
おこんにちわ どんがらどす
今日も運動からだがだるい。昨日は水泳 今日はジム。根性出して 今日はまた水泳。でっきるかなでっきるかな ぱらぱらぱぱああ。
スタバ市原店のウインドー越しに見えるのは車の列列列。この地区は今年満を持して一気に開発が進んだ市原市の中心部。駅から約1kmから2kmの地域に それなりにでかい公園(上総更科公園)とK’s電気ーTSUTAYA精文館―スタバの地区 そして 緑のホームセンターー靴屋ーPC屋 の地区 それらをつなぐ最後のピースとして 約4km西にあったイトーヨーカドーが移転してきたARIO市原で構成されている。
中央の新しいARIOの直近の駐車場は満杯だと皆考えているので その前後にある二つの地区に車殺到 そして いま 周囲の道路を囲むように車が数珠つなぎで 押し合いへし合い。こりゃ 歩いたほうが速いし 自転車ならなおするどい。基本 土日の午後なんかはぜんぜんだめだから 来るなら 平日7時ころとか 土日なら 朝10時から なんかがいいんじゃなああい。そして 寒いけど健康のために みんな歩こう。走ろう。車でなく自分の脚で、、、、。
ホワイトなんちゃらテリアくんが 外につながれている。店の中を何度もじっと見つめて 吠えている わんわんわん 。かれは 飼い主を読んでいるのだろうが 中は超満員。飼い主は珈琲買うために並んでいるのだが そんなところまで 理解できる犬はきっといない。やつはいっぱい着込んでいるからさむくはないだろう。雨が降らなければ。わんわんいうと 体があったまるからさらに良い。腹も減るし。
薄暗い16時 空が一面灰色の雲に覆われている。ところどころ太陽が差し 青空が見える。
下は灰色で上が白 その雲の上に さらに 青空。比率が奥ゆかしくていい感じ。
飼い主が戻ってきた。40前後のパーカーきたトレーニングウエアのお兄ちゃん。頭が短いが黒いのでまだ若いのだろう。ホワイトくんは落ち着いて そこらじゅうを見回し おちついたのか 足元に伏せをして待機している。犬が 飼い主に忠実で 常に飼い主を求めてやまないのは その先祖である狼とその部隊との関係をいでんてきにのこして来たからだと伝えられている。狼の群れではリーダーは絶対で リーダーに従うことを喜びとする性格が群れを統率させる役に立つのだそうだ。その性格を基本強化して改造されてきた犬は 神の形態 あるいは ダーウインの呪縛を外れて 人間が最初に改造してきた 生命体なのかもしれない。1万年から100万年以上にも及ぶ人間と犬との共同体生活はそれゆえに犬を人為的に改造することを余儀なくし 同時に 人間もその影響を受けているのだろう。高度に分化した現代社会では 必ずしも 仕事のアシスタントとしての彼らの役割はほとんどなくなっているが 忠実なしもべとしてのペットは ひとびとに 癒しを提供し 子供たちに兄弟を そして 時にはみづからの人生をかけて子供たちに教育を施す よき先生として 今でも 重要な役割を果たしているのだろう。
わたしのまわりだけかもしれないが 女は基本的に犬のようだと思うと書いたら いっぱいおこられそうだが まあ いいか。彼女たちは 基本いぬより猫が好きなことが多い。この辺を指摘すると たいがい 犬も好きだというが 最初に話に出るのは大概猫だ。猫は犬に比べて 唯我独尊で 人の影響を受けにくいと考えられているが 飢えたときには遠慮なく人間によって来る。しかし 腹が満タンの時は ふらふら出歩いて いつ帰ってくるのかすらよくわからない。彼らは飼い主に帰属しているのではなく その地区に帰属しているので むかしは 飼い猫は近所の人からどこそこ家のねこだとの認識のもと たの野良猫と同様にえさを与えらていたりした。そういう集団にもボスがいて たいがい強いのは野良だが 恋愛も自由で 雌猫は時々はランで子供を産んだりしていた。そこで だんなが忠実にこどもたちのめしをはこんでくるのなら ほとんど人間と変わらないのだが そこはそこで そんな忠実なオスはいない。利己的遺伝子の描象ではオスの戦略は従来どうりで歩いてできるだけ種をまくことだが 雌の戦略は より強いオスの遺伝子をまぜた子供を作り それをそうでないオスに共同で育てさせるという方法が現実的で実用的だという。そこには 愛がありそうだが それはみづからの遺伝子を後世により強力に伝えるために行われる行動なので 雌が浮気をするのも必然で道義的なのだそうだ。
