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2013年09月30日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part10 ・ ナビオ前攻略編

【大阪】走り屋伝説 Part10 ・ ナビオ前攻略編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、内容は大した事ありません。

何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・

当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。

 
その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分がサイバーCRXに乗り始めて8ヶ月。。。

箕面で大クラッシュし、入院したのが前回のブログ Part9の話。

今回は愛車CRXが廃車となり、新しいマシンに変わるタイミングなので、
いつもと少し違う話題をテーマにしたいと思います。

今回のテーマは 『ナビオ前』 です。

『走り屋とナビオ前って・・・全く関係ないやんけ!』ってご意見の方もおられるとは思いますが、少なくとも僕達はあの場所に関わってきたので、今回はあえてテーマとさせて頂いています。

 
この部分は当時の大阪の走り屋と、他府県の走り屋と大きく違う点かもしれませんネ・・・(笑)


時代は今から25年前の昭和63年・・・

唐突ですが、皆さん、ナビオ前って知ってますか?

 
単に大阪の中心部にある繁華街を抜ける道路?、阪急梅田駅の横を通る道路?

違いますよ・・・

走り屋って言うより、自分の世代にとっては特別な場所なんです。

昔、流行った言葉があります・・・ 
『走りの環状♪ ナンパのナビオ♪』
 

そのナビオ前とはどんな場所かを簡単に解説してみたいと思います。
 

まず、位置ですが、この大阪の中心部分、阪急梅田駅の横にあります。
かなり、都会です!
 


 
元々、ナビオ前周辺は80年代の若者文化の発祥の地でした。

 
当時はアメ村より、多くの若者が集まり、周囲のEST-1や阪急ファイブ等、ヤングファッションを多く扱う店も人気がありました。
 


 
それに80年代は休日の昼間にホコ天(歩行者天国)として開放されていた為、
ナビオ前には大阪中から多数の若者が集まり、そこではストリートダンスが流行していました。

今の若者のダンス文化はナビオ前が発祥って言っても良いぐらいですね・・・

そんなナビオ前ですが、夜になるとガラッと雰囲気が変わります。

街を行き交う女性を狙い、多くの男が集まるんです・・・
そして、ナビオ前に車を止めて、ナンパするんです。

この漫画↓でも名前だけ出てきますね(笑)
 

 
で・・・

そこでKPとか女性に人気があったのか?って事ですが、正直に言ってKPではムリです(笑)

AE86でもダメ・・・

下手したら、『はぁ?カローラぁ?』とか言われます。(笑)

当時の流行って、皆さんご存知ですか?

そう。。。

ワンレン・ボディコンの時代なんですよ・・・

いくら頑張っても、こんな子を、KPでナンパするのは難しい訳なんです。
 
 

 

しかし、そんな中でもグランドシビックは健闘しましたね。 
ただし、対象は限られてきますが・・・

本当に狙いたいワンレン&ボディコンのお姉さんは、当時人気のGX71クレスタやマークⅡに持っていかれます・・・

また、発売されたばかりの4WS搭載プレリュードなんかは強敵でしたね。。。

扇風機の羽みたいなスーパーボルクのホイールやシートにムートンが装備されていると、更に戦闘力が高いんですよ。

彼等はサラっと風になびくヘアー・・・ 
脇にはレノマやハンティングワールドのセカンドバッグを抱え・・・
爽やかな笑顔でボディコンギャルをお持ち帰りします。

そんな車を相手に直管シビックでは無理ですわ・・・  勝てません。

なんせ、こっちはトラサルディのジーパン&腰にポケベル・・・
髪型は『パンチ』ですから。。。(笑)

週末は夜12時前になると、各ディスコからボディコンの派手なお姉さんが出てきて駅へ向かうので、それを狙ってナンパをするのですが、阪急ファイブの横にあった、ラジオシティ♪や、DDハウスのマハラジャ♪の客は無理でしたね。

車を見た瞬間、露骨に嫌そうな顔をされます(笑)

なんせ、当時、そのクラスのディスコって、客層はこんな感じですからね・・・
 


 
しかし、ディスコって言うても、実は色々あるんです。


東通商店街のディスコ クレイジーホース♪やボトムライン♪、フォーカルポイント♪の客はヤンキー系若年層だったので、彼女達はAE86やシビックにメッチャ良い反応を示してくれました。

 
『今から環状へ走りに行かへん?』
ってトークが通用するのは、その層なんです・・・(爆)

 
つまり、我々のターゲットはヤンキー系の少女やったって事です。

まぁ イメージとしては、こんな感じか・・・・・・・・・
 

 

あっ! 失礼しました!

