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2006年04月10日 イイね!

LAP15 ラストラン!

2004年フォーミュラ隼最終戦 筑波。
19台の隼が勢ぞろいしたパドックは壮観だった。
FJで名を馳せた者、軽のレースで一緒だった彼、
ドリフトの有名選手もいる!
この場に自分とチームが居ることがなんだか誇らしかった。
いろいろあった2004年の締めくくりとして納得のいくレース
をしよう。
「ブランクを考えて無理は禁物!」
監督にもクギを刺されて、冷静に走ることだけを自分に
言い聞かせていた。コースに出るまでは・・・。

予選開始。程なく3台の隊列の後ろに付く。
「とにかく付いていこう」
前車と同じライン、同じブレーキポイントなら付いていける筈。
(こう考えること自体が冷静でない)
練習時より1秒以上タイムアップしたが、
「まだまだイケル!」
遅れを取り戻そうと次第に突っ込みで無理をしだす。
アンダーが出てアクセルオン出来ず、更に熱くなる!
「くそっ!」
そうして迎えた5周目の1コーナー、立ち上がりのラインが
僅かにはらんでアウトの縁石にリヤタイヤが乗った瞬間、
「ぎゅい~ん!」
カウンターを当てる暇も無かった。あっと思ったとき、
視界には真横に流れながら迫ってくるタイヤバリヤ!
「んぐっ!」
精一杯腕を突っ張り歯をくいしばる!
「ぼむっ!」
ノーズコーンが吹き飛ぶのは見えた。右のフロントタイヤは
空を向いている。コースとグラベルの境目に乗っかる形で
マシンは息の根を止めた。
降りる為ステアリングを外そうと見ると、「ぐんにゃり」
ありゃ、曲がっちゃった!
後続の切れ間を待ってコース上に散らばった部品を撤去に
行くと、「んっ!」アルミのフロントボックスまでちぎれて
飛んでる。「これ高いだろうなァ」しょぼん。
レース歴3年目にして始めて,レースドクターに
「大丈夫ですか?」と問われる程のクラッシュだった。
13分間の赤旗中断。タイヤが温まりこれからという時に
みんなに迷惑をかけてしまった。

クレーンで吊られたマシンはトラックへ、
係りの方は「積載車どこに止めてます?」
「チームの居るパドックへ」と言いたかったが、
そうはさせない雰囲気。
結局地下道を通ってBパド近くの積載車の上へ。
はい、お疲れ様でした、お帰りはあちら。
手際よく積み替えたら、次の獲物を狙って去っていく。
でもね、おにいさん、うちのチームはね、運転手がヘボで
よく車壊すもんだから、この程度のことじゃ直しちゃうんだよ
(きっと・・・。)
スピンしながら前後ヒットしたマシンは思いのほか
重症だったが、それでも決勝までには復活!無事スタートラインに着いた。

レース終盤、「くるかな」と思っていたものがやっぱり来た。
ブルーフラッグ。
周回遅れに出されるこの旗を、今回は甘んじて受けなければ
ならない。
第2ヘアピンでインを空けてトップを先行させる。
「ああ、たった18周のこのレースでオレとトップは1周以上
違うんだ。」
チェッカー後、入賞してメインスタンド前に帰るトップ6は
本コースへ。
パドックに入る自分は最終の手前からピットレーンへ、その時
軽のレースから一緒だったI選手が横に並んだ。
ヘルメット越しに目と目が合う。
「入賞したんだ。おめでとう!」
軽く左手を挙げると彼も右手を挙げて返してきた。
ひたむきにレースに取り組んできた彼と、自分の実力の差は
こんなにも大きくなっていた。

1300cc175PSのパワーをむき出しのスリックタイヤで
路面に伝えるフォーミュラ隼。筑波でさえ直線では
200キロを越すという。
こんなマシンに生半可な気持ちで乗ったら、自分だけでなく
周りまで巻き込んで怪我をさせてしまう。
やっぱりキチンとした体制で、しっかりと練習してから
じゃないと手を出してはいけないんだなァ。自分の実力は
到底そこまで達してないなァ。
遅ればせながら身に染みた最終戦。
まだ走りたい気持ちはあるけれど、一生のうちでほんの一瞬
あの体験が出来ただけでも幸せだ。ここらで終わりにしよう。
決勝14位完走。
これがフォーミュラ隼でのラストランのリザルトとなった。

