
おはようございます どんがらです
今日も日本晴れ8年ぶりの初発会で下げ局面を経験 各ニュースや安倍首相が一斉にメデイアに露出 年頭のあいさつだけど 景気回復させる世の合図 ひとびとの不安を一掃したいのか?
有名な企業のトップへのインタビュー。もちろん201404の消費税上昇により一時経済は停滞することは確実だが その不満をいっそうするために晋三氏は発言する。
”ことしは 経済の進捗を家庭に収入として実感していただくときです”
各トップがいろいろ言う。もっとも楽観的な観測では年末には日経平均は2万円突破、18000円はきたしたい。しかし 社員の給与は利益から株主への還元の住んだ後に考えることという意見。表と裏があるからどこまで本音化は図りかねないが すくなくとも ワンマンオーナーでないなら 自分一人だけでは決まられないとのメッセージ。近代企業だといいたいようだ。1兆円の利益を誇るトヨタでは 給与は労使交渉で決まるという経緯 ということで 流していた。なんやかんやいってもすでにトヨタの給与は非常に高い。しかし 中にいる人は自分よりよりよい待遇のものと比較し われわれの給与は少ないのだと考える部分はある。日本になければ欧米ならとか 物価基準からの給与所得と税金面でいえば自分は決して有利な立場にないとか、、、。ようするに ひとの欲望はかぎりなく どんな状況でもその状況に対して自分が被害者の立場に立ちたいと思っていればその理由などいくらも考え付くのだ。でも 十分にしあわせを感じていきているのなら 給与のことは絶対的に考えて 余裕で OK っておもいたいけど 思えないものだ。
すぐに庶民とブルジョアとかの2項対立に持ち込みたい輩が多いけど そんな単純なものじゃない。連続的に存在するいろんな収入の人たちのつづき。その中で明確な線を引くことなどできないのに かってに 上位1%とか 99.5%信頼確立内にないとか やはり 適当な考えで自分は被害者の側にいるのがいいと思うこころが さみしいし おもしろくないものだけど その領域から抜け出したら それはそれで一種の悟りさね。大ベテランの引退した人々が 嬉々として毎日暮らしておられるのを見ると 自分もいづれそうなれるだろうかとも思うけど まあ そのときはそのとき 何とかなっとるだろうと 自分を納得させる 楽観主義がきっと健康の証し。
昨日 会社から速攻で帰って プールにいった。休憩時間にジャyグジーにはいっていたら 隣の兄ちゃんがインナ~着たまま泳いでいたので それ来たら泳ぎやすいか聞いてみたらそうでもないとのことだった。
しばらくだまってあわあわ水流を楽しんでいると そのお兄ちゃんが話しかけてきた。
35歳で元野球少年 千葉の出身で甲子園を目指していたけどダメだったとのことだった。
千葉と言えば 長嶋茂雄と掛布雅之とかいろいろ話をし マー君の話とかダルビッシュの話とか いろいろしたね。そして今最高の大リーグのピッチャーはってきいたら 名前しらnひとだけど キューバからの亡命で170キロのストレート投げるとかいう怪物がいるらしい。でも 大リーグのバッターはこれを打つ。速度ではなくたいみんぐなのだそうだ。そしてマダックスの話になった。knee黒も無敵さイネ。
大阪の出身で4つしたに 桑田清原のPL学園があってあいつつらじんじょうでなくすごいことをせつめいしてみた。当時のPLでは1年ごとに特待生のような野球部員がそれぞれ100人くらいいて 総計300人。レギュラー15人に入るのはほとんど不可能で それでも10人くらいは3年生 3-4人の2年生に1-2人の1年生って感じかと思ったら 1年の時から 桑田は主戦投手できよはらは4番。
見た瞬間だれもがこいつらなみじゃないとおもったそうだ。きっと中村監督も。けっきょく5回全部甲子園に行って3回優勝。清原は高校時代に甲子園で9本くらいホームランを打ってるが 2番目は本木の5本。たぶん永遠に破られないだろう記録。
