
おはようございます。 どんがら どーす。
今朝も冷たい空気がここちよい 夏の朝の風景!昨日から すこし暑さがおさまっているようだ、、、。海の日くらいから徐々に朝方涼しくなってきた。昼間はまだ暑いが、そんときは会社の冷房の中、従って私の夏は朝と夕方と夜と、、、。だから、昨日から涼しいと感じている 夏なのに 秋の気分。
今朝、いつものように朝の珈琲を煎れた??? スタバじゃないって、まあどこでどう飲もうがとにかく飲むんだから、、。キリマンジャロ:キボー(タンザニア) 深入りロースト。苦みばしったなかにキリマンの芳醇な香りと味わい。Good Taste!
コーヒー豆は、乾燥した地帯で栽培され、収穫され、乾燥され、ずたぶくろに入れられ船で輸送される(今は飛行機ってことはないよね???)。乾燥した地域が適しているのは、もちろん生育の具合もあるんだけれど、収穫した豆を乾燥させなきゃならないので、ある意味必然。というよりも、こういう条件がそろったところに生えていた珈琲の木から、原始人は豆を収穫し、おいしい食べ方を研究し、そして、乾燥させれば保存食としていけることを見出し、さらに保存されていた豆をよりおいしく飲むためには、焙煎(Roast)するのが良いことを思いついた。ジャングルでも 砂漠でも 川のほとりでも 港でも どこでも、自然と火と水と大きな木の葉があれば 焙煎はできる。そして、新しい食文化が形成された(紀元前 10万年-50万年???? かなり適当。)。
だから、珈琲豆は熱い乾燥した地帯で 熱帯性の赤道付近でつくられる(コーヒーベルトとも呼ばれる)。
ローストの原理は単純。固体の豆を高温の水蒸気にさらす。できるだけ均等にすべての豆に水蒸気を包含させる。湿潤させる。乾燥させた豆は乾燥しているので、水分を積極的に吸収する(必然、毛細管現象)。吸い込まれた水分はそこで親水性の骨格や分子をどんどんとりこみ、排除的に油脂成分を分離吐き出す役目もこなす。湿潤した豆の内部では複雑な極性成分のオンパレード。一次抽出。珈琲豆自体のッかたい骨格の隙間も水によって抽出された分子を妨げない。むしろ共雑物をフィルタリングする役目も果たす。内部に抽出されやすいように、複雑な極性成分が浮き出している状態。深入りの準備完了。
珈琲豆の外部(表面)にはうっすらとした油分。それほど多くは無いが(肉じゃないんだから)、汗をかく程度に油分が覆っている。焙煎によって、水相からひじき出された油分(有機相)なのだ。だから 深入り豆の表面はつやつやしている。抽出の際は 水中油的エマルジョンとして 珈琲に取り込まれる。これがアロマを生む。香とコクの正体、、、。
珈琲豆ばかりではなく、すべての食品にはLIFEが宿る。当然だ。すべての生き物が、自然の食べ物を食し、成長し、進化し、食物連鎖を形成し、循環させ、大きなLIFEを形成しているのだから。すべてのひとはつねに罪深い。生きるために 多くの他のLIFEを犠牲にして、殺生して、みずからのLIFEを維持しているのだから。どんなにかっこつけても、紳士織女でも、他の生き物のLIFEを喰って生きていかなければならない。生き物の業。必然。
だから、多くの仏門では、生き物を育て、花を野菜を、、、。そしてときには沢庵(沢庵和尚、タクアン、こうこ)をつけ、おみそをつくる。できる限り殺生を最小限にとどめる。だから、お寺の食事は質素で、薄味だがうまい。恐ろしく薄いお吸い物。肝がクオーター切れ、三つ葉が一枚、味のベースは分析限界値以下。おみそとお塩と?の微妙な組み合わせ。これだけでもバリエーションは無限。食事係の舌がその日の気温や天候、雰囲気を感じ、最適な味を演出している。工業的にこの状態を再現するのは難しい。
朝早くからあるルーティンワーク。作務。庭を掃き掃除し、廊下を雑巾がけ、ひとによっては花も生ける、庭に毎日水の流れを再現する(枯れ山水)。木々を剪定するお坊さんもいるだろう。そして読経。ひととおりの作業が住んだらようやく朝食。朝の作業で活性化されたかれらのバイオロジカルイクイリブリウムオートマティカリーシステムは、最高の状態で、無から有なる朝食へと向かう。無の境地!