こういう形態のもっとも顕著なものとして オシドリで有名なとりさんの一族がいる。昔からの観察で鳥さんは常に夫婦で子育てをし だんなも卵を温めるメスや生まれたばかりのこどもにせっせと餌を運んでくる善良な夫だとおもわれてきた。しかし あるメスどりは 夫が刈りに出かけている間に より強いオスのもとに出向いて短時間で子供を仕込み帰ってきて そして 定説な妻を演じたりするのだそうだ。
他方 カッコウはその托卵において 顕著なわざをつかう。彼らは むくどり?が卵を産むのを待っている。観察により 生まれたことがわかると なぜか メスどりはそこに卵を産み付ける。生もうと思うというでも生めるのかい なんて 思ったりもするが さらにすごいのは たまごだ。
ひとつだけ巨大な卵をむくどり?は丁寧にあっためて孵化させる。その生まれるまでの日数がむくどりよりカッコウのほうがはやいところがみそだ。生まれたばかりのカッコウのひなはすでにムクドリとご部の大きさなのだが むくどりは餌を与えるために刈りに出る。そこでカッコウのひなはなんとむくどりのたのたまごを巣から落として割ってしまうのだ。ようするに自分が生き残るためにより有利に成長するために 兄弟?を殺してしまうわけだが それが生まれたばかり~できるので その行動のもととなる活動は遺伝子に組み込まれているのだと考えられているわけだ。
このようにしてかっこうは自分の労働を使うことなく ムクドリに自分の遺伝子の伝達の作業をただで移管している。遺伝子に刻まれた 愛情に関するものについては いろいろ 恐るべきことがある。
しかし ダーウインにして 生物進化が 神の御業だと思わせない行動がある。
じが蜂?は 巨大な芋虫(昆虫の幼生だ)に卵を産み付ける。卵は芋虫の中で孵化したのちその体を食べて成長し その後体を食い破って 外に出る。それは変態のときで 芋虫の体のないぶからもぞもぞと出てきたじが蜂の幼生がそこで変態し そして飛び立ってゆく。食い破られた芋虫は絶命し 命を落とす。彼はじが蜂に子供を産みこまれた瞬間から その子供を成長させるためだけに生きることが許され その肉体を喰い続けさせることだけが使命となってじんせいをまっとうすることになる。
ダーウインは極めて優秀な観察者だから 芋虫から出てきて飛び立つじが蜂 その遺伝学的醜悪さをみてとって どんなに考えても こんな機構を生物の中に 絶対善である神が 仕込んでいるはずはないと 確信したそうだ。
他の生き物に寄生し その肉体を利用して変態し続ける生物兵器という概念は 映画エイリアンで描かれ さいきん プロメテウスでその大本が明かされた。同様のきたない描象を下手な漫画ですプラッタ的に描く漫画家もいっぱいいるが 彼らもカモの御業でこの世に生を受けたようには見えない。
というようなわけで ホリデーで2時間近く運動した疲労がだいぶ回復してきた。おいらの体の中にいる共生微生物君にも栄養が必要だ。免疫系をつかさどる先兵たちも休養しただろう。だから これで外的(風邪のウイルスとか インフルエンザさんとか、、)の攻撃にも耐えるように 彼らを元気づけることにしよう。
朝はインド風スパを200g位喰った。昼は マーボー麺。 さて 次な何を喰うか。共生微生物たちが欲しているのは何だ。おそらくエネルギー源としての糖 構成材としてのタンパク 脂質は内部蓄積物を使うことにする。
というわけで 飯くお。
そのあと休憩したら、、、、、 プールかな???
今夜はよく眠れるぜ!
健康こそ 人生の楽しみ 生きているだけでは 生きているとは言えない
なーんちゃって とーとろじ 今日は日曜 飲み屋休みだ(ぐすん)
Posted at 2013/12/08 16:45:26 | |
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