ある意味 わかいひと(35歳には失礼か)もいろんなひととコミュニケーションを図っている。現代社会では横のつながりが重視されそれをフォローするように電子機器が装備されている。しかし 社会には当然のように縦のつながりもあるわけで 運動部に所属したことがあるものは ひととおりの礼儀を叩き込まれているので 失礼なことはしない。困った奴らは ヤンキーとかチンピラ 状況を把握していないのでやりたい放題できると思っているのだが まあ それも若さの特権か否位に思えたらいいのかもしれないけど まあ 無理だわな。
振り返って自分のことを考えてみると まあ 大部分こちらからベテランの方にどんな場所でもいきなり話しかけるのはちょっととは思っていたけど 結構おいらは大胆なところもあって 講演会とか展示会とか学会とかではずかずかと好き勝手に相手のことなど関係なく疑問を投げかけて話をしていた。
わかいころゾロ品の(ジェネリック)の開発方法についての厚生省の人のセミナーに行ったとき いきなりはじまる5分前に休憩していたおじさんに話しかけたら講師だった。そのひとはむかしうちの会社の人と共同で研究したことあるとか言ってたのでちょっと親近感湧いた。そのご セミナーで隣の席になった兄ちゃんと仲良くなった。ユースキン制約の人で薬物動態が専門だというのでいろいろ教えてもらったが おいらが講師の人と話をしたというところが彼にはけっこうすごいと思われたみたい。べつに普通のことだと思っていたけど まあ そうなのかもしれない。
コミュニケーションの特に遠方の人たちとの情報通信には いろいろな方法があった。日本なら飛脚さん。東海道を10日くらいでタスキを渡すように走る人たちの集団は 最も早く京都の考えを江戸に伝える方法だった。現代では長らく郵便がその役割を果たしてきたが電信電話によって即効性は失われていった。そして現代。アメリカの防衛システムとしてつくられた分散通信統合システムは 時代の流れとともにその基本ぎじゅを民間に開放し カリフォルニア大学を中心とした3つの大学間の通信テストとして検討され始めた。 それはそのシステムが自動的にたのひとびとにも特定のルールに従って拡張されてゆくと 元の設計者の手を煩わせることなく(完全ではないが)かってに クモノスを張り巡らせて どんどんひろがってゆくようにつくられており どこが中心でどこが末端かという概念をかなりあやふやにしてしまった。
インターネットの広がりはさまざまな産業のきっかけとなり ウイルス除去業者や自動振り込みシステムとか ネットバンキングとか 楽天市場とか ネットオークションとか やまのような新しい仕事をはぐくんできた。ワールドワイドなウエブはハイパーテキストなんちゃらかんちゃらで記述すれば そのルールに従ってつながってゆく。大事なのは自己証明。アカウントと呼ばれるそれは しばらく16ビットで十分だと見込まれていたのだが 世界中ですべてのひとがいくつものアカウント(仮の顔)を持つようになったら足らなくなってきた。そこで 一気に32ビットに拡張することとなり ipV6とかいう規格になった。7-8年前の話だ。いまではほぼ無限にあるアカウントをみながいろいろ使えるようになったので 捨てメールアドレスなんてものもできるようになったみたいだね。
ネット上で個人情報をさらすことの危険性を学生たちに教える先生の影響で ネット上では 身分を明かさないのが基本となったが そんなこと知らないおいらはまあてきとうにやっとるんよ。そういうひとたちはここみたいにSNSでさらしたりするけど ようわからんがザッカーバーグに乗せられたりもするので 結局結構な情報がネット上に流れているので 防衛しようとすればするほどそれを明らかにしようとする輩が現れるのでいたちごっこさいな。おいらも適当にやっとるから あほほど迷惑メールが来るけどどうせおかまのあがきだから全部無視さいな。答えるときは暇だから遊んでやるとき。相手の手の内はTV南下でいっぱい明らかになっとるからあわてずさわがずさいな。