 
時代設定が10年ほど狂っとるがな・・・!(大汗)

 
これでは 〇韓連合の時代ですよね・・・

 
まぁ 何が言いたいかと言えば、走り屋にとってナンパは簡単では無かったって事です。


そんな熾烈なナンパな争いに敗れた、走り屋達はどうするのか・・・

まぁ だいたい同じような行動をしてました。

それは・・・

ナビオ前道路と阪急梅田駅高架下を、憂さ晴らしする様に、意味も無く走り回るんです・・・(爆)
 


 
特に阪急3番街の入り口付近や駅下のハスターミナル付近は、高架でトンネルみたいになっている為、音がメッチャ響くんですよ・・・



 


そこで調子に乗ってアクセルをふかし、シビック等の直管サウンドをボディコンギャルに浴びせるのですが、99%は迷惑そうな顔をするだけでした・・・(爆)

 
深夜2時を過ぎると、流石のナビオ前でも人影が減ってきます。

そのあたりで普通は諦めて帰るのですが、僕のツレの中にはアホなヤツがいてたんです。


地元に帰るまでの道中で、淀川の堤防へ上がってみたり、人気の少ない公園に立ち寄ってみたり・・・

その目的を聞いてみたら・・・

『まだ諦めるのは早いぞ! チャンスリ(シンナー吸引)してる娘がおるかもしれんやんけ!』

との事でした・・・(爆)

ナビオ前・・・
 

環状や箕面で走り疲れた時、休憩を兼ねて立ち寄るスポットとしては最高の場所でした。


今の時代には無い文化ですよね?


当時を語る上で避ける事ができない場所なので、今回はあえてテーマとさせて頂きました。


ただ、同じ大阪の走り屋でも、女性には一切興味が無く、頭の中はタイヤとオイルとガソリンの事だけ・・・
って人もおられましたので、全てが当てはまる訳ではありません。


しかし、当時の自分を取り巻く環境は、この様な『シャコタン☆ブギ』みたいな状況であった事は事実です。(笑)


次回は少し真面目に車の話を書きますネ。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted at 2013/09/30 12:37:02 | コメント(9) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年09月26日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part9 ・ 箕面クラッシュ編

【大阪】走り屋伝説 Part9 ・ 箕面クラッシュ編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は大した事ありません。

何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、
またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。

その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分がサイバーCRXに乗り始めて8ヶ月。。。
自損事故も経験し、その後は足回りにエナペタルの車高調、ブレーキにはエンドレスを入れ、タイヤはSタイヤと、ヤマ(峠)を攻めるには十分な仕様で毎晩の様に箕面を攻めていました。


時代は今から25年前の昭和63年9月・・・


その時期は車にも慣れ、走る事が1番楽しかった時期でした。
しかし、思い返せば、『恐怖』と言う言葉を知らなかっただけの無謀さ故の『楽しさ』でした。


とにかく、1番嬉しがって走りまくった時期だったので、無茶な運転をしていました。

CRXに入れていた直巻サスのレートは前後14キロだったので、コーナー侵入のアクセルを抜いた
状態でステアリングを操作すると簡単にテールがスパッ♪と流れる仕様だったんです・・・

箕面のコース上に3箇所あるヘアピンでは、ほぼフルカンターでテールのスライドを止めないと
ダメなぐらい流れました。



 
けど、そんな半分スピンしてる様な無駄な走り方でも、派手な走りの方がカッコ良いと思い込んで
嬉しがって走り回っていました。
(そんな曲がり方、遅くなるだけなんですが・・・)

いくらテールがスライドしても、自分には止める事が出来るって変な自信があった時期です。。。(笑)

テールが止まるのはテクニックでは無く、Sタイヤの性能と、速度域の低いタイトコーナだったからなんですけどね・・・(汗)

天罰が下るまで、それほど時間はかかりませんでした。

昭和63年9月のある日、深夜12時・・・
一般車両通行禁止の時間帯でしたが、祝日前で箕面ドライブウェイ猿天の駐車場は満車状態でした。

その頃の自分は、この箕面ドライブウェイでCRXの横に乗せて欲しいと頼まれる事が多く、
その日も仲間が1人の見知らぬ男性を連れてきました。

男性は『ぜひ、横に乗せて欲しい・・・』と頼んできます。

毎度の事ながら自分は嬉しくなって、即OKを出し、その男性を乗せて仲間が見守る
猿天の駐車場をアクセル全開で飛び出しました。

祭日前って事で、ギャラリーコーナーはすごい人数です・・・
その時は50名ぐらいのギャラリーが山側斜面から自分のCRXの接近を注目していました。




その日はいつもより気合を入れて加速した為、かなり速度が乗っています。。。
またギャラリーの多さにテンションはMAX♪でした・・・


一瞬のブレーキと同時にシフトを3速から2速へダウンし、ステアリングを右に切り込みます。
後輪が横断歩道のペイントを踏んだ瞬間、いつも以上に、テールがスパッ♪と流れました・・・

