1994年10月納車。
最終型標準車。
この前の年に私の人生初めての新車で発売されたばかりのR33スカイラインGTS-25t(2Drクーペ)を購入していたのだが、学生時代に川崎の扇島の日産陸送でバイトしていた時によく運転したR32GTS-tのシャープな印象とあまりに違うデザイン・ドライブフィーリングに不満を隠せずにいた所、この年の東京モーターショーでR33GT-Rが発表。
これまた『違う!』と感じた私は何をトチ狂ったか、Dラーへ突撃。(ーー;)
販社に3台残っていたR32GT-Rを手に入れました。
(ちなみに頭金はR33、残り250諭吉程は24回ローン)
当時転勤で全く所縁のない地方での勤務&独身でしたので随分とあちこちへ出かけました。
ノーマルスカイラインのボディに如何にも後から取って着けましたという感じの前後フェンダーや専用のグリル・バンパー、当時では驚きの大きなリヤウイング等の武骨なエクステリア。
メーター周りのサテライトSW類や独特な形状のライトSW・ワイパーSW等の凝った造詣。
センターの3連メーターを含む7連メーターや『10』(×1000rpm)まで記されたREVカウンター。
そしてサーキットでも十分使えるセミバケットシート等コストの掛かったインテリア。
走行性能は今更説明するまでもありませんね。
当時としてはズバ抜けてました。
確実に日本車の性能を引き上げた牽引役でした。
そして私のような未熟なドライバーを助けてくれる車でしたね。
当時、居住地の秋田市から実家の埼玉まで夜中の東北道をAve.1※※km/hで走り、1回の給油休憩のみで行けたのは私が若かっただけでなく(^_^;)安定性や疲労を感じさせないドライブフィールがあればこそでしょう。
2ドアクーペでありながら大人4人が乗れる室内(後席は大人では少々厳しいが)。
その後子供が生まれた後もベビーカー等を積み込みOKだった充分なトランク容量。
初めてサーキットを走ったのもこの車。
初めて一発免停(90日)を喰らったのもこの車・・・(ーー;)
ちょっと重いコノ車ですがブレーキ以外は全く不満の無い車でした。(標準車はブレンボじゃなかったし)
7年間の所有期間の後半は、結婚して子供が生まれましたが後席にアップリカのベッドにもなるベビーシートを積み、家族旅行やスキー、雪国での冬の買い物や日常の足としても申し分のない活躍ぶりでした。
10年いや、もっと乗るつもりだったんですが、第二子誕生を目前に控えたある日、嫁の勅命により手放す事に・・・
(インプGDB-Aの欄参照)
2001年3月に手放しました。
ちなみにオークション代行(ネットじゃないよ)で売却しましたが、インプを購入するに当たり追金は諭吉束1つで済みました。
下取り査定を考えると7年で40%償却程度・・・国産車では数える程でしょう。
記憶が定かでない部分もありますが、
HKS SuperMagnam-Muffler
HKS F-Pipe
HKS Oil Cooler
Mine's CPU(吊るし)⇒ショップオリジナル書換え
TEIN 減衰力調整・Cリング式車高調
ENDLESS Type-M(F&R)
YOKOHAMA AVS-VS6 + ADVAN GLOBA(235/45-17)
NISMO Fバンパー、フードトップモール
・・・こんな感じのライトチューン仕様でした。
画像は長男が2歳の時のGWにTDLに行った時のモノ。(東急Hの駐車場)
PCのファイル整理してて出てきました。
懐かしいなぁ~(^_^)