
おはようございます どんがらです。
その昔 技術開発の舞台では セレンディピティー というのがはやった。 一つの訳語は 偶然の発見。多くの技術や発見が 偶然によって生じたが それは多くの人の前にあるにもかかわらず 特定の人のまえだけにその姿を現すのはなぜか といった議論なのだが。おおくの有名な学者の発見談から共通項を見出し そのしんずいについてぎろんしただけなのだが まあ 言葉遊びの領域だ。
こういう抽象的な議論は細分化してゆくと たくさんできてくるのは自明。
あるとき 隣の研究室の訳知り顔のおとこが 自慢げに言った。
”カミンスキー触媒なんて 偶然に発見されたんだぜ!”
”実験手順を間違えて 有機アルミに水加えてもうたんだ。間違ったまま気づかずに重合してみたら 塊ができてもた。分析したらポリマーだったんだ。特徴的なポリマー、、、、”
うっとうしくなったので 一撃で仕留めることとした。
”それはちがう。1980年代にフェロセンの3D構造が解明され このあたらしい 芳香システムにペンタセン(5員環 共役2重結合系)が 配位することによって ヒュッケルルールが満足すると言う この3D共役システムについて おおくの有機化学者はその可能性を見たのだよ。 そして、鉄と同様の元素たち 所謂3sと3pと3dが混成する軌道を形成するやつら 遷移金属と呼ばれる元素をいろいろ試してみたのだ。鉄の4つ前 この系列の2番目のやつ が面白い触媒活性を示した。地球上でも容易に回収できるこの元素をイオン配置し、3価と2価を入れ替えさせれば 強い触媒能をしめしたのだ。かぎはこの課数の変化をどのように行うか?定法にしたがい 有機アルミ化合物がいろいろ試された。そしてメチルアルミノキサン。実際、禁水性物質であるこいつに注意深い有機化学者は空気中の水さえふれさせない。しかし おそらく1滴の水滴がくわえられてしまっていたのだ。このミヅはガラス器具の内壁に乾燥不足で残っていたのかも知れない。スパチラについていたのかもしれない。実験者の汗かもしれない?
しかしできてしまったポリマーは現実。先生はおそらくこの学生に徹底的に状況説明させただろう。実験ノートだって詳細に覗いたし 実験器具の配置すら詳細に検討しただろう。天気や気温湿度までも調べたかもしれない。
偶然の発見は確かにそのきっかけとなった行為自体を刺してそう呼ぶが、その状況は必然的に仕組まれたもの。新しい科学の発展のなかで 発見した成果をその可能性の広がりをいち早く取り込んで新たな発見としようとしたトライの果てに生まれたのだ。単に あんたみたいにのほほんとして 新しいことも学ばず いっ著前の議論だけしている人には決してこの偶然は起こらないのさ!
かれは黙ってしまう。
多くの発見はある意味先達たちの世かの上に立つので すべてが見方によってはこの構図に当てはまることとなる。そういう視点に立てば 偶然の発見 自体がすべて必然的に起こった時代の流れなのだが、、、。ようは 私とあなたの立場の入れ替え。主体と客体。観察者とされるもの、、、。傍観者には何もおとづれない。積極的にトライし 行動し 注意深く巻子つし直した者たちにだけ 神は偶然を与えるのだよ。何もしない奴には何も起こらないのが道理。だから 動け! Can you do it! I can do it!!!!!
発見したら学者は学会で発表し 論文を書く。会社付の学者は同時に特許を用意する。論文を投稿する前にしてほしいのだが、学者にとっては論文こそ命なので ふなれな特許は自分で書いてくれない。しかたがないので 詳細な実験の内容を聞き データももらって その背景や発見のポイントなどを聴取し そして会社で特許化への書類を作る。できるだけ早く。できたものは 先生にもネットで送るが 同時に特許化にも送っておく。先生のGOがでたら 特許化にもGO。スピード勝負なのだ。
こうやって取った特許もお金になるかどうかは難しい。偶然の発見は結果論からの抽出なので 成功談しか表示されないし 発明にかかわったことがないものには その定量的な意味は分からない。1つの発見の前には1000個の失敗があるし、本当の製品になるのはさらに10倍以上の試行錯誤が必要なのだが、、、、。だから、学者が特許を取らずにいっぱんに広く公開するのは その発明の社会適応性を見るための方策としては早い良い選択なのだ。関係各所がいっせいに実験を始め 技術に昇華してゆく。周辺特許を押さえてしまえば ものがかなりのレベルなら必然的に市場が開ける。デフェクトスタンダードにいち早くしてしまえれば 事実上の市場独占。手続きだけは慎重に行っておかなければ 訴訟に発展することもあるので注意が必要だ。
こんな感じでわたしがかかわったおおくの偶然の中で 市場にはなたれたものは10個くらい。いきのこったのは1つ。ゼロではないところがみそだ。26年でこんだけ。しかも別に自分が発明したわけではないし、、、。こう考えると 企業研究員なんかやるもんじゃない 技術者なんてむなしい存在だ とおもうかもしれないが 全然違う。こんなことは 適当にやっとる趣味みたいなもの。本業は ひそかな自分の楽しみの実験 研究そのものなのだ。会社に黙って バックグランド 研究する 実験する。ひそかだから成果は問われない。もちろん表の仕事も適当にやっておく。重要なことはこのバランスを崩さないこと。アンダーグラウンドの実験を一時企業も社員に推奨したが そんなものは推奨されてやるもんじゃyないので 全然はやらなかった。しかし どんがらはずーっとやってきた。わるだから。なんにも拘束されない趣味の研究は面白い。これこそ わたしが生きてゆく上での必須のことだったのかもしれない。
そして いま装備を取り上げられてショムニ 科学実験はできないから思考実験に移る。しかもなお趣味でだ。
だから わたしのこの長い文章のシリーズのカテゴリは日記ではなく趣味なのだ。
すきなことをすきなときにすきなだけするのが きっと人生。本田宗一郎氏の本の題名が浮かぶ
”やりたいことをやれ”
どんがら 日経平均は高止まり このまま7年もオリンピックまでつづくのか?
Posted at 2013/09/12 06:54:13 | |
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