助手席で見知らぬ男性が『すげ~っ』とつぶやきます・・・

その瞬間でした。。。

普段はアクセルオンで止まるはずのテールスライドが止まりません。。。

その時に慌ててカウンターを強めに当てたので、一気にオツリが返ってきました。。。

一瞬で右テールがガードレールに強く打ちつけられます・・・(汗)
車体に伝わってきた衝撃の大きさから右のリア・フェンダ-部が大破した事はすぐわかりました。
またその衝撃で右のテールランプが後方へ飛んでいきます・・・



その時、自分は判断を誤りました。。。

何も考えず、フルブレーキングをするべきだったんです。(大汗)


しかし、自分が考えた事は、
『こんな大勢のギャラリーの前で恥はかけない・・・』
『FFやからアクセルONでテールのスライドが止まり、このまま抜けれるハズ・・・』

そんな馬鹿な判断で、アクセルを一気に床まで踏み込みました

しかし・・・

車の進路はトンネルの入り口には向かず、無情にも側壁に向けて突進を始めたのです。

目の前にトンネル左側サイドのコンクリート壁が急接近します・・・
アクセルは床までベタ踏み状態・・・






もうアカンと思った時には、パニックで右足が固まり、ブレーキを踏む事すらできませんでした。

その2秒後・・・

『ダーン!』と言う大きな音と衝撃。

その直後から『キーン』と大きな耳鳴りがして止まりません。。。

更に下半身がしびれて足は動かしても何の反応も無く、顔に濡れたような感覚・・・

横からは苦しそうな、うめき声・・・

助手席の見知らぬ男性は、純正シートベルトで肋骨を圧迫されたようで、
うまく呼吸が出来ていない感じでした。

そうです・・・

やってしまったんです。

事故後、まず、車から出ようと思っても、足が全く動きません。

良く見るとエンジン類が室内にメリ込んで足を直撃し、自分は挟まって出れない状況でした。

助手席側のダメージが少なかったのは不幸中の幸いでした。

その頃にはギャラリー達が猿天駐車場にいてる仲間を呼びに行った為、車の回りには仲間が一気に集まります。
 

その時の仲間の顔を見た瞬間、ヤバイ?と思いました。。。
皆、普段見せない深刻な表情をしてたんです。

 
自分の顔の濡れた感触は、ハンドルのホーンボタン付近で眉間を強く打った為、
顔の一部が陥没し、大量に出血した為でした・・・

そんな事故の場合、普通はすぐ救急車を呼んで、車から出してもらい、病院へ運んでもらうのですが、自分達はその前にすべき大切な事があるんです・・・(汗)

交通事故で救急車を呼べば、同時に警察が来るので、その前にチームのステッカーを剥がさないとダメなんです。

万一、ステッカーをそのままにして、警察を呼ぶと、病院で有難く無い取調べが待ってますからね。

当時のメンバーの中にはテンプラ車両で無茶してた人がいましたから・・・(汗)

しかし、この時はフロントガラスに貼ってたステッカーの糊が固着して、なかなか剥がれませんでした。

意識が薄れゆく中で見た光景は、仲間が3人ほどボンネットの上で必死にステッカーを剥がしているシーン・・・

彼らは『後半分や・・・』等と言いながら、必死にシールを剥がしていました。

しかし、彼らが必死に剥がそうとしてる、残り半分の部分は『RACING』の文字・・・

僕は最後の力を振り絞り、叫びました。。。
『そんな部分は剥がさんでもエエから、はよ救急車呼んでくれや!』と・・・(笑)


