
わんばんこ 今日も飯がうまかった どんがらです
キョウ、駅で募金を募っていた。暑い中、子供達が募金箱を抱えて、よろしくおねがいしまーす とかわいい声で言っている。お母さんが背後に位置する。何の募金かわからないが、福祉関係みたいだ。福祉の充実はある意味社会の成熟度を現しているのだと誰かが言っていた。そらそうだ。余裕が無ければたのひとに社会的弱者にほどこしを与えることすらできない。
こどもたちはきらきらした目で訴えかける。女の人が募金箱に小銭を入れる。多くのサラリーマンは出社に忙しい。それどころではないのだ。どんがらも見ない振りして駅の階段に逃げ込む。別にこちらはなんら落ち度があるわけではないのだが、ちょっとこころにひっかかる。きっと、良心とか言うもんがどこかにあるのだろう。もう忘れてしまったが。
募金するこどもたちのお母さんはいったい何を考えるのか?暑い中、子供達を鍛えているのか?こどものころからボランテイアの体験をさせることで豊かな人間性を育もうと言うのか?それとも、教育に実践的な行為を盛り込むことで善行に寄与する自分を演出し、それに酔って会館をむさぼっているだけなのか?
社会的弱者のために募金活動と課するやつを見るとけっこう虫唾が走る。ほんとうにその行為を正当化したければ、他人の金なんか当てにしないで、募金活動の時間を吉野家ででもバイトで過ごし、そのバイト代をだまって自らがよいと思う社会事業に投資すればいいのにと思うからだ。自分で汗かかないで、人の懐を当てにするのは、畜生道なのだ。自己満足かもしれない。鬼畜につながる行為。
こんなことを書くとやってるやつに総攻撃されるのかもしれないが、そんなやつらには負けない。社会貢献なら、正当な形で働いて帰している。おまえらなんかよりよっぽどいっぱい貢献してるんだから、批判される覚えはない。こういうやつらにこんなことを言っても理解しない。企業は搾取する巨大権力だと思っているやつもいる。そんなやつの理論は全部稚拙で聞くだけ無駄だ。高尚さのかけらもない。頭でっかちの妄想。
実践こそがすべてさ!
政治家は常に雄弁で、猛々しいが、うっとうしい面もある。例えば 民主党のおっさん。
政治は自己責任
結果のみで評価されるべき
わたしが政権を取ったら、こうこうしあんたよりよっぽど良い社会を築ける
みんな言葉でしかないのに、、、。一時政権をとるために民主党はなりふりかまわぬ戦略に出た。美辞麗句のオンパレード。自民党からの実行不可能性の議論などどこ吹く風で、吹きまくっていた。停滞した世の中が自民党政治のせいだと関連付けられ、そして政権交代。民主党には実践の力がない。言っていたことの責任を追求する自民党。オフェンスはいつのまにかディフェンスとなり、そして何も実行しない。実践しない。
Can you do it!!!
You can not do it!
何もしないできない民主党に一気に失望感が広がる。社会は次の選挙まで耐えなければならない。そしてふたたび政権交代。新しい自民党に追い風のように 日経平均の上げが起こる。なぜおこったのか?証券会社の担当は
”実力よりもかなり下回った評価を受けていた日本のマーケットが正常な状況に移行しているのです”
とか言う。ほかの銀行の人は
”外国からの資金が日本になだれ込んだのですよ”
戸かとも言う。
でも、どんがらはそんなことを聞きたいんじゃない。そんなことなら 23時のニュースで飽きるほど聞いた。聞きたいのは実践に持ち込んだやつ、行為そのものなのだ。ここまでゆくと、投資の担当者も口をつぐんでしまう。まあ、リーマンショックすら回避できなかった無能な集団だからこの程度なのだ。どんがらには一応思うところがあるが、それを証明章とは思わないししたいとも思わない。しかし、やつらは日本経済全体に確かに仕手をしかけて、スライトリーに退場していったのだ。残ったものは確かに回復した日本経済の実力なのかもしれないが、そこへ移行する段階を利用して静かに大胆に投資し、もうけて資金を回収して言ったやつらが確かにいるのだ。結果、おおくの素人に近い大衆が資産を失った。カレラのなけなしのお金は 投資集団に蹂躙されてしまったのだ。弱肉強食の世界。強いものだけが生き残る、それが経済。政治は福祉を盾に法律を武器として経済に攻撃を仕掛ける。そしてアベノミクスとか言うへんな 政治手法がいろんな本でいろいろな視点で解説される。凶器の宴の始まりなのだが、、、資金はもう引き上げられてしまったのだ、、、、、。
アベノミクスの先に増税が用意されている。増税のためのアベノミクスだという視点でも良いかもしれない。もう、日本人の重税感はかなりのもの。定量的には、一般大衆が収入の30%を超える税金をとられ始めると社会に不安が蔓延し、ひとびとは働く気力を失ってゆくといった学者がいた。大衆とは誰かが問題なのだが、大学出の税金はこのレベルに近い。もっと出世したやつはさらにいっぱい税金を払う。よりおおくのひとびとはまだここまで納税しなくて良い。各層のひとびとを同時に満足させるような政治手法はきっとない。大きな流れができたら、適宜修正を入れるしかないのだ。これが現代社会の政治のあり方なのだよ。だぁから阿部首相がいくら2%インフレ誘導とか言っても、所得倍増計画の前には色あせてしまうし、平成の高橋是清?とかもてはやしてもぜんぜん威力はないのだよ。そう、日本はすでに文明国家、発展途上国ではさらさらないのだから、その全体のパイはそんなに急激には伸びないし、下がってゆく勢いも結構きついはず。
それでも、投資の本には過去100年に及ぶアメリカ市場の右肩上がりのグラフがかかれ、どの時代のどの時期に投資しても50-60年すればリターンは確実なんだと評価し、だまさないためにこれは過去で未来ではないことをことさら協調する。
ウオーレン・バフェットは世界最高の個人投資家。彼は有望そうな企業をみづから足を運んで納得いくまで観察し、一旦決めたら一気に投資しまくる。かぎりなく1ドルに近いその企業にビリオンダラーが投じられることもある。潤沢な資金は企業家の実力が試される最高の合図。彼の実力が、世間を見る目の鋭さが、冷静な判断力が問われるのだよ。
そして、バフェットのかぶは何十倍何百倍さらにさらにさらに、、、、。資産が増えても彼はあんまり打ったりしない。投資資金がショートすればうるのかもしれないが、もうそんな心配すらないだろう。はじめはokane no
ために行っていた投資が あるときから若手の育成へと変わり そして社会貢献ともなり ときに資金運用で福祉に寄与したりする。手段が目的に変化したのだ。逆も真なり。こうやって バフェットの投資は私利私欲から社会貢献へと変化し、そして福祉となる。高度化していった成熟した社会のようなもの。
社会を導いてゆくのが政治の責任だが、使命感がときに逆の結果を生む。社会は本質的にカオス。カオスを制御仕様としてもそんなことはできない。重要なのは自分が実行しようとしている行為が 微妙なバランスの上にあるのか どっしりとした基盤の上に立つのか 見定めることなのだ。その嗅覚は政治家に必要な資質でもあるのだが 本当に鋭いやつはどれくらいいるのか?どんがらのめはくもっている。闇に支配されているから 巧妙が見えない あたらしい政治的スターがわからない。だから、政治不信となり、遠ざかってしまう。大衆なんてこんなものだ。
どんがら
Posted at 2013/08/23 20:39:12 | |
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