読書の秋ですが・・・
最近、単行本も高くなりましたね~。
簡単には手が出せなくなりました^^;
秋の夜長に、ふと本が読みたくなり・・・
読んでない本ないかなあと本棚を探したら・・・
1冊、見つかりました。
「TOUTE L'HISTOIRE MATRA」
フランス語の本ですが、硬く訳すと「マトラ全史」みないな・・・
しかし・・・読む気になれません^^;
いくら秋の夜長とはいえ、仏和辞典を片手に厚さ1cmほどの本を読む気力はないので・・・^^;
でも、せっかくなので、
見出しだけでも目を通して、どんな内容か想像してみることに・・・
La Djet
世界初のミッドシップエンジン市販スポーツカー。
全長4,220mm全幅1,500全高1,200mmホイールベース2,400mmの独特の細長いプロポーション。
ジェット5、ジェット5S、ジェット6の3種類のチューン。
(5とか5Sとか、スマホみたいです(笑))
1965年~1967年の2年間で1,495台を生産。
M530
初の100%マトラ開発市販車。
当時としてはユニークなタルガトップと取り外し式アクリル製リアウインドウを採用。
全長4,197mmながら、ホイールベースを2,650mmとし、2+2の座席をもつ。
(ミッドシップで2+2とは!)
エンジンの最終仕様は1,700cc、78馬力。
1967年~1973年の間に9,609台を生産。
Bagheera
車体はスチールモノコックにFRPの外皮を被せたものであり、座席は横3人掛けというユニークなレイアウト。
(全幅1,737mmで横3人はキツイでしょ・・・)
発売当初は1,300ccエンジンを縦に2つ並べたU型エンジン2,600cc168馬力モデルの「バゲーラ・U8」も計画されたが、
第一次石油危機により開発は中止された。
(エンジンを縦に2つって!!)
Murena
1980年から1983年まで生産したスポーツカー。
ヒット作となったミッドシップエンジン横3人がけのスポーツカー、バゲーラの改良・発展型。
新しい SOHC2,156cc118馬力(2.2)が用意され、ようやく5段となったギアボックスとの組み合わせで2.2の最高速度は197km/h。
(確かに「ようやく」ですね・・・)
1983年にマトラがルノーと提携すると、アルピーヌと競合することや、マトラが開発した画期的なミニバン、ルノー・エスパスの
生産に専念することを理由に、わずか3年余り、10,680台で生産終了となった。
市販車については、以上4車種について書かれてます。
どの車もリア・クオーター・ウィンドーがしっかり付いてるので、FRだと思ってたのですが、全てMRだったとは!
ここ1、2年、旧車系イベントにいくつか出かけましたが、未だマトラにはお目にかかっていません。
一度、見てみたいものです。
次に、競技車両
Formule 1
1968:MS9-MS10-MS11
1969:MS80-MS84
1970-71-72:MS120
1967年のテスト参戦を経て、1968年よりF2用のシャシーを改造し、自社開発の3,000ccV型12気筒エンジン(公称420馬力)
を搭載したマシン、MS11でF1世界選手権に本格参戦。
このワークスチームとは別に、マトラ・インターナショナルもフォード・コスワース・DFVエンジンを搭載したMS10で参戦。
本家の主な成績は2位1回だったが、セミワークスチームはジャッキー・スチュワートが第5戦フランスGPで、
フランス系コンストラクターとしてのF1初優勝を達成。さらに2勝を挙げ、ロータスのグラハム・ヒルと最後までチャンピオンを争った。
翌1969年はワークスがスポーツカー活動に注力したため、マトラ・インターナショナルのみが参戦。
スチュワートがシーズン11戦中6勝を挙げる圧勝で、ドライバーズとコンストラクターズの2冠を獲得した。
その年の末、本社がクライスラー傘下のシムカと提携したため、翌1970年からフォードエンジンが使用できなくなり、
タイレルはマトラからの独立を選んだ。
ワークスのマトラ・スポールは1970年から復活したが、目ぼしい成績を残せず1972年をもってF1から撤退した。
Endurance
620-630-640-650-660-670-680
スポーツカーレースにおいては地元ル・マン24時間レースの制覇を目標に掲げた。
1966年にBRM製2,000ccV8エンジンを搭載するMS620を開発し、ル・マンおよび選手権シリーズに参戦を開始した。
1968年にはF1用をデチューンした自製V型12気筒エンジンを投入。フェラーリ、フォード、ポルシェらのワークスと激戦を展開した。
1972年のル・マン24時間レースではMS670を駆るアンリ・ペスカロロ / グラハム・ヒル組が念願の総合優勝を達成。
1974年まで3連覇し、フランス人ドライバーのペスカロロとジェラール・ラルース(後のラルースオーナー)は、
政府からレジオンドヌール勲章を授与された。
世界メーカー選手権においても1973年・1974年にメイクスタイトルを連覇するなど、マトラ・スポールは耐久レース界の頂点を極めたが、
マトラ社は1974年をもってワークス活動撤退を決定した。
ってなことが書かれているのではないかと・・・(ほとんど、Wikiからの引用ですが・・・^^;)
子供の頃、最初に知ったマトラは1968年のフレンチ・ブルーのMS11でした。
確か、タミヤから1/12のプラモデルが出てました。
フェラーリ312Bと同じ頃だったような・・・
312Bは買って作りましたが、MS11も欲しかったなあ。
その後、約10年経ってから意識したマトラは、
1977年のリジェ・ジタン・マトラJS7。ジャック・ラフィーがスウェーデンで優勝。
ジタン・ブルーのマシンカラー好きでした♪
マトラF1といえば、なんといってもV12エンジン。
当時、DFVが圧倒的多数派でフェラーリとマトラが12気筒。
フェラーリは強かったのですが、マトラも頑張って欲しいなあと思っていた記憶があります。
30年ほど前にこの本をパリの本屋さんで買ったのも、マトラのF1が好きだったからだと思います。
今は無きフランスの自動車メーカー、マトラの歴史が書かれたこの本、
久々に眺めたら、新たな発見があったりして、楽しめました♪(読んでないけど・・・(笑))
おしまい(^_^)