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2013年10月26日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part14 ・ 中山サーキット編

【大阪】走り屋伝説 Part14 ・ 中山サーキット編
今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、内容は大した事ありません。

何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。


このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。


経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
 
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。

その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、前回のPart13では愛車『グランド・シビック』で毎晩の様に箕面や茨木サニータウン、また環状で遊んでいた頃の話の流れから、正月環状パレードの話を中心に書かせて頂きました。
 
そして、この【大阪】走り屋伝説ですが、ストーリーは既に終盤に入っています。
しかし、このまま環状や箕面の話題で終了してしまうと、

『走り屋と言いながら、公道で暴走行為をしていただけではないのか???』 

・・・等の批判が出る可能性もあります。(汗)

よって、今回の内容は少し視点を変えています。
・・・あれ? あまり変わってないかも?(笑)

当時、自分自身の運転技術は大した事無かったのですが、周りを取り巻く環境は比較的レベルが高かったと思います。

それゆえ、すごい運転をする方々の走りを自分自身の目で見てきました。。。

そんな恵まれた環境で遊んでいた頃のお話。
 
今回のテーマは、【中山サーキット】です。

時代は今から約25年前の平成元年3月。

当時、大阪では一人前の走り屋と認めてもらえる必要条件が『中山サーキット』走行経験だったんです。

それは四輪に限らず、バイクの世界でも同じ事が言えました。

その頃、皆が愛読していた雑誌は関西ローカルのカー雑誌『カーロード』でした。

その中にも必ず中山サーキットのNCHKは出てきましたからね。

そう言えば、当時、NCHKと環状を走るクラブとを間違えてる人もいましたね・・・
アルファベットの『C』『K』が入ってるからでしょうか。。。(笑)

当時、会話の中に、

『中山で○○秒やった・・・』
『来週、中山行くねん・・・』 
『中山でエンジンをイッてしもた・・・』

等の言葉が入れば、もう一人前の走り屋気取りだったんです!(爆)
まぁ ほとんど気分的なモンやと思いますが・・・(汗)

つまり、峠(ヤマ)を走る、多くの走り屋が目指した目標が『中山サーキット』だったんです。

だいたい、関西から行けるサーキットって鈴鹿か中山しか無かった時代ですからね・・・

しかし、誤解の無い様に補足すると、峠(ヤマ)や環状を走る事を止めて、活動の場をサーキットに移すって意味では無く、単に走行経験が欲しかっただけなんです。(笑)

みんなレーサーとか目指して走ってた訳では無いので・・・
※真面目にレーサーを目指してたら、料金所突破とかしませんよ(爆)

自分は、当時、ほんの数回程度、走行会に行っただけですが、今でも良い思い出となっています。

今回は、そのうちの1回を紹介します。

その日はいつも走ってた仲間が20台ぐらい集まったので、特別に良く覚えてるんですけどね。

走行会の当日は朝早く起きて夜明けの山陽道を飛ばし、岡山を目指しました。

当然、積車なんて贅沢なモノはありません! 基本はリスクを負って自走です。

爆音のシビックが連なり、山陽道を移動する訳ですが、感覚的には環状を走ってる気分になります。

しかし、1番大きな違いは後ろにナンバープレートを付けてるって事なんです。。。(笑)
つまり、ポリに追われると逃げる事はできません。
しかし、時間帯が夜明けぐらいだったので、取締りも無く、無事に中山へ入る事ができました。

あ・・・それと、山陽道の通行料金はちゃんと払いましたよ(汗)

これは、その日の中山サーキットの券です。
まぁ こんなん持ってる人おらんと思いますが・・・

いつかプレミアが付くかと思い、大切に持ってます(爆)
 

 

中山サーキットですが、自分達が走りに行く少し前にコース改修があり、距離が伸びたんです。

当時、流行った言葉が、『中山の旧コース1分切り・・・』でしたよね。(笑)


走行会ですので、午前中は各自、練習走行を楽しみました。
 


 
KP等、キャブ仕様の車はセッテイングを出しながらのタイムアタックです。
 

 

写ってる車を見て頂ければ分かりますが、KP61や310サニーが現役の時代なんですよ。


そして、午後にはクラス分けをして模擬レース♪

その日の模擬レースは予選が無かった為、自分が希望した位置からスタート出来ました。

コレが模擬レースのスタート前写真です。
 

 
どうですか? このスターティング・グリッド♪

自分の紫シビックの右に位置する白シビックはこの車・・・
ホリデーオート掲載のモデル車ですね。



 
左のシグナルオートのハチマキ付けたAE86は・・・
すいません! 誰か思い出せない!(笑)


そして、自分の左後方のワンダーシビックは普通のワンダーではありません。(大汗)

カラーリングとフロントガラスのステッカーでわかった人は当時の事情通です・・・

写真を拡大します。

わかりましたか?
 

 

そうです。
 
テクニカの『ワンダーシビック』 です。

テクニカ・カラーに塗った環状マシンではありません!(爆)

本物の鈴鹿の競技車両ですよ。

自分達の中で、シビックと言えば、テクニカだったんです。

まぁ とにかく早いんですわ。





 
もちろん、この漫画の中にもテクニカ・カラーに塗ったグランド(VTEC)が登場してますよね!





それぐらい大阪では有名で憧れ的な存在でした。
 
あ・・・

大事な説明が抜けてました。。。

このワンダーのドライバーは『前〇さん』でした。
車だけでなく、ドライバーも本物です。

ご存知ですよね?

昭和63年、平成元年の鈴鹿シビックレースでのご活躍は皆さんも記憶されてるとは思いますが。。。

この日もジェットヘルを装着されていました!(笑)

まぁ そんな方の前に堂々とシビックを停めて模擬レースに参加するって・・・
当時、自分がいかに無謀だったのか良くわかる写真ですね!(爆)

更に、スタート前の写真には写っていないのですが、最後尾に業界の大御所様が運転するS30Zが控えられておりました。

オ〇〇 セ〇〇〇 の 〇様です。。。

大阪の人なら〇が多くても分かりますよね?

