
皆、それぞれが情熱的に生きていた昭和末期。
そんな時代を忘れる事ができない男が、昔を懐かしみつつ書いてみました。
尚、内容には一部不適切な部分がある為、フィクションとしてお読み頂ければ幸いです。
ストーリーの概略としては、自分が16歳の頃、バイクを所有する為に働き始めたガソリンスタンド。。。
そこでの人間関係により、その後の人生が大きく変化するというお話しです。
舞台は今から約30年前の昭和60年。
場所は大阪市内の某所。
世の中の景気はこの頃から一気に加速し、2年、3年後にはバブル絶頂期を迎えます。
◆主要登場人物(今後 登場予定の人物も含む)
・所長
ガソリンスタンドのオーナー所長
髪型も七三分けの超真面目人間。
性格は非常におとなしく、温厚。
・奥さん
所長と対照的に活発で気が強い。
そして、性欲も旺盛。。。
若い従業員との不倫も・・・
・大木先輩
当スタンドの正社員
当時の年齢は20歳
かなりのヤンキー気質で、気が短く、暴れやすい
しかし、DCブランドの服を着こなし、常時数十人の女性を連れていたモテ男
愛用ブランドは、Y’s
東通商店街で女性に声をかけ、即ホテルに連れ込む事が出来るぐらいの『ナンパの達人』
10代の頃、無茶をした為、当時は免許取り消し状態
・松三郎先輩
大木先輩と同じ中学の同級生であり、当時の年齢は20歳。
昼間は土木作業員をしており、夕方から夜までガソリンスタンドでバイトしていた人物。
中学を出て、すぐに土方の世界に入った為、言葉使いが悪く、見た目もパンチパーマで人相が悪い。
しかし、気が弱い側面があり、喧嘩が発生したりすれば、仲間を見捨てて逃げる事も多い。
女にはモテない。
非常にミーハーで、峠を攻める走り屋が流行ってると聞くなり、S130ZからEP71へ乗り換えるが、
実際にヤマを攻める事は無かった。
・デビル
当時16歳の私。
当時乗っていた、バイク(GSX-R400)の費用を捻出する為に、このスタンドで頑張って働いていた。
バイトが入っていない日は、平日夕方の六甲(芦有ドライブウェイ)や茨木サニータウン攻め・・・
土曜日の深夜から日曜日の早朝は、毎週の様に阪奈道路を攻めていたバイク大好き少年。
・西沢
デビルと同じ年齢(16歳)のアルバイト。
当時は真面目でバイクは原チャリすら所有していなかった。
ただ、数年後には所長の奥さんとの不倫・・・また店のレジ売上金着服が発覚し、クビになる。
【大阪】走り屋伝説の第2話に登場するジェミニ・ディーゼルに乗る男と同一人物。
・ナマちゃん
このスタンドの常連客。
当時19歳 大木先輩、松三郎先輩の1つ下の後輩(隣りの中学の1つ下)。
当時、スカイライン・ジャパンから、新車のAE86に乗り換えたばかりであり、
走る場所も環状から箕面へ移行・・・。
名前の由来は、ナマズのような髭。
血の気が多く、気に入らないとすぐに人を殴る。
・かっちゃん
このスタンドの常連客。
大木先輩、松三郎先輩の中学時代の親友。
当時は反社会的勢力の現役構成員。
見た目も非常に恐ろしく、会話するだけでも恐怖を感じるレベル。
・ジーコ
このスタンドの常連客。
大木先輩、松三郎先輩の中学時代の親友。
外車専門の塗装工場で働く職人。
しかし、客のフェラーリやランボルギーニーを無断で乗り回し、ナビオ前でナンパを繰り返す極悪人。
ギャンブル好きで、常に金が無く、あちこちで借金を重ねる借金大魔王。
だまされた女性は数多く・・・。
愛車はフルスモークの430セドリック。
・タオ
このスタンドの常連客 。
そして、大木先輩、松三郎先輩の中学時代の親友。
仕事帰りに原チャリ(ジョグ)で給油の為に登場する。
車には全く興味が無い男であったが、当時の大阪ディスコ業界では有名なダンサーであった。
ミナミにあった某ディスコの女性DJと同棲しており、デビルの人生を変えたキーマンの一人でもある。
29年経った現在でも付き合いがある人物。
・ユウ
このスタンドの隣りに住む、大木先輩、松三郎先輩の友人。
年齢20歳。
