラジオも標準装備で消音にも気が配られるなど、それは普通の車には当たり前であったかも知れないが、これまでのヨーロッパを知る者にとっては、そこは至極快適な装備に包まれていた。

この快適性は、ストイックにコスト問題を詰めて行ったシリーズ1に比べ50kgほど重くなるという代償によって達成されたことではあるが、これは多くのユーザー候補にとっては歓迎されるものであり、喜んで受け入れるだけの魅力を持った費用対効果だった。

外装に多少の変化があったものの、動力性能に関する事柄は一切変更されていない。ただし、これまで接着によって固定されたFRP製ボディパネルは、ボルトによって固定されるものに変更されている


ツインカム
タイプナンバー74、1971年にツインカムという名称を授けられて登場したからには、エンジンに大きな変更があったことを意味する。同社のスポーツカーであるエランから移植されたツインカムユニットは、フォード製のエンジンにロータス製DOHCヘッドを組み合わせたものだった。同時に排気量もシリーズ1&2より大きくなり、約200cc増しの1.6リッター、105馬力にまで最高出力を高めることとなる。

ボディ関連に大きな変更はないが、スタイリングには手直しが入れられた。それまでのヨーロッパは、後方視界がすこぶる悪く、真後ろだけであればまだどうにかなったものの、斜め後方は空力を改善するエンジンフード横のバーティカルフィンがそびえ立つおかげで、ドライバーの後方視界は劣悪なものになっていた。アメリカの安全基準に対処するようにして、バーティカルフィンを低くデザインを手直しし、リアの造形は一段とスリムになった。

燃料タンクはツインタンクとなり、32リッターから57リッターに増加しているが、これはツインカムエンジンを積んだことなどへの巡航能力の低下を阻止するための処置である。これらの変更により、シリーズ2から更に約50kgを上乗せした711kgに達した。しかし、重量増は動力性能の向上によって相殺されている。


スペシャル
1972年に登場した最終型ヨーロッパ、スペシャルでは、エンジンが従来のツインカムエンジンから更なるチューンを施した通称ビッグバルブと呼ばれる物に変更された。エンジン自体はツインカムユニットそのものであるが、吸入空気をより多く吸い込むためにインテークバルブが大型化され、圧縮比も高められている。これらの変更により、最高出力は126馬力と、歴代の市販型ヨーロッパでは最強のエンジンパフォーマンスを誇っている。また、動力性能の変化はこれに留まらず、初めてトランスミッションにもオプション設定で、ルノー製のそれからゴルディーニ製5段マニュアルミッションに換装する選択肢も設けられた。

ヨーロッパは、1966年から生産終了の1975年の間に9230台が世に送り出されたといわれている。


ヨーロッパS
かつてのヨーロッパの再生産ではなく、内容的には現代の技術で作られるモデル。エキシージより上位クラスのモデルとして、2006年7月の発売を予定している。ロータス自ら「ビジネスクラスGT」と称しており、かつてのヨーロッパのような純粋なスポーツモデルではない。これは(ロータスは公言していないが)サーキット走行などをはっきりと意識したエリーゼとのキャラクタ重複を避けるためであることは明らか。

車の成り立ちは、かつてのモデル同様2シーターのミッドシップ。搭載される2リッターターボエンジンは最高出力203馬力、最大トルク26.8kgmと発表されている。これは、エリーゼの派生車種であるオペル・スピードスターのターボモデルに搭載されていたエンジンを、ヨーロッパS向けに専用チューニングしたものである。


レース活動
ヨーロッパの名前こそ冠していないが、紛れもなくヨーロッパ・シリーズ1をベースにしたレース仕様が、ロータス47である。クォーターピラーの形状から「世界一速いパン屋のバン」と呼ばれ、グループ4カテゴリーの出走を目論んだこのモデルは、グラスファイバー製ボディカウルが更に薄肉化され、リアサスペンションは大きく構造を異にする、当時のロータスF1にほぼ準じる4リンク式に改められるなど、徹底的にレースで勝つことのみに焦点を定められた車である。

フレームに関しては市販型ヨーロッパとほぼ同じ逆Y字型バックボーンフレームを踏襲しているが、動力性能に関連するものは面影がなくなるほど変更され、エンジンは1.6リッターのコスワース製Mk.13型直列4気筒エンジンに換装、強力なエンジンパワーに対処するためヒューランド製FT200と呼ばれる5段マニュアルトランスミッションと組み合わせられる。ブレーキも市販車の状態では能力不足になり、ドラム式だったリアブレーキをディスクブレーキに変更している。

レース用に大規模なモディファイを加えられたロータス47の設計思想は見事に的中し、小排気量ながら驚異的に軽量なボディを生かし、グループ4では常勝の一角に数えられ、時には格上のクラスの車を食うことも珍しくなかった。その後も開発は進められ、シャシーに改良を受けたり、大排気量V型8気筒エンジンを搭載したモデルなどが誕生した。

サーキットの狼についてはこちら

サーキットの狼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『サーキットの狼』(サーキットのおおかみ)は、漫画家の池沢さとしが1975年から1979年にかけて「週刊少年ジャンプ」(集英社)に連載した漫画作品。続編に『サーキットの狼II モデナの剣』がある。実写映画が1977年に製作・公開された。

概要
主人公の風吹裕矢が、愛車ロータス・ヨーロッパを駆って、公道やサーキットを舞台に疾走する姿を描いた。他にもポルシェやフェラーリ、ランボルギーニ、マセラティ、日産・フェアレディ、シボレー・コルベット、トヨタ・2000GTなど、世界中の著名なスポーツカーが劇内に頻繁に登場したこともあり、日本のスーパーカーブームの火付け役となった。また、星野一義などの実在の人物が実名で登場することも多かった。登場するスーパーカーは作者である池沢さとしの愛車や、作者のクルマ仲間の愛車そのものであることが多い。主人公達が競争を行う箱根ターンパイクなども実在する地名であり、主人公達がたむろする喫茶店も実在のものだったりで、不思議なリアル感もあった。
Posted at 2007/07/24 21:23:43 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旧車烈伝 | クルマ
2007年07月19日 イイね!

