
Good Morning Everybody Now on SALE???
おとつい 家で酔っぱらって年賀状見てたら 若いころ世話になったひと のがでてきて 電話番号が書いてあったので 電話してみた。このひとは おいらより10歳年上だけど 5年前に早期退職。生涯独身で金ためてたから大金持ち。実家の横の土地買って一戸建て立てて住んでいた。
ご無沙汰しとります どんがらどす。 大先生はいかがお過ごしでしょうか?
なにをいうよいね。突然だからびっくりしたなもし、、、。
てな感じで お話が弾んだイネ。
先生が5年前に突然退職したのは会社の人事名簿でみたけど その理由とかは知らんかったが どうやら その時期 心臓が痛くなって 働けないわけではないけどしんどくなったので やめたのだそうだ。5年くらいぷー・タロ―やったけど 60になって 年金もらえる資格を得たけど 60歳からもらうと少ないので 健康の意味もかねて 再就職して6月から働いているらしい。
この年になってふたたび厚生年金はらわんならんとは とか いっとった。
年金制度は非常に難しい状況になっている。基本構想にパッチをいろんな人が次々と当てていくので どうなってるのか 政治家ですら実感していないと思われる。常に改革が必要だとすべてのひとがいうけれど つねにいろんな方向に少しづつ変化させられるので 実態がわからず国民はいったいいつからいくらもらえれうのかがわからず 不安が不安をよんで 大混乱際な。
もともとの年金制度は 物価の上昇で実態にそぐわなくなることが全体だったので 自己積み立て方式ではなく その時の制度資金をもらえる人たちで割ってもらうという方式だが この場合当然のように 資金を払う人ともらうひとの 数によってバランスされることになる。そして 世界でもまれにみられるほどの 老人大国日本。こんなことになるなどとは 戦後この制度を作った者たちの想定の外なのだが そら 仕方がないともいえる。いまさら やってきた制度をごわさんにすることなど 革命でも起きなければ できない相談だ。
なら どうすべきか?
もちろん はらってきたのだからもらわないかんのだけど 60歳でもらう10万円と 70歳でもらう10万円は意味が異なる。そして このくらいの年齢になると 健康の問題とか死の問題とかが付きまとうので いったいいくつまでもらってチャラにしたらいいのか否とか思う。政府のやり方はあるいみ説得力が必要だから 想定として 日本の平均寿命まで生きれば 十分元が取れるという試算を公開するが 自分がそこまで生きられるかどうかについて不安がある人には ない人はいないと思うが 説得力が薄くなり まだ若い人々にはあまりに先なのでその重税感(税金ではないけど)ははんぱないものにり はらわない和歌門が多くなって いよいよ 制度的欠陥をろていしまくりんこ。
それでも 少額でも いまの60歳の日とはもらい始めることができるけど 10年ご60歳になるおいらには その時の支給年齢は 65よか 68とか いろいろ議論される。ふぜけんじゃねえ と 思うけど どうしようもない。結局やまほどはらった 年金を50%でもいいから即金でいま返してくれたら それで 株かって大儲けなのに、、、、、。
変な社会システムなのだ。
年金資金は 数百兆円とかいうわけわかめのりょうがあり 少しでも増やそうと その数パーセントを安全に運用するようになったが 設けるときは数千億円単位なのだが やられる年もあるのに 数百億円やられると ニュースになり あほのおばはんが TVのインタビューで TVのひとの思う壺のような答えを返す。
役人がええ加減なことをして 大切な年金資金を失って われわれの大事な資金をまたどぶに捨てる。
シロウトが投資に失敗して 大損こいてるのに 何の反省もないとは、、、?
単年度の赤字も 投資を始めてからの通算なら 大儲けしてるのに ニュースはそれを取り上げない。運用だってプロに任せているし 何兆円もの資金だから 堅実に投資するしかないのに ばくち知れるように感じさせるようにTVは報道し おじんやおばんの怒りを放送するのだ。
ひとは 損に対して敏感で 特にたいして鈍感という話がある。行動経済学とか言う分野ではこのひとの性向を前提として ゲーム理論を構築し 経済活動 おもに 株価の予測や誘導につかうほうほうについて研究しているようだ。
経済はすでにマルクスやエンゲルスの想定の基本にあったような 需要と供給によって 決まるものだという考え方をしないらしい。登場人物は2人ではなく 3人なのだ。3人目は 価格を決める人とか 操作する人とか言われる。それが バーナンキであったり 巨大資本であったり ときには大衆であったり 子供の要求であったりするのだけれど それぞれのひとおよびひとびとが織りなす 価値 を価格に反映させることで それにむかって 需要家がうごき 供給が充足されるといった 決定方法をとるというわけだ。これは 一見すると 初期の需要と供給と変わらないように見えるのだけれど そうではなく わかりやすい話でいえば ダイヤモンドシンジケートのような組織が 世界中のダイヤモンドの原石を買占め 価格維持のために 必要とあらば 海溝に捨ててまで 供給を絞るというような行動のことだ。
価格決定のプロセスは基本自由市場にゆだねられるのだけれど 政府が介入したり 巨大ションが介入したりグローバルマネーに席巻されたりするから だれがかかくをけっていしているのかについては よくわからないということになりやすい。
そして まず重要視されるのは 基本的な人間の営みに関すること。
衣食住
そして医療
