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2013年09月14日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part7 ・ 箕面 ホリデーオート取材編

【大阪】走り屋伝説 Part7 ・ 箕面 ホリデーオート取材編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は本当に大した事ありません。

何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、
またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。
その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分がサイバーCRXに乗り始めて7ヶ月。。。
事故も経験し、足回りに車高調を入れ、Sタイヤを装着し、浮かれていた時期・・・。


毎晩の様に箕面へ上がるうちに、交友関係も増えていき、茨木サニータウンや環状へも良く遊びに行く様になります。


そんな刺激のある生活を送っていた時期ですが、更に面白い情報が入ってきました。。。
今から25年前の昭和63年8月のある日・・・

自分達がいつも走っている箕面へホリデーオートの取材が来るとの事でした。

その情報は取材日の1週間ぐらい前に入っていたので、当日は皆、気合が入っていました。(笑)

何故か?

それは自分の車が雑誌に載るかもしれないからです。
確かに、雑誌に載れば思い出として残りますからね・・・

取材は平日でした。

場所は箕面ドライブウェイの猿天の駐車場です。
時間は通行禁止の時間になり、一般車両がいなくなった23時頃に行なわれました。

雑誌社のカメラマンが猿天の駐車場に止めている車両を順番に撮影していきます。

普段、ドロドロの車でも、その日は洗車して猿天へ上がって来てるので、皆の車はいつもより綺麗でした。

カッティングシートで微妙に派手になってる車もあったし・・・(笑)

そして、いつものメンバーが集まって猿天の駐車場で集合写真。。。

途中で1回パトカーの邪魔が入り、人数が減ってしまいましたが、それでも50人以上は残っていました。

何人かは雑誌社のインタビューに答えてたみたいですが、自分は何も聞かれませんでした。。。

って・・・ 

『能書きはエエから早よ雑誌の現物を見せんかい!』って怒られそうですね。

では 少しだけ・・・(笑)

一応、かなり昔のモノって言っても雑誌ですから、堂々と文面は載せれませんよ・・・(汗)
って事で、チラッと・・・

偶然に写った?的にですが・・・(笑)

まず、表紙です。

『ホリデーオート 臨時増刊号 スーパーチューン’88』




かなり年季が入ってボロボロですが・・・


まず、この増刊号に自分達以外に乗ってた車を少し紹介します。


何故かと言うと・・・

雑誌の取材って言うても、どうせ当時のマイナーな車ばっかり集めたローカルな特集ちゃうんかぁ???

等と思われるかもしれないので。。。(笑)

まぁ 関西の分をメインに少しだけ紹介しますので見てください。。。

当時、皆があこがれた車がズラ~っと出てますよ!(笑)



まず、柿本 Z 伝統のメカチューンですわ・・・
やっぱり、このマフラーが柿本って感じです。
単車のXL500用ピストンで3.1ℓですよね♪





それに、ロータリー勢ではサコ・レーシングとRE雨宮のSA22C
サコレーシングの方は12Aエンジンにウエーバー48のクロスポート。。。
足回りは中山仕様・・・
ファイナルは4.1に変更との事。

雨宮セブンの方はストリートでの使用を優先し、ペリでは無く、あえてサイドポートの仕様とか・・・






どうですか? 懐かしく思われる方、いらっしゃいますか?(笑)



更に、オートセレクトのソアラ・・・
5MG改 3.1ℓ
それにKKKのF1タービンを2基搭載のキャブのツインターボ仕様。。。
パワーは当時のシャシーダイナモで計測不能との事・・・(汗)
しかも、最高速は310キロ以上ですよ・・・
今の車は簡単に300キロ出ますけど、25年前ですからね~
メッチャいかつい!!!
素晴らし過ぎます!!!






次はトライアルのソアラ・・・
超高速クルージング400PS仕様





もう一つ・・・

RSハマダのメッチャ渋いTE27
2TG改ですね
軽く8000回転♪ 180馬力






最後は神戸のスピードガレージG5のジェミニ ZZ・・・






どないですか?

有名なマシン満載って感じでしょ?

