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2014年01月24日 イイね!

引退した人々 それぞれのセカンドライフ 122

夜もふけ行く 給料日の金曜日 いかがお過ごし出すかいな。

 おいらももう50だから 若いころ世話になったひとびとは そろそろ60を超えている。別に 60歳で引退しないといけないわけではないが うちの会社だとほぼ60で偉い人以外は退職してゆく。50から早期退職は 定年扱いになるので いろいろ 変な年金なんかも用意されているそうだ。おいらのように50になっても役職でない人は だんだん肩身が狭くなってゆき 無言の圧力の中 適当に会社で遊んでいる。ある意味 今のほうが ちゃんと仕事してるのかもしれない。若いころはとにかく異常に高い気が遠くなるような目標にむかって ドン・キホーテのように 戦いを挑みまくっていた。
 いま いろんなしがらみもいろんなノルマもほとんどなくなって なんかせなあかんという気もなくなってきて ひび 楽しく過ごしていると 本来ひとはこういう風に生きていくものだと思うようになったイネ。

 引退した人々もそれぞれ、、、。別の会社に 派遣社員として通勤している人がいっぱいいる。また 約突きになった人は 町内会の役員とか どっかの技術顧問とか コンサルタント とか やっている。本当はそれぞれでちゃんともうけが出ないと事業とは言えないのかもしれないが べつに働かなくとも食うに困らない人の仕事は ある意味趣味の世界 また余裕のよっちゃん。だから 意外といい仕事になるのかもしれない。

 最近までなんであんなにあくせく働いたのだろうかとふと疑問に思った。結局何を成し遂げたのかよくわからないし こういうことなら もっと楽しんだらよかったのだと今更のように公開してしまう。

 セカンドライフの過ごし方について いろんな 意見や 本なんかがあるけれど お金に困らない人々は ある意味大名仕事 侍商売 ほとんど ボランティアなのだが それをうらやましいとも思うし 別の意味では日本人は働き蜂なのだと 実感してしまう。

 ストレス社会のなれのはてで ストレスから解放された人々が 何をなすべきか?その領域に立ってはじめてひとは生きる意味を考えるのかもしれない。そして 病気をした人は せまりくる 死の瞬間に対して 覚悟を作り始めるようだ。もちろん 引退したらあれもやろうこれもやろうと思っていた人が病気になると 必死で生きようとするけれど がんなんかは非常なので そういう行きたいと思う人にも 死刑を選択させてしまう。いろんな後悔が走馬灯のように脳裏によぎった先に ようやく覚悟ができたら おだやかに 死を迎えることができるのかもしれない。
 ここで どんがらは実は 苦しみ絶対量は保存するのじゃないかと思っている。

 死を迎えるまで のほほんとくらしたひとは 死に際して たくさん苦しむ。一杯悩んで苦しんできた人は ある意味悟りに近く 安らかに死を受け入れられるのだろう。もちろん 表面的には何もわからない。人に感謝し 人を愛した人生の人は 安らかに生き そして 安らかに死ねるのかもしれない。欧米では これは 祈り。絶対的な存在にすべてをゆだねることの喜びこそ 至福なのだろう。

 Pray and Love

 祈りと愛に満ちた人生は 素晴らしいものなのかもしれないが 無宗教で生まれ育った我々にはその内部構造の解析を進めてしまった関係から 絶対的な存在を認めることができなくなってしまった、どんなにつらくくるしいときでも 神が自分を守ってくれるとか 導いてくれるとか 信じられたら いいのになあ?

 日本にも八百万の神がいたし 鎌倉以降は庶民にも仏教が蔓延した。その流れは 戦争まで続いたのに 敗戦で木端微塵。マッカーサーに統治された日本には 天皇をまつりあげても 象徴としてしか認めてはならないとされ 絶対神は死んでしまった。戦後生まれの我々は そういう意味では 働くマシーン こころのない機械なのかもしれない。

 でも 一寸の虫にも五分の魂 だから 機械にも 魂が宿る。スピルバーフは AI で 愛をプログラムされた人工知能の姿を描いた。史郎正宗は 攻殻機動隊で ばとーに言わせた。セルロイドの人形にも魂が宿ることもあるのだ。機械と生物の違いは何なのか?生物進化の過程から現代の高度なシステムとしての人を そのエッセンスを 機械に コンピュータに 移す作業は 未来永劫英会陰に続くだろう。そして いつか 300年後かもしれないが チューリングテストすら笑いの種になるような 思考マシンがきっとできるのだと思う。それまでに人類が滅びなければ。

 アシモ君の手足も ニューロマシンも フィボナッチ数列も みんな 高度な技術の結晶となった時 エーデルマンの言うところの クオリアを実用的なレベルで プログラミングした サイボーグ あるいは ロボット または ランドワーカー ができるのだろう。そいつは 多くのSFが描くような 人類を支配しようとするほどのバカではなく ひとのために ひととともに 人を楽しませるために 存在するマシーンなのだろうと思う。

 彼らに感情と呼べるものがあるのか?でも あるとしたら きっと目的意識の強いやさしく楽しい奴だろう。そういう意味では できたてでも ある意味先輩たちのように 悟りを開いた 楽しい機械生命で 変なストレスもなく 働くこと自体に喜びを感じ そして 充実した奴らなのだろう。そんな時代まで生きられない自分がちょっと悲しくもあるけれど 死ぬまでにその系譜の走りくらいはみておきたいなあ?


