
今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は本当に大した事ありません。
何度も言いますが、尚、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、
またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。
また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。
このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。
経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。
その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・
またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分がサイバーCRXに乗り始めて4ヶ月。。。
初めの自損事故も経験し、少しだけ成長してきた頃。
時代は今から25年以上前の昭和63年5月・・・
その時期の箕面の状況を簡単に書いておきます。
箕面では昭和62年から昭和63年に入って大きく変わった事があります。
それがシビック(CRX)のフルモデルチェンジ・・・
箕面でも少しずつグランドシビックの台数が増えていきます。
この時点で10台以上いてましたね。。。
CRXはそれほどでも無かったんです。
自分の車を入れて常時3台ぐらい・・・
その代わり、310サニーやTE71、ジェミニあたりの台数が徐々に減っていきました。
しかし、AE86の台数は減りませんでした。
いや・・・ むしろこの時期は逆に増えていきました。
中古市場でも程度の良いAE86は値段が高騰しはじめ、新車より高い値段が付いてました。
後期のGTVで160万や180万の値段が付いてましたね。
シビックと同様、AE86もAE92にモデルチェンジをしてましたが、AE92に乗り換えた人は
自分の知っている限り(箕面では)いませんでした。
不思議な事ですが、スターレットもKP61は増殖していましたが、EP71は箕面ではサッパリ・・・
ただし、22時迄の合法時間帯と、自分達が走っていた22時以降の本気走りをする時間帯とでは
状況は変わってたと思いますけどネ。
それと、この時期にもう1つ変わった事。。。
それはタイヤです。
昭和63年に入り、箕面でもSタイヤ装着率が急にUPしていきます。
箕面ではその時代のSタイヤはR(アール)タイヤとも呼んでいました。
多分、商品名にレーシングの意味での『R』が付くからですよね。
例えば、アドバンHF『R』 -タイプD、 ダンロップフォーミュラ『R』76J・・・
トランピオ FM9『R』・・・
商品名にSが付いてたのはポテンザです。
その波にのって自分もSタイヤを導入する事になります。
前回のブログで書いた雨天練習によりクラッシュしたCRXですが、足回りもダメージを受けたので、
このタイミングでついに車高調を導入しました。
当時、定番花形だったテクニカのビジョンを入れたかったのですが、足だけで24万8千円のお金が使えない!
いくらお店で、お〇む〇さんが、『工賃サービス♪ ローンいけるよぉ~♪』と言いながら、
日本信販のローン用紙を目の前に出してきても、後々、払えないものは買えなかったのです(爆)
結果的には安いエナペタルのCリング式を入れました。
それと同時に思い切ってSタイヤを導入します。
選んだタイヤは当時の最強タイヤ ダンロップ・フォーミュラ『R』76Jです。
この76J・・・ 下の写真でも分かると思いますが、新品時はカラスの足跡みたいな模様が入っています。
しかし、少し走ると2本溝のみになり、スリックみたいな感じのタイヤでした。
このエナペタルのガチガチ車高調と最強タイヤの76J装備で、一気に世界が変わりました。。。
そうです! メッチャ早くなったんです!(笑)
今まで、ポテンザRE71で雨降り時とかに練習していた自分にとって、この足とタイヤは反則とも思えました。
とにかく、テールが流れても、粘りながら止まるんです・・・
いや、タイヤが止めてくれるイメージですね。
アンダーが出ても、ハンドル切れば、それなりに曲がります。。。
※後になって分かる事ですが、このタイヤが怖いのは、本当に限界を超えた時でした
その頃は自分の腕が上がったと錯覚し、色んな車に挑戦し、かなり浮かれていました。。。(大反省)
(その代償は3ヵ月後に払う事になります・・・)
当時、先輩達や箕面を走ってた仲間達からも良く言われた事は
ZCエンジンを積んだCRXに、当時は贅沢品の直巻きスプリングの車高調・・・
それにセミレージングの76J・・・
『そんな仕様やったら、誰が運転しても早く走れるわぃ!!!』
って事で、そこそこ走れても、仲間は誰もほめてくれません。(爆)
KPで早かったら認めたるって事なんでしょうね・・・
確かに当時の箕面KP軍団はかなり気合入ってましたからね。。。
常時、7台~8台・・・
特に早かったのは2、3台でしたけどね。
そのうちの1台は自分でエンジン触ってて、腰下はノーマルとか言いながらとんでもない加速・・・
多分、1450にしてたと思いますわ。。。
あの時代はエンジンに手を入れても誰にも本当の事を言いませんからね(笑)
『エンジン触ってその程度かぁ? スーパーチャージャー付けてその程度なん?』等とイジられますから・・・
そのKPですが、当時にしては見た目は地味なKPでした。。。
しかもノンスリは入れずにデフのギアを溶接したデフロック仕様!
そして、デフロックで負担がかかるシャフトを守るべく、タイヤはタクシーみたいな細いタイヤを装着!
