2014年05月03日
おおごぶさたぶりんこ どんがらどす
すっかり春が深まり 靴下はかんで 草履でであるけるようになって 爽快な季節となりました。
数日前 20140428くらいか から インターネットエクスプロ―ラーの脆弱性問題がマスコミに流布されあじゃぱということになった。いろんな公的機関や民間の会社でつかわんようにしよう しばらく みたいなああ 報道。というようなわけで おいらは基本あんまり使わんかったので IEの使い方を知らないが まあ 職場なんかではコンピュータの扱いに強いということになっとるのでいろんなひとがどうしたらいいと聞いてくるので 報道の通り使わんほうがいいんじゃない とか 会社の情報システムから使わんようにせよとかいうから やったらいいんじゃないと軽く言ってたら 何時までに取引先の何々さんに連絡せんといかんのだけど というと 電話したらいいでしょと答えると 電話番号知らんという。名刺に書いてあるんじゃないと聞くと どこかにあると思うんだけど どこにあるかわからんという。ほいじゃということでわたしが普段から使っている いくつかのブラウザを紹介したら インストールのやり方がわからんという。そこまでいくともう私じゃなくて情報システムに電話してどうしたらいいか聞けばいいんじゃないということになるのだが 電話つながらんという。さあ ここでわたしはどうすべきか?
彼の理屈によれば彼の仕事は会社のマストだから 今つながってる私のコンピュータを貸せということになる。するとわたしは仕事できなくなるんだけどというが優先順位は彼の仕事が高いのだという理屈だそうだ。なんでそうなるのというと当然だというのだがはたして、、、。
まあ 普段からそれなりに仲の良い人でそれなりにいい人だと思っていたら まあしゃーないなということで 貸したげることにもなるのだが そこまでするのはわたしのしごとのMUSTを超えるというとかりだすあほがいて そのまま立ち去ってしまう。
さて 問題点はどこにあるのか?
わたしが彼にこの点を指摘するということはできない。対策はいろいろで
(1)彼が自分で問題を解決できるようになるべきという視点からは わたしのように会社の方針に従ってブラウザはIEを使うというルールを曲げてでも 普段からほかのブラウザも使っておくのが良いと思うのだが まあ 当然のように彼にはそれは却下される可能性が高い。
(2)すると 名刺の整理をして日頃から万一の時はその顧客の電話番号が自分の努力の範囲で独力で探し当てられるようにしたらいいんだと思うという話をすると まあそうだ 今回の件でこのことに痛感したのでやるよという。がたぶん再び問題が起こったらやっていないことは明白だ。
(3)ならば コンピュータを配布して仕事を効率化しようとしている 情報システムに こんな人がある程度どの職場にもいると思うんですがという話をしたら オンライン教育システムがあるのでそれをMUSTとしているのだから知らないというのは言語道断だという話になる
まあ ほかにもいくらでもいろいろ考えられるのだが それを考える時間コストとかが面倒なのでやめにして気にしないと まあ多くはないがあいつは冷たいとかたのんでも助けてくれないとかいう話になることもあるようだ。ふーーーん という感じ。まあ 人がどう思おうが結構どうでもよいのだが たまに あほみたいなボスを仰がねばならないときもあり そういうときに職場の問題点として一方的に主張するものからだけ意見を聞いて わたしにそういうときは丁寧に対応するのが社会人としての務めだというようなことを言ってくるくずがいると 殺したくなる。
さて わたしはどうすべきなのか?
