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2013年10月07日 イイね!

IN far east asia , I think that Who you are! or who I am no who am I?(21)

IN far east asia , I think that Who you are!  or who  I am  no  who am I?(21)おこんばんわ どんがらどす

 マッコレー教授の命により 自分の人生で
仕事のほうがについて 書いてみる。

 おいらのオトンは 大阪府警の巡査部長。昭和30年代 クルマに乗りたかったが高くてかエアない。どうやったら車を運転できるかを考え 当時の社会システムを考え いろんな職業を経験したあと 生涯の職業として 大阪府警に入庁したらしい。のちに聞いた話では 若いころの仕事はパトカーで警邏すること。毎日 管轄の範囲をいろんな道をゆっくりゆっくり走り 交通の流れを規制するとともに 周囲で犯罪の棚が無いかを見て回る、基本2人体制だが 運転は主に若い方の仕事となる。毎日4-8時間 おなじようなところをぐるぐるぐるぐる走る。クラウンがベースのときもあるが 日産のときもある。重いクラッチを踏みながら 抜群のソフトさで ギアを繋ぎ できる限りショックをかけないように 速度を極端に押せえて 絶対に事故は起してはならず 誘発してもならず 回りのクルマを制御しながらも 道行く場所で 路地の裏で 喧嘩してないかかんししながら ゆっくりゆっくり 滑らかに走り続ける。

 これが 親父のs職業。一種の運転技術の最高峰なのだ。

 おかんは おいらのクルマに乗ると 怖いと言う。スピード違反じゃないかとよく言う。自分では 目いっぱいゆっくり走っているし 安全にも配慮していると思うのだが 親父の走りとは雲泥の差なのだろう。親父は運転がうまかったのだ。
 親父はクルマ好き。スバリスト。戦中の中島飛行機のころからのファンで 隼がお気に入りだった。シラン駆ったけど 葬式のときに来た始めてみるおっさんが 親父は頭がよかったと言っていた。戦争中から共産主義を勉強しそしてその魔を理解し嫌っていた。もちろんプロパガンダに影響されていたことは否定できないが それでも 18の親父はおやじなりに理解し 共産主義はけっして資本主義には組しないしまた凌駕しないことを認識していたのだろう。
 マルクスよりもアメリカなのだ。だから マッカーサーのことは一種尊敬していたようだ。日本を打ち負かした戦勝国アメリカなのだが ロシアの横暴を許さず戦後の日本を導くために 原爆を落としたあの米国を それでも肯定していた。そんな親父は昭和20年8月6日 19歳で海軍に所属していた少年兵は 呉(広島)でいつものように塹壕を掘っていた。すると 一瞬周囲がものすごいひかりにつつまれた。なんだろうと周囲を見渡していた数秒後 ”あつい!!!” と感じたそうだ。エノラゲイの投下した新型爆弾は 呉の山からもはっきりときのこ雲を見せつけ 熱風の衝撃波を伝えたのだ。
 親父は31年後 眼を発病した。ヘビースモーカーだったからその営業は甚大だとも思うが 若き日の暮れでの経験についてそのえいぎょうをひていするこたなど どんな学者にもできないし m、あた肯定することも同様にできない。

 60歳で1年半の地獄の闘病生活の間にも 広島のぴ課ドンのことは出てこなかった。すでに発狂していたがそれでもぴ課ドンの営業だと言ったことはない。ひとは 市に及んで 走馬灯のように 自分の過去を思い出すという。親父が死んだ11月6日に彼はなにを思い出したのだろう。親父のしには直接立ち会えなかったが 1時間後学校から 親父の愛機レオーネ(AT)を飛ばして 病院に着いた。病室で一人になったとき 親父の顔を見てみると まるで生きているようで 今にもなんか話しかけたら答えそうだったが 穏やかな目をみていると こちらの心を見透かされているようで ドキッとしたので 静か人目を閉じてやった。その姿は 眠っているようで こんな穏やかに南無っている姿は 生きているときでさえ見たことも無かったので あれだけ長く苦しんだにもかかわらず 最後は 穏やかに入寂したのだろうと創造したものだ。