そんな流れで、やっと救急車を呼んでもらえたんです。

同時に自分の仲間達が、助手席の見知らぬ男性を引きずる様に車から無理やり降ろします。

彼は強い胸の痛みを訴えていましたが、救急車には自分の仲間達が乗せませんでした。

理由は、人身事故になるからです・・・

このあたりの対応は当時の走り屋の世界では常識でした。

もちろん、生死にかかわるような状態なら救急車で病院へ行かせますが、肋骨の骨折程度なら基本的に横乗りの人間は我慢させましたね。

結局、彼は仲間の車で別の病院へ行ったんですけど。。。


少し余談ですが、実はこの事故の1週間前も仲間がトンネルの中で事故を起したんです。

その時は買ったばかりのKPが全損になりました。
赤白の派手な環状カラーに全塗装したサイドマフラーのKPだったんですが・・・

トンネル内で横向き2回転を食らった為、ロールバーで頭を打って大量出血してたんですが、その時もステッカー剥がすのに苦労したんです。

誰もシール剥がしなんか持ち歩いてないですからね・・・(笑)
あれは素手で爪を立ててコリコリしても、簡単に剥がれないもんなんですよ。。。

結局、その時も救急車を呼ぶのに15分ぐらい時間かかったんですが、ツレは搬送先の箕面市立病院で頭を縫ってもらい、2~3日で猿天へ復帰できたんです。


しかし、今回の自分の場合は深刻でしたネ。。。


ツレが先週運ばれたのと同じ箕面市立病院へ搬送され、3ヶ月以上入院する事になりました。。。

先週もツレの事故で救急外来に来てたので、病院の看護婦さん達には呆れられました・・・


事故の翌日、病院での検診時に左膝の間接がバラバラになったので、一生、歩く事は出来ないかも?と医者から言われたんです・・・(汗)

免許が無くなるとか、仕事がクビになる・・・ぐらいなら良いですが、
一生、歩けないのは困ります。

無謀な運転の代償とはこんなモンなんですね。。。(大汗)


ただ、少し嬉しい事もありました。

横に乗せてた見知らぬ男性が自分が入院し、2週間ぐらい経った頃に見舞いに来てくれたんです。

肋骨が折れていたけど、大した怪我ではなく本当に良かったと思いました。
もし、大怪我が彼の方なら・・・(大汗)

これがその事故車両の写真です。

サベルトの4点してなかったら、確実にフロントガラスを突き破って顔面からコンクリート壁へ激突ですわ・・・

脳みそ散乱って感じでしょうか・・・(汗)

しかし、当時のホンダ車って・・・衝突安全性能が低いんですよ(笑)
 

 
 

これがフロントガラスのステッカー剥がし跡です。
 



その他、別角度から・・・




ココまできたら、修理は難しく、廃車ですね。

助手席側はダメージ少なかったんです・・・




 

この大クラッシュにより、仲間の間では自分が走るのを止めるとの噂が広まってました。。。


まぁ 治っても一生、普通に歩行できないと言われていたので、箕面走ってる場合では無いですからね・・・

けど、奇跡的に怪我がある程度回復したんです。
※傷跡を見たい方は遠慮なく、申し出て下さい(笑)


昭和63年12月・・・

また聖地、箕面への戦線復帰する日がやってきます。。。
しかも派手なグランドシビックに乗り換えて・・・

若い頃は、夢中になると止めれない事があるんです。
こんな大怪我しても・・・(汗)

事故によって走るのが怖くなり、ビビって止めた・・・等と思われたく無い!
って気持ちでしょうか???

今になって考えれば、アホな事なんですが、当時はそんな考え無いですからね。


シビックでの戦線復帰ぐらから平成元年の春あたりまでが自分的には最大ピークと考えています。

大阪のアツい夜は続きます。。。

そのあたりの話は次回以降に・・・



今回もダラダラとした長文を読んで頂き、ありがとう御座います。


















Posted at 2013/09/26 22:37:11 | コメント(7) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年09月14日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part7 ・ 箕面 ホリデーオート取材編

【大阪】走り屋伝説 Part7 ・ 箕面 ホリデーオート取材編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は本当に大した事ありません。

何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、
またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。
その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分がサイバーCRXに乗り始めて7ヶ月。。。
事故も経験し、足回りに車高調を入れ、Sタイヤを装着し、浮かれていた時期・・・。


毎晩の様に箕面へ上がるうちに、交友関係も増えていき、茨木サニータウンや環状へも良く遊びに行く様になります。


そんな刺激のある生活を送っていた時期ですが、更に面白い情報が入ってきました。。。
今から25年前の昭和63年8月のある日・・・

自分達がいつも走っている箕面へホリデーオートの取材が来るとの事でした。

その情報は取材日の1週間ぐらい前に入っていたので、当日は皆、気合が入っていました。(笑)

何故か?

