
おこんばんわ どんがらです。
家の中を駆け抜ける強い風が 台風一過を想起させますが 基本朝以外ほとんど降らないという雨台風。じゃ 雨台風て何だ?
風のイメージで ひとは バイクを語ってみるが 実際に走った奴にはそんな感想はないようだ。大気は巨大な壁。ヘルメットあおられたら 首がいかれる。空気の流れをひとは肌で感じるが 単車にのってるときは 涙ちょちょぎれる。シールドをしめると これは収まるが 今度は自分の吐く息でくもってしまう。仕方がないので シールドを少し上げる。空気が通り抜ける、めがねによって整流されるこの空気流は ふたたび目のひょうめんを乾燥させ 結果更なる水分を要求せしめる。どうやったら なみだちょちょぎれないで 走れるのか????
むかーしむかしのことじゃった。冬の寒いさなか 夜中に長野から東京へ。コックローチ1号は駆けていた。となりは後輩のK。金がないので拘束には乗らず 下道を、、、。国道20号線はそのまま薄い峠を通って皇居の正面までつづいている。しかし いまはまだ山の中。前方30mに白のカローラ。豪快にくだりの高速コーナーに挑んでいる。ショックが沈み込んでいるためか古いのかみょーにロールが大きい。ふらふらしたラインどりだが アクセルを緩める気配はない。しかたがないので たくさん距離を開けてついてゆくが やつはどんどん加速してゆく。まだいけるかもしれないが 宵闇の中 路面のあんじゅーれションと風によりあおられるコックローチ。怖くなってきたので アクセルを加速からエンジンブレーキにきりかえる。うーーーんとうなりながらZCエンジンは1600ccの4気筒の制動をかけている。前方の山肌がゆらゆらしたやつのライトで照らされている。地元なのかやばい奴なのかがわからないが きっと限界はもっと先にあるのだと実感したが それはマシンのそれであり 自分の限界はもうきているのだ。限界を超えるのか 超えたのか で全然違う。意図しておこなう ドリフトは自分で制御できる しかし 意図しないドリフトはマシン任せ へんにコントロールしようとしたらスピンモードに突入する。しかし ほんとうにうまいやつはスピンモードすら 速さにつなげるようだ。おいらにはとてもまねできないが。
減速したマシンの中でKと会話した。
”人間の能力ってどこまであるのかね?よく TVなんかで似非超能力者ってのがスプーン曲げたり 透視したりしてるけど サイコキネシスもテレポーテーションもテレパシーも みんなうそっぱちだとおもうけど、でもやっぱり超能力ってあるような気がするんだが。たとえば じぶんより10倍なんでも能力が高い奴が 意図的においらをはめようとしたら 簡単にできるんじゃないかと思う。やつはおそらく 私との会話で 言葉で誘導するとともに 目や筋肉のこわばり 汗の具合 目の位置 そして 呼吸や心拍までモニターして 刺激と応答をフィードバックしていたら 私が考えて出した答えのその先のその先のその先位を読んで 話し始めるとするね。その発言は彼のものだけど 遅れて自分の指向にもあがってくるのでタイミングとしてはばっちりなんだ。内から上がってきたと思っている感情をリアルタイムか数秒前に発言されたら こころを読まれたんじゃないかと思うよね。まあ これが完璧なら 彼の予測能力はこころを読んだといっても過言じゃないので それはもう読唇術をも超えているよね。
でも 具体的に物理的な作用を及ぼすような超能力はおそらく存在しはしない。人間にはそんな能力はない。相手にその能力を見せつけ洗脳することはできるかもしれないが 本当に物理的作用を精神から起こすことなどできないんだ。でも、ユングを読んでると できるのかもしれないとかいいだす勘違い野郎はへんなSFの見すぎなのだが たしかに存在もする。アメリカ人はどうやら UFOとかオカルトとか が非常に好きな国民のようだが その根底にはもちっろんキリスト教原理主義があるとも思うが 大衆はようするに夢を見たいのだね。現実のきびしさは生活の中に山のように蓄積していて 社会システムへの不満は爆発寸前。ガス抜きのためには 超常の能力はとても魅力的なんだろうと思うんだが、、。
臨死体験を超能力にむすびつけるやつはいっぱいいるけど これはあきらかに間違っていて ちゃんとした臨死体験は医学的事項なのだから 変にあつかっちゃだめだ。それはイメージ。死の恐怖が演出したそのひとのイマジン。でも よく幽体離脱に結び付けられる現象は その個人の体験から生まれないんじゃないかという議論もあるけど 別に病院のベッドなんていっぱいあるし 鏡に映った自分の姿なんか 幼少期から歳をとるまでやまのように自分のクオリアに刻み込まれているんだから 極限状態で これらのクオリアが同時発火し 小脳と大脳辺縁系があたらしいイメージとしてのクオリアを再生産したら 俯瞰的に自分をみている自分が 浮遊した位置から自分を見ているような 創造(想像) も おかしいことだとは思わないんだけど。
