
今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、内容は大した事ありません。
何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。
また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。
このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。
経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。
その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・
最後まで前置きが長くなりましたが、前回のPart14では愛車『グランド・シビック』で
箕面や茨木サニータウン、環状だけで無く、中山サーキットの走行会にも行くようになり、更に充実した日々を過ごしていた時期の話をさせて頂きました。
最終回である今回は現役引退についての話をさせて頂きます。
まず、この時点で走り屋を止めるきっかけですが、大きな理由があった訳ではありません。
多分、細かな理由が重なり合って決意したんだと思います。
その理由は・・・
・昼間に車が使えない(捕まる)為、日常生活に支障が出る
・大きな事故を克服した様に思えるが、大きくテールがスライドした瞬間に恐怖が蘇る
・タイヤ代金や、ガソリン代金が続かない
・女性がらみのトラブル等にまき込まれる事がある(爆)
・交友関係が増えれば増えるほど、対人トラブルも急激に増えていく・・・
まぁ そんな感じでしょうか。。。
しかし、その頃は走り屋の数が更に増加した時期だったんです。
例えば、自分の中学の同級生でも、単車や走る車に全く興味が無かったヤツらが急に目覚めて車高調を入れたシビックを買いだしたり・・・
環状ブームの影響でシビック等を買っても、何処にも走りに行かない、見た目だけの走り屋が急に増えた時期でしたね。
街乗りしかしないのに、車高調にピロアッパーつけて、ロールバーとか・・・(笑)
もう少し続けても良かったのですが、そろそろ潮時かと思い、平成元年5月に引退を決意します。
その時点ではバイク時代から考えると3年半の期間、スピードに酔いしれる遊びを続けてきた訳なので、もう十分満足していたのです。
今の感覚で考えると、引退が早すぎる感じがしますが、あの時代は、みんな本当に毎晩走りに行ってたんですよ。
だから中身は超濃厚なんです。
しかし、この3年半の経験は自分の人生の中で貴重な経験となりました。
また、当時の走り屋の特徴として、個人が個別にモータースポーツを楽しむって感覚では無く、それぞれ団体に所属し、そして集団で行動し、そのメンバーの間で時には助け合い・・・
また場合によっては、仲間内であっても、容赦なく意図的に陥れ・・・(爆)
そして、団体行動ゆえに、更に余計なトラブルに巻き込まれる事も多くありました。
それに、人間って集団になれば気が大きくなりますからね。。。(汗)
それが良い事か悪い事かは、あえて書かなくても分かるとは思いますが、
当時の大阪はそんな傾向があった様に思えました。
集団と関わらず、個人として自由気ままに走りを楽しむ事が出来た時代であれば、もっと長く楽しめたのかもしれません・・・
けど、あの時代は個人で堂々と走れる時代では無かったんですよね。。。
特に環状なんか、何のつながりも無い人が自由に走り回れる場所でも無かったし、仮に頑張って走ってても、少し いちびった走り方をしただけで、カラまれますからね・・・(笑)
だから、真面目に車が好きで、健全なスポーツドライブが好きって人は、今の時代が合ってると思います。
昔は普通に走ってるだけでもシバかれる事があった時代でしたから・・・
確かにアツい時代でしたが、車好きの誰もが走り屋になれた訳では無く、それなりの覚悟がなければ走り続ける事が出来なかったんです。
そのへんは大阪だけの文化だったのかもしれませんけど・・・(汗)
さっきも書きましたが、平成元年に入り、新しく走り始めた人が増えたのですが、同時に止めた人も多かったんです。
自分が引退後、1年ぐらいで仲間の半数はヤメましたからね・・・
取り締まりが急にキツくなり、走りたくても走れない環境・・・
また、クラッシュして全損になったり。。。
良い思い出も、悪い思い出も多数ありましたが、この時点で走り屋の引退を決意し、グランドシビックを降りる事にしました。
もう少し続けていたら、運転が上手くなっていた可能性はありますが、
事故で死亡や大怪我をするリスクもありました。。。
そう言う意味でも、良いタイミングだったと思います。
以上で自分が知ってる『走り屋』の世界は全て終了です。
そして、引退後はこの世界から離れましたので、全く状況がわかりません・・・
(2年後にAW11やSW20に少し乗った時期もあったのですが、街乗り程度です)
