
おはようございます。いつものどんがらです。
薄い青空に浮かぶ雲は大きく丸くそして船団のようにゆっくりゆっくり右に流れてゆく。空の40%を埋め尽くす白い軌跡。風が吹いている。♪♪♪しもぶくれの女の子が歌っている。青と白と緑の饗宴、楽園、そして そこに 珈琲がある。
昨日、本屋で寺山修二の本を買った。彼はもういないのだろう。私より何世代も先輩だから。戦後から60年代をちょっとハードボイルドに駆け抜けたおっさん。当時はアメリカから入ってきた文化があらゆる場所に繁茂していたものだろう。本の題名が ”書を捨て、町へ出よう” ちょっといいのかなんて若い頃なら思っていたが、今はいまでこれでいいのだと素直に思えるようになってきた。成長したのか?いつまでも10代の若僧でいたいんだが、、、、死んでいった親父の年に近づいている。
ちょっと読んでみたが、60年代のにおいプンプンで、どこかの大学で学生闘争でもしてないかとTVを見たくなる。当時の若者はみんな何かに怒っていた。国に、アメリカに、ときに親に、そして学校制度そのものにも。学生は学ぶことが本分だから、いろんな文化を学ぶ。社会主義に啓蒙する奴もいるし、日蓮宗に感銘を受ける者もおり、化学を否定する輩がたくさん現れる。彼らは基本議論好き。大学にでっかい看板立ててがなり立てる。学生の頃、うっとうしいからできるだけ避けてきたがたまにあんまり声がでかそうでなく、自分の主張ばかりする雰囲気で泣ければ、話をしたりした。たとえば、
”あんたの話だと絶対的な存在を信じて、その先に光明を見出すのがあなたの宗教観なんだね!”
”でも、絶対的なものってホントにあるのかね? 神とか仏とか、、、。絶対的な存在を仮定しそれにすがって生きていくのは確かに楽だよ。だから鎌倉仏教はあんなに大衆に広まったんだ。ただ
南無法蓮華教 南無阿弥陀仏 南無南無南無
南無ってさけんでおけば悪いことは全部自分のせいではなくなるんだからね。
でも、ニーチェは神を殺した。そして超人を語りめざした。ここには絶対神にすがる気持ちは全然ないよね。自治独立し、みづからの責任ですべてのみづからの行いや考えやそのたもろもろのことどもを全部処理するのが本当の人間、自治独立した精神を生むのだよ”
こんなけ適当なことをぶつと相手はだまってしまった。あんたの意見はと振るとなんかしゃべりだしたが、さっき看板の前でしゃべっていたことと何ら変わりない。
”いや、あんたの主張はわかったから、俺の意見に対するあなたの考えを言ってよ。”
やつはもごもごいいながら、要領を得ない。
しばらくすると、奴は言った。
”あなたほどよく考えておられる方と初めてお会いしました。勉強になります。”
こちらはそんなこと聞きたいわけではないのだが、これ以上言っても回答は得られないので、適当に挨拶して帰る。とかく宗教が勝った奴は他人の意見に左右されやすく、ちょっと説得力があるようなしゃべり方をされると途端に陶酔してしまう。利他主義なのだ。だからわたしが適当なことを言っているだけなんだが、それに変に感銘を受けてしまう。おそらく彼をこの宗教に導いた男は中身は違うが私のような理論を展開し、ときには相手の意見を聞き取り込んで適当なことを言ったのだろう。自分で適当なことを言っていることを認識しながら回答している奴はきっとワルだ。しかしもっと始末の悪い奴は自分の言葉に陶酔し、いつの間にか自分で自分をだましていることを忘れ、それこそ真理に到達したと錯覚する奴だ。無限連鎖思考の先に光明を見出しただけだ。たいしたレベルではない。そしてへんな新興宗教が生まれる。多くの若者が傾倒することがある。知識層と思われる奴らも結構参加してしまう。要するに時代が閉塞し、多くの若者が息苦しさを、社会の汚さを実感したときに 間が忍び寄るのだ。 聖飢魔Ⅱ。 オーム真理教が社会を揺るがした。大量殺戮、地下鉄サリン事件。世界的にも例を見ない高度な戦略的テロがこの日本で起こったのだ、起こしてしまったのだ。平和ボケ日本だから起こったのかもしれないが、、、、。化学屋であるどんがらは一応サリンの製造法をしらべてみたりしたば、こんなことはとても書けない。みんからの投稿規定にも引っかかるだろう。
あれから15-20年。日経平均の急激なあげは収まり、沈静化の兆し。おおくの素人投資家が政府の後押しもあってデビューした。彼らの多くは逃げおうせてはいないだろう。このまま日本経済が停滞から右下下がりに長期的に移行したら3年後くらいから徐々に社会に不満が充満してくるだろう。そのころにふたたびリーマンショックが起こったら、似たようなゆさぶりを受けたら、日本経済は阿部さんの努力もむなしく ブラックマンデーを迎えるのだ。そして 狂乱の売り。多くの素人がなけなしの資産を失う。生活保護では生きていけない。そのころあらたな宗教がRELISIONが口を開けて待っている。獲物がかかるのを、、、、、。もう、地下鉄テロはごめんだぜ。検察も最大限の監視を怠らないだろうが、でもオームはやりやがったのだ、、、、、。
時代は常に繰り返すとひとは言う。似たような状況を繰り返すのだ。そのスパンはときに人を混乱させるが、澄んだ目で見れば その流れがわかってくるものなのだ。と書くとなんか宗教が勝ってきたのでやーーーめた!
そう 寺山修二の言うように 書を捨て、pcも捨て、変なことを考えるのもやめて、町へ、村へ、公園へ、スタバへ、青空の下へ、スポーツジムへ みんな出かけよう。
ブログなんか書いてる場合じゃーーーーーない。
どーーーんん がら
Posted at 2013/08/18 08:53:38 | |
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