
今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、内容は大した事ありません。
何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。
また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。
このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。
さて、今回のテーマですが、走り屋伝説と言いながら、『走り』に関しては一切記載が御座いませんので、予めお断り申し上げます。
内容に関しては、走り屋の聖地【箕面】の知らざれる側面をご紹介したいと思います。
時代は今から約26年前の昭和63年春。。。
このシリーズを初めから読んで頂いている方々には十分伝わっているとは思いますが、当時の箕面ドライブウェイは連日連夜、エキサイテイングな車が各地より集結し、深夜に至るまでサーキットの様な爆音が周囲の山々にこだましている状況でした。
当時は走り屋ブームであった為、全国各地の峠でも、程度の差こそあれ、同じような現象があったと思われます。
しかし、ここ【箕面】は全国の他の峠と比べると、少し違った部分があった様に思います。
その部分って言うのが、私が何度も過去のブログに書いてきました、
『車が好き・・・と言うだけでは、誰もが走り屋になれなかった時代・・・』 に結び付く訳です。
今でも鮮明に覚えている、当時の出来事を1つ紹介します。
ある平日の深夜1時頃、いつもの箕面ドライブウェイの猿天駐車場で、仲間とダベっていると、目の前の道路を塞ぐように、大きな車が2台、派手なスキール音を立てて急停車しました。
車を見ると、ココ(箕面)で良く見るお車・・・
真っ白なボディにフルスモークガラス装備の【メルセデス・ベンツ 560SEL】が2台♪
※写真に関してはイメージです
車種・グレード等、文中の車両とは一切関係ありません
その瞬間、お隣チームのメンバー達が、OBへの挨拶の為、車(白の560)に一斉に駆け寄ります。
※実は、こんな感じの事は箕面では見慣れた光景でした
メルセデスベンツ560SEL・・・
当時、自分達が1番憧れた車でもありました。
あの何とも言えない『威圧感』。。。
走り屋とは無縁な方でしたが、身近な先輩が560を所有していた為、特に憧れが強かった様に思えます。
当時の相場は、リスクがある事件モンで200万・・・
高い車ですね。
※当時、市販の中古車相場は知りません
しかし、560は同時期の国産車には無い『オーラ』が漂う車でした。
その時代は確かセルシオが発売前だったので、トヨタであれば、V8クラウンが筆頭・・・
ニッサンではシーマが発売直後・・・?Y31のグランツが出てたかなぁ? Y30の時代か?
まぁ 国産車がいくら頑張っても560の貫禄には勝てませんでした。
すいません。。。
かなり話しがソレました。(汗)
続きの話しをします。
深夜の箕面に登場した白の560SEL。
そして、後部ドアが開き、降りてきたのは・・・
10代と思われる少女2名。(汗)
その後、彼女達は『おしっこぉ・・・』等と言いながら、フラフラと道路を徘徊します。。。

トイレを探してる様なんですが、目の前の公衆便所すらわからない状況・・・
当時あった食堂の自販機の灯りで、かすかに映し出された彼女達の顔を見たら、完全に目が・・・(汗)
結局、彼女達は道路の真ん中で・・・(大汗)
まぁ 普通じゃないですよね。
その後、彼女達は、また560に乗せられて山を上がっていきました。
その時、『お前らも来いよ!』とお誘いを受けましたが、丁重にお断りしました。
この後で彼女達にどんな運命が待っていたのか???
もちろん、自分は一切、聞かされていないので、そのあたりは想像するしかありませんが・・・
けど、万一 危険な状況に陥っていた場合、彼女達を救出できたのか???
それは・・・・
申し訳無いですが、そんな勇気ありませんでした。
漫画ちゃうんですよ。。。
現実の世界では、そんな事したら、確実に車ごと南港に沈められますからね(汗)
だから、当時はトラブルを避ける為にも、詳しい事情を聞く事もせず、自分は走りに徹していました。
まぁ こんな感じで当時の箕面には、走り屋の世界と別にもう一つの『世界』があったんです。
そして、その世界への扉は猿天駐車場より1キロ上にある、この道。
今は入口が完全に施錠されていますが、当時は開放されていました。
この道路・・・
当時の呼び名が 『お〇こ道』
入口から200メートルぐらい進むと右手に車を10台ほど停めれる広場があるんです。
そして、その広場には、深夜でも車が数台は停まっており、その中の数台は激しく上下に揺れている事が多くありました。
この『お〇こ道』は、樹木が道路を覆う様に茂っており、勿論、街灯みたいな照明設備は一切ありません。
まさに山奥の真っ暗闇・・・
どんな大声を出して騒ごうが、誰にも聞こえません。。。
そして、この道の出口が山荘横の坂道なんです。
当時は、この付近で深夜に何処かで拉致され、捨てられたのか?って感じの、はだしで歩く女性の山を1人で降りてくる姿が目撃されていました。
当時は幽霊ちゃうか?との説もありましたが、目撃されたのが、本当に拉致された被害者なのか?あるいは幽霊なのか?って事に関しても、事実関係はわかりません。
あくまで、『噂』なんです。
走り屋の聖地【箕面】
大阪の中心部である、ナビオ前から信号無しの高架道路、新御堂筋で約20分の場所に位置している為、走り屋以外の様々な人が集まる場所でもありました。
純粋に車でのスポーツ走行を楽しむ訳でも無く、単に騒ぎたい・・・って若者も多く集まってたんです。
当時は本当にトラブルが多い場所だったんですよネ。
『走り屋』。。。
当時の大阪に限って言うならば、いろんなトラブルに巻き込まれる事を覚悟していないとダメでした。
それ故、車が好きでも、その覚悟が無ければ、走らない方が良かった時代であったと思います。