
黒澤浩樹が亡くなった。
帰宅途中の電車内、ネット記事を見た時、一瞬わが目を疑った。
自分と同世代に限られるのかも知れないが、
いわゆるフルコンタクト(=直接打撃制)空手の経験者なら、
ましてや自分のような極真空手の経験者なら、
誰もが一度は黒澤浩樹のケタ違いの強さ、凄さに憧れたはず。
少年マガジンに連載されていた「空手バカ一代」を知った頃、
作品に登場する、大山茂、中村忠、芦原、添野、山崎という
極真会館の創世記に次々に登場する錚々たる顔ぶれは、
ある意味で劇画の中のヒーローに過ぎなかった。
しかし、黒澤浩樹は違う。その圧倒的な強さを、
自分がリアルタイムで体感できた伝説の男なのだ。
1984年11月。極真空手の第16回全日本選手権大会。
城西支部の秘密兵器でもあった黒澤は、
小柄ながらもウェイトトレーニングで鍛え抜いた強靭な体躯から繰り出す、
超ド級とも言える下段蹴りで相手をなぎ倒し、みごと初出場・初優勝を成し遂げた。
ローキックではない。
黒澤の場合、あくまでも「下段蹴り」なのだ。
決して華麗なる組手ではない。
ましてや、オリンピックに採用された寸止め全空連ルールとは無縁であり異次元の世界。
黒澤は無表情の中に爆発的な闘争本能を秘めた、
対戦相手を破壊する一撃必殺の格闘マシーンであり、
まさに大山館長が築き上げた「極真ケンカ空手」を体現した存在である。
プライベートの黒澤とは2度会ったことがある。
K-1の会場で会った時は会話もできたし、気さくに写真撮影にも応じてくれた。
某病院前で家族をクルマで待っていると、
前に停車した黒いメルセデスから降りてきたのが黒澤で、その病院に入っていった。
たとえ戦いの場でなくとも、
凄まじい存在感を放っていたのが印象的だった。
きたる4月16日にはRIZIN横浜アリーナ大会が開催されるが、
その前身であるPRIDEの代表幹事を務めた黒澤に対して、
同大会の中で榊原CEOより哀悼の意が表されることを期待する。
今頃はあの世で、黒澤浩樹は大山館長、アンディ・フグ、大山茂、芦原英幸らと、
世代を超えた自由組手で最強を競いあっているのだろうか。
もしそうなら、黒澤は幸せだ。
押忍
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Posted at
2017/03/31 02:09:26