
運転手です。
ゆるキャン△巡りの途中で、甲府周辺で一度どうしても行ってみたかったところ。
それが、昭和町にある杉浦醫院。
何度も行きたいと思っていても開館日が合わなかったり、予約制になっていたりで今回やっと行くことができました。
甲府盆地には昔からさんざん住民を苦しめてきた風土病がありました。
ここに住む人は足が赤くなり腹水がたまりやがて命を落とすという謎の病気。
この病気の記録が現れるのがなんと戦国時代。
発病した武田家臣である小幡昌盛が主に終の暇乞いをする場面で描かれています。
世に名高い日本住血吸虫症ですが、終息宣言が出されたのが1996年とおそろしく長い戦いを強いられてきたこの風土病を最前線で治療していたのが杉浦健造と三郎の親子。
その病院が当時のまま風土病を伝える記念館となっているのです。
ちなみに、wikiでの解説がすごいので時間があればぜひ。
原因を突き止めるまで何世代にも渡って紆余曲折を経て終結を迎える一大叙事詩に驚きます。
館長さんに解説をしてもらいながら醫院内を巡るshifo家。
発病の原因が水の中にいるミヤイリガイと分かり、この発病サイクルを見つけるまで数百年という。。。
昔、甲府盆地に嫁ぐときは棺桶を背負わされたというほど忌み嫌われた原因不明の病気だったそうです。
これが中間宿主となったミヤイリガイ。
初めて本物を見たんだけど、こんなに小さいのか。
……と言ったら、これを見る人みんなそう言うんだと館長さん。
中間宿主であるミヤイリガイを介して人間の足から侵入する日本住血吸虫。
この犯人を突き止めるまでにもいろいろな犠牲があって……
犯人が分かったあともミヤイリガイの掃討に長い年月がかかることに。
最終的には用水路という用水路をコンクリート化することでなんとか解決に。
コンクリートは北海道から九州までの距離と同じ長さになったというから驚くばかり。
ミヤイリガイと一緒にホタルの餌であるほかの貝も巻き添えを食らって、ホタルの多かった甲府盆地からホタルが消えたんだって。
福岡久留米市にあるミヤイリガイの供養碑。
日本住血吸虫はミヤイリガイだけを宿主にすることができたということで、ミヤイリガイもとんだとばっちりだったということです。
診察室も当時のままで置かれている備品は今では貴重なものばかりだそう。
地元の名士でかつ篤志家だった杉浦家には日本に数台しかないピアノがあったり、シャンデリアがあったり。当時としては珍しい愛車も持っていたそうです。
2階ではTVのドキュメンタリーを観ることができます。
杉浦家はこの風土病の第一人者で、わずかな希望をたよりにたくさんの患者がこの醫院に押し寄せて来たんだって。
子どもたちへの教育と啓発に使われていたという絵本。
子どもを水から引き離す地方病博士。
教育や啓発にも力を入れたからこそ終息に導くことができたんだなあと気づけはこの場に30分。
日本では終息宣言が出されているんだけど、インドネシアなどまだ被害のある国が存在することは初めて知りました。
醫院前に立つ終息の碑。
ミヤイリガイはまだ残っていて、完全な撲滅とはならないんだそう。
だから「撲滅」ではなく「終息」という言葉が使われているのはある意味苦肉の策なんだと館長さん。
それでも戦国時代よりも前から苦しめてきた風土病がひとまずの終息をみたことに対する安堵感と、解明するまでの数百年に及ぶ戦いとそれに打ち勝った歴史に強い驚きを感じるのでした。
Posted at 2022/11/11 19:15:18 | |
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