そして、全く緊張感の無い、スタート前の一瞬。
 

 
そして、模擬レース スタート!

しかし・・・

いきなり スタート 失敗♪

あっさりAE86に前へ出られます・・・(爆)
 

 

そして、1コーナー進入の頃には自分の真後ろに、ワンダーがベタ付けです(汗)

なんとか振り切ろうと思ったのですが、バックミラーには『テ・ク・ニ・カ』の文字が大きく映し出されます!

もう、威圧感MAXですわ!(爆)
 
 
当時、シビック乗ってる人で、『テ・ク・ニ・カ』の黄色4文字が迫ってきて平気な人は少ないと思います。。。


そんな事無いわ!

お前が下手なだけで、俺なら勝てたよ~って人がいてたら名乗り出て下さいネ。(笑)
 

そして、1週目に。。。

 
あっさりと、ワンダーにチギられます。。。(爆)

 

 
もちろん、前○さん 本気で走られてた訳では無いですよ。 

遊び感覚で模擬レースに参加したものの、あまりにも自分のグランドシビックが遅く、走り方も危ないので、ゆっくり&安全にパスして行ったんだと思います。(笑)


更に、背後から迫る大御所様のS30Z・・・
 



その時の心境としては、映画マッドマックスの中で、インターセプター(追跡専用パトカー)に追われる、暴走族リーダー、トゥーカッターの気持ちでしたネ。(笑)
 

 


次の周回には、そのオーラにビビり、あっさり抜かれます・・・(爆)

 


 

けど、この環境の中を頑張った『意気込み』だけでも評価頂きたいと思います。(笑)

 

 

まぁ 箕面でそこそこ走れても、実際にサーキット行けばこんなモンですわ。。。
話にもなりませんでした(爆)

少しだけ言い訳すると、その日は、周囲のレベルも若干高かったとは思うのですが・・・
 

そんな訳で事故も無く、模擬レースも無事に終了しました。

 

 

PM3時過ぎ、中山サーキットを出て大阪へ帰還します。

しかし、自分達の様な自走組はこれから1つの難所を通らないとダメなんです。
その難所とは・・・

山陽自動車道『和気IC』です。

何故、難所なのか? 

それは、和気ICには兵庫県警高速隊の事務所があったんです。。。
そして、彼等は和気ICに侵入してくるサーキット帰りの車をビシビシと摘発しよるんです・・・
 

 
この日、自分の車もストレートマフラーでしたが、この写真のKPも爆音サイドマフラーだったんです。。。

このアドバンカラーKPのオーナーはこのシリーズ初回の阪奈道路編に出てくるCBXに乗ってた元暴走族なんですけどね。。。
(もちろん、暴ヤンは中学生時代の話ですが・・・)

あ! そうそう。 シリーズPart9に登場する、箕面のトンネル内で横向き2回をくらってKPを廃車にしたのと同じ人物です。 ロールバーで頭を切ったヤツですね。。。(笑)

まぁ そんな訳で、昔からの親友であるアドバンKPが先頭を走り、2番目が自分、その後にも仲間が順番に。。。って感じで和気ICへ向かいました。

和気ICの入口では、すごい緊張感が漂っています。

県警の高速隊は、マフラー音に反応して事務所から出てくるので、音は立てたらダメなんです。

ラッキーな事に、ICの料金所ブース周辺にはポリはいませんでした。

各車両は音を立てない様、慎重なアクセルとクラッチ操作でICへ接近します。

KPはフライホイールやクラッチも触ってたので、かなり辛そうでした。。。
時々、エンストしそうな音を出しながら徐行してします・・・

KPのツレが和気ICで通行券を受け取った直後でした。。。

KPからはキャブの調子が悪いのか『ガボッ・ガボッ♪』と苦しそうな音が聞こえます・・・

エンジンが止まりそうでアイドリングが安定していません・・・(汗)

その次の瞬間、 『ゴ・ゴ・ゴ・・・クォォ~ァ~ン♪』
とKPの爆音が響き渡ります・・・

最悪です。。。

アドバンKP、調子悪いのでアクセル踏み込みよったんですわ。。。(汗)

とっさに左側を見ると県警の高速隊の事務所から、ポリが『停まれ』の赤旗を片手に、笛を吹きながら、こっちに走ってくる光景が目に入りました。

残念ですが、しかたありません。  非常事態です。

自分のシビックも全開でその場をスクランブル発進♪
グランドシビックの爆音が和気ICに響き渡ります。

適度にダンロップ・フォーミラR76Jがホイルスピンし、トラクションがかかります。
絶妙のスタートです♪
さっきの模擬レースのスタートより、格段に上手い、ロケットスタートでした。(爆)

そして、すぐにミラーを見ましたが、後続車両は来ませんでした・・・(汗)

そうです・・・
皆、和気ICでポリに捕まったんです。。。(笑)

ツレのKPが悪いとは言え、仲間には申し訳ない事をしました。

この後、後続車両のメンバーからは『今後、お前らと一緒に中山は行かへんぞ!』等と、メッチャ怒られましたけどね。

まぁ 当時は良くある事ですわ(爆)

以上で思い出に残る【中山サーキット編】は終了です。

 
次はいよいよ、このシリーズ最終回となります。


次回のテーマは【走り屋 引退編】です。
 
 
 
 
Posted at 2013/10/26 15:10:36 | コメント(21) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年10月12日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part12 ・ 激走編

【大阪】走り屋伝説 Part12 ・ 激走編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、内容は大した事ありません。

何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。


このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・

当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。

その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、前回のPart11は自分が新しく手に入れた愛車
『グランド・シビック』誕生の話をさせて頂きました。
 

 
今回は長きにわたる入院生活を乗り越え、愛車グランドシビックに乗り、峠(ヤマ)へ復活した頃の話です。

時代は今から約25年前の昭和63年11月。

まず愛車グランドシビックにて、初めて箕面へ復活した日の話から始めたいと思います。

箕面での事故により、入院していた病院を退院した後も、ツレの車で箕面へは上がっていましたが、仲の良かった仲間でさえグランドシビックを買った事を話していませんでした。