 どんがら 冬の寒さで ちょっと酔っとるのか?

 ぽこパン 70万点をめざして 今日も精進だ
2014年01月18日 イイね!

だああい先生 118

だああい先生 118Good Morning Everybody Now on SALE???

 おとつい 家で酔っぱらって年賀状見てたら 若いころ世話になったひと のがでてきて 電話番号が書いてあったので 電話してみた。このひとは おいらより10歳年上だけど 5年前に早期退職。生涯独身で金ためてたから大金持ち。実家の横の土地買って一戸建て立てて住んでいた。

 ご無沙汰しとります どんがらどす。 大先生はいかがお過ごしでしょうか?

 なにをいうよいね。突然だからびっくりしたなもし、、、。

 てな感じで お話が弾んだイネ。
 先生が5年前に突然退職したのは会社の人事名簿でみたけど その理由とかは知らんかったが どうやら その時期 心臓が痛くなって 働けないわけではないけどしんどくなったので やめたのだそうだ。5年くらいぷー・タロ―やったけど 60になって 年金もらえる資格を得たけど 60歳からもらうと少ないので 健康の意味もかねて 再就職して6月から働いているらしい。
 この年になってふたたび厚生年金はらわんならんとは とか いっとった。

 年金制度は非常に難しい状況になっている。基本構想にパッチをいろんな人が次々と当てていくので どうなってるのか 政治家ですら実感していないと思われる。常に改革が必要だとすべてのひとがいうけれど つねにいろんな方向に少しづつ変化させられるので 実態がわからず国民はいったいいつからいくらもらえれうのかがわからず 不安が不安をよんで 大混乱際な。
 もともとの年金制度は 物価の上昇で実態にそぐわなくなることが全体だったので 自己積み立て方式ではなく その時の制度資金をもらえる人たちで割ってもらうという方式だが この場合当然のように 資金を払う人ともらうひとの 数によってバランスされることになる。そして 世界でもまれにみられるほどの 老人大国日本。こんなことになるなどとは 戦後この制度を作った者たちの想定の外なのだが そら 仕方がないともいえる。いまさら やってきた制度をごわさんにすることなど 革命でも起きなければ できない相談だ。

 なら どうすべきか?

 もちろん はらってきたのだからもらわないかんのだけど 60歳でもらう10万円と 70歳でもらう10万円は意味が異なる。そして このくらいの年齢になると 健康の問題とか死の問題とかが付きまとうので いったいいくつまでもらってチャラにしたらいいのか否とか思う。政府のやり方はあるいみ説得力が必要だから 想定として 日本の平均寿命まで生きれば 十分元が取れるという試算を公開するが 自分がそこまで生きられるかどうかについて不安がある人には ない人はいないと思うが 説得力が薄くなり まだ若い人々にはあまりに先なのでその重税感(税金ではないけど)ははんぱないものにり はらわない和歌門が多くなって いよいよ 制度的欠陥をろていしまくりんこ。

それでも 少額でも いまの60歳の日とはもらい始めることができるけど 10年ご60歳になるおいらには その時の支給年齢は 65よか 68とか いろいろ議論される。ふぜけんじゃねえ と 思うけど どうしようもない。結局やまほどはらった 年金を50%でもいいから即金でいま返してくれたら それで 株かって大儲けなのに、、、、、。

 変な社会システムなのだ。

 年金資金は 数百兆円とかいうわけわかめのりょうがあり 少しでも増やそうと その数パーセントを安全に運用するようになったが 設けるときは数千億円単位なのだが やられる年もあるのに 数百億円やられると ニュースになり あほのおばはんが TVのインタビューで TVのひとの思う壺のような答えを返す。

 役人がええ加減なことをして 大切な年金資金を失って われわれの大事な資金をまたどぶに捨てる。

 シロウトが投資に失敗して 大損こいてるのに 何の反省もないとは、、、?




 単年度の赤字も 投資を始めてからの通算なら 大儲けしてるのに ニュースはそれを取り上げない。運用だってプロに任せているし 何兆円もの資金だから 堅実に投資するしかないのに ばくち知れるように感じさせるようにTVは報道し おじんやおばんの怒りを放送するのだ。
 ひとは 損に対して敏感で 特にたいして鈍感という話がある。行動経済学とか言う分野ではこのひとの性向を前提として ゲーム理論を構築し 経済活動 おもに 株価の予測や誘導につかうほうほうについて研究しているようだ。
 経済はすでにマルクスやエンゲルスの想定の基本にあったような 需要と供給によって 決まるものだという考え方をしないらしい。登場人物は2人ではなく 3人なのだ。3人目は 価格を決める人とか 操作する人とか言われる。それが バーナンキであったり 巨大資本であったり ときには大衆であったり 子供の要求であったりするのだけれど それぞれのひとおよびひとびとが織りなす 価値 を価格に反映させることで それにむかって 需要家がうごき 供給が充足されるといった 決定方法をとるというわけだ。これは 一見すると 初期の需要と供給と変わらないように見えるのだけれど そうではなく わかりやすい話でいえば ダイヤモンドシンジケートのような組織が 世界中のダイヤモンドの原石を買占め 価格維持のために 必要とあらば 海溝に捨ててまで 供給を絞るというような行動のことだ。
 価格決定のプロセスは基本自由市場にゆだねられるのだけれど 政府が介入したり 巨大ションが介入したりグローバルマネーに席巻されたりするから だれがかかくをけっていしているのかについては よくわからないということになりやすい。
 そして まず重要視されるのは 基本的な人間の営みに関すること。

