
日本各地に義経・弁慶にちなんだ土地が多数ありますが、北海道にも数多くの義経・弁慶伝説があります。
昨日、行った積丹半島~寿都にかけても多く存在します。
源義経は岩手県平泉で死んだのが通説ですが、蝦夷地(北海道)に渡ったと言う伝説があります。
真偽は疑わしいですが・・・
寿都町の
弁慶岬には弁慶の銅像が建ってますが、名前の由来は弁慶の舎弟の常陸坊海尊が、源義経再挙の兵を連れてやってくると、弁慶は、毎日毎日この岬の先端に立ち到着を待っていましたが、ついには船影を見ることはできなかった。そんな姿を見ていたアイヌたちは、この岬のことをいつしか
弁慶岬と呼ぶようになったという伝説とアイヌ語の「ベルケイ」からと言う説があります!?
下の写真は雷電海岸ですが、「雷電」と言う地名はアイヌの酋長の娘メヌカは別れを惜しむ中、義経は「来年また必ず来る」と言って大陸に渡った。雷電は「らいねん」から付けられたシャレのような地名です(苦笑)
下の写真の先端部の岩は「弁慶の刀掛岩」と呼ばれていますが、弁慶が釣りをしている時、腰の刀が邪魔になり、岬の岩をひねって刀を掛けたと言われ、その岩が「弁慶の刀掛岩」と言われるようになった!?
他にもこの辺りは慶が義経に投げられて尻餅を付いた跡、土俵の柱の跡、弁慶が粟を作ったという畑、弁慶の足跡、投げた相手が流した鼻血が岩となっている赤岩など数多く存在します!?
積丹半島の奇岩にも数々の義経伝説があり、義経を失ったアイヌの酋長の娘チャランカ姫の悲しみが形となり岩となったとされる神威岬の
神威岩(カムイ)や義経を見送り遥か遠くの海を見つめ続けたアイヌの酋長の娘シララ姫の化身とされる積丹岬の
女朗子岩(ジョロッコ)などがあります!?
源義経は他にも数々の伝説がありますが、さらには中国大陸に渡り、チンギス・ハーンになったと言う伝説がありますが、この話は明治以降に捏造されたようです!?
歴史の勉強にはなりませんが、真偽は別として素晴らしい観光&ドライブスポット積丹半島には夢があるような話がとても多いですよ。
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Posted at
2006/09/18 21:01:08