2014年05月07日
おっはよ どんがらです
今朝久しぶりにスタバの市原店に来てみたら ここでWiFiがつながらなくなった。この壁を超えるのが現在常に私の前に降りかかる。まだスタンドアロンのPCを使っているだけだったころ 座って電源入れたらシステムが立ち上がりすぐに仕事が始まれば高い効率で仕事ができるので有効だった。ところが立ち上げてネットにつながらなければ仕事にならないように徐々に会社のシステムが移行してきたのでパソコン立ち上げてもネットにつながらないと意味がなくなってきた。いつものように朝会社に来ていつものように立ち上げたのに問題が発生した場合ネット管理者に連絡して状況を説明してもなかなか問題が解決しないで1時間もすれば 当初の予定が全然くるってしまう。効率化のために立ち上げたツールが思うように動かないということはそれまで予定していなかったことが起こることでありそれを防止するために必要なことは その技術にたけたものが必要になるということなのだが それを一般にネット管理者とか言うことになる。
しかし常にユーザーの立場でいて仕事の締め切り時間が迫っていると焦らない人はいない。そこでそのいらいらをネット管理者にぶちまけるあほうとか若者責任論を語りだす奴にはすぐに周囲が納めさせることになる。何が問題か。ネットストレスとかいうやつか?じゃあ使わないほうがいいのか?そこで論理を進めてはならないのだが焦った若者にはその自制が聞かない。使わんと仕事にならない、、、、。
本音をぶつけ合うことは確かに必要で全然やらないとストレスはどんどんどこかにたまってゆく。たまったストレスは個人の中でそれぞれがそれぞれの方法で消化することを要求されるのだが その辺のことが若者にはわからない場合が多く 平等論とか公正さを時始まるともう これ以上やるとなぐるぞということになる。
問題はどこにあるのか?
いろんなところに終着点を作ることができるが より根源的な議論のためにはまさに親が子を静かに諭すような態度が重要だけれど それが何度も繰り返されると いい加減親も頭にくる。日ごろから職場や家庭 コミュニテーとか村 部落 なんかが楽しい雰囲気でいることが大切だというところに決着させるのが わたしは すきだ。
わたしが入社したとき 会社の技術開発の現場には われわれのチーム(室)とおとなりさんの室 そして別系統(社長系統 われわれは会長系統)の現場開発部隊が共存していた。さらに言えばその場所は親会社の中央研究所の敷地の端に作られていた。そして すべての社員はまず独身寮に税イン叩き込まれる。いわゆるたこ部屋だが、、、。
それをどう感じどう生かしてゆくかは個人に帰せられても 人のそれぞれのメンバーの中に内在するものの中にたまったストレスは はけ口を探して右往左往することになり それはとくに憎悪のどろどろした塊となってはけ口を探す。
新入社員として入社した私(そういう意味では大学院を出るまで実家だったので過保護だ)はそこで新任の開発室長と話をすることになる。
室長は開口一番 どんがらくん 不可能は不可能だよね!
なにがいいたいのだ?
以下かなり脚色する
なになにさんはこうおっしゃる "ほれほれ" べつべつさんはこうおっしゃる "はれはれ"、、、
そこで室長の発言が止まる。会話のルールから言ったら私が何か言うことになる?
それをうけてあなたはどう思うんですか?
びくっとしてその人は答える。 僕もそう思う。
沈黙が流れた。
そんな答えを聞きたいわけではないのだが、、、
別の日こちらから話して見る?
あなたはどんな哲学が好きですか?
何々さんのようになりたいと思ったけどぼくにはできないなあ?
しらんがな?
わたしはニーチェが好きだ!あなたが好きなのは???