 衣食住

 そして医療

 これらの価格の上昇には政府も目を光らせている。安定供給のために 国内の農家を支援するのだが 支援した組織はかならず競争力を失うので 結局つよい農業のためになにをしたらいいのか ちゃんとした答えなどきっとない。
 食文化はあるいみその国の文化そのもので たべもんが食べられなくなるくらい高いような国はほろびるしかない。市場に行っても買えないとかいうのも問題外だが、、、。
 そして 住処。日本の住宅政策は大失敗だといういけんもある。最近は多少こなれてきたが 東京のはいタワーマンションが 最低1億円 とかいうのは 庶民を笑わせてるとしか思えない価格。
 でも 住む家は極めて重要だから こどもがうまれて大きくなり始めると みんな 無理をしてでも一戸建てを買いに行くとこになるが 若く元気なうちはどんなに忙しくてもなんとかなるのだが 引退の年くらいになって 子供が成長し 一人前になって家を出たら 途端に一戸建てはい広すぎるし それゆえ 掃除したり庭を選定したりするのが おっくになってくる。固定資産税もあほほど取られるし、、、。 それでも 70年代とかは楽勝だった。無理して買ってローンの大半が残っていても かってに家の値段は倍々ゲーム。10年も住めば 売った金でローンは完済。残ったお金で次の家が買える頭金になる。しかし ある意味もうこんなじだいではない。家の値段はもちろん経済の状態でじょうげするけど 基本 消費財。価格は目減りしてゆく。

 いつものように 話は急に変わる。

 大先生は おいらが入社して半年くらいしたら トクヤマの部隊との合流によって 千葉に来た。すでに34歳だったけど 食歴は16年 品質管理ばたけのひとだから おいらの 会社での分析のせんせいなのだ。会社における品質管理とは何かをいろいろ学んだ。
 高卒の先生は 大学でのわれわれをある意味 ねたましく ある意味 うらやましく オモっとったみたいだが それでも ひとりで大学出の若い奴らに囲まれてもおちゃらけてプロの仕事をした。あるいい人格者なのだが べつのいみではサッサと結婚しろ だったのだ。

 そんな 先生とは 7年おんなじ職場だったけど PJが崩壊しておいらは千葉の工場に 先生は愛知の向上に転勤になった。一回 名古屋で遊んでもらったし 大阪にインプで帰った時ひろって 堺を案内し そこから 新幹線に乗せて山口に帰した。
 おいらは千葉の工場勤務のままだったけど 先生はさらに転勤になり こんどは お国のガソリンの検査機関の九州支部に出向になった。このとき 毎年1-2回幕張の本部に出張できたら そのままおいらともうひとりのひとと3人で千葉であってパチンコした。そして やはり きゅうしゅうにもいっかいいったものね。

 全然変わるが 雪降り始めた。 8時37分 千葉県市原市 スタバ市原店前

 久しぶりにいろいろ話をしたら昔を思い出して 楽しくなったイネ。

 yasukoyasuさんの質問のような質問をされたので 量子はひとには正確に認識できないものだとか 光って何 とか 波長と分解能と印象 みたいな話をいろいろしたね。もちろん のみとかうたとかのはなしのほうがおおかったけどね。




 こなーーゆき ねえ まいおちるなんちゃらあああああああ




 受験生は今日は大丈夫だろう。 愛他も試験の人は 今晩この粉雪が積もるかどうかが問題だ。

 なぜ 共通試験の時には雪が降るのか? そういう季節だからとか そういうめぐりあわせとか そういう運命だとか いろいろ表現できるけど きっと これは 試練なのだよ。
 ひとつの階段をあがるためのその運命の日は 雪によって始まる。そして 勝利した先には春が待っている。冬の寒い中でためたパワーを開放した若者たちは その結果によって 社会へ進む準備を始める。 受験不要論とか必要論とかいろいろあるけど 鉄は若い暑いうちに打て とか いろいろ言うけど  だれもが 人生のいろんな場面で いろんな 壁にぶち当たる。急に巨大すぎる壁にぶちあったったら 絶望して この世とお別れなんて言う 短絡思考のばかがきができてしまうけど それを回避するためには やはり それなりのきびいしい試練が必要なのだと思う。別にそれが受験でないとは思わなけ度 日教組のばかたちみたいに 15の春はなかせないとか 甘いこと言っとるとダメなやつが増えるのは必然じゃない。
 そして 金持ち成金のばかおやじが 学校卒業しても社会に出ないで家事手伝いとかさせてるひとをみると こいつはダメだと思うし そのなれのはてで 親に勧められるままに楽に見合いして結婚して 金持ち夫人になりいっちょまえのことをほざくばかおばはんが それがどんなにきれいでも 社会のだになのだと思うね。

