2014年01月28日
ある平日の夕方、TBSラジオを聴いていたら中国道集中工事のスポットCMが流れていた。
その歌声に何となく気になっていたら、ようつべにあがっていた。
関西の女性シンガーソングライターが唄っているそう。
聴きに行きたくなってしまう。
たぶん、無理だけれど。
それにしてもTBSラジオに出稿するNEXCO西日本もある意味凄い。
トラドラの方が多く聴いているだけに、当然と言えば当然かも知れませんが。
Posted at 2014/01/28 21:08:35 | |
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2014年01月28日
洗車をしていたら、ジム丼のロゴシールと駐車標識票が剥がれてきた。
どうしよう・・・。
Posted at 2014/01/28 20:59:11 | |
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2014年01月23日
蓄電池駆動電車が、3月のダイヤ改正から宇都宮~烏山(JR東北・烏山線)を走る。
電化区間である東北線内はパンダグラフから蓄電して、非電化区間である烏山線は蓄電池で走らせる仕組み。
(聞くと烏山線の両端駅(宝積寺・烏山)にも架線を引いて蓄電できる設備はあるらしいが)
既にこの区間で実証試験をしており、ついに営業運転ができることに。
当面は、宇都宮~烏山間1往復、宝積寺~烏山間で1往復の計2往復設定され、いずれは気動車から全面切り換えをすることになっている。
ちなみに四国や九州でも取り組みは始まっているようで、新たな潮流ができているのは事実。
ただ、東日本が先んじたのも事実。
やはり、経営体力が無いとできないだけに。
Posted at 2014/01/23 20:51:37 | |
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2014年01月19日
競馬を見始めた記憶はだいぶ遡る。
オグリキャップが勝った有馬記念も記憶にある。
ただ、基本はテレビを眺めていたくらい。
そして、2004~2008年くらいに東京競馬場の東門から歩いて20分位の所に住んでいたので、何があるかくらいはチェックしていた。
(これを知っておかないと土日の動きが変わってくる)
一番印象にあるのはディープインパクトが勝った、2005年の第72回東京優駿(日本ダービー)。
何も考えずに、府中駅に向かおうと東府中駅に向かったら、改札から中には入れない位の混雑で、やむなく逆側に回って入ってみたら、新宿行きのホームが溢れかえっていたのが記憶に残っている。
でも、府中に住んでいた間は開催中はおろかパークウインズ(無料開放で開催場の模様を大型ビジョンで流す)の時も入ることは無かった。
あったとすると、平日に無料で開放されている競馬博物館とか第4コーナー付近の芝生くらい。
それが、ある時競馬熱にスイッチが入ったのです。
それが2012年の第79回日本ダービー。
それから、ラジオNIKKEIを聴いたり、BS11の中継を見たり、たまに無料になるグリーンチャンネルを見たり。
ついでにCXやNHKの中継を見たりも・・・。
昨年は東京競馬場に2回入った。
まず1月にパークウインズで入り、10月には開催時に入場料を払っての観戦。
ちなみに、平地(普通に競馬と言われる)の競走よりも、障害の方が好きらしい。
ですので、10月に見た時の目当ては東京ハイジャンプという障害競走。
12月には中山競馬場に行って、(有馬記念ではなく、その前日開催の)中山大障害を行く予定でもあった。(体調不良でテレビ観戦)
これでも、勝馬投票券(いわゆる馬券)は買いません。
ある知り合いには買った方がより競馬の魅力にはまるよと教わったけれど、買ったら蟻地獄のようになりそうな気がして・・・。
ただ、グリーンチャンネルは入りたいとは思っている次第。
東京競馬場が近いと言う事は多摩川競艇も近いのだが、そちらは全く興味がない。
一応、青梅市が関与しているらしいですが。
Posted at 2014/01/19 18:26:45 | |
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2014年01月17日
今日は「平成7年兵庫県南部地震」、いわゆる阪神・淡路大震災が発生した日。
大学生だったあの頃、朝起きて何気なくNHK総合テレビをつけたら、見慣れぬアナウンサーが血相を変えて伝えていて、その後出てきたキャスターも怖いくらい冷静に伝えていて、つないだ大阪局と後に使用不可能の判定か出された神戸局からの中継は今でも記憶にあります。
神戸の中心地である三宮地区の変わり果てた光景や、阪神高速神戸線の倒壊、長田地区の大規模火災なども印象の残るものは多々ありますが、私は鉄道についてです。
JRは六甲道を中心にやられ、阪神は石屋川の車庫が倒壊し、神戸高速も大開で陥没があり、しまいには山陽新幹線の高架も・・・。
学校に行くまでもラジオに聞き続け、その日のテストは見事に落第したものです。
翌年に泉谷しげる主催の震災支援コンサートを観に行くため、神戸に行った時は六甲山系の山肌にある崩落跡と、ブルーシートがかかった屋根と、ポートアイランドでのクラックの入った地面というのも記憶に残っているところです。
神戸も復興が終わりましたが、その一方で失ったものもあるのも事実だと思います。
特に市内中心部などでドーナツ化現象が起きているそうです。
対策として地下鉄海岸線を建設しましたが。
あと記憶に残るのは、鉄道不通区間の振替輸送の迅速な対応でしょうか。
各地からバスが手配され、さらに警察の協力の下バス専用レーンが設けられたりと、その対応は今できるのだろうかと言うくらいのものでした。
また、JRについては、全国のJRグループの協力があって、阪神間ではいち早く運転を再開して、(これが結果的に私鉄から客が移ってくると言う副次的な効果が生まれたのでもありますが)
そういえば、手元に当時の毎日放送ラジオが何を伝え、朝日放送が何をしたのかという本があります。
その時にも言われたのですが、東京が求めていることと現地で求められているものにギャップがあり、特にテレビ局でそれが鮮明に出たとは聴いています。
あれから、19年も経ったのだと思うと考えることもあります。
それらの反省は果たして、2年前の東日本大震災で機能したのか、考えさせられることがあります。
何より阪神・淡路大震災と東日本大震災はそもそもの規模が比較できないくらいではありますが。
Posted at 2014/01/17 22:27:16 | |
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