極めて微妙な薄味をしたで転がし、ゆっくり着実にGETしてゆく。租借する。
少量のごはんとお吸い物、たくあん一切れに季節の一品、お魚のこともあるだろう。お肉であることはまれだ、地元の人がいのししでも献上してもらわないとたべることもない。やさいの新鮮さが最高だが、ときにはてんぷらにしていることもあるだろう。お豆腐そのものもうまい。ちょっとお醤油たらしてもいい。お吸い物に添えるのもいい。夏は冷奴。冬なら湯豆腐。こんな万能の食材を開発したやつは誰だ。きっと天才。大豆を腐らせるとこんなすごい食品素材になることを見出した怪物。誰なのか私は知らない。きっと誰も知らない。本当のオリジンは、、、。起源のことだよ。
できるかぎり殺生をおさえたお坊さん達は托鉢に出発する。毎日、お寺の近くを何キロも歩く。出合った地元のヒトから施しを受ける。丁寧なあいさつ。皆困窮した生活をしてはいるが、お坊さんにはできるだけいろんな食材を提供する。農家ならあまったやさいや果物、ときにはお米なんかを渡す。毎日たんぼにでているご主人は毎日お坊山用の食材もよういしているのかもしれない。
お坊さんは毎日かんしゃする。リクエストがあればいつでもお経を唱える。その家の仏門に向かって誠心誠意の読経。毎日練習しているから、そののどは鍛えられている。肺活量だってだてじゃない。だからお坊さんの読むお経はいいひびき。男性歌手にもつうずる 低音の魅力。
ガンジーザイボーアsツギョウジン ハンニャハラミタジ ショウケンゴウオンカイクード イッサイクーヤクシャーリーシ、、、、、、
鍛えられたお坊さんの最高のパフォーマンス。だから 年寄りはみんなお寺に向かう。痛い腰をものともせず、高野山に向かう(金剛峰寺)。比叡山にも登る(延暦寺)。東照宮にも行く。伊勢神宮だって面白い。京都や奈良の有名のお寺にも行くがこのあたりはハイソすぎる。観光地化が進みすぎているので上記のような最高のパフォーマンスは体験しにくい。仏教の基本は密教。山にこもってひたすら修行した最高のぼうずだけが到達できる最高のパフォーマンス。
そう、日本仏経の原点は常に 弘法大師(空海)。真言密教を修行するために遣唐使に参加し命がけで海を渡り、そして修行。すぐに最高の弟子となり、最高の密教を手に入れた 天才、怪物。師匠の入寂時にはお葬式を修道した。だれも外様だとか外来種だとか異端児だとか批判したりはしない。こいつはすごい。かなわない。修行した時間など問題ではない。重要なのはその深さ。一瞬で真言密教の境地に到達する才能。こんな天才みたことない。張り合う気にもならない。ただ尊敬し敬愛しそして指導者として迎えることができたことに感謝するだけ。この出会いを仏に感謝するだけ。
真言密教の修行に入って5年、師匠の入滅を処理した後、たくさんの経典をもってふたたび船に、、、。
日本に戻って全国行脚。無敵の体力。各地をロケーションし、高野山に落ち着く。当時最高の京都や奈良ではなく 高野山を選ぶ 空海。
最澄は秀才(能才)。すでにパトロンがいる。でもよく勉強しているから仏門の究極が密教にあることは知っている。そしてそれを持ち帰った空海。最澄(天台法師)はなんども高野山をおとづれるが、空海の回答はいつも同じ。
”真言密教の真髄をしりたければ、山に入れ!”