まあ ワンパターン法でいけば 自分の権利と義務論からのやりたいことをやろう的発想になる。
多重対応型の方法論をとるなら 相談してきたやつといろいろ話をして説得し やらせるようにもっていってやらせるということもできるけど まあ ひとりやふたりこうすると 何人もきたらとても対応できないので これもすぐに破たんする。
結局 ミッション によって対応は変わるのだが 自分のためにはどうすべきかということを推し進めると動かないのが良いという結論はすぐに得られそういうスタンスでいるひとはたくさんいる。
テーゼに対してはつねにアンチテーゼが提起されるように 二項対立の先に答えはない。問題はどんどん根源論に還元され そもそもシステムの完全性はどうなのかという問いにはゲーデルが答えを提示している。無駄な努力に終わるわけだ。
では そこで停止するのか?停止することを非難するつもりはないが どうしたらいいかわからないときは とりあえず行動するのだ。わからんとこをいくら考えてもわからんし 問題が自動的に答えを決定不能にしているのなら考えるだけ無駄なので まあ考えないでいるのが正解だけど すると暇になったりするので 運動するのだよ。行動するのだよ。
2-3日前 アウトデラックスというダウンタウンの矢部君と巨漢マツコ・デラックスさんが司会をするバラエティに養老猛先生がでていた。そこではアウト君とかいうひとがいるらしく まあ 悩む若者の象徴として番組に出ているみたいだったけど 彼の悩み相談を先生がするわけだ。その青年はいろいろ話をして問題点をあげると一瞬のうちに的確なアドバイスを楽しそうにする先生。いくつかの疑問に対して答えるとともにその論理構成の問題点を提示したり その解決の具体例としてじぶんのようにしたらいいんじゃない と答えるわけだ。2-3の質疑応答ののち 最後に解決不能の問題を提示したアウト君に先生は自分で問題を解けなくしてるのだから前提としている望み何かをあきらめないといけないよというと 彼は 丸め込まれているような気がする といって カーテンが閉められた。
すでにマスメディア(TV)が広まって50年とかもっと長い時間が過ぎさり 議論は進行し 社会は進歩または変化してきた。その中で取るべき対応にみな苦慮している。若者の悩みはつねにその時代の要請と合致しないし それに適応できないものからみれば 問題を提示することになり事故で完結することが求められるが その解決はない。何が悪いのか?
まあ 初等教育から高等教育へと変化するあたり 高校生から大学生あたりでの変化を若者がどう考えるかというところがポイントなのかもしれない。
権利ばかりを主張し義務を果たさない
種をまかずに収穫だけを得ようとするな
権利(収穫)ばかりを一方的に得ることだけを欲するのではなく 種(義務)をまけ(はたせ)
とかどっかに書いてあったなあああ。
この意味が若いころにはよくわからないのは 簡単に言えば過保護とか言うことになるのだが どうなんしょ?過保護は母親の愛情の裏返しで 本質的な欲求だったりするので それを抑制することはストレスを蔓延させることになる。専業主婦の問題なのだが 独立した女性像を垂範する風潮にはどうしたものかという思いもある。積極的に男性社会に踏み出そうというムーブメントに動かされたひとびとは働くことで社会に進出し義務を果たして収穫を独自にえて 権利を主張する。そこでは 働くことによって 結婚しにくくなることの対策や 子供を産んで育てることを押しとどめる圧力が働くようで そのための対策を政府は とくにそういう女性の権利問題を中心として活動する議員は推し進めることになるのだが 。働いている間 こどもは施設に預けられる 預けるところを政府が高いコストをかけても実行すべきが男女平等参画社会とかいうものには必要だという意見はもっともだと思う。しかし 現実問題としてはお金がない。じゃあ稼げばということになり ( ここから一気に展開は暴論化してゆくので注意 ) 安倍首相の経済活動の推進の方策としての三本の柱論から科学技術振興政策へとつながる。あたかも この二つの政策方策を同時に解決した象徴的答えとして STAP細胞問題があるのかもしれない?
意図しない結果にたいする責任はどこにあるのか?それは社会にあり 政治にあり 権利の主張にあり そして平等性に対する答えにあるのだ。男女は平等であることが確かに重要なのだけれど それは 何の前に?法の前に?神の前に? 、、、。
ならわれわれはどうすればいいのか?
まったく別の話としてマンションの管理人のおばちゃん このひとはおいらのファンであるときすごい勢いで迫ってきて
”STAP細胞はあるのかないのか?”
と質問された。
だんだん面倒になってきたので この話の続きは、、、、、。
なすがまま きゅうりがぱぱ
どほんがら おあとがよろしくない すんまそん
Posted at 2014/05/03 10:46:41 | |
トラックバック(0) |
雨の土曜日 | パソコン/インターネット