当時の言葉で言えば、『ゴンボウ タイヤ』ってヤツです(笑)
しかし、その鉄チンホイールにゴンボウタイヤ装着のKPですが、
見た目は非常にヘタレなKPなんです・・・ タイヤ細いし・・・(笑)
けどナメてかかればえらい目に合ったんですよねぇ。。。 コレが。。。
変にアオったりすると、最悪でしたね・・・
簡単に進路を譲ってはくれますが、その後、5センチぐらいに車間距離を詰められてアオられまくります。。。
また、高速コーナーで横に並んできたりして、メッチャ虐められます。。。
※非常に執念深いです(爆)
まぁ 簡単にちぎれる腕があれば良いですが、あのトンネルの中ですらカンターを当てて抜けてくる様な車なので、簡単に逃げる事はできません。
S時を抜けてきた勢いで、このトンネルに飛び込み、側壁スレスレまでテールを流しながら、
下のギャラリーコーナーへ駆け降りていきます。
後、1台のKPは・・・
ダートラ競技車両のKPですね。
自分の仲間が時々、乗ってきてたんですが、内装なんかありません。
もちろん、車検なんか受けてる訳がありません。
ダートラの競技車両なので、タイヤはキャラメルタイヤです。
ミッションは4速のフルクロス・・・
猿天の駐車場からギャラリーコーナー直前で4速が吹け切ります。
この車は更にタチが悪いです。。。
前を走ってる車に当てる気で攻めるんです。
どうせ、バンパーもグニャグニャ・・・ ボディもヘコミだらけ・・・
助手席のドアも完全に溶接して、開かないようにしてる車ですからね。
あっ けどナンバーはちゃんと付けてましたよ! 当然のマナーとして・・・
得意の天プラでしたけど(爆)
まぁ 仮に、車が接触しても、相手に弁償するような人では無かったですけど。。。
このKP、4速のギアをフルに使い、箕面を攻めます。
けどキャラメルタイヤはアスファルトでは食いません・・・
箕面のコースを走る時は半分以上、カウンターを当てている状態でした。
そんな2台のKPですが、時々 気まぐれでSタイヤを入れてくる日があるんです。
そしたら・・・ もう・・・ 追いつけない(笑)
けど、そんな腕をもってしても事故に合うのが箕面です。
対向車がコーナーを膨らんできたら終わりですからね・・・
それが、この橋のヘアピンでの接触(正面衝突)でした。
※このヘアピンで事故るケースは多く、B310サニーが突っ込んだり、多くの車がクラッシュした
場所です
このケースでもKPは対向車をギリギリで回避したけど、フェンダーをヤラレました。
事故の時、履いてたタイヤはゴンボウでは無く71Sでしたね。
※この写真のKPはイメージとしての参考掲載です。 文中のKPを意味するものではありません!
(謎笑)
まぁ そんな感じで箕面ではグランドやCRXあたりと互角のポテンシャルを持ったKP・・・
また1つ前のモデルではあるが、能力十分なワンダーシビックやAE86・・・、
台数は減ったが、まだ現役だったB310サニー、TE71、ジェミニ等・・・
それに、SA22Cは減ったがFC3Sが数台・・・
そんな感じの多車種の混戦状態で、今思えば一番楽しかった時期でした。
当時、環状や箕面を走るって事は色んなリスクがありましたねぇ・・・
自損事故もそうですが、他人との車接触トラブルとか。。。(汗)
まぁ それが嫌なら走れなかった時代なんですけどね。
この時期の箕面に関しては環状と違って取り締まりはキツく無かったです。
たまにパトカーが1台来て『山降りろ』と言われるだけでした。
ただ、1回だけドライブウェイの入り口で検問がありました。(自分は運良く休んでました)
ある夜、猿天の駐車場にパトカーが来たので、全員ドライブウェイを降りたんです。
その時は22時以降なので、降りてくる車は出口の交差点で順番に全員キップ切られたんです。
※ココです
その為、ドライブウェイ下りは渋滞してました(キップ切られ待ち状態)
ドライブウェイを降りる車の列は浄水場横まで届いていたそうです。。。
※ココです
その時、気合が入ったのが、我らが天ぷらナンバー車両KP!
当然、捕まれば、タダでは済みませんからネ。。。
一瞬の判断でした・・・
天プラKP、浄水場の渋滞地点から反対車線に出て一気にフルスロットル♪
渋滞の列を横目にソレックスが吼えます!
そして、ドライブウェイを逆行し、検問をしている信号の場所まで一気に駆け降り・・・
そこで、ポリの単車をなぎ倒し、検問を見事に突破♪
・・・って
エピソードがありました。
その日に限り、自分は上がって無かったので、この話がどこまで事実かどうかは知りません。(笑)
大げさに伝わったのかもしれませんが、検問のあった翌日に堂々と走りに来てたので、
捕まっていない事は事実ですね。
次回は箕面ドライブウェイで自分達が雑誌(ホリデーオート)の取材を受け、グランドシビックが一気に増えて行く時代(昭和63年8月頃)の話です。
いよいよ、箕面も最大ピーク?を迎える時期に入っていきます。