 親父の仕事はおいらの経験ではないが もっともベースとなる仕事の素となっているだろう。

 おいらの仕事の経験について書いてみる。

 初めてちゃんとした労働で金銭を得たのは高校1年生の冬。郵便局の何賀状配りだった。そののち高校2年生の熱休みと冬休みは 酒屋の配達で過ごした。稼いだ金で買ったのはタミヤの1/12のF1シリーズと1/6バイク。こいつを毎日作っていた。色塗って 出来上がったら 適当にショーケースにぶち込む。作るのが好きだから できたのを干渉したりしない。このころのタミヤのプラモデルは芸術品とおもわれるほどの精巧さで F1マシンのエンジンを部品までかなり正確に忠実に再現していたし 当時ほとんどカウルなど無かった バイク のエンジンもさらに忠実に再現していた。いろぬらなくったって十分ディスプレイに耐えるほどのものだったのだが おかんに毎日のようにシンナーくさいといわれながらも つくっていたどんがらは 色を塗るのが以下に下手で 何度も塗るから そのうち 部品のエッジを溶かしてしまいせっかくのフォルムを台無しにしてしまっていたことを 今にしてみれば 思ってしまう。

 小学生から中学生にかけてブームとなった スーパーカー。かっこいい イタリアのマシンを見るために万博会館まで長蛇の列を並んで みたものだ。カウンタックの直線的なフォルムに感動しつつミウラの丸っこさにも憧れ ベル利ネットボクサーの「美しいフォルムにも見入られ そして デイノのセクシーなラインにも感動した。しかし モビーデッィク(ポルシェ935)の速さは別格 市販車ではない。レーシングマシンのなかでも極端に強くそして速い。ポルシェ独特の出目金をも取っ払った こいつのリアタイヤは極端に太い。おいらにとっては史上最強のポルシェなのだ。

 国産では やはり圧倒的な迫力は フェアレディZ。240ZGのGノーズに憧れ Zの系譜となった2000のコンパクトさに ヨタ8やコスモスポt-ツそしてホンダS8 以上のすごさを感じたものだ。そして 究極のZ。L型をとことんまで突き詰め ソレックス3連想 DOHC 4バルブ 初代ハコスカGTRのその強力なユニットを よりコンパクトなZに収める。恐ろしいほど長く感じるフロント部分は 直列6気筒を納めるための必然。4気筒で3キャブ2カムだから NO は必然となった。

 フェアレディ Z432

 もはや 自動車博物館でもほとんど見られなくなったこいつは いまどこにあるのか?仮想状態のものがあるのか世話からない。まぼろしのS30???

 大学は機械化を目指したが落っこちてしまったので 化学科に入った。就職するとき 自動車やさん 当時も伸び盛りのホンダにしようかとも思ったが 本田は基本バイクやで 自動車は 大衆車しかない(多少の高級車は時々歩けど トヨタや日産もしくはメルセデスやBMWにはとても勝てない)。自動車や三位就職したらそこの会社の車に乗らんと遺憾と漠然と思っていたのだが 、、、。だから おいらは燃料屋さんにした。しかし燃料作ったり潤滑油作ったりすることにはあんまり興味が無く 当時大学で学んだ バイオ技術の部署にこだわった。就職の予備面接のときに この会社のいろんな部署のヒトと話をし それでも頑としてバイオにこだわっていてそれでなきゃ就職しないと頑として言い続けていたら 山の中の研究所に逝けといわれた。タクシーで2500円あまり。もう帰りの新幹線を考えたら1時間も入れないのだが そこで全メンバーが集められて話をした。おいらの研究は世界初のものだとぶちかましてやったら そいつは齟齬いという人がいたと同時に 特定の分野の特定の領域については確かに層だが 一般的には完成された系をと亜rんじす田に移しただけだとも言われた。アウソロミセスラモサスぺるおきしだーぜをしっとり人がいたのには驚いたが 狭い業界だからみんなしっとるんあだそうだ。