 ロックを目指す15くらいのばかがきが 天才は反省なんかしない とかカッコだけでほざいていると こいつは消えるなと思うけど 栄ちゃんやちーさまがいうと さすが っていいたくなるね。それは 突っ張っていきぬいた 男だけが言えるセリフで行ってもいいセリフで いうべきセリフさね。ここまで徹底して突き抜ける生き方なら だれもが感動するし 尊敬もできる。どんな仕事でもどんな生き方でも ある程度の時限を超えて さらに先に進んだものには それなりのすごさがあり そういうひとは結構見た目怖いのに 内実おにのようにやさしいものだね。
 だから エグザイルやダウンタウンブギウギバンドのかっこいいお兄ちゃんたちは わかものたちに やっぱ雷雲店は絶対だめだぜ とか20歳になるまではたばこすっちゃだめだぜ とかいうのは いろんな意味で いいよね!


 いよいよ こなあああ ゆき


 今日はまだ積もらない きっと


 勝負は今夜




 明日朝 雪化粧なら




 それはそれで きっと いいよね  
2014年01月16日 イイね!

Change the name,from Sumatora to Kommododragon DecaF? 116

Change the name,from Sumatora to Kommododragon DecaF? 116おはようござるっす どんがらどす

 今朝も快晴。雲ひとつない薄青い 一面の空へ ほぼ直上へと 白くたなびく 煙突の白い煙。白い煙は大概水蒸気。稼働するために 巨大な熱量を 熱ダメに残しそれを使う。冷えた熱ダメから機械的な力や化学反応のもとを取り出すのは容易ではない。高い熱ダメなら ヒルダウンした先の 緩い熱ダメに 変換するときにできる熱を 利用してタービンを回せば 電気もできる。流体として存在する熱は 熱交換器によって様々なシーンを温めることができるけど その媒体は 水。水蒸気はある意味 すごい熱ダメだ。なぜなら その比熱によって解放できる熱量に プラスアルファとして相変化に必要な熱量さえ解放できるのだから。しかし 巨大なプラントでは そこここで 過剰な熱が発生し 装置を痛めることになる。ようはバランスなのだが 正確無比に全部差し引きゼロにすることは 原理的にはできても 安全マージンを考慮した場合 解放系が必要になり そして 煙突から熱が出て そいつが含む大量の水分が さむい朝の京葉工業地帯では白いもくもくとした 天然のような雲を 陽光に反射させる。わずかなスモッグや非完全燃焼物はこの白さを濁らせるので 白い雲はある意味工業会社の 誇り 公害問題に紳士に付き合っているという証し そして かつて日本を送る締めた 光化学スモッグはほとんど 最近は聞かれなくなったので NOXやSOX は大丈夫なのだろう。すくなくとも 国内では、、、。

 しかし 地球はつながっている。新たな問題の種は中国。50ミクロン以下の いろんな化学物質の塊が 風に乗って日本にも流れてくる。とりあえず観測。そして 証拠を集めるしかない。証拠を突きつけても 中国共産党が動くわけではないにしても 具体的な数値とその比喩によって 中国の活動がいかに現代社会では無法なのかを世界に訴えることができるというわけだが、、、、。

 地球温暖化反対! と そう叫んでおけばよいような現代の風潮だが その中身を本当に知っているのか?かつて ゴアは 不都合な真実 を描いた。人間によって 破壊された地球では 温暖化ガスによって 気温上昇 生態系が変化し さらには 極のバンアレン帯がどんどん痛み 強力な太陽の風が地球に降り注ぎ そして その方向は 、、、、、???

 ひとびとに環境問題を提示することは重要で リサイクル社会を目指す 持続可能な社会を継続することの重要性は いよいよ 増してゆくのだけれど どういう視点でそれに対処すべきか?

 人類の存続 子供たちの未来 生物進化の方向性の持続 こんなものなら オールOK。

 しかし 人類文化が発症してたかがた 100万年 お猿さんから分化してせいぜい400-800万年。まだ ちょっとしか成長していないけれど その先はなんなのか? よく比較されるのは恐竜さんが世界を制覇していた時間。2億7千万年はあっただろうと推定されているが 少なく見積もっても 33.8倍もの長きにわたってからほろんだ。人間にあと 2億6千万年も成長し続けることができるのか そもそもその資格があるのか その素養はあるのか?

 おいらにはとてもそんな高尚な生物には思えない。

 だからといって 短絡的にすぐに人類が滅ぶべきだとも思わない。

 では 今 まさにそのとき 我々はどうすべきか どうしたいのか どう生きるのか?