自分的にはこの昭和末期って、新しい車と前世代の車が微妙に混ざり合って、
刺激的なマシンが多数あった時代だと思うんです。

そう言う意味では、1番良い時代だったのかな?って思います。

この時代を経験していると、今のスムーズで静かなハイパワーエンジンに四駆のトラクション・・・
更に電子制御でガッツリ守られた車にあまり魅力を感じないんですよねぇ(汗)

もちろん、今の車は安全で早く走れるのですが、五感に訴えるモノが少ないような気がします。

あ。。。


話が反れました。。。(汗)


で 本題の箕面の話ですよね・・・(笑)



まず、箕面グランド軍団の紹介です。
※当時、箕面グランド軍団って名前を勝手に付けたのはホリデーオートさんですよ(汗)





この雑誌ページの中でブラックレーシングのホイールを青塗りしてるのが、僕が乗る事になるグランドシビックです。
※真ん中の上です

この雑誌取材の3ヵ月後には、自分の車となり、ホイールが無限に変わり、ボディカラーを紫に塗り替えるんですけどね。

昭和63年の8月頃はグランドシビックが発売されて約半年だったので、ボディカラーは白が多く、その白ボディに蛍光色で塗られた派手なホイールを装着するのがカッコ良いとされた時期やったんです。

特に、ウエッズ・スポーツのホイールが人気でしたね。

その半年後、平成元年を迎える頃にはカッティングシートやボディ全塗装によるド派手なグランドが増殖してくるんですが・・・


ここにも書かれていますが、元々、箕面や環状でグランドシビックは人気あったんです。 
それが雑誌に載る事により、更に人気が出てきます・・・




大げさな話では無く、この1年後にはどこ見てもシビック一色???ってぐらい大阪では人気車種になるんですよね(笑)


当たり前の話ですが、当時はインターネットみたいな便利なモノはありませんからね。
雑誌だけが情報源だったので、コレ系雑誌の影響力はかなりあったんです。。。


あっ!


シビックの話より、箕面で受けた取材の結果はどないなってんねん? って声が聞こえてきました。。。(笑)



これが、取材の結果です。






そして、ページ右下に集合写真が載っています



集合写真部分を拡大すると・・・(わざとボカしてます)





当然、自分達はこのホリデーオート発売日に書店で雑誌を購入し、中を読みました。
そして、皆が言った事は・・・・

『おい!  この目立ってるミノルタカラーのAE86 誰やねん!』
『こんなん、箕面で見た事ないぞ!・・・』
『どこの誰や???』

でした。(笑)

実際に自分も見た事が無いミノルタAE86が1番大きく載ってるじゃないですか・・・
この撮影場所は、今の猿天駐車場の便所がある場所なんですけどね

雑誌のページに大きく載ってるミノルタカラーのAE86・・・
確かにホリデーオートの取材日には見ましたよ。
写真を取られてた場面も覚えています。
けど、それ以外では箕面で一回も見た事はありません。。。(汗)

まぁ 不思議な事もあるもんですね。。。(笑)


皆が文句を言うてたのは、あのミノルタAE86が悪いって意味では無く、
なんで自分達の車の写真をホリデーオートは載せてくれへんねん!って事なんですよ・・・(爆)
当時は皆さん、わがままでしたから・・・(汗)


くだらん話ですが、今となっては良い思い出ですわ。。。



まぁ ミノルタ86の話はどうでも良い事なんですが、この雑誌に書かれている文章の一部を
紹介します。


多分、あの日の取材で誰かが話した内容なんかな???


『L型チューンが神格化し、ドレスアップなる言葉が死語になり、
ターボバトルが来るところまで来てしまった感さえある今、大阪で流行りしモノ・・・』

『1600ツインカム峠仕様』
『足をキンキンに固めて峠を攻める』
『阪神高速環状線を駆け抜ける』
『大阪には30分圏内で行ける峠サーキットがある』
『PM9時、峠サーキット(箕面)に集まる・・・』
『PM11時、クールダウン走行に入り、ナビオ前へ移動し、車を停める』
『AM2時 夜更けの阪神高速環状線に突入!』
『今日の仕上げは環状バトル・・・♪』
『ココでも1600ツインカムは早い・・』
『そして、長い夜が終わる。。。。』




誰が取材で答えたのか知らないですが、少し大げさな表現になってますね・・・
箕面攻めて、その後、ナビオ前に行って、夜更けに環状を攻めるってぇ???(汗)

まぁ 雑誌なんで良いとしましょう!(爆)



前もブログに書きましたが、この雑誌掲載により、箕面の知名度が一気に上がり、
猿天を攻める車が一気に増える事になります。


また、それに比例して事故も増えていきます。


次回のテーマは・・・全盛期を迎える当時の走り屋文化、ファッションについて、少し書きたいと思います。


文化なんかに興味無いですか?(笑)
Posted at 2013/09/14 12:55:49 | コメント(2) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年09月10日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part6 ・ 箕面 成長編

【大阪】走り屋伝説 Part6 ・ 箕面 成長編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は本当に大した事ありません。

何度も言いますが、尚、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、
またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。
経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。
その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分がサイバーCRXに乗り始めて4ヶ月。。。
初めの自損事故も経験し、少しだけ成長してきた頃。

