道の駅クロス10十日町で気持ちよく車泊した後は、引き続き長野市内へと向かいました。今回の旅の目的にあった田中角栄の足跡をたどることと、新潟ラーメンを食べることと、もうひとつ第3の目的が長野市内にあったからです。
それでも、まずはきのうラーメンを食べまくった際の汗や、車泊の汗を流すべく、裾花峡温泉うるおい館へ。
スーパー銭湯の使い勝手と、天然温泉の泉質を両立する、オススメの立ち寄り湯です。もちろんお湯はかけ流し。露天風呂からは、裾花峡の眺めも楽しめます。泊まったことはないのですが、宿泊もできるようです。ここで朝っぱらから、都知事選の結果をテレビで見ながら、ふやけるんじゃないかと思うくらいにまったりとしたひとときを過ごしました。惜しいのは休憩所が2階にあるみたいで、なんとなく使いにくいことかな。
すぐ近くのデニーズで朝食を摂りながら、新聞をチェックしてまったりと過ごして、次の目的地松代へ向かいます。松代城の裏手にデミオを停めて、ちょっと遠いのはわかっていましたが松代城を通り抜けて目的地へ向かうことにしました。
途中、これは廃線跡に違いない!と思ったものを見つけたので写真を撮る。帰ってから調べたところによると、2012年にこのあたりの長野電鉄屋代線は廃止になったそうです。
それでも、遠くからでもわかるような立派な駅が見えたので近づいてみました。松代駅だそうです。松代は、かなり昔に行ったことがあるなぁ。電車は使わなかったと思うんだけど。ちなみに廃線の駅でも、ハイドラのCPは取れるんですね(笑)。
駅にかなりの数の中学生がいて、うっかり地元民にわたしの正体がバレそうになる(爆)。ウソを言ったわけじゃないけど、思わず「いえ、違います」って言っちゃったし。ちなみにこの中学生たち、松代城でも見かけたんだけど、てっきり
職場体験だと思っていました。ところがそうではないということが後で判明します。
今日の目的地、松代大本営跡に行くための情報が得られるかと思ってみたいな話を、声をかけてきた中学生をまとめていると思しき大人にします。てっきりこの大人も、職場体験の引率をしている教員かと思ったんだけど、それも違っていたっぽいことが後で判明します。で、いろいろあって、その大人の指示によって2人の中学生がわたしにつけられ、3人で松代大本営を目指すことになりました。
ちなみにこの中学生、かなりすごいです。せっかくがんばっている中学生にイヤな思いをさせてはと話しを合わせた部分はあるけれど、それでも初対面の人と会話を続けながら目的地まで、20分間歩き続けるわけです。高校生や大学生でもできないかもよ(爆)!? ちなみに会話の内容は次のようなものでした。
・観光案内のボランティアがあるということで志願したらしく、職場体験でやっているわけではない
・やはり真田丸関連で、観光客は増えているらしいし、それ目当ての方も多い
・(途中の松代藩文武学校前を通りながら)この場所に関する解説
・ついでに旧真田邸の解説も、少ししてたと思う
で、このあたりから、中学生は結構力があることがわかってきたので、ちょっと意地の悪い質問をしてみる(爆)。
・お昼を食べるんだったら、何を食べたらいいかな?
→ ちょうど通り道にあった、テレビで紹介されたこともあるらしい店を教えられる(後述)
・(佐久間象山の話をしてきたので)何をした人?と聞いてみる
→ いろんなことをして、暗殺された人だというので、もうちょっと踏み込んで聞いてみたけど、まぁ観光ガイドに書いてあるような範囲内ではキチンと答えられた 先進的すぎて暗殺されたというところまで理解できているのはなかなか
・真田丸って、見てる?