これらの価格の上昇には政府も目を光らせている。安定供給のために 国内の農家を支援するのだが 支援した組織はかならず競争力を失うので 結局つよい農業のためになにをしたらいいのか ちゃんとした答えなどきっとない。
食文化はあるいみその国の文化そのもので たべもんが食べられなくなるくらい高いような国はほろびるしかない。市場に行っても買えないとかいうのも問題外だが、、、。
そして 住処。日本の住宅政策は大失敗だといういけんもある。最近は多少こなれてきたが 東京のはいタワーマンションが 最低1億円 とかいうのは 庶民を笑わせてるとしか思えない価格。
でも 住む家は極めて重要だから こどもがうまれて大きくなり始めると みんな 無理をしてでも一戸建てを買いに行くとこになるが 若く元気なうちはどんなに忙しくてもなんとかなるのだが 引退の年くらいになって 子供が成長し 一人前になって家を出たら 途端に一戸建てはい広すぎるし それゆえ 掃除したり庭を選定したりするのが おっくになってくる。固定資産税もあほほど取られるし、、、。 それでも 70年代とかは楽勝だった。無理して買ってローンの大半が残っていても かってに家の値段は倍々ゲーム。10年も住めば 売った金でローンは完済。残ったお金で次の家が買える頭金になる。しかし ある意味もうこんなじだいではない。家の値段はもちろん経済の状態でじょうげするけど 基本 消費財。価格は目減りしてゆく。
いつものように 話は急に変わる。
大先生は おいらが入社して半年くらいしたら トクヤマの部隊との合流によって 千葉に来た。すでに34歳だったけど 食歴は16年 品質管理ばたけのひとだから おいらの 会社での分析のせんせいなのだ。会社における品質管理とは何かをいろいろ学んだ。
高卒の先生は 大学でのわれわれをある意味 ねたましく ある意味 うらやましく オモっとったみたいだが それでも ひとりで大学出の若い奴らに囲まれてもおちゃらけてプロの仕事をした。あるいい人格者なのだが べつのいみではサッサと結婚しろ だったのだ。
そんな 先生とは 7年おんなじ職場だったけど PJが崩壊しておいらは千葉の工場に 先生は愛知の向上に転勤になった。一回 名古屋で遊んでもらったし 大阪にインプで帰った時ひろって 堺を案内し そこから 新幹線に乗せて山口に帰した。
おいらは千葉の工場勤務のままだったけど 先生はさらに転勤になり こんどは お国のガソリンの検査機関の九州支部に出向になった。このとき 毎年1-2回幕張の本部に出張できたら そのままおいらともうひとりのひとと3人で千葉であってパチンコした。そして やはり きゅうしゅうにもいっかいいったものね。
全然変わるが 雪降り始めた。 8時37分 千葉県市原市 スタバ市原店前
久しぶりにいろいろ話をしたら昔を思い出して 楽しくなったイネ。
yasukoyasuさんの質問のような質問をされたので 量子はひとには正確に認識できないものだとか 光って何 とか 波長と分解能と印象 みたいな話をいろいろしたね。もちろん のみとかうたとかのはなしのほうがおおかったけどね。
こなーーゆき ねえ まいおちるなんちゃらあああああああ
受験生は今日は大丈夫だろう。 愛他も試験の人は 今晩この粉雪が積もるかどうかが問題だ。
なぜ 共通試験の時には雪が降るのか? そういう季節だからとか そういうめぐりあわせとか そういう運命だとか いろいろ表現できるけど きっと これは 試練なのだよ。
ひとつの階段をあがるためのその運命の日は 雪によって始まる。そして 勝利した先には春が待っている。冬の寒い中でためたパワーを開放した若者たちは その結果によって 社会へ進む準備を始める。 受験不要論とか必要論とかいろいろあるけど 鉄は若い暑いうちに打て とか いろいろ言うけど だれもが 人生のいろんな場面で いろんな 壁にぶち当たる。急に巨大すぎる壁にぶちあったったら 絶望して この世とお別れなんて言う 短絡思考のばかがきができてしまうけど それを回避するためには やはり それなりのきびいしい試練が必要なのだと思う。別にそれが受験でないとは思わなけ度 日教組のばかたちみたいに 15の春はなかせないとか 甘いこと言っとるとダメなやつが増えるのは必然じゃない。
そして 金持ち成金のばかおやじが 学校卒業しても社会に出ないで家事手伝いとかさせてるひとをみると こいつはダメだと思うし そのなれのはてで 親に勧められるままに楽に見合いして結婚して 金持ち夫人になりいっちょまえのことをほざくばかおばはんが それがどんなにきれいでも 社会のだになのだと思うね。
ロックを目指す15くらいのばかがきが 天才は反省なんかしない とかカッコだけでほざいていると こいつは消えるなと思うけど 栄ちゃんやちーさまがいうと さすが っていいたくなるね。それは 突っ張っていきぬいた 男だけが言えるセリフで行ってもいいセリフで いうべきセリフさね。ここまで徹底して突き抜ける生き方なら だれもが感動するし 尊敬もできる。どんな仕事でもどんな生き方でも ある程度の時限を超えて さらに先に進んだものには それなりのすごさがあり そういうひとは結構見た目怖いのに 内実おにのようにやさしいものだね。
だから エグザイルやダウンタウンブギウギバンドのかっこいいお兄ちゃんたちは わかものたちに やっぱ雷雲店は絶対だめだぜ とか20歳になるまではたばこすっちゃだめだぜ とかいうのは いろんな意味で いいよね!
いよいよ こなあああ ゆき
今日はまだ積もらない きっと
勝負は今夜
明日朝 雪化粧なら
それはそれで きっと いいよね