時代は今から25年以上前の昭和63年5月・・・

その時期の箕面の状況を簡単に書いておきます。

箕面では昭和62年から昭和63年に入って大きく変わった事があります。

それがシビック(CRX)のフルモデルチェンジ・・・
箕面でも少しずつグランドシビックの台数が増えていきます。

この時点で10台以上いてましたね。。。
CRXはそれほどでも無かったんです。
自分の車を入れて常時3台ぐらい・・・

その代わり、310サニーやTE71、ジェミニあたりの台数が徐々に減っていきました。

しかし、AE86の台数は減りませんでした。
いや・・・ むしろこの時期は逆に増えていきました。 

中古市場でも程度の良いAE86は値段が高騰しはじめ、新車より高い値段が付いてました。
後期のGTVで160万や180万の値段が付いてましたね。

シビックと同様、AE86もAE92にモデルチェンジをしてましたが、AE92に乗り換えた人は
自分の知っている限り(箕面では)いませんでした。

不思議な事ですが、スターレットもKP61は増殖していましたが、EP71は箕面ではサッパリ・・・

ただし、22時迄の合法時間帯と、自分達が走っていた22時以降の本気走りをする時間帯とでは
状況は変わってたと思いますけどネ。


それと、この時期にもう1つ変わった事。。。
それはタイヤです。

昭和63年に入り、箕面でもSタイヤ装着率が急にUPしていきます。

箕面ではその時代のSタイヤはR(アール)タイヤとも呼んでいました。
多分、商品名にレーシングの意味での『R』が付くからですよね。

例えば、アドバンHF『R』 -タイプD、  ダンロップフォーミュラ『R』76J・・・
トランピオ FM9『R』・・・ 

商品名にSが付いてたのはポテンザです。

その波にのって自分もSタイヤを導入する事になります。

前回のブログで書いた雨天練習によりクラッシュしたCRXですが、足回りもダメージを受けたので、
このタイミングでついに車高調を導入しました。

当時、定番花形だったテクニカのビジョンを入れたかったのですが、足だけで24万8千円のお金が使えない!
いくらお店で、お〇む〇さんが、『工賃サービス♪ ローンいけるよぉ~♪』と言いながら、
日本信販のローン用紙を目の前に出してきても、後々、払えないものは買えなかったのです(爆)

結果的には安いエナペタルのCリング式を入れました。

それと同時に思い切ってSタイヤを導入します。

選んだタイヤは当時の最強タイヤ ダンロップ・フォーミュラ『R』76Jです。

この76J・・・  下の写真でも分かると思いますが、新品時はカラスの足跡みたいな模様が入っています。

しかし、少し走ると2本溝のみになり、スリックみたいな感じのタイヤでした。





このエナペタルのガチガチ車高調と最強タイヤの76J装備で、一気に世界が変わりました。。。


そうです!  メッチャ早くなったんです!(笑)




今まで、ポテンザRE71で雨降り時とかに練習していた自分にとって、この足とタイヤは反則とも思えました。

とにかく、テールが流れても、粘りながら止まるんです・・・
いや、タイヤが止めてくれるイメージですね。

アンダーが出ても、ハンドル切れば、それなりに曲がります。。。
※後になって分かる事ですが、このタイヤが怖いのは、本当に限界を超えた時でした

その頃は自分の腕が上がったと錯覚し、色んな車に挑戦し、かなり浮かれていました。。。(大反省)
(その代償は3ヵ月後に払う事になります・・・)

当時、先輩達や箕面を走ってた仲間達からも良く言われた事は
ZCエンジンを積んだCRXに、当時は贅沢品の直巻きスプリングの車高調・・・
それにセミレージングの76J・・・

『そんな仕様やったら、誰が運転しても早く走れるわぃ!!!』

って事で、そこそこ走れても、仲間は誰もほめてくれません。(爆)

KPで早かったら認めたるって事なんでしょうね・・・

確かに当時の箕面KP軍団はかなり気合入ってましたからね。。。
常時、7台~8台・・・
特に早かったのは2、3台でしたけどね。

そのうちの1台は自分でエンジン触ってて、腰下はノーマルとか言いながらとんでもない加速・・・
多分、1450にしてたと思いますわ。。。

あの時代はエンジンに手を入れても誰にも本当の事を言いませんからね(笑)

『エンジン触ってその程度かぁ? スーパーチャージャー付けてその程度なん?』等とイジられますから・・・

そのKPですが、当時にしては見た目は地味なKPでした。。。
しかもノンスリは入れずにデフのギアを溶接したデフロック仕様!

そして、デフロックで負担がかかるシャフトを守るべく、タイヤはタクシーみたいな細いタイヤを装着!