→ 見てないって(爆) 毎週決まった時間に、録画できるとはいえ、1年間継続してドラマを見続けるのは大変なことらしいです
さらに進むと、民家が立ち並ぶような一角になってきました。中学生も近くに来ていることをわかっているのか、わたしの目的地でもある松代大本営跡についての話を始めます。
・実際には複数の地下壕があるらしいが、公開されているのは1つだけ
・本土決戦をするために掘り進めたものらしく、天皇を避難させる計画まであったとか
・結局昭和天皇は避難してこなかったんだけど、避難させるための建物は残っていて、今では地震観測所だったかに使われている
・避難させるための部屋も残っているらしいんだけど、それの見学ができるかどうかについてはあやふやでした(実際には無人なので、見ることができない)
そうこうするうちに、松代大本営跡に到着。「では、ぼくたちはここで」と言って、去って行きました。でもねぇ、丁重にお礼を言いたいのはこっちの方です。なかなか松代中学校、すごいじゃないの。
ちなみに内部の湿気は、かなりすごいです。以前東京都の浅川地下壕を見学させてもらったことがあるけれど、あそこの湿気もすごかった。湿気がすごすぎて、工作機械がダメになっちゃって、10機くらいしか作れなかったんだとか。そう考えると、ここに大本営のほかにもNHKとかも移して、本土決戦をって思っていたらしいけれど、そんなのできるわけないじゃない。情報機器も放送機器も、きっと湿気でダメになっちゃって何もできなかったんじゃないのかなぁ。そもそも、多量の土砂が搬出されていることだって、航空写真でバレちゃってたっぽいし。そこまでして戦争を完遂させようと思っていたんだとしたら、正気の沙汰とは思えない。
一応、おとなりの施設にも足を運んでみました。
とあるところで調べると、まぁ、うん(以下自主規制)、って感じですが、中の印象もそんな感じかなぁ。ただねぇ、この施設を左寄りだとか言うのは、まぁいいとしましょうか。右も左も両方わかった上でじゃないと真ん中ってものはわからないんじゃないのかなぁ。両方見ることによって、わかることもあると思うので、わたしにとってはとってもためになる施設でしたよ。まぁ、「・・・(慰安所にするということで)建物を接収した」とかいう表現が普通にあるので、こういったものに対して疑ってかかる視点がない人にはオススメできないと思います。えぇ、「 」の中身が関係者からの聞き取りによる一次資料だとすると、( )の中身は誰が何の権限を持って書き加えたのかってことですよ。
でかい地下壕を掘った(事実)→大陸の出身者も働いていた(事実)→大陸から強制的に連れてこられたのではないか(事実、もしくは推測)→こういう場所には慰安所もあったのではなかろうか(推測)→強制的に連行された慰安婦もいただろう(推測)ということを繰り返して、ウソかほんとかわからない歴史が作られることがあるってことを胸に、慎重に考えたいものです。事実、写真が撮りにくかったので撮りませんでしたが、慰安所は遊ぶところ(隠語ではなく)であって、今で言うところのせいぜいキャバクラみたいなニュアンスのところなのかと感じる記述があったくらいです。で、おさわり不可のお店なのに触っちゃったのか、女の子の悲鳴が聞こえたとか言う聞き取り結果も展示されているわけなので、これらの展示からは、いわゆる慰安婦みたいなのがいたようには思えなかったんだよね。
さて、お腹がすいたので、さっきの中学生に教えてもらった和座季楽象山亭に入ってみることにしました。
人が少なくててんてこ舞いって感じでしたが、まぁ待たされるくらいのほうがおいしく食べられていいんですよ。事実、おいしくいただきました。
最後に立ち寄ったのは、川中島古戦場跡でした。正確には八幡原史跡公園というそうです。近隣には山本勘助の墓とか見どころも多いんだけど、暑いのと時間がないのとでじっくりとは回れませんでした。そもそも一騎打ちの話も怪しいし、激戦地もここから少し離れた場所だって話らしいし。まぁでも、像には迫力があっていいですよ。
あとは長野市から白馬、糸魚川と通って、高速で帰ってきました。ちなみに高速で初めて、オートクルーズというものを使ってみたんだけど、これはすごいね。一定の速さで走れることが、どれだけ楽かと思って。たまに、抜かれそうになると速度を上げたり、抜かれたら抜き返したり、無理に前に入ってきたりと、オートクルーズの敵みたいのが出現して困るんだけど、それを差し引いても便利で疲れない。最近のものだと、前車との間隔を捉えて速度を調整できるタイプのものもあるから、さらに便利になっているらしいです。
それよりも、この燃費と走りが魅力的でしたけどね。5年落ちとかで安く探して、自分用にしようかと思うくらいでしたよ。