当時、別のガソリンスタンドで働いていた人物。
バイクで箕面を攻めていた過去を持つが、車では走り屋の世界に無縁であった。
女好きでディスコでのナンパはプロ級。
彼女が5人いてる状況でも、ナンパを続ける執念がある人物。
しかし、気が短く、一緒に行動すれば良くトラブルに巻き込まれる。
世の中の渡り方を私に教えてくれた、大切な先輩。
・ナリカミ
このスタンドの常連客。
大木先輩、松三郎先輩の2つ下の後輩(同じ中学の2つ下)。
この時、デビルの1つ年上の17歳。
当時の職業は、自称ホスト。
後輩から没収したFZ400Rに乗っていたが、転倒により全損になった為、どこかでパクってきた原チャリ(チャンプ)に乗っていた。
血の気が非常に多く、当時から彼の周囲には喧嘩やトラブルが多発。
しかし、ヤンキー女には非常にモテる。
この2年後、デビルと共に走り屋の世界に突入し、その後自らレーシングチームを立上げ、会長となる。
その後も非常に関わりが多く、デビルの歴史上における重要人物の一人。
・オギ
このスタンドの常連客。
当時30歳。
表向きは高級自動車専門のブローカー・・・。
しかし、反社会的勢力とのつながりが深く、この人が店に来ると必ずトラブルが発生する。
非常に厄介な存在であったが、数年後 妙なきっかけで再会し関わる事になる人物。
当時の愛車はカマロ。
ポケベルすら普及していなかった時代にショルダータイプの携帯電話を所有していた。
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【必殺】ファンキー♪スタンド 第5話 『やっぱり・・・女でっせ♪』
ファンキーなガソリンスタンドに働きはじめ、数ヶ月が経過・・・
とうとう念願のバイクも手に入れ、充実した日々を過ごしていました。
その頃は先輩の交友関係を中心に、車の『走り屋』と言われる方々との交流も増えており、毎日が刺激的でした。
バイクオンリーの生活から、環状族のギャラリーに連れて行ってもらったり、新しい事をどんどん覚えた時期でした。
特にスピードの魔力とも言うべきでしょうか・・・
この頃は、バイクでヤマ(峠)を攻めている時が1番幸せを感じていました。
そんなある日、運命を変える1台の原チャリがスタンドに入ってきます。
ヤマハJOG カラーは白。
フルノーマルの原チャリです・・・
その時代はヘルメットをかぶる必要が無いのに、その客はフルフェイスを被っています。(汗)
そして、自分が近寄ると、えらそうな口調で、『おい!満タン入れろや!』と言いました。
内心、しょぼいスクーターのくせに偉そうに満タンとか言いやがって・・・って思いましたが、我慢して給油を始めました。。。
すると、大木先輩が寄ってきて、JOGの兄ちゃんと話を始めました。
JOGの兄ちゃんは、大木先輩の中学の同級生だったのです。
そして、大木先輩に紹介してもらい、JOGの兄ちゃんに挨拶をしました。
その兄ちゃん、フルフェイスのヘルメットの下はキツ目のパーマヘアなんですが、何となくオシャレ感がありました。。。
しかし、しゃべり方はヤンキーそのもので、この人は単語だけで会話をしてる様に聞こえました。
つまり、会話の中に主語や述語などが一切ないんです。。。(爆)
その兄ちゃんの名前は、タオさん・・・
この時の出会いから29年も付き合いが続くとは思いもしませんでした。
そして、勇気を出して自分から話しかけてみました。
この悪人顔は間違いなく【環状】を走ってると思ったからです。
デビル 『車、何のってるんですか?』
タオさん 『マークⅡ』
デビル 『マークⅡ・・・?(汗) けっこう改造してはるんですか?』
タオさん 『全く』
デビル 『大木先輩の友達って、環状や箕面を走ってる人が多いすよねぇ・・・』
タオさん 『俺 興味ない』
まぁ・・・ こんな感じで全く会話がはずみません。(汗)
それを横で聞いていた松三郎先輩が、ぼそっと一言。。。
『タオはダンサーやからのぉ・・・車はサッパリやなぁ・・・』
それを聞いた時の率直な感想は、
ダンサーぁ???