もちろん、あの派手な色の事も・・・

理由は、急に復活して驚かせてやろう!って考えがあったんです。
 
その日は少し早めに箕面へ上がり、車に慣れる為、走り込みました。

初めてグランドで箕面攻めてみた感覚はCRXと全く別モンでした・・・
早いって言うか、コーナーでも安定感が全く違います。

テールの滑り出しもマイルドで、一瞬でケツが出るCRXの感覚に慣れていた為、少しモノ足らなさを感じるぐらいでした。

グランドに入れていたタイヤはCRXと同じく、フォミュラR76Jです。
同じタイヤなので、滑り出す感覚は似ていました・・・
 
入院のブランクはありましたが、5本も走ると完璧に以前のカンが戻りました。

もう準備はOK♪
あとは仲間が上がってくるのを待つだけです。

猿天の駐車場の奥にひっそりと停めて、仲間が来るのを待ってました。
そこに現れたのが仲間のKP61スターレット.♪

すかさず後を追います。

ギャラリーコーナーを通り、トンネルを抜け、S時・・・
やっぱりグランドは早い!

楽勝でKPを追いまわします。

折り返し後も車間距離30センチぐらいのベタ付けで、KPをアオリ倒しました。。。
パッシングしたり、高速コーナーで横に並んだりしながら・・・(笑)

KPのドライバーは、誰にアオられているか全く気が付いていませんでした。

かなり動揺していた様子なので、作戦は成功!・・・に思えました。

彼はまさか僕が復活してるとも思わないし、こんな色のグランドに乗ってる事も知らないですからね・・・

KPはたった一往復で走るのを止めて、猿天の駐車場へ車を停めます。。。

まぁ あの煽りでビビッたんやと思いました。 
かなり嫌がらせ的なアオり方をしましたからね~

彼は動揺して、かなりラインが乱れてたし・・・

僕もKPのすぐ横に車を止めました。
さぁ ヤツはどんな顔して驚くかなぁ?等 いろいろ考えて、ワクワクしてた時です。

KPのドアが開き、ツレが『オラァ~っ!』と叫びながら威勢よく降りてきました。。。

右手には木刀~♪

もちろん、僕は大慌てで車から降りて正体を明かしました。(汗)

ヤツは興奮してたので、しばらくは状況を把握できませんでしたけどね・・・

もう少し遅れてたら、せっかく全塗装したグランドシビックの天井がペコペコになるとこでした・・・(笑)

しょうもないイタズラはしない方が良いって事です。(汗)

折角の機会ですから、当時の文化?について・・・

車への木刀装備ですが、走り屋の車に限らず、当時は搭載率が高かったんです。
(僕のまわりだけかも知れませんが・・・)

本当に車種は関係無くって感じでした。

フルスモークのY30セドからミラターボ・TR-XXに至るまで・・・
その木刀ですが、観光地で売ってる『霧の摩周湖』とか『霊峰富士』等の刻印があるヤツはダメですよ(爆)

理想は鉄芯入りなんですけど、新品を調達する人は誰もいませんでした。
この手のグッズは、先輩から譲ってもらうのが基本でしたからね。。。

装着位置ですが、運転席シートとドアの間(通常は傘を置く場所)に置くのが
ベストです。

助手席側や後部座席では、緊急事態に対応ができません・・・
車を降りる時、同時に右手で持てるのが理想的な装着位置となります。

けど、それが箕面等を走る場合は、けっこうジャマになるんです・・・(汗)

フルブレーキングで、木刀がスルスル~♪っと前方に滑り出て、先ッポがアクセルを
微妙に刺激するんですよネ・・・(爆)

あっ!・・・

変な方向に話がソレてしまいました・・・(汗)

実は、当時の文化と比較して良く思う事があるのですが、
時々、走り屋の漫画あたりで見かける、前方の車へパッシングし、相手がハザードで返せばその時点で全く知らない者同士でもバトルスタート♪って話。。。

お互い、車の性能と運転技術を真面目に競う合う???

まぁ この時代の大阪に関して言わせて頂くと、僕の回りではそんな文化はないですよ。

知らない車がパッシングして必要以上に煽った時点で、別の意味でのバトルが始まる可能性が高いんです。(爆)
 
こんな感じで終わった箕面復帰デビュー戦ですが、車のコンディションは最高でしたネ。

しかし、余計な事をした為に変な汗をかきました。(笑)

 
そんな華やかな?デビューを終えたシビックですが、その後は毎晩の様に箕面へ上がり、走り込んでました。

今、思えば一番ノッてた時期でしょうか・・・

そして更なる進化を狙ってノンスリを入れる事にしました。

ノンスリは当時、FF車に多かったクスコの1WAYでは無く、無限の機械式2WAY・・・

結構、バキバキに効きました。

その時期、箕面でグランドにノンスリを入れてたのは僕の車を入れて2台だけでした。

やっぱり入ってるとコーナーでの動きがあきらかに違うので、すぐわかるんですよね・・・

もう1台のノンスリが入ってるシビックのすぐ後ろに付くと良く挙動がわかりました。
足回りは2台ともビジョン、それに同じ無限のノンスリが入ってたんです。。。

 


 

このコーナー(折り返し点から1つ目のヘアピン)ですが、2速全開からフルブレーキング・・・

右のフェンダーを山側に当てるぐらいの感覚でステアを切り込んだ瞬間、リアのフォーミュラR76Jから白煙があがるのと同時に、テールがスライドし車の向きがスパっと変わるんです。