それは自分の車が雑誌に載るかもしれないからです。
確かに、雑誌に載れば思い出として残りますからね・・・

取材は平日でした。

場所は箕面ドライブウェイの猿天の駐車場です。
時間は通行禁止の時間になり、一般車両がいなくなった23時頃に行なわれました。

雑誌社のカメラマンが猿天の駐車場に止めている車両を順番に撮影していきます。

普段、ドロドロの車でも、その日は洗車して猿天へ上がって来てるので、皆の車はいつもより綺麗でした。

カッティングシートで微妙に派手になってる車もあったし・・・(笑)

そして、いつものメンバーが集まって猿天の駐車場で集合写真。。。

途中で1回パトカーの邪魔が入り、人数が減ってしまいましたが、それでも50人以上は残っていました。

何人かは雑誌社のインタビューに答えてたみたいですが、自分は何も聞かれませんでした。。。

って・・・ 

『能書きはエエから早よ雑誌の現物を見せんかい!』って怒られそうですね。

では 少しだけ・・・(笑)

一応、かなり昔のモノって言っても雑誌ですから、堂々と文面は載せれませんよ・・・(汗)
って事で、チラッと・・・

偶然に写った?的にですが・・・(笑)

まず、表紙です。

『ホリデーオート 臨時増刊号 スーパーチューン’88』




かなり年季が入ってボロボロですが・・・


まず、この増刊号に自分達以外に乗ってた車を少し紹介します。


何故かと言うと・・・

雑誌の取材って言うても、どうせ当時のマイナーな車ばっかり集めたローカルな特集ちゃうんかぁ???

等と思われるかもしれないので。。。(笑)

まぁ 関西の分をメインに少しだけ紹介しますので見てください。。。

当時、皆があこがれた車がズラ~っと出てますよ!(笑)



まず、柿本 Z 伝統のメカチューンですわ・・・
やっぱり、このマフラーが柿本って感じです。
単車のXL500用ピストンで3.1ℓですよね♪





それに、ロータリー勢ではサコ・レーシングとRE雨宮のSA22C
サコレーシングの方は12Aエンジンにウエーバー48のクロスポート。。。
足回りは中山仕様・・・
ファイナルは4.1に変更との事。

雨宮セブンの方はストリートでの使用を優先し、ペリでは無く、あえてサイドポートの仕様とか・・・






どうですか? 懐かしく思われる方、いらっしゃいますか?(笑)



更に、オートセレクトのソアラ・・・
5MG改 3.1ℓ
それにKKKのF1タービンを2基搭載のキャブのツインターボ仕様。。。
パワーは当時のシャシーダイナモで計測不能との事・・・(汗)
しかも、最高速は310キロ以上ですよ・・・
今の車は簡単に300キロ出ますけど、25年前ですからね~
メッチャいかつい!!!
素晴らし過ぎます!!!






次はトライアルのソアラ・・・
超高速クルージング400PS仕様





もう一つ・・・

RSハマダのメッチャ渋いTE27
2TG改ですね
軽く8000回転♪ 180馬力






最後は神戸のスピードガレージG5のジェミニ ZZ・・・






どないですか?

有名なマシン満載って感じでしょ?

自分的にはこの昭和末期って、新しい車と前世代の車が微妙に混ざり合って、
刺激的なマシンが多数あった時代だと思うんです。

そう言う意味では、1番良い時代だったのかな?って思います。

この時代を経験していると、今のスムーズで静かなハイパワーエンジンに四駆のトラクション・・・
更に電子制御でガッツリ守られた車にあまり魅力を感じないんですよねぇ(汗)

もちろん、今の車は安全で早く走れるのですが、五感に訴えるモノが少ないような気がします。

あ。。。


話が反れました。。。(汗)


で 本題の箕面の話ですよね・・・(笑)



まず、箕面グランド軍団の紹介です。
※当時、箕面グランド軍団って名前を勝手に付けたのはホリデーオートさんですよ(汗)





この雑誌ページの中でブラックレーシングのホイールを青塗りしてるのが、僕が乗る事になるグランドシビックです。
※真ん中の上です

この雑誌取材の3ヵ月後には、自分の車となり、ホイールが無限に変わり、ボディカラーを紫に塗り替えるんですけどね。

昭和63年の8月頃はグランドシビックが発売されて約半年だったので、ボディカラーは白が多く、その白ボディに蛍光色で塗られた派手なホイールを装着するのがカッコ良いとされた時期やったんです。

特に、ウエッズ・スポーツのホイールが人気でしたね。

その半年後、平成元年を迎える頃にはカッティングシートやボディ全塗装によるド派手なグランドが増殖してくるんですが・・・


ここにも書かれていますが、元々、箕面や環状でグランドシビックは人気あったんです。 
それが雑誌に載る事により、更に人気が出てきます・・・




大げさな話では無く、この1年後にはどこ見てもシビック一色???ってぐらい大阪では人気車種になるんですよね(笑)


当たり前の話ですが、当時はインターネットみたいな便利なモノはありませんからね。
雑誌だけが情報源だったので、コレ系雑誌の影響力はかなりあったんです。。。


あっ!