当時の言葉で言えば、『ゴンボウ タイヤ』ってヤツです(笑)

しかし、その鉄チンホイールにゴンボウタイヤ装着のKPですが、
見た目は非常にヘタレなKPなんです・・・  タイヤ細いし・・・(笑)

けどナメてかかればえらい目に合ったんですよねぇ。。。 コレが。。。
 
変にアオったりすると、最悪でしたね・・・
簡単に進路を譲ってはくれますが、その後、5センチぐらいに車間距離を詰められてアオられまくります。。。

また、高速コーナーで横に並んできたりして、メッチャ虐められます。。。
※非常に執念深いです(爆)

まぁ 簡単にちぎれる腕があれば良いですが、あのトンネルの中ですらカンターを当てて抜けてくる様な車なので、簡単に逃げる事はできません。

S時を抜けてきた勢いで、このトンネルに飛び込み、側壁スレスレまでテールを流しながら、
下のギャラリーコーナーへ駆け降りていきます。




後、1台のKPは・・・

ダートラ競技車両のKPですね。

自分の仲間が時々、乗ってきてたんですが、内装なんかありません。
もちろん、車検なんか受けてる訳がありません。

ダートラの競技車両なので、タイヤはキャラメルタイヤです。
ミッションは4速のフルクロス・・・
猿天の駐車場からギャラリーコーナー直前で4速が吹け切ります。

この車は更にタチが悪いです。。。

前を走ってる車に当てる気で攻めるんです。

どうせ、バンパーもグニャグニャ・・・ ボディもヘコミだらけ・・・
助手席のドアも完全に溶接して、開かないようにしてる車ですからね。

あっ  けどナンバーはちゃんと付けてましたよ! 当然のマナーとして・・・

得意の天プラでしたけど(爆)

まぁ 仮に、車が接触しても、相手に弁償するような人では無かったですけど。。。

このKP、4速のギアをフルに使い、箕面を攻めます。

けどキャラメルタイヤはアスファルトでは食いません・・・
箕面のコースを走る時は半分以上、カウンターを当てている状態でした。

そんな2台のKPですが、時々 気まぐれでSタイヤを入れてくる日があるんです。
そしたら・・・ もう・・・ 追いつけない(笑)

けど、そんな腕をもってしても事故に合うのが箕面です。

対向車がコーナーを膨らんできたら終わりですからね・・・

それが、この橋のヘアピンでの接触(正面衝突)でした。



※このヘアピンで事故るケースは多く、B310サニーが突っ込んだり、多くの車がクラッシュした
場所です

このケースでもKPは対向車をギリギリで回避したけど、フェンダーをヤラレました。

事故の時、履いてたタイヤはゴンボウでは無く71Sでしたね。





※この写真のKPはイメージとしての参考掲載です。 文中のKPを意味するものではありません!
 (謎笑)


まぁ そんな感じで箕面ではグランドやCRXあたりと互角のポテンシャルを持ったKP・・・
また1つ前のモデルではあるが、能力十分なワンダーシビックやAE86・・・、
台数は減ったが、まだ現役だったB310サニー、TE71、ジェミニ等・・・
それに、SA22Cは減ったがFC3Sが数台・・・

そんな感じの多車種の混戦状態で、今思えば一番楽しかった時期でした。


当時、環状や箕面を走るって事は色んなリスクがありましたねぇ・・・

自損事故もそうですが、他人との車接触トラブルとか。。。(汗)
まぁ それが嫌なら走れなかった時代なんですけどね。


この時期の箕面に関しては環状と違って取り締まりはキツく無かったです。
たまにパトカーが1台来て『山降りろ』と言われるだけでした。

ただ、1回だけドライブウェイの入り口で検問がありました。(自分は運良く休んでました)
ある夜、猿天の駐車場にパトカーが来たので、全員ドライブウェイを降りたんです。

その時は22時以降なので、降りてくる車は出口の交差点で順番に全員キップ切られたんです。

※ココです




その為、ドライブウェイ下りは渋滞してました(キップ切られ待ち状態)

ドライブウェイを降りる車の列は浄水場横まで届いていたそうです。。。

※ココです




その時、気合が入ったのが、我らが天ぷらナンバー車両KP!

当然、捕まれば、タダでは済みませんからネ。。。

一瞬の判断でした・・・

天プラKP、浄水場の渋滞地点から反対車線に出て一気にフルスロットル♪

渋滞の列を横目にソレックスが吼えます!