沈黙
ヘーゲル? カント? ソクラテス? アリストテレス? 弘法大師? 孔子? 孟子?、、、、
沈黙
だめだおいらの負けだ。何も情報が引き出せなかった。
そのうち本社へ毎週月曜日に室長が訪ねて部長と話をすると いつも怒られまくっているという情報が裏から伝わる。何を意味しているかは大まかには分かるが 詳しいことは分からないしそんなものには興味がない。おっさんはそんな私に話しかける?
ぼくはあきらめが早いのかなあ?
(はい そのとおりでございます) とは言えないので そうなのかもしれませんねえ と答える。
そして次の面接の機会にことは起こった。
一方的に話をはじめ論理を展開してゆく室長。なにも聞いていない私。なんかおかしいと気づいた彼はいった?
どうして何もしゃべらないのかね?
しゃべったら殴りたくなるからです。
いやいやいやいやいや ひとをなぐっちゃいけないでしょう。
わかっとるからだまっとるんやろが!
面談は終了。憎悪だけが増幅されたわけだ。
ミスターイエスマンには状況は理解できないようだ。
こちらの武器は研究。ごちゃごちゃ言わせないための一撃を仕事で見せつけてやるには結果を出すしかない。しかしそのためには室長の承認が必要なこともいろいろありそのたびに下げたくない頭を下げてハンコをもらっているのだ。人間関係が悪化すればするほどこのストレスは機械ごとに増幅しいかりは頂点へと向かう。これをぎりぎりの段階で押しとどめるものが コミュニティとかいうやつで ぎりぎりまで精神を絞って仕事に集中しぎりぎりの段階で思わず何か言ってしまったら周囲が納めにかかる。その怒りは会社そのものをつぶしてやろかとかてめえ殺してやろかというところまで来るのだが 多くの場合じぶんがかわいくなるので 適当な妥協点へと収束する。コミュニティは多いほどいいし わかりあえる友達はいつも必要なのだが だからこそひとはそれを大事にするのだが 閉鎖された部落にいきなり叩き込まれたものにとっては そのやり用は分からない。
もがきあがく中にしか答えはないのに それをするためにもっともうっとうしいやつの承認を得ないといけないわけだ。
これが あほガキの心理。 一方しか見ていないもののあるいはその傾向が強いものの心理。
ほどなく最初の研究報告書を書いた。それを読んだ室長は みなに どんがらくんの報告書はすごいといいはじめた。いつしか仲間の先輩がそんなこと言っとるよと私に言い始める。何がそんなにすごいのかこちらは分からない。私の部隊は バイオ開発室 というなで 大部分のひとは生物系 理学部生物 農学部農芸化学 水産学部 薬学部 といったところだが わたしは応用化学科分析化学。その研究方法は明らかい異なる。それは 複雑性の差 研究対象に対するアプローチの仕方が異なるのだ。ある意味原理から出発しても 分析化学では回答に個人で到達しやすい。べつの言い方を変えれば 環境を整備して系を単純化しやすいのだが それゆえに回答に到達するのもたやすい。しかし 生き物のことはそういう観点でいえばほとんど何もわかっていないので まずたくさん実験し 統計的に有利かどうかという方向で解析を行うので これらを同時にできない。実験技術にたけたものはプレート(培地を入れたプラスチックのシャーレ)に一日1000枚とかの異なった条件の菌株を蒔いて外から別の菌が混入しないように注意しなければならない。いわゆるテクニシャンなのだ。
他方 分析化学を行うものも 多くは実際に実験するときノートに書いて 何を何倍に薄めて検量線を作るのだからということで電卓たたきてそれにひつようなメスフラスコを用意しビュレットでとって希釈する。しかしこれをどんどん効率化してゆくと そんなことをいちいちノートに書かなくてもできるようになる。なぜならわたしは暗算一級だから。小学6年生のころに身に着けた能力は 会社に入ったころ5級くらいにおちていたが それでも他を圧倒する実力を備えていた。私は質問があれば そのつど頭で計算し それだと 11.5468%ぐらいになるからとか平然と言って議論を進めるのだが あいてはおどろくことになる。そして遊び半分で先輩が電卓をもって質問する 1245x35は 43575。一応検算をもう一回している。同時に電卓をたたき始めた人が あってるはとかいう。それを横で見ていた女の子が2回しとったでしょとかいう。
