先週、朝イチで叔父から「岩手のばあちゃんが亡くなった」と電話。
震災で津波からギリギリで逃げられ、腰が悪いながらも一人で神社の管理をしてきたが、数年前に脳梗塞で倒れて施設に。
顔見に行かなきゃなあ…と思いながらも、子供が産まれたり仕事でバタバタしてるうちに会える事が出来ませんでした。
何とか仕事を調整し、24時前に陸前高田へ向け出発。
千葉から常磐道を北上。原発近くになると「ただいまの放射線量◯◯μSv/h」という電光掲示板が。
前にトラックが走っていたので法定速度ちょい以下スピードで走ってましたが、助手席シートで起動させた手持ちのガイガーカウンターやシンチレーションサーベイメータはだいたい1μSv/h行かない位で延々とアラームが鳴ってました。
途中、2時間位仮眠を取って明け方には仙台市内を通過。登米市位まで自動車道が延びたものの、車線を考えると東北道の方が圧倒的に楽でした。
9時前には陸前高田市内に。全国各地のナンバーのダンプがひっきりなしに走ってました。
数年ぶりの帰省ですが、とにかく「茶色い」景色。
あと、復興事業に携わる人達に対してでもあるんでしょうが、コンビニがとにかく増えてました。
昔、宿を営んでいた"民宿以上ホテル未満"な家も親戚や集落の人達で溢れ、火葬までの時間を神社でボーッと過ごしました。
震災までは結構な拝殿があったのですが…建っている丘が受けた津波の衝撃で神殿が崩壊し、拝殿も空中元彌チョップで倒れそうな位に傾いてたので、コンクリ製の神殿のみで建て直されました。
お盆の帰省時、拝殿の廊下に寝っころがりながら小説を読んだりしていたので寂しさしか感じませんでした。
土地柄で、先に火葬してから通夜〜葬儀となり、火葬が始まるとそれまでいい天気だったのがみぞれ混じりの雨に。
火葬が終わるとまた晴れ、虹も出ていました。
通夜が終わり、火の番として斎場に泊まったのですが、疲れからか19時〜6時まで一度も起きる事なく爆睡…。

斎場近くの港を散歩。親戚の家も点在してましたが、今や跡形もありませんでした…。
葬儀では孫代表としての弔辞。朝イチでババッと書いた為、自分の字ながら全然読めず、ほぼアドリブで。
納骨しに墓まで行くと…実は亡くなった祖母は後妻で既にお墓に入っている先妻(父の実母)と一緒にするのはいかがなものか問題が勃発したものの、無事納骨。

2011年の4月頭には一面瓦礫だった景色(左上の森が神社のある丘)も
昔から見慣れた景色に戻りつつあります。
海の近くはゴツい堤防を作る為、ガンガン造成中でしたが…。
恰幅の良い叔母2人をジムニーに乗せ一ノ関駅まで送り、帰りは東北道で。
整備手帳に乗せてますが、DIYで作ったレスポンスリングは高速ではどうなのか…を存分に確認出来る機会でもありました。高速も以前より圧倒的に走り易くなってます。
スロットルボディの径を絞る事で、吸気の総量は減るものの吸気速度は上がる→ターボへの加給が下がる…がどうなるのかと思ってたのですが、クッと踏むだけでスーッと加速するので、以前のような追い抜き時のストレスを全く感じずに走れました。
こまめに仮眠でも取ろう…と最初に寄ったPAで5時間の爆睡。。。
その後は、「この尻はいかがなものか」と新型プリウスの後に延々とくっつきながらのブン回し走行での帰路となりました。
(叔父から電話のある数日前からMYジムニーの車内が異常に線香臭く、何かいやだなあ…と思っている中での話だったので、こういう事ってあるんだなあ、と)
Posted at 2016/02/26 21:27:00 | |
トラックバック(0)