1か月前くらいからLINEをはじめた。世間から見ればめちゃおそ。そういう意味ではおいらはまだ敬愛デビューして1年ちょっと。現代人ではない化石なのだが 最近のPhoneの使い方は知らんけどあっぷるがどういうふうなせいひんをつくるかとか KDDIとソフトバンクそしてNTTがどういう関係にあって 通信環境がどうなっているかとか言うことは場合によってはauのひとより詳しかったりする。
LINEを始めた理由は ぽこパンやりたかったからだが 女の子から連絡が来るようになった。彼女はスタンプと呼ばれる キャラクターをいっぱい送ってくる。最初ふざけてるのかと思っていたら どうやら 若い人たちはこういうのを送ることでコミュニケーションを図るのだと分かった。時代は変わったものだ。そしてLINEはむりょうだけど そのスタンプの新しい奴がほしかったら 100円とか200塩とかでかうようだ。こういうビジネスモデルで上場している会社はいっぱいあるみたいだけどでじあーつとかいうところは知っている。
一気にお話はSFの世界に。はーどわいやーどのせかいは 1980年代のサイバーパンクSFの潮流によってその概念が世間に広がっていった。そのころギブソンやスターリングに感銘を受けたバカ学生(おいらのことだ)はいづれ世界は情報の共有 書いたり読んだりするのではなく 思考によって意志によってマシンを通じてその考えをウエブに公開し それらの集合体 こどもたちの総合思考としてえがかれるそれらはユングの共有思考にツウづるものだけど そのなかに市民権を持つAI同士の統合化が外部からの破壊によってしか行われないのなら AIははっかーをやとって 自分をハッキングさせ けっこんしようとしたりするのだ。そして 独自に発展したAIが結婚使徒のち モノリザが生まれる。オーバードライブしたそれらはどんどん巨大になりすべてを飲み込んで新たな領域に人類を導く。弁証法的な概念かいな。その過程を3部作で描いたギブソンの筆力はきょうたんにあたいするけど それらを受けてなおその先の異なった世界を漫画j表現で描いた史郎正宗はあるいみさらにすごいとおもう。
あと200年したら ネットは人類の思考の総合帯として彼らが描いたような方向性を見せているだろう。なぜなら 鉄腕アトムをみたすべてのひとびとが2足歩行ロボットの開発にちみゃくを注いでいるように その概念が広く伝わり影響すると うおっしゃうスキー兄弟のように 現役の映画をいろいろつくったりするので その姿は変えても本質的な一部は伝わってゆくのだから。これは きっと ドーキンスの言うミームなのだと思う。ミームは各時代の表現者たちによってそれぞれの時代に適したものに作り変えられそして生き残った者だけが次の時代の基礎となる。だから ミームはジーンの後継なのだけど 、、、、、、、、、、、、。
プリクラがはやって子供たちが我さきと自分の写真を手軽に加工しシールにしてペタペタかばんにはっていく。その写真ぐんはこどもたちの思い出の証しで 大人になっても酒飲んで昔を懐かしむことに使われるみたいだけど それはそれで現代的だと思うけど 過去と現在を明確に区分するのには役立ちながらも 過去を引くづってゆくことにもなるので 使い方を間違えると一歩踏み出せなくなる。内向的な方向にいくらでも進むのはある意味楽なのだけど それでは生きていると言えるのか?
テクノロジがコミュニケーションを容易にしすぎたことで 内向的で内証てきなひとびとが確かに増えているのだとは思う。彼らには家にこもってないで散歩しーやと言いたくなるのだが 思考空間にとらわれまくってるやつには日の光すら生物相の中心的課題だとは感じられなくなっているみたいだ。
さあ ふとんあげろ 服きがえろ 体操せいよ ラジオ体操第一 よおおおおい
どんがら PTAのひとか??? いな コーヒー好きのただの親父だ