そして、ドライブウェイを逆行し、検問をしている信号の場所まで一気に駆け降り・・・

そこで、ポリの単車をなぎ倒し、検問を見事に突破♪

・・・って

エピソードがありました。

その日に限り、自分は上がって無かったので、この話がどこまで事実かどうかは知りません。(笑)

大げさに伝わったのかもしれませんが、検問のあった翌日に堂々と走りに来てたので、
捕まっていない事は事実ですね。


次回は箕面ドライブウェイで自分達が雑誌(ホリデーオート)の取材を受け、グランドシビックが一気に増えて行く時代(昭和63年8月頃)の話です。

いよいよ、箕面も最大ピーク?を迎える時期に入っていきます。


Posted at 2013/09/10 13:23:15 | コメント(7) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年08月31日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part5 ・ 箕面 入門編

【大阪】走り屋伝説 Part5 ・ 箕面 入門編
今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は本当に大した事ありません。


何度も言いますが、尚、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、
またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
架空の作り話?? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。
その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分が車を購入し、実際に走り始めた時期の話です。

時代は昭和63年1月・・・
発売されたばかりのサイバーCRXが納車されました。

納車の翌日に環状の強烈な洗礼を受けたのが前回のお話です。

今回は、その後、CRXにて峠を走り込みながら、車も徐々にイジっていく話です。

CRX購入後、いきなり環状でポリにワイパーのゴムを燃やされた為、少しテンションが下がり、
環状より安全?な近場の箕面で練習する事にしました。

車は完全にフルノーマルで13in鉄チンのホイール、タイヤのブランドは忘れましたが、175の70が入ってたと思います。

そのノーマルのCRXで毎晩、箕面へ上がり、約1ヶ月でタイヤのショルダーが文字の部分までボロボロになるまで走り込みました。


当時の70扁平のタイヤは攻めたらタイヤサイドにダメージ受けるんですよね・・・(汗)
キャンバー付けてたらそんな事も無かったと思いますが・・・


タイヤの山が無くなった為、新しいタイヤとホイールを買う事にしました。

当時、流行のブラックレーシングが欲しかったのですが、お金が無かった為、同じようなデザインの14inブレイズにしました。

また同時に足回りも強化し、タイヤはポテンザRE71を入れました。
14inの185-60扁平です♪

当時はCRXが発売直後で車高調も出てなかったので(車高調自体も完全には普及して無かった時代)、無限のショックとサスをセットしたストリート仕様の足回りを入れました。

購入したお店は当時、八尾の外環沿いにあったホンダ系のショップだったと思います。

しかし、この無限のストリートサスセットが大失敗でした・・・
バネレートもほとんど純正と変わらず、車高は全く純正と同じ・・・(汗)
ショックには減衰力調整も付いていない・・・(汗)

そこで、中環の摂津にあったM○○・ガレージハウスで相談したところ、
車高落としたいん? それならバネ切ったらええやん! との事で、バーナーでサスを2巻カット♪ 

車高は少しだけ落ちてくれました! (もう少し切っても良かったかな???)
当時はアライメントって感覚は無かったですね(笑)

しかし、サスカットの荒技をほめてくれた地元の先輩は1名だけでした・・・
その先輩はマンハッタンカラーのS130Z(2by2)に乗っており、ホイールはロンシャンと、
まさに歩くヤングオートみたいな人やったんですけどね・・・(爆)


それから2ヶ月ぐらいの期間はこのサスカット仕様のCRXで箕面を走ってました。




しかし、少し攻めるとすごいロールがあります(汗)

けど夜間通行禁止になる22時前であれば、本気で走る車は少なく、こんな中途半端な足でも楽しめました。




昭和63年4月・・・


この頃、地元の先輩達は走り屋をすでに引退しており、自分は箕面での仲良しグループと行動する様になっていました。


その頃、箕面の仲間内では雨の日に攻めるのが流行ってたんです。。。


元々、ダートラやってた人もいてたので、皆、メッチャ早いペース(汗)

KP61、AE86、ワンダー、バラードCRX・・・

皆、雨の中をガンガン踏んで走っていきます。  
まさにスリックカート状態です(笑)

当時、雨降ってる夜中に箕面を攻めてたのは自分達だけだったと思います。

ある日、僕は大した腕も無いのに無理して皆に追いつこうと思い、大雨の中、
スピンし、山側へ車を当ててしまいました。

※バンパーと足回り破損



※当時の60タイヤは角がツルツルになるんですよね (ポテンザRE71)





雨の日って、タイヤが滑っても簡単には止まらないんです・・・(汗)

結果、このクラッシュによって足回りも本気な車高調を導入し、車高もベタベタになるのですが、
その話は次回以降に・・・


少し余談ですが、自分達が密かに練習してた場所は箕面以外にもあったんです。



その頃の行動パターンは平日、週末に関わらず、夜11時頃、猿天に上がります。

それからAM1時頃まで箕面を走りまくり♪

で・・・

その後に練習会があるんです(汗)

皆で箕面を降りて練習場まで移動する訳ですが、 練習会は、ほぼ強制参加やったような記憶が
あります。。。(笑)


その会場とは・・・

万博(エキスポランド遊園地)の駐車場でした。

昼間は車がいっぱいですが、夜はガラガラで調度良い練習場でした。




練習場への行き方は万博外周から一方通行を約200メートル逆行し、出口から進入します。

当然、駐車場出口にはチェーンがしてあったと思うのですが、どうやって入ったのか記憶にありません(笑)