 その日 ここが 生涯にわたって 主に働く陸の孤島になるとは思っていなかったのだが 結果そうなってしまった。

 室長は同じ時期に転勤してきて 私が配属された8月にはあたらしい室(課)ができていた。このおっさっは悪名高き石油タンパク組みなのだが 会社人生のほとんどを潤滑油ですごしたおやじで 頭が悪い。博士号を九州大学でとっとるんだが 無能なのだ。一瞬でその無能さをうらんだどんがらは 逆らいまくっていた。言うことをことごとく否定し地震の無能さを思い知らせてやっていた。ときどき怒り心頭となったが 気にしない。わしにひはんされたくないならもっと頭使えと思っていた。あんなんが課長だったらいまえdもおいらのほうがうまくやってやると進入サインのはねっ帰りは思っていたものだ。しかし 翻ってみると そのご15人くらい直接ついた課長でおいらが技術的な意味でおいらより頭がきれると思った人は一人もいなかった。それぞれの「ひとがそれぞれいろんな経験の中でいろいろ考えそして信念に従って行動し結果を得て そして課長となった。考えても迷ったときは 初代のおっさんの言葉を思い出したりも下のだろう。はじめて このひとは いい人だと思った人は 最初のPJ解散後 半年だけついた課長(このおっさんはのちに研究しょちょうとなった)。分析室ですべての書院と徹底的に話をする。年に2回ある活動目標記録のときに山ほど時間をとって相手が納得するまで徹底する。おいらは基本この話のときにkぇッ仕手妥協しない。最初のあほおやじのときもなんどもリターンマッチしてやったが あいてはあきラマが速いので勝負にならない。
 転属して最初の半年で おそらく10セットx2時間くらい話をした。夜の夜中になることが多かったが おいらが妥協することは無いが この親父もがんばる。夜中の12時になっても のみに行こうとはいわず 明日があるからj今日はここまでにしようといってスケジュールを確認し 明日6時半からリターンマッチと約束する。そのうち この親父はおいらを説得しようと言う感じが無くなり自分の経験をいろいろ話し出し そしておいらの経験を丹念に聞くようになる。いつしか 年も忘れ 上下関係も無くなり おらの考えを丁寧に聞いて学ぼうと言う姿勢が強くなってくるように感じる。だんだん 相手もいまの自分の悩みを私に打ち明けるようになる。

 ある日 7時からのお話のことだったので 仕事終わったけど オアシス(ワープロ)に向かいその昨日を研究しながら適当なフォーマット(分析報告書)を作って遊んでいた。そこにちょっと疲れたような顔押しておっさんが戻ってきた。つらそうだったので ”今日はお疲れのようだから お話はまたにしましょうか?” といったら いや 約束だから今からやるよ という。

 そして 会議室へ。

 いきなり切り出してきた。

 ”わたしのISO関係の仕事を所長は一切評価していないことがわかった。”

おらにはその意味は良くわからなかったが とにかく所長には自分のやりかたが評価に値しない仕事だとひょうかされてしまったことがわかってしまったようだ。落胆していることはわかるので なぜか相談しているはずのおいらが 相談に乗っている。別に聞き役に回るのは苦痛ではないので 適当に相槌打ちながら話を聞いたなあ。その後この親父とはロッカーが近かったから 帰りに時々あってひとこと 朝あって途中まであるくとき ひとこと。中央研究所の所長になってからも 帰り道であったら話をした。いろんな話をべつに虚勢をはるでもなく 教え諭す用でもなく ただ 素直に私に報告してくる? 立場がぎゃくじゃなーーーいとか思うが面白い話しがいっぱい聞けるので たのしい。あるとき ヨーロッパに新型樹脂の売り込みに逝ったらしい。BMWにいったとき こうぞうざいとして クルマのボディーを鉄ではなく+ティいくにしたいといわれたらしい。これはすべての自動車会社の彼岸の一つでもあるのだが テスト的にボディーを作って胃看るといろんな不具合が生じるらしい。例を挙げれば ドアを開けておいておくと すくにしまらなくなるらしい。ドアの品時がついている部分はいくらッ分厚くつくってもの プラスティックではクリープ(応力緩和)で不可逆的にひん曲がってしまうのだ。エンジン内部には 構造材でなければ いろいろ使われている。値段がはるスポーツカーなら 高価なえんぷらも使えるが 大衆車ならPPアロイで作るしかない。PPのガラス転移温度には当然限界があるから 熱を逃がすために無機物を大量に投与し 熱伝播が早い領域を 分子的に早世することを狙うが 技中t開発には時間がかかる。同様に 構造材を作れればやまほど売れることは必然なのだが 世界中でこれに成功したものはいない。そこへうちの新型エンプラを持ち込んだのだが 可能性を英語(ドイツ語?)で追求されたこのおやじは