実はこの日、当時のT社長が視察で筑波に足を運んでくれて
いたのだ!その目の前で繰り広げられた衝撃の一部始終!
しかし、チーム一丸となっての修復作業に社長は別の感動を
覚えたらしく、「徹底的に整備して、もう一回チャレンジ
してみろ」とのお言葉。
それを都合よく聞き違えた我がチーム、
「それなら、新たなクラスへチャレンジを!」
こうして災い転じてなんとやらで、我々にもう1回
チャンスが巡ってきたのである。
新たなステージは「スイフトスポーツカップ!!」
(やっと登場かい!)
               つづく









Posted at 2006/04/10 22:12:05 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2006年03月30日 イイね!

LAP14 再起

力尽きていた!
フォーミュラのエントリーを1~2戦に絞って、
軽のレースに注力する予定だった2004年度。
その軽のレースがシーズン途中で消滅!所属する会社も
一連のトラブルで痛手を被り、レースの心象は悪くなるばかり。
「もう走れないんじゃ?」不安ばかり大きくなる。
そんな時、「お元気ですかー?」と1本のメール。
1年前我がチームのレース車に乗り、この年はフォーミュラ
にエントリーしていた女性モータージャーナリストからだ。
メールにはこうあった。
「レース会場に、以前一緒に戦ったチームの姿がないのは
残念だ。応援するのでまた一緒に走りましょう!」と。
我々はいろんなサーキットで彼女のガッツを目の当たりに
してきた。ここで負ける訳にはいかない。やるなら
フォーミュラクラスへの再チャレンジだ!
ダメもとのつもりで恐る恐る当時のT社長にお伺いを立てる。
ところが意外とあっけなく、「そうか、やってみなさい!」
えっ、いいんすか!でも付け加えたひと言は
「やるからには勝て!」
「ハハハ、ハァ」 社長ためしに1回乗ってみて下さいよ。
どえらいおっかないんですから。
冗談のつもりだったがこの社長、後日カートコースで実際に
試乗するのである。しかも結構なペースで!
こうして締め切りギリギリにフォーミュラの最終戦に
参加の準備が整った!

久しぶりの筑波。
コースインしようとピットロードを行くと、何かと
面倒を見てくれる千葉のドライバーが立っている。
「ぶおーん!ぶおーん!」
うれしさのあまりアクセルをあおる。あっ!気が付いた。
彼は驚いた様子で、でも笑顔で右手を差し出してくる!
そのままハイタッチ!
「俺達は帰ってきたぞ~!!」
おもいっきり全開でコースイン!
あっ、またスピンした!

                 つづく



Posted at 2006/03/30 23:27:57 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2006年03月28日 イイね!

LAP13 インターバル

余程の才能と財力に恵まれていれば別だろうが、
そのどちらも持ち合わせていない多くのアマチュアレーサーに
とって、走り続けることすら大変な努力を要する。
今日はちょっと真面目で、切ないお話。

我がチームにとって3シーズン目となる2004年、この年
からスイフトスポーツカップが始まる。
軽のワンメイクレースに参加していた自分達も当然興味津々!
所属する会社へも新カテゴリーへの参加依頼が届き、おおいに
心が揺らぐ!
しかし、「軽のレースでやり残した事がある」という点で
監督と意見が一致。もう1年軽のレースにチャレンジして
結果を出してから・・・!ということになった。
迎えた第1戦、ポテンザRE88からGⅢに変わった指定タイヤ
はエントラントの明暗をくっきりと分けた。
「タイムが出ない!」
グリップは上がってるのに抵抗が増えてタイムロス、今までの
セッティングは通用しなかった。
さんざんな結果にリベンジを期して、入念に準備を進める
我々に激震が走った!
「軽のワンメイクレースシリーズの中止!」
レース中の車両トラブルに端を発した問題だった。ナンバー付き
車両で行うレースということで、安全確保は何物にも優先されなければならない。
結果、2転3転した挙句にレースの存続自体が不可能になってしまったのだ。
この問題に関しては意見を述べる立場にないし、いまだ解決を
みていない方もいらっしゃるので多くは触れないが、
事態対応の担当者として、今まで地元から一緒にレースに参加していた方々と対峙することになったのは辛かった。
そんなとき、筑波のパドックで親しくなり、菅生遠征では
偶然同じ宿になって遅くまで飲み明かした茨城の方から
「事後処理大変でしょうが、いつかまた一緒に走れる日まで
がんばって!」
とメールが入ったときはさすがに涙が落ちた。
こうして多くのドライバーの夢を乗せて走っていた軽自動車
のレースは、車両とともに終焉を迎えたのである。
この間フォーミュラのレースは継続していたが、「問題が片付く
までは、」という理由でエントリーしなかった。
自分にとって、もどかしく悔しいインターバルだった。
社内にも「いまさらレース?」という空気がひろがりチーム
の存続自体が危うくなってきた。
そんな我々のもとへ入った1本のメール。
相手は、1年前我々のチームの車でレースにエントリーしていた
女性モータージャーナリストFさん。
彼女のメールが、レース活動をあきらめかけたチームを
ふたたび生き返らすことになるのである。
                     つづく
Posted at 2006/03/28 22:49:55 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2006年03月25日 イイね!

