実を言うと・・・
過去一番、つまらなかった。。。
そんなテンションの上がらなかった自分に深く反省。
前に出る姿勢を取り戻すために振り返ります。
2009年12月某日 千葉県某所にて・・・
当時、自分史上最大のトラブルを抱えていた。
写真で見るより、実物の方がボロかった。
心の支えとして。
Ruin Return Recovery
2010年4月~
JZX100の整備が完了。
あっちこっちのボルトが緩んでいて前のオーナーにクレーム言いたくなる。
トラブルがなかなか解決せず、心が折れる。
家で倒れたのがきっかけとなりしばらく仕事以外、家の外に出られなくなる。
某33セダンの方と。
再度一緒に走れるようになったのはうれしかった。
33のクラッチペダルを破壊し、その後猛スピードで牽引したのはナイショです。
2011年11月某日 某所
最悪の事態を回避してトラブルが解決する。
終結まで3年以上かかったが、解決するときはあっさりすべてがクリアに。
東京からここへ帰って来たことに意味はあったのかもしれない。
協力してくれた人、支えてくれた人に心から感謝します。
一寸先は闇
逃げたら追われる、追うものは追われない
2012年9月18日 富士スピードウェイ 1Jミーティング
サーキットでドリフトを見るのはこれが初めて。
アツイ・ウルサイ・クサイ・ケムタイ、某33セダンの方と望遠レンズで木陰から観戦。
二人でドリフトはあまりいいものではないと結論付けた日。
某チョイサーの方とニアミスしていたことに後日気づく。
『いつかサーキットで一緒に走ろう』と言ってもらう。
ブログにアップされていた動画をみて・・・思う・・・
これは無理だ・・・マネできない
2012年1月4日 日光サーキット
某ムラサキR32の方より『日光の走行会エントリーしときますね』と突然言われる。
冗談かと思ったが、本気の強制参加だった。
行き詰まり立ち止まっているときにどこかで見てたんじゃないか?と言うタイミングで連絡をくれる不思議な存在。
これがドリフトをはじめるきっかけになってしまう。
ムラサキR32の方の隣に乗らせてもらうが・・・思う・・・
これは無理だ・・・マネできない
現在まで唯一のクラッシュ、俺じゃねーけど (* ´艸`)クスクス
2012年4月~
富士ドリフトコースをホームとしてドリフトを開始。
33セダンの方が当日エントリーを連発したのにはビビったが・・・
それ以上にここで出会った某クラウン(当時35ローレル)の方にもっとビビる・・・
ハイドロなんてフルシカトですか?
隣に乗せてもらうが・・・レベルとかではなく次元が違ったw
これは無理だ・・・まったく参考にならないw
その後、軽いスランプに陥り、スピンしかできなくなったのは言うまでもない。
蹴り進入は一番最初、この方に教えてもらう。
2012年9月16日 自宅
マークⅡから水漏れ発生。
自宅にて修理。
実は・・・
1Jミーティングの日だとは知っていたが、当時、2ヶ月以上も前にエントリーするとは知らずに参加を逃す。
腕もスピンばかりで話にならないし、と思い、修理の日を1Jミーテイングにかぶらせて見学にも行かず。
1. 月一でサーキットに走りに行くこと
2. 1ヒート10分間、全開で走っても壊れない車にすること
2013年の1Jミーティングに向けて掲げた目標
1Jミーティング前、最終調整で参加した走行会の表紙にマークⅡが載ったことはすごくテンションが上がった。
2013年9月29日 富士スピードウェイ 1Jミーティング
1Jミーティング初参加
そして某チョイサーの方と一緒に走るという悲願達成の日。
会ったこともなかった、どこの誰かも性別も血液型も知らなかったのに自分がツライ時期に応援をしてくれた不思議な存在。
お会いするまで・・・神様か?エンジェルか?心優しいネッシーあたりか?そこらへんの居そうでいない心の中の存在的なものがネットを通してメッセージをくれてるんじゃないかと本気で思っていたので、実物を見たときは不思議な感覚でした。
恩人の後ろを走ることができてうれしかった。
2013年11月24日 本庄サーキット
初本庄サーキット。
そしてムラサキR32の方と一緒に走るという悲願達成の日。
日光の追走を見てなんとしても一緒に、近いレベルになって走りたいと心の底から思っていた。でも、奴は遥か彼方。
当然のことながら追いつけるはずもなく・・・だいぶ後方から『気をつかえよ、ばーか!!』と負の念をハンドパワーに乗せてムラサキ号に送る。
すると・・・ムラサキ号は砂利にハマる (* ´艸`)クスクス
2014年7月~ 愛知県某所
仕事で愛知県への半年間の出向が決まる
ほぼ時を同じくして純正タービンがオイルをまき散らすようになる。
愛知県の生活があまりにヒマでやることもなく・・・タービン交換に必要なパーツを半年かけてかき集める。
ほとんど走れない年になったが翌年、タービン交換車となる。
2015年10月4日 富士スピードウェイ 1Jミーティング
1Jミーティング2回目の参加。
タービン交換車になった上でのホームコース。
余裕をぶっこいてたらリアタイヤをトライアングルにしたことで軽いスランプに陥る。。。ひたすらケンダだけを使って練習したことに後悔。
ようやく調子を取り戻すと後ろには白い影が・・・
誰かを追うことはあっても誰かに追われるのは実はこれが初めて。
ライバルとなる。
2016年6月~
タイヤメーカーの方と知り合ったり、走行会スタッフに誘われたり・・・
書ききれないけど他にもいろんな人との出会いが広がりをみせる。
本来、人見知りで目立ちたくない自分としては不測の事態。な、気がする。
注意、指摘されるとこが多い。
けれどたまに、車を褒めてもらったり、走りを褒めてもらったり・・・少し今までと違う流れを感じる。
6年間、この車を整備して乗ってきたことの評価をもらえた気がする。
未だに愛着はないけど
今までで一番長く乗っていて
今までで一番手をかけて
今までで一番思い出を詰め込んだ
かもしれない
早く走り方を変えないと