日産サニー B310

日産サニー B310角目だったので、後期モデルかと思われます。

ワタクシが小学生の頃、すぐ近所の伯父さんが同じサニー(白)に乗ってました。
伯父さんは中学の先生をしており、ワタクシが中学3年生の頃にちょっとした悪さ(学校内で○○○吸った。チクビじゃないぞ!今となっては恥ずかしい過去)をして、1週間自転車通学禁止(徒歩で通学)を喰らいました。
そのときに「他の先生には言うたらアカンのやぞ」と言って、サニーに乗せて貰って登校した憶えがあります。
その頃はそれほど車に興味も無かったので、普通のセダンだと思ってました。

でも今、色々車の知識が増えてきて、「いい車だったんだなぁ・・・」と考えさせられました。

B310型(4代目、1977年-1981年)

1977年10月 B310型にモデルチェンジ。SOHC・L型エンジン搭載のエクセレントシリーズは廃止され、全車OHV・A型エンジン搭載車(1200ccのA12型と1400ccのA14型)のみとなる。ボディタイプは2ドア/4ドアセダン、3ドアハッチバッククーペ、2ドア/4ドアバンの5種類。最後のFRサニーである(B120型を除く)。
1977年11月 国内登録累計300万台達成。
1978年8月 輸出累計200万台を突破。
1979年1月 バンとは異なるシルエットを持つステーションワゴンの「サニー・カリフォルニア」を追加。
1979年10月 マイナーチェンジ。当時流行の角型ヘッドライトなどを採用。
1980年11月 マイナーチェンジ。1200を1300(1300ccのA13型)に、1400を1500(1500ccのA15型)にそれぞれ変更。外装は、フロントグリル中央横方向に一本、カラーラインが入っていた。また、フロントグリルはファミリータイプには横バーグリルに青い「S」バッチ、スポーティタイプにはハニカムグリルに赤い「S」バッチが採用されていた。
イメージキャラクターとして松坂慶子を起用。「私の理想のタイプ、新型サニー」のキャッチコピーと共にCMやカタログに登場した。

1981年 生産終了。B11型にバトンタッチ。
Posted at 2007/07/19 23:15:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧車烈伝 | クルマ
2007年07月16日 イイね!

日産キャラバン(ホーミーかも?)

日産キャラバン(ホーミーかも?)2代目キャラバンが2台仲良く並んで走ってました。
恐らくは知り合い同士だと思われます。

画像の道路は東名富士インターから国道1号に向かう道。
昨日、台風の影響で東名高速が富士~清水の上下が通行止めでしたので、おそらくはツーリング途中で国1に迂回されられているのでしょう。

よく見ればドアは初代アトラスと一緒だったりします。


日産・キャラバン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キャラバン(CARAVAN)とは、日産自動車の自動車である。生産は日産車体。
2代目(E23型 1980-1986年)ホーミーだったら3代目。

一見マイナーチェンジにも見えるようなキープコンセプトのデザインを採った。ホーミーとの違いは横基調のラジエーターグリルのみ。

1980年8月 E23型にモデルチェンジ。搭載エンジンは、乗用モデルのコーチには直列4気筒OHC Z20型ガソリンエンジンと、SD23型ディーゼルエンジンの2機種、バンにはJ16型およびH20型ガソリンエンジンとSD23型ディーゼルエンジンが設定された。
コーチには、ニッサンマチック(AT)、電動サンルーフ、パワーステアリング、回転対座シート、派手なデカールなどの設定があり、装備の充実を図ると共に、RV化が進んでいった。
1982年5月 一部変更。コーチはAT/MT共にフロアシフト化。セカンドシートをキャプテンシートとし7人乗りとした「シルクロードリムジン」を追加。コーチのディーゼル車はLD20Tに変更。その他モデルもディーゼル車の57年排出ガス規制適合。バンのガソリン車は56年排出ガス規制適合と同時にZ18/Z20に換装。
1983年4月 マイナーチェンジ。コーチSGL系は角型4灯ヘッドライトの精悍な面持ちとなった。また、LD20T型のニッサンマチック(AT)は3速からOD付4速へ変更された。SGLシルクロードとGLの間にFLを設定した。
1985年5月 8人乗りに「SGLシルクロードリミテッド」を追加設定。


Posted at 2007/07/16 11:45:52 | コメント(3) | トラックバック(0) | 旧車烈伝 | クルマ

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何シテル?   06/04 09:29
ウルトラザウルス改と申します。 逆さからいうと改スルウザラトルウです(意味不明 趣味などのブログが多く、肝心の愛車ネタは全くの不振でございます。 ...
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