おはようございます。
一夜明けて、被害の大きさが鮮明になっていますね。
私の会社が入っているビルもエレベーターが休止になったり、内装の壁の一部が剥がれたりの被害がありました。「棚から離れて!!」と言った怒号が飛び交う中、パソコンも数台が落下。ただ書棚が倒れたりと言った被害はありませんでした。
20階建てのビルなので揺れが収まってもしばらく蒟蒻のようにユラユラ揺れているのが気持ち悪かったですね。その後しつこく続いた余震も随分と揺れました。
さて、首都圏では電車がほぼ終日麻痺状態(深夜に一部私鉄と地下鉄の一部が動きましたが)。
私の会社でも、会社に泊まって翌日の朝、電車の復旧を待つと言う選択をした方がほとんどでしたが、私は今後、関東で発生する可能性が高いとされている巨大地震が起きたときの状態をシミュレートする一つの機会だと思い、家路までの40kmを帰宅困難者の人と共に歩いて帰ると言う方法を選択してみました。
会社の同僚からは「本気で40km歩く気?」と言われましたが、今回関東地方は建物の倒壊や道路の寸断と言った被害こそ軽微だったものの、これが目の前でドカン!とやられたら、東北太平洋側の各県と同じ状況になるはず。まだ道路がしっかりしているならやりようはいくらでもあるだろうと言うことで、実際に歩いてみることにしました。
会社を出発したのが18:00頃。そこから歩きに歩いて22:00に川崎、24:30に横浜駅に到達。
ここで相模鉄道と横浜市営地下鉄が運行を再開(終日)した為、地下鉄を使って帰りました。
結局、家までの40kmは歩きませんでしたが、それでも横浜まで距離にして30km、実質6時間半を歩き詰めで
某氏の自宅前を通過する頃にはかなり疲れきってきました。
道路は私と同じように歩いて帰宅の選択をした人で一杯。ここでいくつか実体験して大事なことが判りました。
①一般車両は走らせない、使わない。
バスなどの公共機関の他、緊急車両も満足に通れないほどの大渋滞が終日、発生していました。高速道路の閉鎖も拍車をかけたみたいです。加えて徒歩で帰る人が道路に溢れますので、車がまともに動くとは考えないほうがいいです。こういう時だからこそ公共機関や緊急車両が十二分に活動できる環境を作らないとダメです。支援体制の遅れに拍車をかけてしまいますし。
②食料と水を確保してから出発すること。
途中にコンビニなど店がいくつもありましたが、飲み物はともかく、食料はおにぎりやパンなどは全滅です。どこでお湯を調達するつもりなのかカップラーメンを大量に買い込んでいる人もいました。食料は途中で入手困難と考えて、会社を出るときに水や食料が備蓄されているなら持って出るべきです。私はうっかりこれを忘れて途中で調達しましたが、前述のように一般的に食料と言われるものが無かった為、歩きながらでも口にすることができ、かつカロリーの高いものと言うことで「魚肉ソーセージ」「チョコレート」「チーズ」を調達。これらは登山の経験がある人なら良く知っている携行食料なのですが、意外な盲点で残っており、お腹に残るので効果的でした。水はお茶やコーヒーでなく「水」がベストです。お茶やコーヒーは利尿効果があるので、④のトイレで困ります。
今回は関東直撃の地震ではなかったので、途中でファミレスやラーメン屋などがまだ営業しており、食料調達ができなくても食事を取ることができた人が多かったですが、直撃だったらこれらは壊滅状態になりますから、より食料と水の確保が困難になると思います。
③不必要な荷物は置いて極力所持品は軽くする。
失敗したなと思ったのが勉強中の安全衛生の参考書。結構厚手で重たいので会社に放置してくればよかったと思いました。
④出発前に必ずトイレには行っておくべし。
今回、見ていて非常に感じたのがトイレ難民。どこのコンビニもトイレを借りようと長い列ができていました。これは想定していたので、出発前に用を足しておきましたから途中で一回、トイレを借りるだけで済みました。これまた盲点ですがコンビニよりガソリンスタンドで借りるのが効果的。ガソリンスタンドは有事に耐震強度が高いことから、防災支援拠点になっている所が多く、このことを意外と皆さん知らなかったりします。
⑤靴は履き替えられるなら革靴から歩きやすい靴を。靴下は二重に。
革靴は裏底が硬いので長時間歩くのに向いていません。また滑り止めが無いことが多いので、グリップ力に乏しく、悪路には向きません。履き替えられるなら歩きやすい靴に履き替えるのが吉です。靴下も2重履きするとクッションになるので足が楽になります。今回履いていた革靴はクッション性に優れた良い革靴だったのですが、それでも足にはかなり来ました。スニーカーなどと比べるとどこまで行っても、革靴は歩き易さと足への負担に劣ります。
⑥冬場は特に余計なぐらい着込んで出発すべし。
出発したのは18:00頃でしたが川崎駅を通過する22時頃から急激に寒さを感じました。出発時に7℃の気温がありましたが、22時ともなると4℃ぐらいまで冷え込んでいたかと。マフラーに長いコート、皮の手袋と言う普段ならこの時期としては十分すぎる防寒装備でしたが、6時間以上も外にいると、歩き詰めでもかなり体が冷えます。会社に作業着を置いてあったのでスーツの下にこの際、格好などどうでもよいので着込んでしまえば良かったと思いました。最悪、野宿状態になった時もこれなら耐え切れる可能性が高くなりますし。
⑦できれば誰かと共に行動すべし。
今回、私は単独行動でしたが自分との闘いになるのでかなりきついです。誰かと会話しながらなら疲労も意外と溜まらないのでしょうが、疲れてきたなと自分で自覚し始めた時から急激に疲労感に襲われました。何かあった時に頼れる人がいないと言うのは想像以上に精神的な負担がかかります。
実際に自分も帰宅困難者になってみて随分色々なことが判りました。関東でこれだけの規模の地震が発生したら、建物の倒壊や道路の寸断でより困難な状況になりますので、今後のために良い実体験だったなと思っています。
でも疲れました・・・。帰り着いたのは25時半。風呂で冷え切った体を温めて26時に布団に潜り込んで10時過ぎまで爆睡でした。歩くのには慣れてますがさすがにきつかったです。
この方は物的損害も含めて被害を結構蒙ったようです。津波にも半分巻き込まれたようですが無事で何よりでした。
Posted at 2011/03/12 14:34:02 | |
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