なんじゃソレ! 顔は恐そうやけど、えらい軟弱な遊びをする人なんや・・・でした。。
自分にとってダンスなんて、全く興味が無い分野でしたが、社交辞令として、少し突っ込んだ質問をしました。
デビル 『ダンサーって・・・どこで踊るんですか?』
タオさん 『ディスコに決まってるやんけ!』
デビル 『ディスコ・・・? TVでやってた竹の子族みたいに、道路でも踊るんちゃうんですか?』
タオさん 『お前、ナメてるんか?』(笑)
まぁ そんな会話がしばらく続きました。
しかし、この頃の自分はバイクで峠を攻める事を日課としており、将来は、車で箕面や環状を走る事を目標にしていた時期・・・
週末の夜明け前には、阪奈道路の下りを、前が見えないスモークシールドのヘルメットを着用して、時速160キロ以上で滑走し、赤橋コーナーに突入するような命がけの遊びをしていた訳ですからねぇ。。。
そんな【ダンス】みたいなヘタレが好む?遊びに興味がある訳なんかありません!
しかし、この一連の会話の中でタオさんの口から出てきた言葉の中に、妙に気になった部分があったのです。
それは・・・
【女、いき放題やからのぉ・・・】って言葉。
女、いき放題って。。。
ホンマ・・・聞き捨てなら無いキーワードでした。
この頃の自分のバイクは、阪奈道路で転倒し、カウルがバラバラになったついでに、シートカウルに交換していた為、女と2ケツすら出来ない状況。。。
硬派仕様と言えば聞こえは良いが、女と縁が無いのがモロわかりの状態・・・(爆)
こんな感じでばらく会話した後、気がつけば、走り屋デビルは初対面のタオさんに必死で懇願していました。
『私を・・・・・』
『ぜひ・・・』
『でっ・・・ディスコに連れて行って下さい!・・・』と。(爆)
デビル 当時16歳・・・
この瞬間、【ディスコ】と言う禁断の世界に踏み込む運命が決まりました。
そして、遊びに行く日程を打ち合わせしました。
ディスコには、大木先輩と松三郎先輩も来るとの事でした。
自分が生まれて初めてディスコに行くにあたり、2つの問題がありました。
1つ目は、相応しい【服が無い】
当時は単車少年だったので、皮ツナギの上からパーソンズ等のパステルカラーのトレーナーを着用してたぐらいファッションには無頓着だったのです。
しかし、この時代はDCブランドが最後の全盛を保っていた頃・・・
大木先輩と松三郎先輩も普段からY’sのスーツを着こなしたり。。。かなりオシャレでした。
よって、自分は予算的にスーツは買えなかったのですが、スラックスとシャツはディスコに行く為に事前に購入しました。
そして、2つ目の問題は・・・
全く・・・【踊れない】って事でした。
この頃の自分は、踊りって言うても、小学生の時に授業で習った、【マイムマイム】ぐらいしか出来ません!