その後、右後輪はインリフト状態になり、前輪は路面をガンガン掻きながら立ち上がります・・・

ノンスリ入ってると立ち上がりの速度は全然違いましたね。 

ただし、コーナーを曲がりきれないと思い、アクセルを抜いたら、アンダーで怖い思いをしましたが・・・
 
この時期もグランドシビックの性能&タイヤの性能&ノンスリ等の効果もあり、かなり快適に走れました。

箕面の峠は高低差も無く、シビックにはかなり有利なコースだと思います。
やっぱりFFは早いと痛感した時期でもあります。

当時は4駆って基本的に無いですからね。
唯一、思い付くのはギャランVR4ぐらいです・・・  

真ん中のヘアピンで刺さってるのを1回見ただけで、攻めてるシーンは記憶に無いです。

じゃ FRは遅いのか?って言えば・・・

もちろん、そんな事は無いです。 ドライバーしだいですね。
だだし、ノーマルエンジンで比較すれば、4AGは非力だったので、不利でした。

けど、仲良しのAE86でも早い人はいましたよ。

車高調に当時流行った?ピロ足・・・
あとARCの中空スタビ・・・

タイヤは流行りの76Jでは無く、あえてSタイヤでもアドバンのHFR-タイプDを選択していました。

76Jの初期のネバリ感が苦手とか言うてましたね・・・。

そのAE86トレノがテールをバンバン振りながら、箕面を疾走するシーン・・・
今でも目に焼きついています。

シビックで後ろに付くと白くて太いスタビが妙に主張しよるんですよネ・・・(笑)

けど、いくら腕があっても事故をするのが峠(ヤマ)なんです。

その日も大勢で箕面へ上がっていました。

このAE86の方とも毎晩のように仲良く遊んでいた時期やったんですけどね。
所属は自分と違い、某環状チームでしたが・・・・

事故現場は、高速コーナーが続くこの区間です。
 

 

原因はCRXが制御不能になり、センターを割ってきたとか・・・

高速コーナー区間であり、AE86が止まれず、CRXを突いたらゴロゴロ♪と横転・・・
横だけで無く、縦向きにも1回ったみたいです。


猿天の駐車場で遊んでいた自分達に連絡が入り、現場に駆けつけると、こんな感じでした。
 

 
 

このCRXのドライバーは車内で中吊になったものの、無傷で車から脱出できたらしいんです。

しかし、不思議な事に自分達が現場に行った時には、少し顔の形が変わってガードレールに寄りかかってました。。。(謎)

その現場を見て無いので、何とも言えないのですが、多分、事故の後でAE86さんにシバかれたんやと思います。(汗)

写真の中でCRXの右横に立ってるのが私です。

偉そうにひっくり返った車に手をついてますが、このCRXのオーナーの方とは全く面識ありません。(爆)

CRXは単独で走りに来られていた方の様でしたが、当時は一人で峠(ヤマ)を走るには大きなリスクがあったと思います。

車同士で接触事故があった場合やトラブルが起こった時に誰も助けてくれませんからね・・・(汗)

ホリデーオート臨時増刊号での箕面特集の影響もあり、この時期が1番盛り上がってた様に思います。

平日でも猿天の駐車場は満車状態でしたから・・・

箕面の台数が多く、走りにくい日は茨木サニータウンや阪奈へ行ってました。

けど残念な事に、2年前のバイク時代には盛り上がった阪奈ですが、この頃にはメインコーナーの『サブロク』等に減速帯が出来てしまい、攻めにくいコースになってしまってました・・・(汗)
 

 

あと、ココは覆面が多く、ナンバー付き車両で攻めるのは非常にリスクのある道路でした。
 
今回もダラダラと書いてしまいましたネ・・・

なんせ、当時より25年も経ってますから、細かな記憶が欠落しており、一部は事実と若干異なる箇所があるかもしれません。
 

また、今回は特に内容的に不適切な表現が含まれている為、【フィクション】として読んで頂きたく思います。


このシリーズ、あまり長く引っ張ると、話も間延びして面白くなくなる為、あと2~3回で終了の予定です。

それに、単なる昔話って言っても今の時代とGAPありすぎて、あまり続けていると、そのうち怒られそうですから・・・(爆)

まっ、このへんが潮時かと・・・

ですからもう少しだけ辛抱して下さいネ。


次回は・・・

クライマックスに相応しく、【 平成元年 正月・環状パレード編 】です。
Posted at 2013/10/12 12:33:23 | コメント(11) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年10月08日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part11 ・ 復活編

【大阪】走り屋伝説 Part11 ・ 復活編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、内容は大した事ありません。


何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

 
また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・

当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。

その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分がサイバーCRXに乗り始めて8ヶ月。。。


箕面で大クラッシュし、入院したのが前々回のブログ Part9の話。
 

 

Part10は少し気分転換に『ナビオ前』の話を少々・・・

今回は愛車CRXが廃車となり、新しいマシンを手に入れる時の話です。

時代は今から25年前の昭和63年11月。

 
箕面ドライブウェイでの大クラッシュにより箕面市立病院への入院を余儀なくされた訳ですが、反省の様子は全く無く、毎晩のように病院を抜け出して仲間の車で箕面へ上がっていました。

松葉杖を突きながら深夜に猿天の駐車場で遊ぶ事が日課になってたんです。

不自由な足の為、困った事もありました・・・

それは、猿天へポリが来た時です。

皆が一斉に車に乗り込み逃げる訳ですが、自分は松葉杖の為、車まで走れません。。。

平日でも仲間の車は常に10台ぐらい上がってたのですが、そんな時に限って周りに誰もいない・・・(汗)

1回、猿天の駐車場に置いていかれた事がありました。

その時はツレが戻って来るまで汚い便所の裏に隠れてましたけど・・・(爆)


入院生活も2ヶ月が経ち、日々のそんな健全?な生活サイクルが神様に認められたのか?