マンマシンインターフェースの重要性が確認される時だ。
あいかわらずの大風呂敷 広げたのでたたんでみる
(1)最初のスタバの話は まずそれ以前で マンマシンインターフェースの立ち上げに苦労するようになるなら それじたい使う意味がなくなり それをフォローするためにはコンピュータシステムの変化に自分で勉強してついてゆくということが必要になってゆくということで そこを目標により使いやすいマンマシンインターフェースを重要視し開発の方向性として推し進めるのがアップルのやり方だ。
他方 マイクロソフト帝国の変遷はまずデフェトスタンダードとなること。APPLE IIやMICROSOFTのBASICが社会に投げ出されたころからその思想は常に微妙な差として進展してゆくことになる。ハードウエアとソフトウエアのつながりについてもっとも重要な提起をしたのは 間違いなくアランチューリングだ。そこにはテープに記録した計算の手順を彼の提案するハードウエア(電子回路)に読み込ませるという自由度をもたせることで さまざまな異なる計算( 3x5や1284÷12とか)をえろえろとおこないせしめた。
私がはじめてコンピュータを買ったのは大学一年の終わり NECのPC8801だ。
カセットテープに記録したソフトウエアをハードウエアで読み解いて実用的なそれを作る。しかしこの方法はハードディスクの低廉化によって一気に開発環境を一変させ それを手に入れることができるものとそうでないものとの差となって表れる。以下パソコン開発氏みたいになってゆくのでやめ。
(2)次のパラグラフで言いたかったことは 目的をどこにおいて行動するか?ということだ。いきなり入った職場では当時売上7000000/年だったのに10年後には20000000000/年 になってることになっていたのだ??? じゃあどうすればいいのか?おいらにはわからないがおいらはそういうときあがくのだが室長はあきらめるのさ。笑うぜ!真のミスターイエスマンなら部長の言うこと聞いてみづから事業計画を立案して提案しろよ。それがあんたの仕事じゃろ!ということだ。
(3)マンマシンインターフェースの話はひととひととのつながりとか関係とか界面(インターフェース)の問題とある意味対比できる。テクノロジの発展はそのつど若者にあらたなツールを提供しその優れた対応を加速させるとき 老人とは異なる新しい道具の使い方を身に着けた彼らには 老害は決して勝てない。そこをまっすぐつきすすんでとまらないものには それを押しとどめようとすること自体が問題を提示することになり ひとびとに脅威と響く。どう扱っていいのかわからなくなるとき それを抑え込んででもいうこと聞かせるという方策は相手が納得するまで行わないと教育にはならない。しかし しばらくするとそれができないと思ったときから自主性とか言う話になった瞬間あほがきはじゃああんたの立場であんたの仕事でそれを見せてみよということになる。、、、、
そして われわれの組織は私が入社後解体される直前の6年間でとなりの部長曰く 仲良しクラブに見える というものになったのだ。わたしから見ればその部長が率いたお隣さんの部隊は大型コンピュータの開発の方策に似ているような気がした。理詰めでビジネスを展開するために部長は部下にその実力を見せつけ 彼らには一種信仰心のような心が芽生え頑張ることができる。おいらの動機と若いころ話した話なら なんのために君は頑張るのかと問えば 彼はなになに部長の夢をかなえるためだという。うらやましかったね。
明日も天気になあれ!
どぼんがら 自分のばかさかげんを痛感する今日この頃であった
ドン・キホーテって なんで風車に向かって 戦いを挑んでいたのだっけ?
何でも売ってる安売り王のドン・キホーテはなぜドン・キホーテって名前にしたのかな?
Posted at 2014/05/07 10:22:19 | |
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