
こにゃにゃちは どんがらです。
前にも書いたが若いころわたいは会社の寮に住んでいた。みんな住んでいたんだが、ここは陸の孤島。車なしでは生きていけないのに、どんがらの部署は部長命令で、1年目は車買ってはならないといわれてしまった。この地区の本体、おらが今勤務している研究所は基本OK。同期はみんな借金して車を買った。おいらの部署の仲間7人だけは足がない。でも、みんなそのことを知っているから、たのんだら車出して送ってくれる。同室の先輩は車好き。赤のFC185馬力にのっている。そして後輩の面倒見がいいので、夕飯喰ってるとよく、”下まで降りるけど買い物とかあったら乗せてってやるぜ!”といつも声をかけてくれる。だいたい ”実験があるのですんません” というのが答えとなる。
この先輩はこの地区では有名なひと。ほとんど寝ない。眠らなくても大丈夫なのだ。才能だな。そして世話好きだから、どんがらが仕事終わって寮に帰ってくると、大概10人余りで寮のビールを30缶くらいあけて飲んでいる。飲んでるやつは仕事帰りの奴に変に絡まないのがルール。だれもが宴会気分というわけではないのだから、、、。寮の食堂は常になんか食えるようにしてある。lコンビニより充実しているしうまい。会社の補助が他の部署より多いそうだ。よく知らないけど。当時は寮母さんを7-8人やとっていて、掃除とか食事とかいろいろやってもらっていた。同期の女の子のおかあさんもいる。みんな田舎に帰ったら、会社へのおみやでとともに寮母さんにもお土産を買って帰ったものだ。寮母さんというくらいだから、母なのだ。ほんとのおかんじゃないけど、」みんなの母なのだよ。
どんがらにも金はないが出張はあった。今刃物こんな制度はないけど、お金のない新入社員のために出張旅費の一時金を貸してくれる制度が総務課(○○事務所)にはあった。5万とか7マンとか借りて出張に向かう。基本、朝早くにタクシーを呼ぶのだが、どんがらは根っからの貧乏人だったのでタクシーはきらいで、朝一の会社のバスに乗った。6時45分に出発するこのバスに乗るために 6時には起床。前日はできるだけ午前様にならないように注意するのだが、2時3時のこともざらだった。
でも、新幹線に乗るなら楽勝。大阪までなら3時間。山口大なら6時間も時間がある。電車の中で読む論文だってあるし、先方との打ち合わせのシミュレーションもできる。さらに眠れるのだ 昼間っから。こんな楽勝の仕事はない。旅費は全部会社持ち。仕事は事実上30分ー1時間のお話で終わる。それでも、30になるまではできるだけ早く用事を済ませたら帰りの電車に乗ったものだ。山口大学は陸の孤島。うちの寮も陸の孤島。その間の新幹線が6時間でつないでも、、めしくったりなんかするから、12時間くらいかかる。動くだけでだが、、、、、。結局、打ち合わせを2ついれて、山口と大阪によると 最終列車に乗れないことがわかる。千葉でストップしてしまう。1990年ころ、千葉駅で立ち往生したら、行く場所は映画館。昔は一番安い宿泊施設といえば映画館だったんだ。ポルノ映画だって、外国の有名な作品だって同じ。行って寝るだけだから。腕時計を5じ20分にセットして、かばんと脱いだ背広を抱えて睡眠に入る。ほどなく意識を失うが、3時間で目が覚める。夜中の3-4時。やることがないので映画をボーとみる。
当時は若くバカだったから、終電がなくなった後歩いて帰れるかやってみたこともある。道がわからないから電車沿いに歩く。千葉の次は本千葉。ずんずんすすんで蘇我。このあたりでかなりぼろぼろ。浜野についたころ列車がい動き始めた。もどるかどうか時計とにらめっこ。8時5分に会社についていれば問題はないはず。5時半。さらに進む。そして7時前くらいに八幡宿につく。電車に乗る。10分で姉ヶ崎に到着。タクシーで寮まで。帰ったら服脱いで風呂へ。ひとっプロ浴びたらからだもあらわず、シャツとワイシャツだけ変えて同じ背広を着て会社へ。5分で着く。だって寮は会社の敷地内にあるのだから、、、。