踊れないのに、踊る場所に行く・・・
この不安感はけっこうありました。
今、思えば・・・ 別に無理に踊らなくても揺れてるだけで良かったのですけどネ。
ただ、当時は真剣でした。
女性が多いと聞いていたので、現場で恥をかきたく無かっただけなんですけど。。。
よって、事前にタオさんに踊りを教えてもらおうと思い、ダンスレクチャーをお願いしたのですが、返ってきた答えは・・・
『お前・・・無理や!』
でした。
やる前から・・・無理ってねぇ。。。
この時は、ひどい事を言いよるなぁ・・・と思いましたが、その理由は数日後に思い知る事となりました。
で・・・
いよいよ、念願のディスコ遊び当日。。。
その頃は大阪のキタ(梅田)には多くのディスコがありました。
しかし、先輩達の年齢ならどこでも行けますが、その日は16歳の私がいますので、遊びに行ける店に制約がありました。
まだマルビルにマハラジャが無かった時代なので、梅田で1番ステイタスが高かったのはDDハウスのマハラジャでした。
当時は女性同伴でしか入場できない店でしたからネ。
あと、大和実業系のラジオシティやアルファークラブもありましたが、そこはIDチェック(年齢確認)が厳しく、年齢と干支を口頭で誤魔化したぐらいでは入場できません。。。
よって、未成年が堂々と入れる店って言うと、必然的に東通りのディスコとなりました。
ボトムライン、フォーカルポイント、クレイジーホースですよね。
結局、その日はクレイジーホースに行く事にしました。。。
店に着き、エレベーターで上がります。
1F付近でも聞こえていた、バスドラムの重低音がエレベーターが上昇する度に大きくなります。
そして、扉が開いた瞬間。。。
大音響と共に、レスラーの様な立派な体格の恐そうなお店の方が出迎えてくれました。
吹き抜けになっているダンスフロアの上から見下ろすと、100人ぐらいが踊っていました・・・
半数・・・ いや。。。
7割ぐらいが女性です。
しかも、皆さん、非常に・・・
非常に露出が高い服を着用しています!
そして、大音響で炸裂するビートに合わせて、腰をくねくねとエロティックに動かしているでは無いですか・・・
これがその時にかかっていた曲です
曲を聞きながら、ストロボライトが照らし出すエロテックな体を動きを眺めていると・・・
興奮レベルはMAXとなりました!(爆)
そして、我々はテーブルに着きました。
さぁ! ここからが始まりです。
今日は女の子が踊ってる姿を見学に来たのではありません!
ナンパをする為に来たのです。
しかし、ナンパって言うても、女性に話しかけるには【きっかけ】が必要ですよね・・・。
すると、松三郎先輩が突然アクションを起こしました。
テーブルの横を女性が通過した瞬間、自分の足を伸ばし、女性にわざと踏まれたのです。。。
驚いて謝りにくる女性に対し、足をかかえて痛みをこらえるオーバーアクション!!!(爆)
こんな姑息な手段をとらせたら、この先輩は日本一かもしれません。
まぁ 大木先輩とタオさんは、その行為自体が恥ずかしいので完全に他人のフリをしていましたけどね。
そんな松三郎先輩の体をはったナンパにより、1組の女性グループと仲良くなったのでした。
こんな感じで店に入ってからしばらく席にいてた訳ですが、せっかくディスコに来たので、少し踊って帰りたいと思いました。
自分は全く踊れないのですが、勇気を出してダンスフロアに入りました。
踊ってると言うか、足を適当に動かしている感じでしょうか・・・(汗)
まぁ 当時はその程度の踊りしかできません。。。
そしてフロアを揺るがす大音量の音楽はこんな曲に変わりました。
すると・・・
突然・・・
皆が一斉に同じ振り付けで踊りはじめました!
マイムマイム程では無いですが、フロアはかなりの一体感です。。。
そして、皆と同じ踊りが出来ない自分のみ・・・
ダンスフロアで激しく孤立!(爆)
いやぁ・・・
その時の恥ずかしさはハンパではありません。
しかし、諦めませんでした!