シビックの話より、箕面で受けた取材の結果はどないなってんねん? って声が聞こえてきました。。。(笑)



これが、取材の結果です。






そして、ページ右下に集合写真が載っています



集合写真部分を拡大すると・・・(わざとボカしてます)





当然、自分達はこのホリデーオート発売日に書店で雑誌を購入し、中を読みました。
そして、皆が言った事は・・・・

『おい!  この目立ってるミノルタカラーのAE86 誰やねん!』
『こんなん、箕面で見た事ないぞ!・・・』
『どこの誰や???』

でした。(笑)

実際に自分も見た事が無いミノルタAE86が1番大きく載ってるじゃないですか・・・
この撮影場所は、今の猿天駐車場の便所がある場所なんですけどね

雑誌のページに大きく載ってるミノルタカラーのAE86・・・
確かにホリデーオートの取材日には見ましたよ。
写真を取られてた場面も覚えています。
けど、それ以外では箕面で一回も見た事はありません。。。(汗)

まぁ 不思議な事もあるもんですね。。。(笑)


皆が文句を言うてたのは、あのミノルタAE86が悪いって意味では無く、
なんで自分達の車の写真をホリデーオートは載せてくれへんねん!って事なんですよ・・・(爆)
当時は皆さん、わがままでしたから・・・(汗)


くだらん話ですが、今となっては良い思い出ですわ。。。



まぁ ミノルタ86の話はどうでも良い事なんですが、この雑誌に書かれている文章の一部を
紹介します。


多分、あの日の取材で誰かが話した内容なんかな???


『L型チューンが神格化し、ドレスアップなる言葉が死語になり、
ターボバトルが来るところまで来てしまった感さえある今、大阪で流行りしモノ・・・』

『1600ツインカム峠仕様』
『足をキンキンに固めて峠を攻める』
『阪神高速環状線を駆け抜ける』
『大阪には30分圏内で行ける峠サーキットがある』
『PM9時、峠サーキット(箕面)に集まる・・・』
『PM11時、クールダウン走行に入り、ナビオ前へ移動し、車を停める』
『AM2時 夜更けの阪神高速環状線に突入!』
『今日の仕上げは環状バトル・・・♪』
『ココでも1600ツインカムは早い・・』
『そして、長い夜が終わる。。。。』




誰が取材で答えたのか知らないですが、少し大げさな表現になってますね・・・
箕面攻めて、その後、ナビオ前に行って、夜更けに環状を攻めるってぇ???(汗)

まぁ 雑誌なんで良いとしましょう!(爆)



前もブログに書きましたが、この雑誌掲載により、箕面の知名度が一気に上がり、
猿天を攻める車が一気に増える事になります。


また、それに比例して事故も増えていきます。


次回のテーマは・・・全盛期を迎える当時の走り屋文化、ファッションについて、少し書きたいと思います。


文化なんかに興味無いですか?(笑)
Posted at 2013/09/14 12:55:49 | コメント(2) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年09月10日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part6 ・ 箕面 成長編

【大阪】走り屋伝説 Part6 ・ 箕面 成長編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は本当に大した事ありません。

何度も言いますが、尚、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、
またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。
経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。
その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分がサイバーCRXに乗り始めて4ヶ月。。。
初めの自損事故も経験し、少しだけ成長してきた頃。