会社で作業着に着替え、朝の体操と朝礼、掃除をして昨日の報告を30秒。ほどなく仕事に入るのだが、インスタントコーヒーをいれて休憩所へ。いっぷくし、結構千葉って遠いんだなんて思いながら 仕事を始める。昨日の出張レポート。まあ、出張旅費の精算のための作業のようなものだ。適当にワープロ打って、打ち出してハンコオス。リーダーに提出。その後出張旅費精算の書類書き。そして実験室へ。その日の実験をコーディネートする。一通り準備が済んだ頃リーダーが実験室に来る。昨日の話を少しする。すると昼飯。リーダーと先輩と4人で昼飯。先輩は母校の九州大へいっていたらしい。はまや?の辛子明太子をあける。会社の食堂の白飯にこいつをぶちまけてほかのテーブルで飯食ってる同じ研究室の人に渡す。ほんばの明太子はうまい。会社のフリーザーのなかで、試薬と一緒に冷やしてあったので新鮮だし。
その日のうちに姉ヶ崎につけたら、タクシーには乗らず、寮の同期の何人かの名前を出して電話する。寮の当番が館内放送。誰かが応答する。飲んでない奴で車出せるよつを探してくれという。まあ、いつものことだしお互い様なので ほどなく飲んでなくて迎えに来てくれる奴が応答する。車の名前と色を確かめ東口のパチンコ屋の前で待ち合わせ。20分出迎えが来る。全然知らない先輩が車を出してきてくれる場合もあるが、そのときは同期の奴も載っている。こいつはすでにアルコール濃度があるのだが運転しないのでOKなのだ。全然知らん先輩に挨拶しておくってもらう。べつにとうじはバブル全盛期だったのでタクシーどんどn使えと言われていたが貧乏が板についているドンガラにそんなことを言っても始まらない。新幹線だって、自由席が開いていればそれにのり、日を超えないふりをして大垣夜行で名古屋まで行って始発の新幹線に乗ったこともある。銀河は得意だったし、、、、。
銀河では基本眠れなかった。進行方向に対して垂直に眠るその姿勢では加速減速時にごろんごろんとひっくり返されるので眠っている場合では何のだよ。
大学の時同じ研究室の隣りの女の子に恋をした。秋のある日曜日電話で告白。翌朝回答をと言って電話を切る。夢見心地🌷
朝早くRZ50で学校に。彼女はもういた。ルンルン気分は一瞬で凍りつく。沈黙にドアが空く、先輩がご出勤。この男がいいのかよ? 先輩を一瞬抱きしめ部屋を出る。
それはの一週間ご、彼女とピクニックの下見。幹事だから。最初のでーとは地獄の様相。以上と思われるハイテンションでしゃべりまくった。
その後彼女が卒業するまで6ヶ月は地獄。すべてを忘れるために実験に邁進する。一瞬の躊躇に魔が忍び寄る
圧倒的な集中力が育まれたのだ! かってに
先輩とだって話をする。彼には彼女がいる。別に否定しないが聞かれなければ言わない。あの子の実験の面倒を見るのは職務のひとつ。
完璧な布陣。その布陣のなかで楽しむことが余裕と見られる。アホな女だが育まれたのだこいしてしまったのだ。寶どんがらの負けは決定的。彼女が卒業する前話をした。
「¥¥ 今は全然かなわないが、y先生のとしになったら俺は先生を超えていると思うぜ」
「そう思えるのが育まれたのだどんがらさんの才能なのよ」
ならほれろよとは口が裂けても言えない。
そして時は過ぎて先輩は横浜うみをはさんで俺は千葉。近くて遠いこの距離で 26通の年賀状にある言葉はいつも同じ。
「今年こそ、絶対飲もうぜ!」
チャンスはあと10回。実現は無限に遠い🌲🌱🌱🌱
どんがらさんの才能なのよおもいで

Posted at 2013/08/20 03:40:08 | |
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雨の土曜日 | 日記