周囲の女の子のフリを見ながら覚えて、曲が終る頃にはなんとかマスターしましたよ。。。
この曲の振り付けは、そんな複雑な動きでは無く、2分ぐらいで覚えられました。
ところが・・・
また曲が変わり・・・
今度はこんな曲が・・・
もちろん、曲が変われば振り付けも変わりました。
しかも、この曲のフリは複雑で速く、隣りで踊ってる子の動きを見ただけで、動きを覚えられそうな感じではありません。。。
自分が必死の形相でで2テンポほど遅れて踊ってる姿が周囲の女性にはウケたみたいで、指を刺して笑われました。
かなりの屈辱感です!
阪奈道路や六甲山をバイクで攻めてる時には味わった事が無い感覚です。
少し余談ですが、実はこの曲こそ、80年代のディスコを象徴する曲なんですよね。。。
いわゆるディスコヒット曲。
一般の人(ディスコに行かない人)には知られてない曲です・・・
原曲の1979年、カバー曲の1984年・・・ともにディスコでは大ヒットしました。
曲名は、『マンドレー』。
そして・・・
しばらく時間が経過し、にぎわっていたダンスフロアの音が急に小さくなったとおもったら・・・
今までと全く違う曲調の曲が大音量で流れ始めました。
この店に入ってから、1度もダンスフロアに近寄らなかったタオさんのリクエスト曲の様でした。
曲はバーケイズ・フリークショウ♪
この曲は少し踊りにくいみたいで、ダンスフロアから客がゾロゾロと出て各自の席に移動します。。。
そして入れ違う様に客が少なくなったダンスフロアに、タオ先輩が入ります。
客がいなくなったダンスフロアで・・・
タオさんが踊り始めました。
その瞬間、ダンスフロアに残ってた客・・・
また、席に戻った客が一斉にダンスフロアへ視線を移しました。
実は・・・
動きが普通では無かったのです。
自分がそのDANCEを見た時の正直な感想は、人間の関節ってそんな角度にも曲がるようになってたのか・・・
って事でした。
踊りを教えてくれと頼んでも、お前には無理と即答した理由がわかりました。
※この時代はダンススタジオみたいな場所も無く、踊りは現場で見て覚えるしかありません
参考として、イメージ動画を貼っておきます。
概ねこの時代の【ディスコの雰囲気】がわかると思います。
まぁ実際、この時に踊ったダンスジャンルにはブレイクはほとんど入らず、ロックダンスやポッピング、パンキングがメインだったんですけどネ。
そして、ダンスフロアの縦横を目いっぱい使い、大暴れしたタオさんは、曲が終ると同時にフロアから出て席に戻りました。
その時、驚くべき光景を目にしました!
ギャル達がドンドン席に寄って来るでは無いですか!