多分、メンバーの誰かが破壊したんだと思います。。。(汗)

今、思えば当時の仲間には結構、大胆な事をする人がいましたネ。

特に自分の所属団体の先輩は天ぷらナンバーのKP等に乗ってたんで、やりたい放題・・・
例えば、追いかけて来るパトカーにKPで体当たりして逃走したり・・・(汗)

同じように行動してても自分は基本的に本物のナンバープレート付けてましたから,
本当にヒヤヒヤした事がありました。

天ぷらナンバーって封印とナンバーを接着剤で固定させてるですよね・・・
だから見ただけでは普通のナンバーにしか見えません。
(封印もちゃんと付いてる様に見えるんです)

けど、ナンバーを手前に引っ張ると、封印の部分は車体に固定されておらず、ナンバーと連動して動くんです(笑)

まぁ見た目はナンバーをアルミやガムテープを貼って隠すよりスマートでしたよ~

ただ、捕まった時にはタダで済みませんので、当時でもそれなりの覚悟が必要な行為でしたけど・・・


またまた話がそれたので、元に戻すと、
そこでAM3時過ぎまでサイドターンの練習やノンスリターン(アクセルターン)の練習をしていました。

車の台数は平日は10台弱ぐらいでしたが、通報する人もいないので、ポリも来ませんでした。。。

このエキスポランド駐車場でのサイドターン練習は8ヶ月後の昭和63年12月・・・
たくさんの人でにぎわう年末のナビオ前で活かされる事になります。。。(爆)

昭和63年4月♪

まだまだ走り屋を始めたばかりですが、この様な地味な?下積み期間があって少しずつ運転技術?を学んでいきます。






次回はCRXに車高調を入れて本格的に?少しマシに?走れるようになった頃のお話です。














Posted at 2013/08/31 13:40:07 | コメント(4) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年08月27日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part4 ・ 環状にて捕まる編

【大阪】走り屋伝説 Part4 ・ 環状にて捕まる編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は本当に大した事ありません。

何度も言いますが、尚、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、
またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
架空の作り話?? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。

その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分が車を購入し、実際に走り始めた時期の話です。


時代は昭和63年1月・・・
発売されたばかりのサイバーCRXが納車されました。




自分の周りはKP率が高かったのもあるのですが、初めの車が新型のCRXってかなり贅沢だと皆から言われました。。。(汗)


納車の翌日、慣らし運転を兼ねて、ギャラリー目的で環状に上がる事にしました・・・

慣らしとは言え、無駄に長距離をダラダラ走るより、ギャラリーを楽しみながら慣らし運転が出来るので、その時は良いアイデアだと思ってました。


その日は予め先輩が走る時間も聞いてたので、その時間に合わせて環状をゆっくり周回していました。

横には同じ年のツレを乗せて・・・


まだ時間帯が早く、一般車も多い為、走ってる車は少しだけでしたが、
夕陽丘も検問しておらず、ロングでもショートでもOK♪ って感じで、快適なドライブでした。






まっ 万一、検問していても昨日納車のフルノーマル車両!
全く恐れる事はありません!


・・・???


の、ハズでした。。。(汗)


5周を回ったぐらいでしょうか・・・・・・


堺線のショートコース周回中、難波プランタン先の環状への分岐路にパトカーが止まっており、火のついた発炎筒を片手にポリがこっちを見ています。

※この場所ネ ↓




嫌な予感はしたのですが、こっちはフルノーマル車両♪ 恐れる必要は全くありません。
堂々と分岐を四ツ橋方面へ進みます・・・


すると、そのポリが笛を吹き始め、車を止めろとの合図。。。

もちろん、逃げる理由も無いので分岐路横へ車を止めます・・・

自分が乗ってるのはフルノーマル車両♪なので強気でした!(笑)

しかし、少し様子が変やぞ???って思ったのはその時でした。

発炎筒片手にポリがCRXへ寄って来た訳ですが、何やら大声で叫んでいます。。。


近くまで来ると、普通で無い事がわかりました。
そのポリ・・・
完全に目がイッてました・・・(汗)

奴は・・・

『おい! ワレ! ココ(環状)、 何周、回っとるんじゃい!』
『俺はお前の周回数を数えとったんじゃ!』
『こんな車、燃やしてしもたるからな!』

等と叫びなから、火のついた発炎筒を車の上で振りかざします。。。
すると火の粉が車に落ちて、ワイパーゴムから煙が・・・(汗)

その事に対して文句を言うと、ポリは更に叫びまくります(大汗)


