
今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、内容は大した事ありません。
何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。
また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。
このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。
経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。
その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・
またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分がサイバーCRXに乗り始めて8ヶ月。。。
箕面で大クラッシュし、入院したのが前々回のブログ Part9の話。
Part10は少し気分転換に『ナビオ前』の話を少々・・・
今回は愛車CRXが廃車となり、新しいマシンを手に入れる時の話です。
時代は今から25年前の昭和63年11月。
箕面ドライブウェイでの大クラッシュにより箕面市立病院への入院を余儀なくされた訳ですが、反省の様子は全く無く、毎晩のように病院を抜け出して仲間の車で箕面へ上がっていました。
松葉杖を突きながら深夜に猿天の駐車場で遊ぶ事が日課になってたんです。
不自由な足の為、困った事もありました・・・
それは、猿天へポリが来た時です。
皆が一斉に車に乗り込み逃げる訳ですが、自分は松葉杖の為、車まで走れません。。。
平日でも仲間の車は常に10台ぐらい上がってたのですが、そんな時に限って周りに誰もいない・・・(汗)
1回、猿天の駐車場に置いていかれた事がありました。
その時はツレが戻って来るまで汚い便所の裏に隠れてましたけど・・・(爆)
入院生活も2ヶ月が経ち、日々のそんな健全?な生活サイクルが神様に認められたのか?
奇跡的に砕けた膝関節が治りかけていました。
一時は2本足での歩行を諦めた時期もあったのですが・・・
2度の手術も無事に終わり、無事退院して自宅にてリハビリをしていました。
そうなると当然、NEWマシンが欲しくなります・・・
事故でCRXは全損になった為、車両保険は満額出ました。
この時に『車両保険は無理しても絶対に入っとけよ・・・』って車を買った頃に先輩が言ってた意味がはじめて分かりました。(汗)
もう次に乗る車は入院中から決めてたんです。
もちろん 当時人気ナンバー1の
グランド・シビックです。
しかし、丁度その時期に妙な噂が飛び交います・・・
それは、来年のマイナーチェンジで160馬力仕様が出るとの噂なんです。
初めて自分達が聞いた時は、そんな事、絶対にありえん話や!とみんな笑ってました。
4AGにスーパーチャージャー付けても145馬力の時代に1600のNAで160馬力も出る市販車が簡単に発売される訳ないやん・・・って思ったんです。
その時はグランドシビックがフルモデルチェンジにより新車発売されて1年ちょい・・・
現行のZCエンジンでも十分早いのに、160馬力仕様なんて・・・
まぁ、ありえん話やわ・・・ って思ったんです。
しかし、当時、鈴鹿のシビックレースに常時参戦してるSHOP筋は違いました。
160馬力仕様のシビックは来年には確実に発売されると、この時点で断言されてましたからね。
まぁ 結果的には見事に僕の予想を裏切ってくてれた訳でして、160馬力仕様のグランドシビックはこの10ヶ月後に発売されるんですよ。
それが後の『ブイテック』です。
少し話しがそれましたが、その時点では夢みたいな160馬力仕様のシビックの発売を待つはずが無く、退院後は早くシビックを購入したい気持ちが強まり、ある日、ホンダのディーラーへ契約に行きました。
ホンダプリモ店に向かう途中で、良く遊びに行ってたシビック系某有名SHOP前を通ると、知ってる車が数台・・・
店には用事なかったのですが、中に入ると友達の顔が数名。。。
話の流れで新車を買いに行く話しをすると、仲が良かった店のメカニックの子が『俺の車、買わへんか?』との事。
仕様は、無限アルミ・Sタイヤ・車高調・マフラー・バケット・前後タワーバー・ロールバー・ブレーキ等、フル装備。
しかも、足回りとマフラーは当時、憧れたビジョン!
