
おはようございます。蒸し暑さの残る晩夏の郷愁。きょうはたのしいお休みの日 HOLIDAY!!!
クラウド・アトラスはシャウイイツキー(ちゃんとかけない)兄弟の新しい?作品。NEOを主人公に商業的にも大成功した ”マトリックス” シリーズを作った兄弟のあらたな創造。彼らは最新のVFX技術にロープアクションを加え、独特のアングルからありえない攻撃のシーンをいろいろ描いて 世間をあっといわせた。カレラの描くSFはなんとなく物悲しくもありせつなくもあるが、NEOはつねにすごく前進的でかっこいい!まあ、カヌ。リーブスは立っている出家でもかっこいいので 反則なのだが。
マトリックスシリーズは最初の作品で一気に成功を収めた後、つづく2作品の製作が決定し 彼らはそこに新しく詳細なマトリックスのイメージを投影した。このシリーズは他のSFと大きく差別化しているものは恐らく、いろんな視点で看て楽しむことができることにあるんじゃないかと思う。前節のように かっこいいアクションシーンに感動するのも良いし 静かに根底に流れる監督たちの思考を全体のシステムについての各種せりふ(預言者、設計者、プレーヤー)から類推するのも面白い。圧倒的なリッターバイクの機動性も楽しいところだし、長剣を振るう闘いに武士道も見え隠れする。
ここではどんがらなりのカレラのシステムについての感想でも書いてみることにする。
預言者のおばちゃんはネオを導く存在。予言するのだから。これは先読みのOSシステム。次の一連の処理が逐次的で行うべき従来の方法のほうが早いのか、並列処理したほうが効率的なのかを もっともすくない手数で予想し MPUの動作を決める系。この手数が多いのなら意味はない。並列化の威力も半減してしまう。時間の使い方を考える時間がたくさんかかってしまっては意味が無いようなものだ。
ネオは導かれて、設計者(創造者)にあう。かれはシステム全体を把握している。もちろんその限界も。そそして言う。
”マトリックスには停滞から脱却するために アノーマリー(ノーマルでないもの) を必要とする。だから、定期的に一部の人間を生き返らせ財音を組織し預言者をいざない行動を起す。ネロは7回目?のネ路なのだが過去のネロたちの行動をこのネオに伝える。そして 新の真の芯のメサイアが現れたら それは ソースに帰る という”
ソースすなわちマシン語に翻訳される前の人間に扱いやすい形のコードのことだが、ここなら修正は容易で、あらたな機能を取り込ませることができる。WINDOWSでは多くのソースコードが公開されており、いろんなひとが独自にアプリケーションを開発したりすることだ容易に作られている。アップルはユーザーフレンドリーなマンマシンインターフェースを標榜するので、ソースコードは一部の開発者に限定公開される。しかし、これはインサイドマッキントッシュにもその後かかれるので、最新のOSの変わった部分でなければ わかっているやつにはこれでプログラムを書くことができる。敷居は高いが、、、、、。
アノーマリーが系全体からの異分子がソースに帰ることによって系は新たな段階に移行し、あたらしいマトリックスを形成する。進化するAIの概念、みづからの設計図を内包して自動的に新しいハードを組むと言う自動進化機械の概念に通鶴と思う。
そして、ネオはめしいためのまま かの上の愛に包まれて ソースに帰った。恐らく彼のアノーマルな能力とともに マトリックスは新しい愛を受け入れたのだろう。愛は無限のバリエーションがあり それは解析的に分析できない 複雑性の第三段階を超えるものかもしれない。こういうもののプログラミングは一様でない。ひとつのやりかたはニューロマシンなのだが、まだ人間にヒューマンの次元をマシンかするだけの技術はない。だからSFで絵がけれるわけだが。 たとえば ”AI" 天才スピルバーグの表現?