『DANCEもう1回踊って見せて♪』・・・
『私にも教えて~♪』・・・
『いつも何処で踊ってるの?』・・・等の言葉が飛び交います。
コレを見た瞬間、タオさんは常に5人以上の女がおる・・・との噂は真実だと確信しました。
そして、タオさんはこの日だけでも1人で7人ぐらいの女の電話番号をGETしていました。
いやぁ・・・・
参りました。
ここまでモテるとは。。。。
ディスコって言う場所は、オシャレして【普通】に踊りに行くだけではナンパも簡単に成功しない場所なんです。
なぜならば、基本的にライバルの男達もオシャレをして店に来てるので、自分達だけ目立つ訳では無いのです。
更に言い方を変えれば、ダサイ格好しかできない奴は、ディスコみたいな場所にはじめから来ないのです。
しかし、そんな場所だからこそ、目いっぱいオシャレをし、カッコを付けて遊びに行く・・・
そして、服装をカッコつけたからには、【踊り】も妥協せず、しぶくキメる様、最後までアピールを怠らない。
そうすれば、・・・
ギャル達は自然と向こうから寄ってくる。(爆)
ココは大阪。
ギャルをナンパする時は、この方の様にしつこく追い回すのでは無く、向こうから寄ってくる様に努力する方が成功率が数倍高いと痛感しました。
そして深夜12時・・・
その日は4人で踊りに行っていた為、ナンパしたギャルと行動を共にする事なく、ディスコの営業終了とともに店を出ました。
もちろん先輩達はギャルの連絡先をGETし、上機嫌でした。
東通り商店街を歩きながら、大木先輩が一言。
『腹減ったから、ラーメンしばいて帰ろか!』
そして、堂山付近に路駐していた車に乗り込み、御堂筋をトバします。
わざわざ車で移動しなくても、ラーメン屋なんか梅田にも沢山あるんですよ・・・
けど、我々には行くべき店がありました。
当時の大阪では、
踊り疲れたディスコの帰り・・・・・
また、壮絶なナンパ合戦の敗者が最後に辿り着く・・・
そんなラーメン屋があったのです。
それは、御堂筋沿いにある『金龍』
※今でもあります
ラーメンと言っても、立ち食いなので、夏は目に汗が入るぐらい暑く、冬は凍えそうなぐらい寒い・・・
そんな店です。
けど、大阪の遊び人は、『金龍』食って帰らないと1日が終った事にならないのです。
他のラーメンではダメなのでした。。。
そして、当時、深夜の金龍ラーメンを食ってる時のBGMって、何かわかりますか?
店のAMラジオちゃいますよ・・・
ほんまに路面にある店ですからネ。
この時代のメインBGMはねぇ・・・
周囲のビルに反響する、阪神高速環状線を周回するマシンのサウンドだったんです。
特に深夜12時頃になり、夕陽丘で検問が始まると堺線ショートコースが環状のメインコースとなります。。。
すると、難波のプランタンのビルに反射した排気音がミナミ一帯に響きわたるんですよ。
よって、当時は金龍ラーメンをすすりながら、爆音環状マシンの音が至近距離から聞こえてきたら・・・
『おっ! 夕陽丘で検問が始まりよったな・・・』等とつぶやくのがシブイとされていました。
そう・・・
これが当時の【本物の大阪文化】なのです。
そして、ラーメンを食いながら、本日の出来事を思い浮かべました。
初ディスコを経験した16歳のデビル・・・
自称、硬派の走り屋。
しかし・・・・
しかし・・・・
本音で言えば、【女にモテたい!】(爆)
確かに、単車を卒業し、車に乗り換えて箕面や環状を攻めるのは夢である。
しかし、フェロモンが蔓延する華やかなディスコで多くのセクシーな女性と交遊する・・・
その魅力も・・・・捨て難い!
そして、真剣に悩んで出した結論は。。。
走り屋も、ディスコ遊びも・・・
【両立させる】事でした。
つまり、当時の自分の価値観では両方とも捨てられないって事ですよ。
そして、ちょうどこの時期から単車で峠を攻めながら、空いた時間に真剣にDANCEの練習を始めました。
時代は昭和61年・・・。
大阪。
実際に、車の世界では、走り屋がブームとなりつつあり、昭和63年前後のピークまでに多くのドラマが待っていました。
一方、ディスコの世界では1年後に梅田マルビルにマハラジャがオープン・・・
またミナミではジュビレーション、ネルズ、ゲネシス、パトーナー、ディナスティ、キング&クイーン等、多くのディスコが連日にぎわう時代が到来する事になります。
よって、それら全盛期の到来を2年前に悟った?16歳のデビルは同級生より少しフライングして練習する事が出来た訳です。
インターネット等で手軽に情報が収集できない時代。
今、思えば・・・
めぐり合う【人】によって人生が大きく変化した時代だったと思います。