こんな感じで議論を適当にいわゆる詭弁論理学的に進行させてゆけば いつか 物理的現象をも精神で制御できるという妄想もわいてきてもおかしくない。ただ 普通の人はそれが想像の産物だと分かっていて 現実だとは決して 混同しないんだが、、、。
かつて大友克洋は マニアックなファンは大勢いても そんなに売れる漫画家じゃなかった。世間への社会への政治への不満をアイロニーたっぷりにわざと汚い印象の絵に昇華した作品群が彼の持ち味だった。昔は、、、、。
そこで何をどう思ったか知らないが 童夢 が描かれた。極めて精緻な絵に 抜群の状況設定 そしてストーリーテラー、、、、、。大賞をとる。話題は話題を呼び かなり売れた。この作品は ネタバレ承知で書くと
普通の巨大な段違いの一角。引退した小さなご老人と かわいい女の子との お話なんだが そこに超常の能力が加わる。老人は歳ととおもに子供に帰っている。遊び好きのこの老人にある 能力こそが問題で いろんな事故がこの団地で起こり始める。警察が調査しても なにも出てこない。そらそうだ 超能力で追い込んでいるのだから。老人のひそかな楽しみに気付いたのが 主人公の少女。ちょうど 腕白坊主に怒りを見せるちいさな女の子のように この老人に対峙する。そして 団地の大爆発。老人の能力が5Fの各戸のガス栓をひねらせ 充満した都市ガスに 誘導したせけんからいつだつしたおっさんのたばこがいンかさせた。
壊れてしまった団地から少女は家族とともに引っ越してしまう。老人の勝ちか? しかし 段違いの公園 おおくのこどもたちが遊び奥さん方が世間話に花を咲かせている中 決意の少女はブランコに。ろうじんは自分の部屋で宿敵が来たことを知る。対決が静かに始まる。
”ぼこっ”
”ママー ぶらんこの鉄柱まがっちゃったよ!”
”あらあら そんなのまげちゃだめでしょ、、、、。”
数度の差し合いののち 老人は胸に手をやり 静かに 引き取った。
おそらく新聞にも出ない老人の死。独居老人が心臓まひで死んだだけだが なぜそうなったかは 検察官にはわからない。心臓に異常な跡が発見されるのかもしれないが それを説明することなどできない。 これが あるいみ 完全犯罪 こどものケンカ クラス委員と悪ガキのやりとり なのだよ。”
晩年 アシモフはその作品の中で脅威の洞察力を持つ少女を 研究員の娘として描いた。読唇術をはじめありとあらゆるバイオモニター能力を持つと想定されたこの少女は ほとんど超能力者なのだが その内幕を賢い学者たちには話して聞かせる。利発なのだ。学者たちも顕名だからそれにこたえるが 言語表現の限界だってちゃんと理解しているので そのすべてを理解できないこともしている。そんなすごいやつがほんとうにいるのかどうかわからないが アメリカの教育制度の中には5歳とか6歳で大学の数学をマスターするものもいるらしい。彼らは 大学院生といっしょに抗議を受け 博士論文を書きながら 帰ったら砂場で友達とも遊ぶ。数学はノーベルが実業ではないからとの理由で賞を与えなかったのだが フィールズ賞があるので それはそれでよい。数学は基本的に思考の産物なので その才能は言語の認識能力ができ始めれば同時進行で湧きあがり始める。凡庸の人たちはその意味を理解できないし数式との兼ね合いもわからないが それがわかるものがではじめる。積み木で1から10まで順番に並べていたら 一気に 無限代数(10の72乗)までのすべての整数がイメージできる子供もいるのかもしれない。彼がもつイメージの力が現代数学の数式と結びついたとき 凡庸のハーバード大学の教授には思いもつかない 恐るべき数学体系が顔を出すのかもしれない。凡庸と言ってもかぎりない秀才である教授には有史以来の概念から現代のすべての数学体系を逐次投手つできるだけの検索能力がある。それでもわからなければ 古い論文を一生懸命探す。すると いつか彼の新しい発想と似た近い発想の論文にたどり着く。その論文は大したものではないかもしれないが 彼を理解する助けにはなる。そして 彼をどう誘導したら あるいは どう教育したら すごい結果になるかを予測し 実行してみる。 結果は神だけが知っているのかもしれない。
宵闇の中 ひとののうりょくについての ひとつの考察 ONE OF THEM ですらない。
どおおおんがら
Posted at 2013/09/16 21:14:13 | |
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