奇跡的に砕けた膝関節が治りかけていました。

一時は2本足での歩行を諦めた時期もあったのですが・・・

2度の手術も無事に終わり、無事退院して自宅にてリハビリをしていました。
そうなると当然、NEWマシンが欲しくなります・・・

事故でCRXは全損になった為、車両保険は満額出ました。

この時に『車両保険は無理しても絶対に入っとけよ・・・』って車を買った頃に先輩が言ってた意味がはじめて分かりました。(汗)

もう次に乗る車は入院中から決めてたんです。

もちろん  当時人気ナンバー1のグランド・シビックです。

しかし、丁度その時期に妙な噂が飛び交います・・・
それは、来年のマイナーチェンジで160馬力仕様が出るとの噂なんです。

初めて自分達が聞いた時は、そんな事、絶対にありえん話や!とみんな笑ってました。

4AGにスーパーチャージャー付けても145馬力の時代に1600のNAで160馬力も出る市販車が簡単に発売される訳ないやん・・・って思ったんです。
 
その時はグランドシビックがフルモデルチェンジにより新車発売されて1年ちょい・・・
現行のZCエンジンでも十分早いのに、160馬力仕様なんて・・・
まぁ、ありえん話やわ・・・  って思ったんです。

しかし、当時、鈴鹿のシビックレースに常時参戦してるSHOP筋は違いました。

160馬力仕様のシビックは来年には確実に発売されると、この時点で断言されてましたからね。

まぁ 結果的には見事に僕の予想を裏切ってくてれた訳でして、160馬力仕様のグランドシビックはこの10ヶ月後に発売されるんですよ。 
それが後の『ブイテック』です。

少し話しがそれましたが、その時点では夢みたいな160馬力仕様のシビックの発売を待つはずが無く、退院後は早くシビックを購入したい気持ちが強まり、ある日、ホンダのディーラーへ契約に行きました。

ホンダプリモ店に向かう途中で、良く遊びに行ってたシビック系某有名SHOP前を通ると、知ってる車が数台・・・

店には用事なかったのですが、中に入ると友達の顔が数名。。。

話の流れで新車を買いに行く話しをすると、仲が良かった店のメカニックの子が『俺の車、買わへんか?』との事。

仕様は、無限アルミ・Sタイヤ・車高調・マフラー・バケット・前後タワーバー・ロールバー・ブレーキ等、フル装備。

しかも、足回りとマフラーは当時、憧れたビジョン!

※本シリーズPart7 ホリデーオート取材編に載ってた車(青塗りブラックレーシングのグランド)です
 



 
結構、安い値段を提示してくれたのですが、少し悩んでいると、店長さんの悪魔のささやき・・・

戦線復活祝いとして、『5万で全塗装したるわ・・・』との事。

ココまできたら買うしかありません。(笑)

即時、購入を決断しました。 そして、その場で色を決めます。。。
シビックの色は塗装見本の本を皆で囲んで意見を出し合いました・・・

皆、自分が乗る車では無いので好き放題言います。。。(汗)

『これからの環状は、コレぐらい派手でないと目立たんぞ!』
『ビビらんと、気合いれて派手にいけや!』


まぁ そんな意見が多数です・・・   
人の車やと思ってメチャクチャ言いますわ・・・

だいたい、僕はそんな頻繁に環状へ行って無いし、しかもあそこで目立つほどの度胸もありませんからね・・・(笑)

しかし、結局はみんなの意見に押し切られるような雰囲気で決まった色が『マゼンタ』(汗)

最後に店長さん 塗装見本を指指し、何度も僕に確認します。。。

ホンマに、この色でええんか???』・・・(爆)


そして、1週間が経ち、車の納車日となります。

塗装はSHOP経由で京都の板金屋さんに出してたので、京都から自走で店まで持ってくるとの事でしたが、ギリギリになって納車の時間帯を早朝にして欲しいとの連絡が入ります。
※その理由は、納車時に車を見た瞬間に分かるんですが・・・

楽しみにしていた納車日を迎え、朝早くSHOPへ向かいます。

店の前に駐車された我が愛車、グランドシビックを見た瞬間。。。

大失敗したと思いました。。。(汗)

塗装色見本の小さなサンプルでは思わなかったのですが、車のサイズになると・・・

メッチャ下品な色やったんです(爆)

店の皆さんは『最高にカッコええ色やんけ!』等と言いながら、顔がおもいっきり笑ってました。(汗)

更に嫌な予感がしました・・・

別に色が変でも車を走らせる事には影響出ませんよね?
けど・・・

それが、大きく影響したんです。

納車の時間が早朝に変更されたのも、この理由でした。。。

そうです・・・

ポリに捕まるんですわ!(爆)

当時は車高が下がってるだけでも違法改造だったんです。
マフラー交換もダメ・・・ このグランドみたいに、ストレートマフラー等、論外・・・
公認車検が流行るのは、この1年後ですから、日中は少しでも目立てば一瞬でポリの餌食でした。。。

しかも、シビックと言うだけで、ノーマル車でもポリに止められた時代ですからね・・・

つまり、こんな派手な車は・・・

『捕まえてくれ!』と主張してるようなモンですわ(爆)


分かりやすく言えば・・・

昼間に中環や内環も走れない車を買ってしまった訳ですよ。(汗)

京都の板金屋さんも納車時に白バイの餌食になって免許の点数を失うのを避ける為、白バイが活動を始める前の時間に大阪入りしたかったらしく・・・(爆)


これが、我が愛車『グランド・シビック』です。





 
 
  

当時、グランドシビックが新車で発売されて1年ちょいの時期・・・

まだこの時期は一般的にホイールを蛍光色に塗ったり、部分的なカッテイングシートでの演出が主流でした。

比較的、新しい車だったので、この時期に全塗装って少なかったんですよ。
街を走るシビックが派手になっていくのは平成元年以降ですね。
 

 
 

この前後に付けられた牽引フックに注目頂きたいと思います。
もちろん素材は当時主流のアルミ製・・・!

比較的、使い込んだように塗装が剥げかけてる様な演出がポイントです。
※アルミなので、本当に使うと壊れますが・・・

このフックは当時、流行りました。
自分の上の世代にはこんな文化は無かったのですが・・・
特にグランドでの装着率は高かったです。

けど、そんな牽引フックで車をレーシーに演出する文化が今でも続いてると思うと、
面白いですよね~

流行ったのは25年前やのに・・・(笑)
  

この上の写真は曇り空での写真なんです。

曇りの日なら、まだ見れますわ・・・
 
 

このグランドに直射日光が当ると、どうなるか・・・・



 
 

どうですか?

最高の煌きと思いませんか?

目が痛くなるほどのギラギラ感です!

