2014年05月08日
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上記は表題の映画が公開されたとき映画館で見た感想だった。
昨日 TSUTAYAに言ったらビデオがあったんで借りてきてみてみた。
まあ 家の32インチだと映画館の3Dの迫力はなくなるけどそれはそれなりに冷静に見えたりもした。
もう 映画も上映終了したし アカデミー賞も取ったしで ふたたび
ーーーねたばれ ねたばれ ねたばれ 注意 中位 注意 ----
今回見ていて印象に残った最大のシーンは ジョージクルーニーがサンドラブロックから切り離される(みづから切り離す)シーンから、、、。
彼の命を見捨てられないサンドラをひとりでも生き残る可能性が高いほうを選んで水から助かる可能性をほとんど0にしても離れていく判断をするクルーニー。それはそれでその状況でも楽観的であるクルーニーさんはそれなりにすごいのだけれどあるいみ感情を抜いたクリフハンガーの冒頭のシーンと対比できる。落ちたものは叫びながら谷底に落ちてゆく。それは主人公であるランボー男の決断でなく滑って落ちたのだが その原因をめぐって森が足りは展開する。
当然のように落ちたものはもうドラマに戻っては来ない。
クルーニーさんは離れてゆく際にもサンドラを励まし楽観的に話し続ける。そう訓練されているからで それは通信が途絶えたかどうかのテストをずっと続けていることでもありミッションを成功に導くために 可能性を高めるための方法論として最適な方法なのだろう。
その後はサンドラの独り舞台。一人で訓練を思い出しそれを言葉にして自らをはげましつづけながらとまらないようにあきらめないように 振り回されさまざまな物体に翻弄されながら 動き続ける。動き続けて変化する状況の中で変化したミッションの目的 自らが生き残ることを目的とする行動をとり続ける。
そこに突然クルーにーの声。彼はいったん声が途絶えた後も楽観的にしゃべりつづけていたのだ。なぜ通信が回復したのかはわからない。位置取りがうまくいって 地球のどこかで反射するようになったのかもしれないし どこかの衛星で反射してつながるようになったのかもしれないが 助かる見込みがなくなってもクルーニーは訓練道りしゃべりつづけていたというわけだ。彼の言葉に反応するサンドラ。それに反応したクルーニーはすぐに訓練どおり彼女を励ましにかかる。すごいことだ。
これは結局こころ折れそうになって 中国の宇宙船の中で眠ってしまったサンドラの中に幻のクルーニーが登場することへの伏線なのだ。おそらくNASAのミッションプログラムにはそれまでの帰還した宇宙飛行士の経験から心理学的に解析した結果 疲れきって眠ってしまったサンドラの中に 夢の中にすら クルーにーの楽観的な姿が現れる可能性をも高める方法として訓練プログラムjが作られていたのかもしれない?
一瞬先はやみだとか 一瞬の油断が死を招く とかいろいろ言われるが 訓練の先に 判断の速さの重要性がいかに重要化を再確認させられる。もちろん これまでNASAのミッションで死んでいった宇宙飛行士はたくさんいるが彼らも帰ってこなければその経験を次の飛行士に伝えることができない。
ハッピーエンドか悲劇なのかはここで書くことはできない。いくらなんでもそれはこれから見る人には失礼だから。
しかし2001年宇宙のたびが論争の種を深く見たものに提示したという意味で偉大だという手法がスタンリーキューブリックのクラークの演出そのものだとしたら ある意味まったく反対側から描いた最新のテクノロジの進歩を色濃く組み込んで描いたという意味で この映画がアカデミー賞は当然なのだと思う。
てなわけで それぞれの視点でそれぞれの思い込めてそれぞれの人がそれぞれ考える基点として この映画は意味あるものだと思うので
見なはれ
Posted at 2014/05/08 17:23:55 | |
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