その後、態度が反抗的やとの理由で、止めてあったパトカーの中で取り調べを受けました。

その時、初心者マークを貼っていない事が発覚し、ポリは勝ち誇ったように・・・

『ココ(環状)で交通違反したら、家に帰れると思うなよ!』
『俺がお前の勤め先に連絡して、そこで働かれへんようにしたるからな・・・』
『お前は仕事もクビになるんじゃ・・・どうや? 気分は・・・?』


等と、嬉しそうな顔をして語り始めました。。。

その間、パトカーの横を走り抜ける環状マシン達・・・

爆音の車両が通過する度に、ポリのテンションが上がります。。。

『今のチームはお前の仲間やろ!!!?』
『メンバーの連絡先を教えろ!』
『お前が助手席に乗せてたツレはもう自供しとるぞ・・・』
『お前もエエ加減に知ってる事しゃべって楽になれや・・・』
『素直にしゃべったら家に帰れるんやで・・・』


まぁ パトカーの中ではそんな会話が続きます。

ツレが自供したとの事ですが、初めて環状に連れてきた子なので、チームとか知ってる訳無いんですけどね・・・

その時点でポリがカマかけてる事は直ぐに分かりました(笑)

しかし、1時間以上、説教されると疲れてきます。

さすがにポリも怒鳴るのに疲れてきたみたいで、帰れそうな雰囲気になってきた時に、遠方より地響きの様な鈍い音・・・

パトカーのミラー越しにチェックすると、激しく上下するヘッドライトの光軸と左右への動きが半端なく・・・(汗)

しかも、すごい台数・・・(大汗)

しかし、折角、帰れそうなこのタイミングに、ポリに余計な刺激を与えて欲しくありません・・・

私は心の中で祈りました・・・


せめて、【おとなしく】通過してくれ・・・・と・・・

先頭の数台がパトカーに並びます。。。

某有名チームでした・・・

その瞬間・・・


バッ・バッ・・・ 

ヴゥオ~ン  ブォン! 

ヴァァ~ン!! バァ~~~ン!!!



私の祈りも虚しく、各マシンが一斉にエンジンをフカしまくります。。。

しかも、ポリにメンチ切りながら・・・(爆)
 

当然、ポリのテンションは・・・・・


ウルトラ MAX!!!


通過した後も、奴はパトカーの中で吠えまくっていました。。。
しかも、それは爆音を聞く度にヒートUPしていきます・・・・

結局、解放されたのはその2時間後。。。

つまり、初心者マークで捕まっただけで、3時間コースですわ。。。(大汗)

恐るべし、『環状♪』

もし車を改造してたら、没収 ⇒ 強制廃車コースでしたからね(汗)


先輩達からの噂では聞いていましたが、これほど強烈とは思いませんでした。

同時にココは堂々とナンバーを付けた車で走るような場所では無い・・・って事を勉強させてもらいました。

つまり、箕面以上に走るなら、それなりの『覚悟』が必要な場所なんです。。。
当時は走る方側も気合入ってましたが、捕まえる側もかなり気合入ってました。。。
大げさに話をしてる訳では無いですよ~

実際に環状のポリに捕まった人はエライ目にあってますからね。
当時、言われた事は、『とにかく逃げろ』でした(笑)




まっ こんな感じで自分のCRXでのデビュー戦は、何とも情けない形でスタートした訳なんです。。。(汗)

今、考えると、もっと自慢できる様なカッコええ捕まり方が良かったのですが、現実はこんなモンですわ(爆)

しかし、環状で捕まったのはこれが最初で最後でした。。。
間一髪って事は何度かありましたが・・・(笑)


次回は愛車CRXを走れる仕様にすべく、足回りを中心に手を入れ始めた頃の話です。


長文、読んで頂き、ありがとう御座いました。


Posted at 2013/08/27 16:17:21 | コメント(14) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年08月20日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part3 ・門真サーキット 準備編

【大阪】走り屋伝説 Part3 ・門真サーキット 準備編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は本当に大した事ありません。

特に、今回は具体的な車の話でもありません・・・(汗)

何度も言いますが、尚、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、
またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
架空の作り話?? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。

その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分が車での『走り屋』を夢見ていた時代・・・
車種決定に至るプロセスはPart2で書いた通りであり、今回はその続きの話です。

時代は昭和62年秋・・・

購入する車は来年1月に発売のサイバーCRXと決めおり、その資金を貯める為に仕事を頑張っていました。

それと同時に、車の運転テクニックも徐々に学んでいく事になります。

まず、自分がヒール&トゥをマスターした車・・・

それは『サニー・トラック』でした。




何故、サニトラ?って思う人もいると思いますが、当時の職場であるガソリンスタンドで灯油の配達に使われてたんです。

有難い事に、下っ端の私は灯油の配達係に任命されており、仕事中は良くサニトラを乗り回していました。

サニトラのエンジンであるA12は軽快に回り、アクセルレスポンスも良く、単車でミッション操作になれていた自分がヒール&トゥをマスターするまでに大して時間はかかりませんでした。。。