一度見たら、忘れられないようなカラーです・・・

このシビックとスレ違ってUターンしない白バイ隊員は当時の大阪府警にいませんよ!(爆)

まぁ 今の時代はピンク色のクラウンが発売され、人目を引く色の車も走っていますよね。

それに規制緩和の恩恵で車高を下げた車やマフラーを変えた車でも街中を堂々と走れます。

しかし、25年前の昭和63年は状況が違うんですよ。

当時、現役で走ってた人は、誰もが1度は白バイに捕まり、強制ジャッキUP経験を持ってますからね・・・

まぁ この紫シビックですが、自分はこの車の為に6点の点数を失いました・・・
※もちろん、全て整備不良♪

3回目に捕まった時点で、昼間は絶対に走行しない事を心に誓ったんです。

しかし、えらい車を買ってしまいました。。。

 
ただ、このシビックですが、箕面では最高のパフォーマンスを発揮したんです。
つまり、メッチャ早いんですわ。


そのあたりの話は次回に・・・

















Posted at 2013/10/08 00:59:54 | コメント(9) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年09月30日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part10 ・ ナビオ前攻略編

【大阪】走り屋伝説 Part10 ・ ナビオ前攻略編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、内容は大した事ありません。

何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・

当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。

 
その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分がサイバーCRXに乗り始めて8ヶ月。。。

箕面で大クラッシュし、入院したのが前回のブログ Part9の話。

今回は愛車CRXが廃車となり、新しいマシンに変わるタイミングなので、
いつもと少し違う話題をテーマにしたいと思います。

今回のテーマは 『ナビオ前』 です。

『走り屋とナビオ前って・・・全く関係ないやんけ!』ってご意見の方もおられるとは思いますが、少なくとも僕達はあの場所に関わってきたので、今回はあえてテーマとさせて頂いています。

 
この部分は当時の大阪の走り屋と、他府県の走り屋と大きく違う点かもしれませんネ・・・(笑)


時代は今から25年前の昭和63年・・・

唐突ですが、皆さん、ナビオ前って知ってますか?

 
単に大阪の中心部にある繁華街を抜ける道路?、阪急梅田駅の横を通る道路?

違いますよ・・・

走り屋って言うより、自分の世代にとっては特別な場所なんです。

昔、流行った言葉があります・・・ 
『走りの環状♪ ナンパのナビオ♪』
 

そのナビオ前とはどんな場所かを簡単に解説してみたいと思います。
 

まず、位置ですが、この大阪の中心部分、阪急梅田駅の横にあります。
かなり、都会です!
 


 
元々、ナビオ前周辺は80年代の若者文化の発祥の地でした。

 
当時はアメ村より、多くの若者が集まり、周囲のEST-1や阪急ファイブ等、ヤングファッションを多く扱う店も人気がありました。
 


 
それに80年代は休日の昼間にホコ天(歩行者天国)として開放されていた為、
ナビオ前には大阪中から多数の若者が集まり、そこではストリートダンスが流行していました。

今の若者のダンス文化はナビオ前が発祥って言っても良いぐらいですね・・・

そんなナビオ前ですが、夜になるとガラッと雰囲気が変わります。

街を行き交う女性を狙い、多くの男が集まるんです・・・
そして、ナビオ前に車を止めて、ナンパするんです。

この漫画↓でも名前だけ出てきますね(笑)
 

 
で・・・

そこでKPとか女性に人気があったのか?って事ですが、正直に言ってKPではムリです(笑)

AE86でもダメ・・・

下手したら、『はぁ?カローラぁ?』とか言われます。(笑)

当時の流行って、皆さんご存知ですか?

そう。。。

ワンレン・ボディコンの時代なんですよ・・・

いくら頑張っても、こんな子を、KPでナンパするのは難しい訳なんです。
 
 

 

しかし、そんな中でもグランドシビックは健闘しましたね。 
ただし、対象は限られてきますが・・・

本当に狙いたいワンレン&ボディコンのお姉さんは、当時人気のGX71クレスタやマークⅡに持っていかれます・・・

また、発売されたばかりの4WS搭載プレリュードなんかは強敵でしたね。。。

扇風機の羽みたいなスーパーボルクのホイールやシートにムートンが装備されていると、更に戦闘力が高いんですよ。

彼等はサラっと風になびくヘアー・・・ 
脇にはレノマやハンティングワールドのセカンドバッグを抱え・・・
爽やかな笑顔でボディコンギャルをお持ち帰りします。

そんな車を相手に直管シビックでは無理ですわ・・・  勝てません。

なんせ、こっちはトラサルディのジーパン&腰にポケベル・・・
髪型は『パンチ』ですから。。。(笑)

週末は夜12時前になると、各ディスコからボディコンの派手なお姉さんが出てきて駅へ向かうので、それを狙ってナンパをするのですが、阪急ファイブの横にあった、ラジオシティ♪や、DDハウスのマハラジャ♪の客は無理でしたね。

車を見た瞬間、露骨に嫌そうな顔をされます(笑)

なんせ、当時、そのクラスのディスコって、客層はこんな感じですからね・・・
 


 
しかし、ディスコって言うても、実は色々あるんです。


東通商店街のディスコ クレイジーホース♪やボトムライン♪、フォーカルポイント♪の客はヤンキー系若年層だったので、彼女達はAE86やシビックにメッチャ良い反応を示してくれました。

 
『今から環状へ走りに行かへん?』
ってトークが通用するのは、その層なんです・・・(爆)

 
つまり、我々のターゲットはヤンキー系の少女やったって事です。

まぁ イメージとしては、こんな感じか・・・・・・・・・
 

 

あっ! 失礼しました!