 やはりいつものように答えは各人の中にあり そのひとの生き方そのものと照らし合わせ いま 何よりも大事なもののために とるべき選択こそが きっと 重要なのだと思いますね。



 てなことを 朝飯作りながら考えたおいら  自分で料理すると店で喰うよりいろんな意味で おいしく 別の意味でまずい。でも 時間があれば できるかがぎり自分で飯作る。エンゲル係数が上がるし 太ってきてしまうが 最近はその辺もきにならなくなった。歳とったのと 体鍛えまくってるからだが 1日に体重が5kgくらいは変化するというと すごいと言われる。そら 4Lくらい 水分の出し入れがあったら そのくらいは変化するよね。




 こないだ なじみのスタバの女の子と ちょっとお話。

 清楚な感じの清潔感たっぷりの すらっとした 美人ではないけど 愛嬌のある子。

 名札に ○○スマトラ と書いてあった。

”あんた スマトラさんっていうんだ!”

”ほほほ そうなんですううう。でも 近々 変えようと思ってるんです。コモドドラゴンに、、、。”

”デカフェでなくて 龍なのね? そいつはおいしいの?”

”えーっと 深みとコクがあって 後味が残らないすっきりとしたところが好きなんです。”

”ほえ? あとあじがのこるってどういうこと?”

”重いと言いますか コクがあるということだと思うのですが たとえば ベロナなんかは同じようにすっきりしてますよね、、、、、”

”いや そういうことを聞いているのじゃなくて 後味が残るということは 舌のレセプタに入ったすてぃみゅらんとが なかなか抜けないということだよね。ホストゲスト的な意味では 鍵穴にがっちりはいるカギがあるということじゃない。その成分は何なの? おもいやとはどんな3D 構造?”

”えええーーー そんなのわかんなああい?”

”店員失格”

”お客さんの話は難しくて でも 勉強します。”


前向きなやつ。どうせおいらの利きたいことが理解される前に どっか 嫁にでも行って 店にはもういないんだろう。

さーみしいい なあああ




どんがら


スタバを飲み屋のように使う方法 第一
2014年01月12日 イイね!

おとなとこども 113

おとなとこども 113おこんばんこ どんがらどす

 大阪の宝 やしきたかじんさんがお亡くなりになって1日余り 大阪の街は悲しみにくれながらも いつものように どんちゃんさわぎしとるのでしょう。長く番組の相方であった 元プロボクサ 日本ミドル級1位の 顔の大きなお笑い芸人さんも たかじんさんの思い出に ひたりながら みんなでどんちゃんさわぎしてるんじゃないかと 勝手に思っときます。

 よく このひとは こども とか この対応は おとなとかいいますが その意味は何なのか?

 ひとつは 純粋にまっすぐ考えていると詰まってしまうような問題にあたった時 それを真正面から受け止めて何とかしようとしても 何ともならないと悟った場合 主観と客観を考慮して 悪徳を考え 周囲に対する 行動を抑制する。これが 大人の対応とか言うものの一つ。
 他方 子供とよばれるひとは 自分の保身ばかりに注力するあまり 周囲に迷惑をかけていることに気づかない。自分は純粋で素晴らしい人間だということに酔ってしまい 最悪の場合 弱い者 奥さんとかこどもとかを殴ったりする。べつに殴ることすべてが悪いとは思わないけど 自分のフラストレーションのはけ口として殴るのは最悪さいな。殴ってもいいのは 愛のむちの時だけ。しかし それを判定する場合はそのひとびとによって いろいろな考え方になる。世間知らずのPTAの活動的なおばはんにはこの辺のことが理解できていないと思う。もちろん こんなことを指摘したら 火に油を注いだようになるので だんなは大概黙っているのだが それはそれで おばはんには不満で 対応はいよいよエスカレートしてゆき 殴られたことがないちんぴらが多くなってくる。どんなやつでも それなりに 痛い目を見てきていないと 社会は厳しいので しっぺ返しを食らうことになる。そのときそいつがどういう行動に出るのかで その男の真価が試されるような気がするのだが、、、。

 かっこいい髪形をして 肩で風切って 上司に偉そうなことばかりほざいているバカガキは 説得しようそして話しかけても にべもなく しまいには怒って おいらの肩にどんとぶつかりやがったので 瞬間的に 顔に掌底してしまった。あちゃーと思って わるいわるい と言って声をかけたら 涙流して もうしわけありませんとか 生まれて初めて殴られたのでとてもうれしいとか 支離滅裂なことをいいやがる。その後 仕事でいろいろと会うたびに そいつはおいらに珈琲とかお茶とかをすぐにもってきてくれるようになった。別にそんなこと戦でもええノニと思っているのだが そんな気分になるようだ。
 どうようにコンピュータすきのとなりの部屋の先輩はやさしいひとで おいらも好きだったのでいろいろ遊んでいたのだが おおきなシステム開発をした後 会社を辞めた。何でやめるのか聞いたら この会社ではどれだけ働いても報酬が変わらないのが気に入らなかったそうだ。そして 地元に帰ってやとわれプログラマになった。会社を辞めてから2年くらいネットで話をしてたら一回遊びに来いというので 松山まで行ったけど いろいろ接待してくれてたのに 道後温泉で 一緒に風呂入ってたら 何が気に入らなかったのか知らんけど 先に出ていなくなってしまった。どうしようかと思ったが 次に飯食うところが予約されていたので その時間にゆっくりと店を探していくと その人が待っていた。
 コンピュータ屋さんはある意味 一人作業。とことんまで自分を追い込んで仕事をする時が多い。あるいはそういう性格があっていたりもする。もちろん 積極的に先輩に聞いていくやつもいるけど 先輩はもっと忙しいので 普通は自分で何とかしようとするものだ。
 コンピュータはある意味非常に正直で まちがった 構文を描くと 動かない。高級言語だとエラーがメッセージとして帰ってくるけど 同じようなメッセージがいっぱいあるので 簡単には原因を突き止められない場合も多い。だから はたから見たら楽しそうに仕事していたのに突然 怒りだしたりする。思った通り動かなかったとき それは自分が悪い場合が多いのだけれど 他人のせいにしたくなるもの。だから フラストレーションたまりまくりで 切れてしまうようだ。

 これは こどもなのか? 