LAP12 スピン!

今回は恥をしのんでドジ話。出来るなら思い出したくはないが、
人(師匠)に書かれる前に自分で書いちゃえ!
2003年、第3戦筑波、軽のワンメイクレースでの出来事。

昔から調子に乗るとロクなことがなかった。通信簿に
「落ち着きがない」と書かれるタイプ。
そんな自分が、第2戦モテギでの成績に気をよくして
意気揚々と筑波入り。
前日の練習走行でもバッチリセットが合って、同じく練習中の
ライバル達を次々パスしていく。「ん~!来てる来てる!」
人も車も絶好調で迎えた当日。
主催者の依頼でオンボードカメラをセットされ気分は最高潮!
フリー走行でみんな流してるというのに一人だけ全力疾走。
軽く走って早めに戻れという監督の指示は、コースインと同時に
頭から抜け落ちた!
更に予選では、カメラをドライバー側に向けられたから
たまらない。
ヘルメットで写らないのに「きりっ!」と顔を引き締め、
いつもより深く座って前が良く見えない。
それでも予選B組のトップタイムを叩き出してセカンドグリッド
決定だ。
今思うと、この瞬間が私のレース人生の折れ線グラフの
頂点だった気がする。この後グラフは、情けなくも急速に
下降するのである。
ブリーフィング中に降り出した雨は急速に路面を
ウェットに変えていく。「やべっ!」
フロントのポテンザはブロックがしなるのを嫌って
スリップサインギリギリ。かろうじて溝のあるリヤタイヤと
慌てて入れ替える
「がんばってください、期待してますよ。」
カメラクルーの激励もプレッシャーにしかならない。
シグナルブルー。フォーメーションラップへ。
前を行くARTAカラーのマシンが跳ね上げる水しぶきに
予想以上の雨量を感じつつ差し掛かった1コーナー。
冷え切って溝のないリヤタイヤ、スロー走行で伸びきった
サスペンション、アクセルを抜いて強くかかったエンブレ。
その結果は、 「ずりずりずり~!」
ゆっくりと、本当にゆっくりとリヤが流れ出てくる!
「うお~!」
スローモーションの様にしか感じないのに、スタート前で
気合が足りないのか、カウンターが間に合わない。
そのまま「くるん!」と180度。
後続車もびっくりしただろう。
「おいおい、まだ始まってもいねえよ!」
そんな声が聞こえた気がした。
「フォーメーションの隊列を乱したものは最後尾スタート。」
セカンドグリッドは一瞬にしてパー!
最終コーナー途中の指定席へバックオーライだ。
しかも最後尾グリッドに付いてビックリ!
スタートシグナルが全く見えないのだ。しかたなく、前の車が
動き出したらスタート。
うおりゃ~!抜くぞー。
1周目で7~8台をパス。こりゃイケルと最終コーナーを
インよりのラインで抜けた自分が見たものは!!
それは、最終出口のライン上にこっちを向いて止まった
スピン車両と、それを避けようと右往左往する後続車だった!
「ひえ~、こんなとこでスピンするなよー」
おいおい、そりゃ人に言えた義理じゃないわなァ。
ウェット路面でギリギリ保たれていたグリップはアクセルを
抜いただけで破綻して、見事な連れスピン!
おまけに体勢を立て直したときには周りの車はもとより
スピンの張本人まで走り去った後。
「ふー」
レースの神様は甘くないなァ。
この後20台程をパスしたが、ただの1台とも接触しなかった
ことだけは「よかったなァ」と思える。