時代は今から25年以上前の昭和63年5月・・・

その時期の箕面の状況を簡単に書いておきます。

箕面では昭和62年から昭和63年に入って大きく変わった事があります。

それがシビック(CRX)のフルモデルチェンジ・・・
箕面でも少しずつグランドシビックの台数が増えていきます。

この時点で10台以上いてましたね。。。
CRXはそれほどでも無かったんです。
自分の車を入れて常時3台ぐらい・・・

その代わり、310サニーやTE71、ジェミニあたりの台数が徐々に減っていきました。

しかし、AE86の台数は減りませんでした。
いや・・・ むしろこの時期は逆に増えていきました。 

中古市場でも程度の良いAE86は値段が高騰しはじめ、新車より高い値段が付いてました。
後期のGTVで160万や180万の値段が付いてましたね。

シビックと同様、AE86もAE92にモデルチェンジをしてましたが、AE92に乗り換えた人は
自分の知っている限り(箕面では)いませんでした。

不思議な事ですが、スターレットもKP61は増殖していましたが、EP71は箕面ではサッパリ・・・

ただし、22時迄の合法時間帯と、自分達が走っていた22時以降の本気走りをする時間帯とでは
状況は変わってたと思いますけどネ。


それと、この時期にもう1つ変わった事。。。
それはタイヤです。

昭和63年に入り、箕面でもSタイヤ装着率が急にUPしていきます。

箕面ではその時代のSタイヤはR(アール)タイヤとも呼んでいました。
多分、商品名にレーシングの意味での『R』が付くからですよね。

例えば、アドバンHF『R』 -タイプD、  ダンロップフォーミュラ『R』76J・・・
トランピオ FM9『R』・・・ 

商品名にSが付いてたのはポテンザです。

その波にのって自分もSタイヤを導入する事になります。

前回のブログで書いた雨天練習によりクラッシュしたCRXですが、足回りもダメージを受けたので、
このタイミングでついに車高調を導入しました。

当時、定番花形だったテクニカのビジョンを入れたかったのですが、足だけで24万8千円のお金が使えない!
いくらお店で、お〇む〇さんが、『工賃サービス♪ ローンいけるよぉ~♪』と言いながら、
日本信販のローン用紙を目の前に出してきても、後々、払えないものは買えなかったのです(爆)

結果的には安いエナペタルのCリング式を入れました。

それと同時に思い切ってSタイヤを導入します。

選んだタイヤは当時の最強タイヤ ダンロップ・フォーミュラ『R』76Jです。

この76J・・・  下の写真でも分かると思いますが、新品時はカラスの足跡みたいな模様が入っています。

しかし、少し走ると2本溝のみになり、スリックみたいな感じのタイヤでした。





このエナペタルのガチガチ車高調と最強タイヤの76J装備で、一気に世界が変わりました。。。


そうです!  メッチャ早くなったんです!(笑)




今まで、ポテンザRE71で雨降り時とかに練習していた自分にとって、この足とタイヤは反則とも思えました。

とにかく、テールが流れても、粘りながら止まるんです・・・
いや、タイヤが止めてくれるイメージですね。

アンダーが出ても、ハンドル切れば、それなりに曲がります。。。
※後になって分かる事ですが、このタイヤが怖いのは、本当に限界を超えた時でした

その頃は自分の腕が上がったと錯覚し、色んな車に挑戦し、かなり浮かれていました。。。(大反省)
(その代償は3ヵ月後に払う事になります・・・)

当時、先輩達や箕面を走ってた仲間達からも良く言われた事は
ZCエンジンを積んだCRXに、当時は贅沢品の直巻きスプリングの車高調・・・
それにセミレージングの76J・・・

『そんな仕様やったら、誰が運転しても早く走れるわぃ!!!』

って事で、そこそこ走れても、仲間は誰もほめてくれません。(爆)

KPで早かったら認めたるって事なんでしょうね・・・

確かに当時の箕面KP軍団はかなり気合入ってましたからね。。。
常時、7台~8台・・・
特に早かったのは2、3台でしたけどね。

そのうちの1台は自分でエンジン触ってて、腰下はノーマルとか言いながらとんでもない加速・・・
多分、1450にしてたと思いますわ。。。

あの時代はエンジンに手を入れても誰にも本当の事を言いませんからね(笑)

『エンジン触ってその程度かぁ? スーパーチャージャー付けてその程度なん?』等とイジられますから・・・

そのKPですが、当時にしては見た目は地味なKPでした。。。
しかもノンスリは入れずにデフのギアを溶接したデフロック仕様!

そして、デフロックで負担がかかるシャフトを守るべく、タイヤはタクシーみたいな細いタイヤを装着!

当時の言葉で言えば、『ゴンボウ タイヤ』ってヤツです(笑)

しかし、その鉄チンホイールにゴンボウタイヤ装着のKPですが、
見た目は非常にヘタレなKPなんです・・・  タイヤ細いし・・・(笑)

けどナメてかかればえらい目に合ったんですよねぇ。。。 コレが。。。
 
変にアオったりすると、最悪でしたね・・・
簡単に進路を譲ってはくれますが、その後、5センチぐらいに車間距離を詰められてアオられまくります。。。

また、高速コーナーで横に並んできたりして、メッチャ虐められます。。。
※非常に執念深いです(爆)