 ”まかせろ!  ”

That’s OK。 とか言い放ってきたみたいだ。飛行機の中で自分の英語力の未熟さをうらんだかもしれない。やると言った以上責任が生じるとも思いつつ とてもできそうにないともあきらめただろう。帰ってすぐに帰り一緒になった。

 ”どんがら やっちゃるっていいはなってしまったぜ!”

 ”えらいこというてきましたな。まあ あんまり気にせず 担当者におはなしすればいいんじゃないですぁ?”

とか面白半分に無責任一大男は言い放ってやった。

当然だが結局この夢の自動車ボディのための構造材はまだない。こんご100年の歴史の中でできるのかもしれないし あたらしい声望技術ができて プラステkllクと鉄の融合されたボディの一体成型が市場コストの範囲内でできるようになったとき BMWの新型Z4(5か6か7か8か)シラン は 究極の軽さを手に入れるのかもしれない。すぐにVWが メルセデスがついづいすることとなる。ポルシェはこの新型技術をレーシングカーに取り込むのだろう。新しいモビーディックが生まれ それはおそらく フェラーリに負けないし 新参者の枕ー連を凌駕し 耐久レースでアウディを倒すのだろう。トヨタでは決して勝てない今年の強いアウディ。しかし ぽるせのいない耐久の舞台では メルセデスの天下だが りょうしゃがいるとき アウディは勝てない。ほとんど職名。そして マックイーーンのころから ポルシェのライバルはいつもフェラーリ。赤いフェラーリと白いポルシェの一騎打ちが ルマンで繰り広げられる。前年度チャンピオンのジャガーなど全然ついていけない異次元の速さ。ハイブリッドシステムから トータル電気自動車となっているかもしれないが ポルシェとフェラーリの走るルマンでは メルセデスも BMWも アメリカンも VWも にっさんなど とよたなど あとかたもないのだろう。

 それがいつなのかどんがらにもわからないけど いつかふたたび そのときのトップドライバー同士のラスト40分の全開バトルが 死ぬまでに看れるかなあ?

そのためなら 不可能と言われている新規樹脂の構造材への開発においらの残りの人生をかけても良いような気もする。 これがきっと モチベーション。 仕事をするための原動力なのだ。 ポルシェを勝たせるために 最高の潤滑油を 2期がけのためのスペシャルな合成潤滑油だって同時に作っておこうか?エンジンが9000回転まで回るなら タービンは25000系点以上回さんといかん。IHIのひとと共同研究船といkann.うちはゴムが苦手だから そっちは国内なら石橋さんか横浜さんにお願いして ダンロップやぴれリーさんはおいらが何も言わなくても勝手に屋ッとるだろうから まあ ほっとこ!

これが じぶんをふりかえったときの 今思いついた おいらの仕事のモチベーション 世界戦略なのだが  

 明日は明日の風が吹く

どんがら妄想の果てに ポルシェがフェラーリに勝ったら ターボ買お!  かねがないいいいい。

PS)もうそうはたのしいなああああああ
Posted at 2013/10/07 03:24:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 雨の土曜日 | 趣味

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「シェルビーさんが2019に出す新型 SSC TUTARAだって!

1247kgで1750bhp 何じゃこの数字は?

飛行機より H2よりすごい馬力荷重じゃあない?

500km/hくらい出るのかなあ?」
何シテル?   08/28 11:52
dongara1963です。よろしくお願いします。  元企業研究員。専門は分析化学。大学では 固定化酵素電極センサーの開発を担当  早期リタイア中。...
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