 従来 大人と呼ばれる人にも誰しも子供の部分があり その部分を制御して生きていると言えなくもない。しかし 自己暗示とかマインドコントロールとか呼ばれる領域の技術は それ自体で演じている自分を演出してもいるので そういう フラストレーションがたまる。これをどうやって 昇華するかというと 肉体的においつめて 脳を真っ白にするのが けっこういいようだ。人間が高度な知能タイではなく 肉欲の塊であることを再認識させてくれるということは それ自体で 自分らしいともいえる。

 よく ねたきりのおじいさんとかおばあさんは ほとんど あかちゃんのように 純真に見えるようだ。 もう うごけないし 死を待つだけだけど そんなこともどうでもよくなり かんびょうしてくれる 嫁や娘に対しても なんのしがらみもなく すなおに接することができるようになったとき そこには あかちゃんのように なんの気兼ねもなく 素直に欲望に従って生きることになるのだろうと思う。
 これは一種の悟りの領域。死の恐怖をも凌駕した人だけが望みうる高見なのだと思う。

 うちの親父は60歳で死んだけど 長くがんで苦しんで半狂乱にもなったけど 死に顔は おだやかだったと おかんはいう。あれだけ苦しんで周囲に迷惑かけまくったのに 最後はおだやかに静かに入寂したのだから それはそれでよかったのだろうという感想なのだが、、、、、。

 この世に未練を残して死んだ人は成仏できずに 天界から人の世を見ていろいろするのだという思想が日本にはあり それをベースとしたドラマとか映画とかいろいろ描かれるけど じょうぶつしたひとはどうなるのか? あらたな 生命の息吹のもととなるべく分解して いっしゅの巨大な遺伝子プールみたいなものに 魂を還元するという考えもある。個人の死は個人のものだけど 生物進化の連綿の中では 真価が進む方向?に貢献できれば それは死でなく 輪廻とか言うものになってゆくのだろう。

 おいらが死んだあと うまれかわることができるのか?

 今度生まれ変わったら やっぱり 人間なのか?

 人間の痛みや苦しみは もう いいや って 気分。


 こんどは わんこになりたい自分と  イルカのように自由に遊んでいたい という じぶんがあるのだけど 神様は全能で 圧倒的におとうさまで おとなだから もう一回 にんげんやれといわれるかもしれんなあ?

 でも おいらは反骨ものだから 人間に戻されるくらいなら かぶとむしにしてくれっていいそうな、、、、、







じぶんがおこわ 

 おこわめし たこ
2014年01月11日 イイね!

INSOMUNIA 112

INSOMUNIA 112  さわやかな朝で おはようござい どんがらどす

 今日のMSNニュースに 2013もっとも過大評価されたと思われる映画のきじがのっとった。1位は ゼログラビティ。思われるというところがみそかいな。

 いったい何のどこがどう過大評価されたというのかは 個人個人の意見になるのでよくわからないけど 宣伝と伝聞がひとびとに与えた印象があまりにおおきくなると そらどんなものでも 見たときしつぼうしてしまうものさいな。特に 見てもいない映画のあらすじとか すごいシーンとか 感動する場面なんかを 前もって聞いてしまうと そのシーンがきたとき これかいな ぐらいにしか思わなくなるので そら 感動は減るわな。 まあ 映画通なら楽しみ方はいろいろ。前もって原作本を読んでいく場合と 見てから読む場合があるけど SFファンが生涯にわたってみる映画の一つが

 2001年 宇宙の旅   2001 Space odassay

さね。

 おいらは公開された時たぶん4歳でなんもわからんかったけど 映画館で でっかく ディスカバリーが映ったら驚いて泣いていたそうだ。当時の印象はほとんどないけど 真っ黒の宇宙空間の中にすばらしく白い宇宙船や宇宙服が印象的だった。
 はじめて自分の意志で映画を見に行ったという記憶では なぜか ゴジラ対ガイガン が最初のような気がする。ガイガンはかなりマニアックな怪獣だけど 半分マシンで おなかのところに電動丸鋸があって ゴジラが抱き着いたら回りだして おなかを縦に切り裂いていた。えげつないやつなのだ。
 そのご 宇宙戦艦ヤマトがTVで公開され食い入るように見ていた。松本零士さんの世界観と西崎プロぢでゅーさーの手腕が こどもに カッコいい大人の姿を 示していたね。死んで生きながら指名に生きる沖田館長 そして 成長していく古代と見守る雪 盟友真田さんはサイボーグ そして アナライザ と 島機関長。酒飲みの医者に 機関長と 加藤戦闘隊長(加藤隼戦闘隊かいな?)。

