2014年05月11日
おおはようう どんがらす 雲一つないド晴天 みなさんいかがお過ごしかね 今日は日曜日明日は月曜日 ずっと続くといつ終わるのかおらは知らん。
すでに言い尽くされているかもしれないが ”種の起源” について考えてみる。
多くの議論が巻き起こされている種として じが蜂さんの生体特に 卵を産み付け帰るまでの姿がきわめて印象的だね。
ダーウインさんはこの様子を一生懸命観察し ”このシステムが神の計画だとはとても思えない” と キリスト教万能の世の中で悩んだみたい。
じが蜂さんはなんとかマイマイ蛾(ええ加減ですいません) とにかく蝶ではなく蛾だ の幼虫にに卵を産みつける。幼虫はいわゆるでっかい芋虫でまあカブトムシの幼虫さんのお仲間みたいなもんかな。産み付けられた卵はやがて孵化し幼生となる。ウジ虫さんのお友達かな。こいつはまず自分の周囲にある豊富な栄養である芋虫さんを食べて成長する。食べられるほうの芋虫さんは生きているそうだ。生まれたてのウジ虫さんはまず芋虫さんの神経系を食べに行く。一部の神経系を食べられた芋虫さんは行動が遅くなり動きにくくなる。苦痛に身もだえしにくくなるともいえる。そしてうごきにくくなった芋虫さんをウジ虫さんは食べていくわけね。
しばらくすると芋虫さんは行動できないから自ら小さくなってゆくと同時に食べられながらも小さくなってゆくので死んではいないようでときどきびくっとするんだとか。そしていつかじが蜂さんは羽が生えて大空に飛び立つ。旅立ちのシーンだ。そこには 死んだ芋虫さんが残される。しかしいっぱいかんさつしていると 飛び立ってぼろぼろの体なのにぴくっとうごく芋虫さんがいたそうな。さらにいっぱい探して見つけた中には 上半身だけさなぎになってお尻のあたりは食べられたけど羽根がはえていない芋虫のさなぎに変態したのとかが見つかりこいつは動いていたりする。だいたいわかってきたかな。
ひとつの命が生まれるために別の命が使われるのだけど新鮮な餌としての芋虫さんは新鮮さを保つために生きながら食われることになる。こんなシステムを考えて作った奴がいたらそれも神の御業と言えるのかなってことみたいね。
ダーウインの進化論には神が創造した設計図は出てこない。
科学だから。宗教じゃないし。
でもダーウインも神の子。神の洗礼を受け聖書とともに育った賢い子供時代があったんだね。
このギミックはいろんなSF映画につかわえていると思うけど おいらに印象深いのはやっぱりエイリアン。最初の奴。
エイリアンがなにものかはちゃんとわからんけど どっかの異性の偉い人が作った生物兵器じゃないという見方もあった。映画ではエイリアンの卵は人間の体に入って成長する。宇宙服だって溶かす強酸と再構成されるシリコン樹脂高分子体をもっているけどそれ以外にもいろいろあるのは何かわからない。最初のエイリアンではこの成長の過程が描かれ リプリーさんは闘いそして一人逃げるのだがそのからだになにかあるかもしれないみたいなおわりかた、、、。
エイリアンIIでは別の星で連絡が途絶えた移植者たちを救いに行くかっこいい戦闘部隊の話となる。そしてエイリアンの巣に入った隊員たちは壁のあちこちに埋められた人間を発見し その中に瀕死の女性にわずかに息をしている。彼女はゆっくりそっとさけぶ
ころして
その瞬間から大きな音。別の隊員がやはり壁に埋め込まれたように休眠していた大人のエイリアンたちがうごめいて銃を放ち始めたのだ。音を引き金にそれまで壁だと思われた巣のあちこちからエイリアンさんたちが起き上がる。状況を察知した隊長は一気に後退を叫ぶが、、、、。
エイリアンはたぶん3,4までつくられ その後プレデタさんとの戦いはどんどん娯楽化していった。
リドリースコット監督にはもともとの最初の人類とエイリアンが遭遇した異性の宇宙船がどのようにその住協になったのかという物語があったのだけれど それは最近30年くらいたってようやく映画として描かれた。最新のSFX技術で
プロメテウス ってやつだ
プロメテウスさんはゼウスさん?に逆らって ひとに道具の使い方や作り方を教えた神さん?みたいだけど それは今様なら技術の神さん。科学的な知識技能をさずけたこまりもののおっさんでゼウスに破門?させられたやつだ。
超知性が進化の重要な場面でひとに知恵を授けたという フィクション(作り話)は 2001年宇宙の旅のスターチャイルドやモノリスとして描かれたのが最初だと思う(映画でだけど)。しかしこの概念だけなら昔からあり それはたとえば西洋の神さんだけど 繰り返されて現代にいたる。
ずっとつづくキリスト教原理主義者と科学との戦いは1990年代の 創造科学論争とか 2000年以降のID(インテリジェントデザイン)と科学者との戦いなんかに見られ いつでもあるようだ。カール セーガンさんが書いてた。
だからこういう一連の流れのやり方を踏襲している 幸福の科学は科学でなく宗教でなんら新しい発明でも何でもないのだけれど 面白いことは面白い。
科学とは何かというと 反証可能性を残すものとか 絶対なものは何もないのだとする とか表現される。その表現のスキを対抗しようとするものはつくのだ。
世界が真と偽だけでできていたら 反証は不可能なんだけど 最低でも決定不能な問題が作れる(真でも偽でもないわからないという命題(問題))ことは 自然数を扱う程度に複雑なシステムでは可能だとゲーデルさんは証明してしまったし、、、。
まとめ
(1)ダーウインさんの進化論のなかで彼が最も悩んだじが蜂さんとその幼生および生きながら食べられていく芋虫さんというシステムは 神の所業とはとても思えないし むしろ悪魔の所業みたいにみえるし
(2)進化論(科学) 原理主義者(宗教)の主張の表面的対立の構図は鼬ごっこになってるってこと
(3)超知性が進化を加速させたりしたというギミックはフィクションでそんな証拠はないけど当然のようにそれがあるとする根拠もないので 創造科学や幸福の科学は科学じゃないってこと IDも
(4)よのなかのこととか万物は あるかないかだけではなくて わからないというもんがいっぱいありむしろその方が多いとおもう。その中には歩かないかがはっきりするものと 決定できないものと さらにはそのどちらでもないもの(この中身はおいらにはわからんほどいろいろきっとある) があるんじゃない。そしてあらゆる大きさであらゆる時間であらゆることがぜんぶわかるわけじゃない。もしわかったらそれは神さんだけど じゃあ神さんはどうやって現れたのかと問いたくなる。
問題を自分で解けなくして その回答を求められても 前提を変えなはれとか言えん みたいなことを 養老猛さんなら いっとたいな。
Posted at 2014/05/11 08:34:31 | |
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