また、当時の仲間も20年以上会ってませんので、その後の情報もありません。。。
ただ、風の便りによると、仲間の一人が走り屋時代の血の気の多さと運転技術が認められ、デリヘルの送迎運転手にスカウトされたとの事でしたが・・・(爆)
もし、この後の大阪・走り屋文化はどんな風になったのか・・・
その辺に興味がある方は、この漫画とか参考になりそうですよ。。。
ただし、漫画は自分が引退した後の話ですけどね。
自分がシビックを降りたのが平成元年の5月 この漫画のストーリーが始まる設定が平成元年の春ですので、時期的には見事にシンクロしますので、時代の流れは上手くつかめると思います。
但し、漫画の舞台は大阪南部の泉州方面、自分は北摂なので、大阪の端と端ですから、漫画には箕面とか全く出てきませんけどね。。。(笑)
このブログを書き始めたきっかけですが、20数年ぶりに、少し走れる車に乗る事になり、昔を懐かしみながら走りに行く機会も増えてきました。。。
そんな中で感じた事は、自分の経験した時代と、現在とでは感覚的な違いがあるって事でした。
もし、自分があの全盛期の頃から継続して、サーキット等で遊んでいたのであれば、これほどの違和感は感じ無かったと思います。
恐らく、あの時期にキッパリやめたので、平成元年で時代が止まってしまってるんですよね・・・
言い換えれば、自分にとっては、昭和末期の時代が全てなんです・・・(笑)
※浦島太郎みたいな感じですよ
そんな中で自分が過去に経験した事をブログにしてみよう・・・ って思ったんです。 ただそれだけ。。。
もう最後なので、具体的にどんな違和感を覚えたのか、一例をあげておきます。
※今の若い方の感覚を批判している訳では無いですから、誤解なさらないでくださいネ
例・・・
『リアガラスの着色フィルム』
これは自分が現役の頃にはありえない行為でした・・・
最近はスポーツカーでもフィルム貼ってるのを見ますネ。。。
昔はセダン系の車ではフルスモークが基本でしたが、走り屋系の車に着色フィルムはダメでした。
理由は???
夜に外が見にくいから??? いやいや・・・
ちがいますよ!
車内を見て欲しいのに、フィルムなんか貼ったら、中が見えないじゃないですか!(笑)
見て欲しいが故に、ロールゲージを黄色や白や青に塗ってアピールしてるんですよ!
それと、当時の走り屋にとって1番大切な事は、いかに無用なトラブルを避けるかって事だったんです。
例えば、ガチガチの足回りの車が路面のギャップを拾い、車体が揺れた時、バケットシート上部から見え隠れする『
パンチパーマ』のヘア♪は後方の車両に対し、最大の威嚇効果を発揮するんです!
だから、ガラスにフィルムなんて貼ってしもたら、威嚇効果ゼロなんですわ。。。(笑)
それに、リヤに貼るだけでも全体的に車内が暗くなって外から見えにくくなりますよね・・・
そんなん・・・
メンチ切っても相手に見えへんがな!(爆)
まぁ 違和感って言うても、この程度のしょうもないジェネレーションギャップですね。
え?
やっぱり、私の考えの方が変ですか?(笑)
すいません、浦島太郎状態になっている年寄りの戯れ言です・・・
寛大な心で接して下さいませ。。。(汗)
今回でこの走り屋伝説シリーズはこれで終了しますが、昔の思い出は書ききれない程、多数あります。
その辺は、今後も日常のブログにて、随時、語っていきたいと思います。
今まで、読んで頂き、ありがとう御座いました!
<平成元年 初春 最高の愛車 グランドシビックと共に・・・>
最後に、走り屋引退後の進路について、軽く書かせて頂きます。
興味が無い方はスルーして下さいね。
※走り屋とは全く関係ありません
自分は平成元年の5月に走り屋を引退し、セダンに乗る事になります。
もうすぐ20歳を迎えるので、今後の活動も視野に入れて、アダルトで落ち着いた雰囲気の車を選びました。
そして、服装もトラサルディやベンチューリー等のブランドから、先輩達が愛用していたPIA・SPORTS等のブランドに移行していきました。
※もちろん、腰にポケベル装備は必須です
当時、服装と自分が選んだ車(クラウン)は見事にマッチしていたと思いました。
このクラウン・・・
車の外見から上品さが滲み出ている為、対向車から良く道を譲って頂ける名車でした。
しかし、残念な事に、グランドシビック以上にナンパが難しい車でした。
こんな上品な車なのに、妙に警戒されるんですよね・・・(爆)
そして、自分自身の行動としては、今までの活動ステージであった箕面や環状から、完全に決別し、魅惑と欲望が渦巻く、夜の街 ミナミ(難波)へ本格的に進出する事になります。
そこには走り屋の世界と比べると数倍・・・
いや!
数十倍の刺激が待っていました。。。
平成元年 5月
当時、19歳・・・
走り屋時代に培った、行動力を武器に・・・
簡単に後戻りが出来ない『ダークサイド』へ向けて・・・
フルスロットル♪で突入して行く事になります。
【大阪】走り屋伝説 完