まぁ 簡単にちぎれる腕があれば良いですが、あのトンネルの中ですらカンターを当てて抜けてくる様な車なので、簡単に逃げる事はできません。

S時を抜けてきた勢いで、このトンネルに飛び込み、側壁スレスレまでテールを流しながら、
下のギャラリーコーナーへ駆け降りていきます。




後、1台のKPは・・・

ダートラ競技車両のKPですね。

自分の仲間が時々、乗ってきてたんですが、内装なんかありません。
もちろん、車検なんか受けてる訳がありません。

ダートラの競技車両なので、タイヤはキャラメルタイヤです。
ミッションは4速のフルクロス・・・
猿天の駐車場からギャラリーコーナー直前で4速が吹け切ります。

この車は更にタチが悪いです。。。

前を走ってる車に当てる気で攻めるんです。

どうせ、バンパーもグニャグニャ・・・ ボディもヘコミだらけ・・・
助手席のドアも完全に溶接して、開かないようにしてる車ですからね。

あっ  けどナンバーはちゃんと付けてましたよ! 当然のマナーとして・・・

得意の天プラでしたけど(爆)

まぁ 仮に、車が接触しても、相手に弁償するような人では無かったですけど。。。

このKP、4速のギアをフルに使い、箕面を攻めます。

けどキャラメルタイヤはアスファルトでは食いません・・・
箕面のコースを走る時は半分以上、カウンターを当てている状態でした。

そんな2台のKPですが、時々 気まぐれでSタイヤを入れてくる日があるんです。
そしたら・・・ もう・・・ 追いつけない(笑)

けど、そんな腕をもってしても事故に合うのが箕面です。

対向車がコーナーを膨らんできたら終わりですからね・・・

それが、この橋のヘアピンでの接触(正面衝突)でした。



※このヘアピンで事故るケースは多く、B310サニーが突っ込んだり、多くの車がクラッシュした
場所です

このケースでもKPは対向車をギリギリで回避したけど、フェンダーをヤラレました。

事故の時、履いてたタイヤはゴンボウでは無く71Sでしたね。





※この写真のKPはイメージとしての参考掲載です。 文中のKPを意味するものではありません!
 (謎笑)


まぁ そんな感じで箕面ではグランドやCRXあたりと互角のポテンシャルを持ったKP・・・
また1つ前のモデルではあるが、能力十分なワンダーシビックやAE86・・・、
台数は減ったが、まだ現役だったB310サニー、TE71、ジェミニ等・・・
それに、SA22Cは減ったがFC3Sが数台・・・

そんな感じの多車種の混戦状態で、今思えば一番楽しかった時期でした。


当時、環状や箕面を走るって事は色んなリスクがありましたねぇ・・・

自損事故もそうですが、他人との車接触トラブルとか。。。(汗)
まぁ それが嫌なら走れなかった時代なんですけどね。


この時期の箕面に関しては環状と違って取り締まりはキツく無かったです。
たまにパトカーが1台来て『山降りろ』と言われるだけでした。

ただ、1回だけドライブウェイの入り口で検問がありました。(自分は運良く休んでました)
ある夜、猿天の駐車場にパトカーが来たので、全員ドライブウェイを降りたんです。

その時は22時以降なので、降りてくる車は出口の交差点で順番に全員キップ切られたんです。

※ココです




その為、ドライブウェイ下りは渋滞してました(キップ切られ待ち状態)

ドライブウェイを降りる車の列は浄水場横まで届いていたそうです。。。

※ココです




その時、気合が入ったのが、我らが天ぷらナンバー車両KP!

当然、捕まれば、タダでは済みませんからネ。。。

一瞬の判断でした・・・

天プラKP、浄水場の渋滞地点から反対車線に出て一気にフルスロットル♪

渋滞の列を横目にソレックスが吼えます!

そして、ドライブウェイを逆行し、検問をしている信号の場所まで一気に駆け降り・・・

そこで、ポリの単車をなぎ倒し、検問を見事に突破♪

・・・って

エピソードがありました。

その日に限り、自分は上がって無かったので、この話がどこまで事実かどうかは知りません。(笑)

大げさに伝わったのかもしれませんが、検問のあった翌日に堂々と走りに来てたので、
捕まっていない事は事実ですね。


次回は箕面ドライブウェイで自分達が雑誌(ホリデーオート)の取材を受け、グランドシビックが一気に増えて行く時代(昭和63年8月頃)の話です。

いよいよ、箕面も最大ピーク?を迎える時期に入っていきます。


Posted at 2013/09/10 13:23:15 | コメント(7) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記

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何シテル?   04/07 18:49
大阪、北摂在住のデビルです。よろしくお願いします。 刺激的な昭和末期が忘れられない人種です。 過去の愛車写真を見て頂くとわかるとは思いますが、 今...
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