レース後、期待していたチームのみんなに申し訳ない気持ちで
車を降りると、「いや~、イイ画撮れちゃったネエ」
ああ、証拠ビデオがあったんだ!
スピンの一部始終は主催者のウェブで公開され、
後日届いたコピーテープはチームの忘年会で上映されて
大いに盛り上がったのでした。
          
                   つづく




Posted at 2006/03/25 22:23:09 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2006年03月19日 イイね!

LAP11 クラッシュ!

私たちのエントリーしているレース会場には必ず
真っ赤な日野レンジャーが停まっている。
これは、レースの機材やスペアパーツを満載した主催者の
サービストラックだ。
このトラックのおかげで我々は、大量のスペアパーツを
自分たちで用意しなくともレースに参加出来るのである。

このレースには懸けていた!筑波やモテギではフォーミュラの
経験も練習量も豊富な(すなわちウデが違う)他ドライバーの
後塵を拝していたが、ここセントラルサーキットなら
いけるかもしれない。
前回4位入賞の実績が、更に上を狙わせる。
そんな気合入りまくりのドライバーは自分を見失った!
前日の練習走行2本目、バックストレートで前走車をパス、
6速全開のほぼ最高速から2速で回る右コーナーへ。
いつもよりほんの少しインからのアプローチだったが、
予算の都合で使い倒したフロントのスリックタイヤは
あっけなくロックした!
「出るな!」
コースアウトには慣れている。無理にコースに留まろうとせず、
まっすぐグラベルに入ったほうがダメージは少ない。
「がっつ~ん!」
いつもとは違う衝撃があった。が、視界の範囲は異常ない。
少ない練習時間、出来ればコースに復帰したい。
クラッチを繋いでみるが動く気配はない。
「あ~、腹ついてんなぁ」
あきらめて降りようと右のミラーを見た時、「おお~!!」
そこには普段写るはずのないセンターカウルの上側が!
あわてて立ち上がって見れば右のサイドポンツーンは
ごっそり無くなり、中のラジエターは剥き出しになって
クシャクシャに!アルミのフロアパネルは引きちぎれて
紙のようだ。
外れたラジエターホースからは緑色のクーラントが
まるで血液のようにドクドク流れ出ている。
それを見ながら「今度ばかりは終わったな」
レッカーに回収されてパドックに戻るが、普段なら
「やっちゃったねえ!」とうれしそうに寄って来るライバル達も
マシンを一目見るなり顔をそむけた。
「とにかくトラックに行こう!」
監督がそう声をかけるまでマシンのそばを離れられなかった。
「右周り一式、今ばらしてるから用意しといて!」
「現場に落ちてるパーツ、コースマーシャルに拾ってもらって」
ドライバーの落ち込みを置き去りに、チームは動き始める。
「こんなものまで積んでるの!」
トラックからは次々とパーツが出てくる。どうしても無ければ
「近くにホームセンターある?」
まさかと思いながら持ってきたハンドリベッター、付属の
リベットはすぐ打ち尽くして買いに走ることに。
周りのチームからも、「エアコンプレッサー使う?」
「手伝うことある?」と声がかかる。
カンカン叩きながらの修正は「鍛冶屋の隣にいるみたいだった」
と、後日某レースメカ。
なんとか形になったマシンを見て
「ほんとに直しちゃったよ!こいつら!」
これは最大限の誉め言葉だ。
その夜我々は、リベットの打ちすぎでぷるぷる震える腕で
生のジョッキを握り乾杯したのだった。

レース終了後の高速道路、そろそろ日付けが変わろうという
時だった、「ぷあ~ん」追い越しざまに短いホーンと
ハザート1発。
慌ててパッシングを返すが、その赤いトラックは
あっという間に見えなくなった。 
                    つづく







Posted at 2006/03/19 22:54:39 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

35歳を過ぎてからモータースポーツに目覚めました。 今でも走るたびに新たな発見があります。 さぁ、次はどこ走ろう!
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