2006年03月28日
LAP13 インターバル
余程の才能と財力に恵まれていれば別だろうが、
そのどちらも持ち合わせていない多くのアマチュアレーサーに
とって、走り続けることすら大変な努力を要する。
今日はちょっと真面目で、切ないお話。
我がチームにとって3シーズン目となる2004年、この年
からスイフトスポーツカップが始まる。
軽のワンメイクレースに参加していた自分達も当然興味津々!
所属する会社へも新カテゴリーへの参加依頼が届き、おおいに
心が揺らぐ!
しかし、「軽のレースでやり残した事がある」という点で
監督と意見が一致。もう1年軽のレースにチャレンジして
結果を出してから・・・!ということになった。
迎えた第1戦、ポテンザRE88からGⅢに変わった指定タイヤ
はエントラントの明暗をくっきりと分けた。
「タイムが出ない!」
グリップは上がってるのに抵抗が増えてタイムロス、今までの
セッティングは通用しなかった。
さんざんな結果にリベンジを期して、入念に準備を進める
我々に激震が走った!
「軽のワンメイクレースシリーズの中止!」
レース中の車両トラブルに端を発した問題だった。ナンバー付き
車両で行うレースということで、安全確保は何物にも優先されなければならない。
結果、2転3転した挙句にレースの存続自体が不可能になってしまったのだ。
この問題に関しては意見を述べる立場にないし、いまだ解決を
みていない方もいらっしゃるので多くは触れないが、
事態対応の担当者として、今まで地元から一緒にレースに参加していた方々と対峙することになったのは辛かった。
そんなとき、筑波のパドックで親しくなり、菅生遠征では
偶然同じ宿になって遅くまで飲み明かした茨城の方から
「事後処理大変でしょうが、いつかまた一緒に走れる日まで
がんばって!」
とメールが入ったときはさすがに涙が落ちた。
こうして多くのドライバーの夢を乗せて走っていた軽自動車
のレースは、車両とともに終焉を迎えたのである。
この間フォーミュラのレースは継続していたが、「問題が片付く
までは、」という理由でエントリーしなかった。
自分にとって、もどかしく悔しいインターバルだった。
社内にも「いまさらレース?」という空気がひろがりチーム
の存続自体が危うくなってきた。
そんな我々のもとへ入った1本のメール。
相手は、1年前我々のチームの車でレースにエントリーしていた
女性モータージャーナリストFさん。
彼女のメールが、レース活動をあきらめかけたチームを
ふたたび生き返らすことになるのである。
つづく
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Posted at
2006/03/28 22:49:55
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