 
時代設定が10年ほど狂っとるがな・・・!(大汗)

 
これでは 〇韓連合の時代ですよね・・・

 
まぁ 何が言いたいかと言えば、走り屋にとってナンパは簡単では無かったって事です。


そんな熾烈なナンパな争いに敗れた、走り屋達はどうするのか・・・

まぁ だいたい同じような行動をしてました。

それは・・・

ナビオ前道路と阪急梅田駅高架下を、憂さ晴らしする様に、意味も無く走り回るんです・・・(爆)
 


 
特に阪急3番街の入り口付近や駅下のハスターミナル付近は、高架でトンネルみたいになっている為、音がメッチャ響くんですよ・・・



 


そこで調子に乗ってアクセルをふかし、シビック等の直管サウンドをボディコンギャルに浴びせるのですが、99%は迷惑そうな顔をするだけでした・・・(爆)

 
深夜2時を過ぎると、流石のナビオ前でも人影が減ってきます。

そのあたりで普通は諦めて帰るのですが、僕のツレの中にはアホなヤツがいてたんです。


地元に帰るまでの道中で、淀川の堤防へ上がってみたり、人気の少ない公園に立ち寄ってみたり・・・

その目的を聞いてみたら・・・

『まだ諦めるのは早いぞ! チャンスリ(シンナー吸引)してる娘がおるかもしれんやんけ!』

との事でした・・・(爆)

ナビオ前・・・
 

環状や箕面で走り疲れた時、休憩を兼ねて立ち寄るスポットとしては最高の場所でした。


今の時代には無い文化ですよね?


当時を語る上で避ける事ができない場所なので、今回はあえてテーマとさせて頂きました。


ただ、同じ大阪の走り屋でも、女性には一切興味が無く、頭の中はタイヤとオイルとガソリンの事だけ・・・
って人もおられましたので、全てが当てはまる訳ではありません。


しかし、当時の自分を取り巻く環境は、この様な『シャコタン☆ブギ』みたいな状況であった事は事実です。(笑)


次回は少し真面目に車の話を書きますネ。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted at 2013/09/30 12:37:02 | コメント(9) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年09月26日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part9 ・ 箕面クラッシュ編

【大阪】走り屋伝説 Part9 ・ 箕面クラッシュ編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は大した事ありません。

何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、
またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。

その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分がサイバーCRXに乗り始めて8ヶ月。。。
自損事故も経験し、その後は足回りにエナペタルの車高調、ブレーキにはエンドレスを入れ、タイヤはSタイヤと、ヤマ(峠)を攻めるには十分な仕様で毎晩の様に箕面を攻めていました。


時代は今から25年前の昭和63年9月・・・


その時期は車にも慣れ、走る事が1番楽しかった時期でした。
しかし、思い返せば、『恐怖』と言う言葉を知らなかっただけの無謀さ故の『楽しさ』でした。


とにかく、1番嬉しがって走りまくった時期だったので、無茶な運転をしていました。

CRXに入れていた直巻サスのレートは前後14キロだったので、コーナー侵入のアクセルを抜いた
状態でステアリングを操作すると簡単にテールがスパッ♪と流れる仕様だったんです・・・

箕面のコース上に3箇所あるヘアピンでは、ほぼフルカンターでテールのスライドを止めないと
ダメなぐらい流れました。



 
けど、そんな半分スピンしてる様な無駄な走り方でも、派手な走りの方がカッコ良いと思い込んで
嬉しがって走り回っていました。
(そんな曲がり方、遅くなるだけなんですが・・・)

いくらテールがスライドしても、自分には止める事が出来るって変な自信があった時期です。。。(笑)

テールが止まるのはテクニックでは無く、Sタイヤの性能と、速度域の低いタイトコーナだったからなんですけどね・・・(汗)

天罰が下るまで、それほど時間はかかりませんでした。

昭和63年9月のある日、深夜12時・・・
一般車両通行禁止の時間帯でしたが、祝日前で箕面ドライブウェイ猿天の駐車場は満車状態でした。

その頃の自分は、この箕面ドライブウェイでCRXの横に乗せて欲しいと頼まれる事が多く、
その日も仲間が1人の見知らぬ男性を連れてきました。

男性は『ぜひ、横に乗せて欲しい・・・』と頼んできます。

毎度の事ながら自分は嬉しくなって、即OKを出し、その男性を乗せて仲間が見守る
猿天の駐車場をアクセル全開で飛び出しました。

祭日前って事で、ギャラリーコーナーはすごい人数です・・・
その時は50名ぐらいのギャラリーが山側斜面から自分のCRXの接近を注目していました。




その日はいつもより気合を入れて加速した為、かなり速度が乗っています。。。
またギャラリーの多さにテンションはMAX♪でした・・・


一瞬のブレーキと同時にシフトを3速から2速へダウンし、ステアリングを右に切り込みます。
後輪が横断歩道のペイントを踏んだ瞬間、いつも以上に、テールがスパッ♪と流れました・・・

助手席で見知らぬ男性が『すげ~っ』とつぶやきます・・・

その瞬間でした。。。

普段はアクセルオンで止まるはずのテールスライドが止まりません。。。

その時に慌ててカウンターを強めに当てたので、一気にオツリが返ってきました。。。

一瞬で右テールがガードレールに強く打ちつけられます・・・(汗)
車体に伝わってきた衝撃の大きさから右のリア・フェンダ-部が大破した事はすぐわかりました。
またその衝撃で右のテールランプが後方へ飛んでいきます・・・



その時、自分は判断を誤りました。。。

何も考えず、フルブレーキングをするべきだったんです。(大汗)