最澄にはパトロンがいる。そんなにながく 山に入っていられない。すべてを捨てて 入りたいという気持ちがあるが 常に周りのことも考えてしまう。当時のまつりごとをしきる京都の豪族や公家たちの相談を受けなければならない。かれらをサポートしないと火の出国の将来は危険だ。また戦になるかもしれない。心配が最澄をやまから遠ざける。
そして LIFE2。 すべての生き物は常により単純な生き物のバイオロジックを継承している。植物相には酸素を呼吸するシステムと二酸化炭素を処理する光合成のシステムが内包している。一見すると効率が悪いシステムのようなきもするが、そんなことはない。二つのシステムで酸素と二酸化炭素を同時に消費し生産するので、動的状況はフル回転しても、物質収支にはほとんど影響しないシステム。現実には植物相は酸素を多少過大に排出するが、これが地球規模の大気汚染(われわれにとっては浄化)にむすびつき、その後の進化のバライアティの原点となる。
呼吸はATPを消費し、生命活動のエネルギー源を生み出す。
光合成はATPの生産システム。太陽光線を用いたそのエネルギーを効率的に受け取りエネルギー源を生産するシステム。でんぷんの生産。そのエネルギー効率30%にも達すると言う試算もある。熱力学で取り出せるエネルギー効率はせいぜい8-9%。圧倒的だ。電気エネルギーはそれじたい高コストだがえんるぎーの変換率で行けばそれなりに高い。輸送コストも電線でおくればほとんどかからない。
火力発電所や原子力発電所、風力発電に地熱発電、海洋の温度差による発電、ダムによる水力発電、これらについてはまた別に語ろう」。
ライフは生命。その多様性は無限。原理は単純。内部は複雑性の宝庫。プリコジンの複雑性の第三段階。
LIFEについて書くのは2回目だが書けば書くほどつぎつぎと湧き上がってくる。しかたがない。生命は無限なんだから、、、。
エロスだって必然。生命の連関を維持してゆくための方策。自然の要求。欲求。だからはずかしいことはなにもない。それは人間社会がかってにつくった文化とかいう低俗な概念。精神分析の父 フロイトはおおくの患者を独特な方法で治療してきた。最初 枯れの患者は上流階級のご婦人方が多かった。
(症例1)
若く美しい娘さん。寝たきりとなったお父さんの看病を毎日している献身的な子。あるときから うでがしびれて動かなくなってくる。診療におとづれる。フロイトは丹念に問診する。なかなか原因が特定できない。家にもたずねてみる。きれいな大きなお屋敷。メイドさんがなんにんもいるような 上流階級の生活。どこに問題があるかやはりなかなか特定しきれない。もっと具体的な状況認識が必要なため、フロイトは住み込む。一日24時間 患者さんを観察し 問診し 診断する。そして、言動を分析し、時には睡眠術も試みて、結論を得る。もっとも有効な治療法を彼女に施す。
”あなたはおとうさんの看病をするとき、体を丁寧に拭いてあげますね。そのとき 下半身も丁寧に拭いてあげます。でも、それを見るのは不条理なので、見ないようにして拭いてあげていますね。そのときあなたは心の奥底でおとうさんに抱かれる自分を夢想しているのですよ!”
”そんなことは 絶対にありません。私がお父様に抱かれるなんて 言葉にするだけでも恐ろしい。そんな不貞を働くことなど考えることすら不潔だわ!”
ファーストアタックはこんなもの。その後フロイトは丹念に生物のことを語り。LIFEの連関と性とSEXについて本能の面から解説し。ちんぼとバギナの意味を語り。そして、すこしずつすこしずつ 彼女のかたくなな文化的規範を説き解いて より 広い世界観を説いていった。
ほどなく、彼女のうでのしびれはおさまり、治療はほぼ終了。
フロイトは ほんにんが気づかないが確実に存在する 思考形態を発見する。
” それが 無意識 ”
無意識も人間の脳の活動の重要な部分をしめる。そこに無理に文化的規範を適用するしすぎると体調にまで、物理的な障害が発生する。人間のシステム。精神活動は常に肉体の上にけいせいされ、制御し、統合し、受身でもある。フィードバックループが駆け巡る。動的平衡恒常化システム。その複雑性は第三段階。誰もその本質をりかいできない。紙の領域。研究は英語ではResearch。なぜ Re なのか?そお、すでにSearchしたやつがいる。それが GOD! 西洋文明にみゃくみゃくと流れる 唯一絶対神の概念。
フロイトの診断法は 性に傾聴しすぎている家来は確かにあるが、その中から無意識をみいだしたところが彼のすごいところで、近代精神医学の父と呼ばれるゆえん。具体的な症例は参考でしかない。そして現代の精神医学会へ、、、。これについては まだ かたらない。面倒だから。
もう、こんな時間だ。今日は FIT だぜ!
どんがら