※本シリーズPart7 ホリデーオート取材編に載ってた車(青塗りブラックレーシングのグランド)です
結構、安い値段を提示してくれたのですが、少し悩んでいると、店長さんの悪魔のささやき・・・
戦線復活祝いとして、『5万で全塗装したるわ・・・』との事。
ココまできたら買うしかありません。(笑)
即時、購入を決断しました。 そして、その場で色を決めます。。。
シビックの色は塗装見本の本を皆で囲んで意見を出し合いました・・・
皆、自分が乗る車では無いので好き放題言います。。。(汗)
『これからの環状は、コレぐらい派手でないと目立たんぞ!』
『ビビらんと、気合いれて派手にいけや!』
まぁ そんな意見が多数です・・・
人の車やと思ってメチャクチャ言いますわ・・・
だいたい、僕はそんな頻繁に環状へ行って無いし、しかもあそこで目立つほどの度胸もありませんからね・・・(笑)
しかし、結局はみんなの意見に押し切られるような雰囲気で決まった色が『マゼンタ』(汗)
最後に店長さん 塗装見本を指指し、何度も僕に確認します。。。
『ホンマに、この色でええんか???』・・・(爆)
そして、1週間が経ち、車の納車日となります。
塗装はSHOP経由で京都の板金屋さんに出してたので、京都から自走で店まで持ってくるとの事でしたが、ギリギリになって納車の時間帯を早朝にして欲しいとの連絡が入ります。
※その理由は、納車時に車を見た瞬間に分かるんですが・・・
楽しみにしていた納車日を迎え、朝早くSHOPへ向かいます。
店の前に駐車された我が愛車、グランドシビックを見た瞬間。。。
大失敗したと思いました。。。(汗)
塗装色見本の小さなサンプルでは思わなかったのですが、車のサイズになると・・・
メッチャ下品な色やったんです(爆)
店の皆さんは『最高にカッコええ色やんけ!』等と言いながら、顔がおもいっきり笑ってました。(汗)
更に嫌な予感がしました・・・
別に色が変でも車を走らせる事には影響出ませんよね?
けど・・・
それが、大きく影響したんです。
納車の時間が早朝に変更されたのも、この理由でした。。。
そうです・・・
ポリに捕まるんですわ!(爆)
当時は車高が下がってるだけでも違法改造だったんです。
マフラー交換もダメ・・・ このグランドみたいに、ストレートマフラー等、論外・・・
公認車検が流行るのは、この1年後ですから、日中は少しでも目立てば一瞬でポリの餌食でした。。。
しかも、シビックと言うだけで、ノーマル車でもポリに止められた時代ですからね・・・
つまり、こんな派手な車は・・・
『捕まえてくれ!』と主張してるようなモンですわ(爆)
分かりやすく言えば・・・
昼間に中環や内環も走れない車を買ってしまった訳ですよ。(汗)
京都の板金屋さんも納車時に白バイの餌食になって免許の点数を失うのを避ける為、白バイが活動を始める前の時間に大阪入りしたかったらしく・・・(爆)
これが、我が愛車
『グランド・シビック』です。
当時、グランドシビックが新車で発売されて1年ちょいの時期・・・
まだこの時期は一般的にホイールを蛍光色に塗ったり、部分的なカッテイングシートでの演出が主流でした。
比較的、新しい車だったので、この時期に全塗装って少なかったんですよ。
街を走るシビックが派手になっていくのは平成元年以降ですね。
この前後に付けられた牽引フックに注目頂きたいと思います。
もちろん素材は当時主流のアルミ製・・・!
比較的、使い込んだように塗装が剥げかけてる様な演出がポイントです。
※アルミなので、本当に使うと壊れますが・・・
このフックは当時、流行りました。
自分の上の世代にはこんな文化は無かったのですが・・・
特にグランドでの装着率は高かったです。
けど、そんな牽引フックで車をレーシーに演出する文化が今でも続いてると思うと、
面白いですよね~
流行ったのは25年前やのに・・・(笑)
この上の写真は曇り空での写真なんです。
曇りの日なら、まだ見れますわ・・・
このグランドに直射日光が当ると、どうなるか・・・・
どうですか?
最高の煌きと思いませんか?
目が痛くなるほどのギラギラ感です!
一度見たら、忘れられないようなカラーです・・・
このシビックとスレ違ってUターンしない白バイ隊員は当時の大阪府警にいませんよ!(爆)
まぁ 今の時代はピンク色のクラウンが発売され、人目を引く色の車も走っていますよね。
それに規制緩和の恩恵で車高を下げた車やマフラーを変えた車でも街中を堂々と走れます。
しかし、25年前の昭和63年は状況が違うんですよ。
当時、現役で走ってた人は、誰もが1度は白バイに捕まり、強制ジャッキUP経験を持ってますからね・・・
まぁ この紫シビックですが、自分はこの車の為に6点の点数を失いました・・・
※もちろん、全て整備不良♪
3回目に捕まった時点で、昼間は絶対に走行しない事を心に誓ったんです。
しかし、えらい車を買ってしまいました。。。
ただ、このシビックですが、箕面では最高のパフォーマンスを発揮したんです。
つまり、メッチャ早いんですわ。
そのあたりの話は次回に・・・