 映画になった最初のやまとは見なかった。TV版と同じかと思ったから。その後2作目?となる彗星異星人?が地球に迫ってくるやつを見に行った。テーマは愛だということだったが 一緒に見に行った兄貴は しょーもない という評価だったけど おいらはまあ普通かなとか思った。愛をてーめに挙げるのは 戦闘ものなら女の子を取り込もうとする技かとも思ったが まあ いろんな愛があるから人間が描かれる以上それを無視した作品などつくりようはなく どこにどう感じ入るかはそのひとそれぞれなので 問題はない。

 学生の時 仲良くなった女の子が 本を貸してほしいといったから 何にしようかとも思ったけど

     ソラリスの陽の下に 

を貸した。

 感想としては 人間の弱さを表現しとるとかいっとったが まあ 確かにその部分はあるのだけれど そこには 超生命体の意志などなく ただ 超知性は人間の各人のない奥に収めてあるもっとも強い記憶を読み出し もっとも印象深い人を再現させることができるということなのだが その意味を彼女鵜は理解しない。超生命は人間をはるかに超越しているのだから やつが何を考えているかの度 人間に理解できるわけがないのに それを自分の経験に照らし合わせて勝手に解釈するのはレムの意図とも明らかに違うはず。
 レムの初期の作品にも ほろびた高度文明が残したシステム たとえば 機械昆虫群とか 機械生命体とか が独自にどう行動するかが描かれていたが そういう意味で 人間よりはるかに優れた知性を 文学的に表現するという意味では たぶん SF作家の中で スタニスワフ レム が最も優れているのだと思う。
 レムの思想の根底には 明らかに 近代理論物理学の思想があり ボーア学派の残した 神がつくりし量子のシステム そして それを理解できない人間の限界とその意味 について 影響を受けているのだと思う。

 ようするにテーマに対して 多くの切り口で表現される文学作品は その視点によってさまざまに解釈できるという一般論となるので そのひとがそのとしのそのときのそのばしょでその状況下で どう感じて読むかによっていろいろ考えさせられるところがおもしろいのだが、、、。最近のわかいやつで読書が好きだという人に 何の本が好きなのか聞くと 携帯小説とかいう答えが返ってくるので 少し読んでみたが 直情的で深みがなく読んでも何も印象に残らないけど技巧だけは何とかしているのが多いような気がする。これが 若い奴らの読書なのかと思うとちょっと悲しくもなるけど まあ 時代とテクノロジの進歩だからしかたがない。
 こういうやつらで 恋愛に対して思いが強そうな人には 夏目漱石をよんだらといっている。たいがい吾輩は猫であるですかとかえってくるけど あれは 青年の話だから もっと直接的には こころ とかがいいんじゃない といっている。
 技術屋と話をするときには あまり化学の話はしない。そら日常の仕事だから面白くもなんともないからだが その時々に読んでいる 科学啓蒙書 私の場合 宇宙の話と生物の話が多い あるいは科学史 の中身の話をする。

 一時毎日昼休みにそんな話をしている後輩が突然

 ”よくそんなこといろいろ理解できますね?”

とか言われたから

 ”いや 本当に理解してるわけではないよ。理解している学者が一般人向けに わかりやすく書き直したものを読んで 考えてるだけさいな?”

と答えていた。
 基本 ほぼ中学生(受験生)のころから徐々に始まった不眠は 大学で決定的となり 就職してそれをもシステムに組み入れるようになって 今に至る。だから 暇なのだ。暇つぶしでお金をかけない方法には 本を読むというのがあるので 本を読む。学生時代はお金がなかったので 天牛書店で50円とか100円の本を買って読んでいた。ソクラテスの弁明とか ユートピアとか 孫氏の兵法 とか、、、、。50円ですごいことが書いてある本がいっぱいあってとても読み切れないけど まあ 時間は圧倒的に少なくなる。一番安いやり方は立ち読みだけど 高校生の頃は かなりやってたけど だんだん書店がその辺を制御しだしてやりにくくなったいな。

 さすがに就職してからは ハードカバーの本も買うようになった。やはり中心はSFと科学啓蒙書だけど ときどき 直木賞とか芥川賞とかも読む。私のマイブームはときどきおこり 2年くらい前には 東野圭吾にはまっていた。大学の先輩だし。その前はひととおり 1984のおっさんにはまっていた。ノーベル文学賞をとるんじゃないかと言われているけど おいらはダメだと思っとる人だ。
 1984はいい作品だと思う。1984といえば ジョージオーウエルを思い出すけど 彼も意識して題名にしているとも思うけど やなーチェックって誰かしれんけど カラーレス田崎つくるよりは ずっとハードボイルドしててよかったね。
 SFでは早川と創元を読みまくった。さすがに最近のはわからんのが多くなったけど