しかし、自分が考えた事は、
『こんな大勢のギャラリーの前で恥はかけない・・・』
『FFやからアクセルONでテールのスライドが止まり、このまま抜けれるハズ・・・』

そんな馬鹿な判断で、アクセルを一気に床まで踏み込みました

しかし・・・

車の進路はトンネルの入り口には向かず、無情にも側壁に向けて突進を始めたのです。

目の前にトンネル左側サイドのコンクリート壁が急接近します・・・
アクセルは床までベタ踏み状態・・・






もうアカンと思った時には、パニックで右足が固まり、ブレーキを踏む事すらできませんでした。

その2秒後・・・

『ダーン!』と言う大きな音と衝撃。

その直後から『キーン』と大きな耳鳴りがして止まりません。。。

更に下半身がしびれて足は動かしても何の反応も無く、顔に濡れたような感覚・・・

横からは苦しそうな、うめき声・・・

助手席の見知らぬ男性は、純正シートベルトで肋骨を圧迫されたようで、
うまく呼吸が出来ていない感じでした。

そうです・・・

やってしまったんです。

事故後、まず、車から出ようと思っても、足が全く動きません。

良く見るとエンジン類が室内にメリ込んで足を直撃し、自分は挟まって出れない状況でした。

助手席側のダメージが少なかったのは不幸中の幸いでした。

その頃にはギャラリー達が猿天駐車場にいてる仲間を呼びに行った為、車の回りには仲間が一気に集まります。
 

その時の仲間の顔を見た瞬間、ヤバイ?と思いました。。。
皆、普段見せない深刻な表情をしてたんです。

 
自分の顔の濡れた感触は、ハンドルのホーンボタン付近で眉間を強く打った為、
顔の一部が陥没し、大量に出血した為でした・・・

そんな事故の場合、普通はすぐ救急車を呼んで、車から出してもらい、病院へ運んでもらうのですが、自分達はその前にすべき大切な事があるんです・・・(汗)

交通事故で救急車を呼べば、同時に警察が来るので、その前にチームのステッカーを剥がさないとダメなんです。

万一、ステッカーをそのままにして、警察を呼ぶと、病院で有難く無い取調べが待ってますからね。

当時のメンバーの中にはテンプラ車両で無茶してた人がいましたから・・・(汗)

しかし、この時はフロントガラスに貼ってたステッカーの糊が固着して、なかなか剥がれませんでした。

意識が薄れゆく中で見た光景は、仲間が3人ほどボンネットの上で必死にステッカーを剥がしているシーン・・・

彼らは『後半分や・・・』等と言いながら、必死にシールを剥がしていました。

しかし、彼らが必死に剥がそうとしてる、残り半分の部分は『RACING』の文字・・・

僕は最後の力を振り絞り、叫びました。。。
『そんな部分は剥がさんでもエエから、はよ救急車呼んでくれや!』と・・・(笑)


そんな流れで、やっと救急車を呼んでもらえたんです。

同時に自分の仲間達が、助手席の見知らぬ男性を引きずる様に車から無理やり降ろします。

彼は強い胸の痛みを訴えていましたが、救急車には自分の仲間達が乗せませんでした。

理由は、人身事故になるからです・・・

このあたりの対応は当時の走り屋の世界では常識でした。

もちろん、生死にかかわるような状態なら救急車で病院へ行かせますが、肋骨の骨折程度なら基本的に横乗りの人間は我慢させましたね。

結局、彼は仲間の車で別の病院へ行ったんですけど。。。


少し余談ですが、実はこの事故の1週間前も仲間がトンネルの中で事故を起したんです。

その時は買ったばかりのKPが全損になりました。
赤白の派手な環状カラーに全塗装したサイドマフラーのKPだったんですが・・・

トンネル内で横向き2回転を食らった為、ロールバーで頭を打って大量出血してたんですが、その時もステッカー剥がすのに苦労したんです。

誰もシール剥がしなんか持ち歩いてないですからね・・・(笑)
あれは素手で爪を立ててコリコリしても、簡単に剥がれないもんなんですよ。。。

結局、その時も救急車を呼ぶのに15分ぐらい時間かかったんですが、ツレは搬送先の箕面市立病院で頭を縫ってもらい、2~3日で猿天へ復帰できたんです。


しかし、今回の自分の場合は深刻でしたネ。。。


ツレが先週運ばれたのと同じ箕面市立病院へ搬送され、3ヶ月以上入院する事になりました。。。

先週もツレの事故で救急外来に来てたので、病院の看護婦さん達には呆れられました・・・


事故の翌日、病院での検診時に左膝の間接がバラバラになったので、一生、歩く事は出来ないかも?と医者から言われたんです・・・(汗)

免許が無くなるとか、仕事がクビになる・・・ぐらいなら良いですが、
一生、歩けないのは困ります。

無謀な運転の代償とはこんなモンなんですね。。。(大汗)


ただ、少し嬉しい事もありました。

横に乗せてた見知らぬ男性が自分が入院し、2週間ぐらい経った頃に見舞いに来てくれたんです。

肋骨が折れていたけど、大した怪我ではなく本当に良かったと思いました。
もし、大怪我が彼の方なら・・・(大汗)

これがその事故車両の写真です。

サベルトの4点してなかったら、確実にフロントガラスを突き破って顔面からコンクリート壁へ激突ですわ・・・

脳みそ散乱って感じでしょうか・・・(汗)

しかし、当時のホンダ車って・・・衝突安全性能が低いんですよ(笑)
 

 
 

これがフロントガラスのステッカー剥がし跡です。
 



その他、別角度から・・・




ココまできたら、修理は難しく、廃車ですね。

助手席側はダメージ少なかったんです・・・




 

この大クラッシュにより、仲間の間では自分が走るのを止めるとの噂が広まってました。。。


まぁ 治っても一生、普通に歩行できないと言われていたので、箕面走ってる場合では無いですからね・・・

けど、奇跡的に怪我がある程度回復したんです。
※傷跡を見たい方は遠慮なく、申し出て下さい(笑)


昭和63年12月・・・

また聖地、箕面への戦線復帰する日がやってきます。。。
しかも派手なグランドシビックに乗り換えて・・・

若い頃は、夢中になると止めれない事があるんです。
こんな大怪我しても・・・(汗)

事故によって走るのが怖くなり、ビビって止めた・・・等と思われたく無い!
って気持ちでしょうか???

今になって考えれば、アホな事なんですが、当時はそんな考え無いですからね。


シビックでの戦線復帰ぐらから平成元年の春あたりまでが自分的には最大ピークと考えています。

大阪のアツい夜は続きます。。。

そのあたりの話は次回以降に・・・



今回もダラダラとした長文を読んで頂き、ありがとう御座います。


















Posted at 2013/09/26 22:37:11 | コメント(7) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記

プロフィール

「明日の朝は箕面かなぁー😁」
何シテル?   04/07 18:49
大阪、北摂在住のデビルです。よろしくお願いします。 刺激的な昭和末期が忘れられない人種です。 過去の愛車写真を見て頂くとわかるとは思いますが、 今...
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