エバンゲリオンでもやはり中心的な柱の一つにいろんな愛がある。親子の愛と断絶、少年の肉欲的な愛 少女の愛 神の使途のぜーれの愛だってある。人工進化研究所で冬月らはゲンドウをいざない 進化を推し進めるが プシュケはデジタル化できないとりつこが嘯く。かくしてYUIがミヅカラヲ実験台としてテストに挑みかえらぬヒトとなる。帰らぬ妻をとりもどすために ゲンドウはあらゆる手を使う。禁忌にだって手を出す。その原動力を見定めるゼーレ。それをも逆読みし利用するゲンドウ。
かつてわたしにエバの解説を聞きにきたおんなのこがいた。結論に固執していたみたいなので、庵の秀明とか 貞本義行とかの思考についてちょっと解説し、やつらは最初のシリーズで時間が無かったから最後めちゃめちゃなシーンで分裂するしんじくんが強化され洗脳される姿を描きさいごのさいごにきれいな女の子にひどいことを言わせた。描いたのはこれだけだったが ある意味プロとしては失敗したんだが、この状況と生まれた人気を逆手にとって 最大限の商業的成功を得るために とった手法が 2001スペースオデッセイ のやりかた。結論を言語で述べず 映像で心象づける。その解析は視聴者にゆだねるのだ。得られたTVシリーズの人気が多くの視聴者の創造を書きたて、ネット時代の今 ネットでいろんな議論が行われる。背景を調べて本を書くやつの出る。そして最初の映画シリーズ。結論を得ようとみんなが映画館に足を運ぶが、TVシリーズで明かされなかった疑問にいくつも回答がよせられるが、皆が安心し映画が終わりかけたとき 波打ち際でアスカが混乱を呼び起こす。次への布石なのだが 視聴者はふたたび混乱の中に放置されてしまうのだ。
作品の中にさまざま投影されるギミック。コードウエーナースミスの人類補完計画、アダムやりリスそして使途、セントラルドグマ(ワトソン クリック)、人工知能と3人の母(マルキューレ???)、ひとの発生杯の初期携帯のようなアダム、ガイア地球を想起させる巨大化したレイ、無限の再生能力をもついるかがおのエバシリーズ(5,6,7,8,9、。。。。。)。カバラ神の古代の神の姿。死海文書。死んだ南極海。光の巨人。かぶとをかぶるエバ初号機。ひとつめのゼロ号機。赤い2号機。黒い3号機。姿さえないままS2帰還の暴走でなくなってしまった4号機?秘密結社。ネルフ。シュテルン。ドイツ。ナチ。、、、、。そして 生き残ったみさとさん。
くらうどあとらすは 展開の中に時空を取り込んでいる。時空を超える進化や知能、同時性、近似性、道義性、Synphony synchironasu 調べ 共通認識 根底の流れ 普遍な真理 人の業 クローンの悲しみ 機械の悲哀 シックスセンスの憂鬱 トムハンクスの怒り そして 兄弟の観念
時空を超える作品でどんがらの印象深いものは 手塚治虫先生の 日の鳥シリーズ。ここにいつもそんざいする猿田彦こそ猿田博士こそ 共通概念 トムハンクスなのだよ。もちろんその演出はまったく異なる。手塚先生の描く時空と ショオウイツキー?兄弟の描く時空は異なるが 根底には哀痛鶴ものがあり これはきっとユングの集合無意識ともつながっているのだろう?言語を超えた比較論の中に人類の共通項が見えるのだ。禅の概念も 真言密教の境地も 日蓮宗の競技にさえ インド文化の中にも そしてしらないけどメソポタミア文明や中国文明、アフリカの人類萌芽にだって きょうつうするものはきっとある。
それを現代的にいかにかっこよく重厚に最大限の技術を利用して映画にしたかが問題なのだ。これこそが兄弟の境地 オリジナリティーなんだ。
映画館で見なくて良かったと思う。つたやで借りたブルーレイをもう一回見よう。そしてなお疑問がいっぱい出たら 買うことにしようか?
映画はおもしろい。 さあ、書を捨て 町に出よう。映画館だってあるぜ! どーんがら
Posted at 2013/08/24 08:50:26 | |
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