クラーク、アジモフ、ハインラインのあたりにはじまって そのまえはジュールベルヌとか宇宙船ビーグル号とか読んだ。ひととおり御三家を読み切った後 サイバーパンクに感動し スターリングとか カウントゼロとか読んだ(ウイリアムギブソン)。そのまえには 創世記機械論のおっさんの3部作をよんでいたけど かれはコンピュータ技術者で機械知性肯定派だったから それまでの支配しようとする人工知能の構図を打ち破ったという点でよかったと思う。その後乱読時代に入ったけどC.Jチェリーとか 犬は勘定に入れません とかが 女流作家としては好きだった。あー修羅 K るグイン は女性SF作家の大御所だけど かっこいい作品をたくさん残しているので いい感じ。そして どの時代でも常に圧倒的なオリジナリティを示したのが フィリップ k ディック さね。彼の小説は彼にしか書けないというものだが その理由は明白で かれは ジャンキーなのだ。収入が莫大になってからもアウトローで 大きな家に何十人もの若者とともにすみ 好き勝手して生きて 書いて そして 死んだ。あんな生活できるやつはそんなにいないうえに らりった状態で正常な文章が書けるとなると100年にひとりの逸事だろうと思う。今は安定を求める時代だから 論理的でわかりやすい映画が受ける時だと思うけど 混沌の時代になったら 映画関係者は ディックの短編にそのヒントを求めるようだ。工業的に成功するかどうかは別としても そこにはいつの時代にも通用するだろう突破口があるからだと思う。

21世紀になって はまったSF作家は イーガン。彼の知識と思考と思想は 現代の欧米社会の縮図を学ぶというだけでも価値があると思う。ちょうど 麻生財務相が ゴルゴ13 にはまっているような構図(中身はかなり違う)。

 現代の若者にはテクノロジの恩恵が多い。iPhoneがあれば神の本など読まなくとも携帯小説をお手軽に読めるし 面倒になったらぽこパンもある。そして LINEで友達に発信し 音声ではない方法でコミュニケーションを図ることもできる。

 だから よる眠れないときに いろいろな思い出がうっとうしいと感じるとき 携帯にお気軽に手を出す。即席のこころの充実は短期的にはそれでいいのだが ストレス社会のすべてはそれではまかないきれなくなり そして 不眠が不眠を呼ぶ。そして 働くとき つい あくびをしてしまったりして 上司に見つかって怒られたりするのだが そういうときは 外に出て日光を浴びて 体操するに限るのだが なかなか 陰にこもる仕事だと 解放しきれないようだ。

 仕事が夜の人も結構多い。効率的に稼ぐにはちょうど良いし 昼間ひとごみのいない繁華街で ひとり楽しく過ごすこともできる。ゲームセンターだって安かったりするし 混んでいる道も がらがらだったりするので 楽しくもなる。
 しかし ふと 夜中に眠れないときに 本来のねむるべきひととしての いきものとしての 明暗分岐のさなかに 本当の静寂と暗闇の中で浮かぶ思考に酔えないなら それはそれで 不健康なことなのだが どうしたら眠れるのかという方法論が頭に浮かんだら だれもがもう眠れないのだと悟ってしまう。眠るために必要なことは 無になること。空の領域に到達することだが ほんとうの修行僧でも いつでも意志によってこの状態になるためには何十年の修業が必要のようなので なかなかむつかしい。一般の人は真似をするのも効果があるかもしれない。正座して 座禅を組んで ゆらゆらゆれながら 各手関節をもみほぐし 気分が高まったら一回いろんなことを考えながらもかおにはださない。肩が震えると 鏡が飛んでくる。そういう状態をなんども体験しているうちに つかれていろんなことだどうなってもいいやと思えたら 自然に入寂しているものだ。日々の訓練はこういうほうほうでもいいけど もっと簡単な方法は お風呂に入ること。特に寒いこの時期には 眠れなかったらおふろにはいることにしている どんがら。お風呂で寝てしまうこともあるけど おぼれたりはしないものだ。 もっとも 水が冷たくなったら風邪ひきさん状態になるから そのときはサムっと思いながら追い炊き。体があったまるまでひたすら耐えていると 熱容量の大きな水が 自然と体をぽかぽかにしてくれる。

 べっどでねるのもいいけど とまには床に煎餅蒲団引いて寝ていると いろんなツボがわかって 姿勢によってどこがこっていて どんな姿勢にすると気持ちよくなるかで 体残りや 正中心のづれが解放されているのがわかり 自然とよく眠れるようになるものなのだが、、、。

 知識は 邪魔な存在。 しかし 突き抜けて向こう側に出れれば それをも楽しめるようになる。


 だから 夜眠れなければ ラジオ体操第一 汗だくになって風呂に入って 体があったかいまま布団に入り 各種ストレッチ。 



 それでも ねむれないやつは   もう ねるな

 
 どほんがら 不眠症歴 推定38年。 1か月に1日くらいは12時間くらい寝るけど そのあと 体の痛いこと痛いこと


 いたいのいたいの とんでけええええええ

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「シェルビーさんが2019に出す新型 SSC TUTARAだって!

1247kgで1750bhp 何じゃこの数字は?

飛行機より H2よりすごい馬力荷重じゃあない?

500km/hくらい出るのかなあ?」
何シテル?   08/28 11:52
dongara1963です。よろしくお願いします。  元企業研究員。専門は分析化学。大学では 固定化酵素電極センサーの開発を担当  早期リタイア中。...
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