ただ、ブレーキとアクセルが離れており、仕事中の長靴で操作するのは難しかったですけど(汗)

しかし、ある程度。サニトラの運転に慣れると、欲が出てくるもので、交差点でコーナリングの練習ができないか?等、大胆な事を考えるようになります。。。

もちろん、ノンスリ等は入っていない為、上手く出来る訳ないのですが、ある程度 高回転でクラッチをミートし、ホイルスピンをさせた状態で交差点を曲がったりして遊んでいました。

しかし、そのサニトラは荷台に灯油のローリーを積んでいる為、横転しそうな変なゆれ方するんですけどね・・・(笑)

サニトラのタイヤはタクシーみたいに細いのが付いていて、ホイルスピンさせると、『キュル♪キュル♪キュル♪』と高い音を立ててくれました。

そんなある日、いつもの灯油配達中、女子高生の視線を意識し?信号待ちから派手にスタート♪
そして、タイヤを鳴かせながら交差点を華麗に?曲がったとこで、対向車に見覚えのある車・・・(汗)

それは集金中の所長が乗る軽トラでした。。。(大汗)

スタンドに戻ると所長は激怒しており。。。(激汗)
結局、その日から、自分は灯油配達禁止になってしまい、運転の練習が出来なくなってしまったのです。(泣)

しかし、しばらくして、運良く??? コーナリングの練習場所が見つかる事になります。

それが 『門真サーキット』 です。

門真サーキットとは、当時、一世を風靡したスリックカートで、場所は中環沿いの門真エリアにありました。

当時は中環を走ってると大きな『門真サーキット』って看板が目に入ったんですけどね。。。
この場所です。





今ではココに門真サーキットがあったとは思えないですね(笑)

そのスリックカートですが、はじめは先輩達に連れて行ってもらいました。

そこは中環の側道で駐車場が無い為、営業終了後のスタンドに皆の車を置いて1台に乗り込み、移動します。。。

5人乗車なので、広い車が良いとの事で、フルスモークの430セドリックで良く行きました。
シートには当然、ムートン1.5匹モノを装備・・・
ホーンはミツバの電子ホーン・・・
鳴らすと、『プァ~~~~~~~ン♪』と派手な音が出ます(笑)
更に当時の必需品 【パーソナル無線機】 ナショナルPQ10装備♪

少し余談ですが、昭和62年の頃は携帯電話どころか、ポケベルも普及して無かったんです。
自分達も誇らしげに腰にポケベルを付けはじめたのは昭和63年に入ってからですからね。
だからパーソナル無線は仲間と連絡を取る為の重要アイテムでしたし、当時は流行ってたんです。

このパーソナル無線の世界は少し非日常的な側面もあり、自分自身も深く入り込んだ時期も
あったのですが、当時は走り屋の世界以上に刺激的に思えました。
まさにメリット5~♪って感じです(爆)

まぁ ツレや先輩が大型ダンプやトラックに乗ってたので、その交友関係の延長なんですけど。。。

今で言う、オフ会みたいな会合をサミット等と呼んでたんですが、上の人はベンツの560SELや
ベントレーで来られてましたからね。

とにかく、無線は他の団体と揉め事が多い世界でした。 (笑)


って話がメッチャ反れたので、元に戻すと、早い話がその先輩の430セドでスリックカートへ連れて行ってもらったって事なんです。

で、分かりやすく言うと、その先輩等は絵に描いたようなヤンキーやったって事です(笑)

そんなメンバーで門真のスリックカートに行くと、かなり高い確率でモメ事に巻き込まれました・・・
まぁ 喧嘩にまでならなくても、他のグループとメンチの切り合いになったりして、コーナリング練習どころではありません(爆)


そこで、行くメンバーを変更し、先輩達では無く、中学の同級生と良く行くようにしました。
今、思い出すと門真サーキットは車を購入する前に結構通いましたねぇ・・・




確か、門真サーキットは2年弱で閉店したと思います。
南港は長く営業してたみたいですけど・・・・

しかし、今になって考えると、実際の運転で使えたスリックカートの技は一切ありませんでした・・・(汗)
スリックカートって、一定のドリフトアングルを維持して、慎重に曲がってても、背後から車を当ててくる奴が確実にいましたからね・・・(爆)


今回もまだ自分が車を手に入れる前の話でした。


別にじらしている訳では無いですが、当時の時代背景を理解してもらう為に書いています。。。(笑)

今の世の中の常識では考えられない様な事も多かったので。。。

次回はいよいよ愛車、CRXの登場となります。
少し内容はマシになると思いますので、宜しくお願いします。


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Posted at 2013/08/20 18:52:49 | コメント(7) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記

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