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2020年03月21日 イイね!

北関東寺社巡り2月5日(最終日)

北関東寺社巡り2月5日(最終日)2020年2月2日 からの寺社巡りもいよいよ最終日です(^o^)



この日も朝 Hiro.Yさんが、二泊した茨城県古河市のビジネスホテルまで迎えに来て下さいました。

いよいよ千葉の大本山・成田山新勝寺を参拝いたします。

古河市からけっこう距離があるため、圏央道を利用です。

右手にポツンと何か見えます。
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『牛久大仏』の頭だけ見えました(^^)
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成田市に入り、新勝寺へ行く前に一箇寺立ち寄ります。

◆滑川山龍正院
(説明は滑川観音HPと境内看板より)
位置:千葉県成田市滑川
宗派:天台宗
本尊:十一面観世音(御丈一寸二分)
   後に定朝作の一丈二尺の観音像の胎内に納められ、
   通称滑河観音の名で世に知られている。
開基:承和5年(838)の草創、慈覚大師の開基と伝えられる。
坂東三十三観音霊場 第二十八番札所

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仁王門(国指定重要文化財)
室町時代の建立。
毎年1月8日、江戸時代、門前で火事が発生し仁王様が火勢を止めた伝説に由来し、仁王様への感謝と五穀豊穣・子孫繁栄を願い、火災を免れた近隣の旦那衆により大注連縄の奉納される。
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茅葺屋根で柱は十六角形。

仁王像
胎内に文亀2~3年(1502~1503)の墨書願文が納入されていた。
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宝篋印塔(県指定有形文化財)
享保3年(1718)鋳造。
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手水舎
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本堂(県指定有形文化財)
元禄11年(1698)建立。
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正面五間のうち、中央の天井には、その両側には迦陵頻伽が描かれています。
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風格がありますね!
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寺務所で御朱印を頂き出発しました。
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成田駅付近のパーキング
24H 500円って!成田駅前なのになぜこんなに安いの??
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参道を通り・・・
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◆大本山成田山新勝寺

位置:千葉県成田市成田
宗派:真言宗智山派
本尊:不動明王像(弘法大師空海作と伝えられるが、文化庁の国指定文化財等データベースによると、鎌倉後期の不動像の名品の一つとのこと)
初詣の参拝客数は、2007年に約290万人。
社寺としては、明治神宮に次ぐ全国第2位。寺院に限れば全国第1位。

総門
開基1070年の記念事業により、
2008(平成19)年建立。高さ15mの総欅造り。
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右に手水舎。お清めをして先へ進んで・・・
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仁王門(国指定重要文化財)
提灯がかかっています。
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左右に金剛力士像
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金網でピントが合わず。脳内補完してご覧ください。
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中央の提灯と・・・
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提灯の下面にが居られます。
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金剛力士像の裏には
広目天
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多聞天
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橋を渡り、階段を上がって・・・

大本堂
1968(昭和43)年建立(本堂としては四代目)
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本堂で1時間ごとにお護摩が焚かれ、外陣で座って参拝出来ます。
13時からのお護摩を参拝しました。(この日は平日だったので13時のつぎは15時でした)

三重塔(国指定重要文化財)
1712(正徳2)年建立。
*もう見事としか言うことがありません。
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一切経堂
1722(享保7)年建立。
1831(天保2)年、1962(昭和37)年、1966(昭和41)年、1986(昭和61)年、1998(平成10)年、2009(平成21)年と多くの修復を繰り返してきた。
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柱に亀甲花菱文様
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鐘楼
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開山堂
昭和13年(1938)建立
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光明堂(国指定重要文化財)

1701年(元禄14年)建立。(二代目本堂)
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2月3日から星供祈祷会奉修中。
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平和大塔
1984(昭和59)年に建立。総高58m。
高野山の根本大塔(50m)より大きいですね。造りは似ています。
根本大塔の胎蔵界大日如来と金剛界四仏に対し、平和大塔は五大明王(不動明王を中心に四明王を配置)でした。
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清瀧権現堂
享保17年(1732)建立
天明8年(1788)修理
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釈迦堂(国指定重要文化財)
1858年(安政5年)建立。(三代目本堂)
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聖天堂
大聖歓喜天を祀っている。
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右に大本堂、左に釈迦堂、中央奥に平和大塔
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聖徳太子堂
平成4年(1992)建立、平成19年(2007)に修復。
聖徳太子像奉安。
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こわれ不動堂
修理してもすぐ壊れるためこの名。
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大師堂
明治21年(1888)再建。
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弁財天堂
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かめ
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薬師堂(初代本堂)
成田山新勝寺飛地境内に位置。
明暦元年(1655)建立。安政2年(1855)現在地に移転。
2011年から2年掛けて保存修復工事が施された。
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大本山成田山新勝寺、大規模で伽藍の数も多くて見切れない!
恐るべし!大本山!!




さて、これで終了です。

大本山成田山新勝寺。今も庶民に開かれている大本山でした。
平成29年(2018)のクリスマスイブに成田山新栄寺(札幌別院)へ初めて参拝してから、いつか大本山成田山新勝寺に行ってみたいと思い続けていました。

今回、2月2日に成田山川越別院を参拝してさらに足元を固め、大本山を参拝できたことに感無量です。

埼玉・茨城・栃木・千葉と広範囲に渡る寺社を巡ることが出来たのは、
寺社巡り大先輩のみん友さんである Hiro.Y さんのお陰です。
参拝寺社への愛車のワゴンRで案内していただいた上、宿泊ホテルへの送迎までしていただいきました。参拝寺社を私好みに変更してくれたり、絶品蕎麦屋を見つけてくれたり・・・

なんて素晴らしい方なんだろう。頭が上がりません。
Hiro.Yさん、本当にありがとうございました!!!

誤嚥性肺炎で2度も緊急搬送され、母がそれでも一命を取り留めたのも坂東の神仏のおかげなのではないかと思っております。

今回の寺社巡りで今までにない気付きもありました。
・社殿の柱の文様
・仁王像のお腹ぽっこり
・真言宗は智山派豊山派(新義真言宗)が多い
・彩色が残っている社殿が多い
・社殿の彫刻がどこも見事である

地域性や時代性など、いままで考慮に入れず気付かなかった部分にも興味が湧いてきました。


また機会を作って巡りたいです。




Posted at 2020/03/22 00:56:27 | コメント(2) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2020年03月19日 イイね!

北関東寺社巡り2月4日(2/2)

北関東寺社巡り2月4日(2/2)ーーー続き


常陸国出雲大社の後、お昼にしました。


はい!お蕎麦です(^o^)
道路から奥まったところにある、十割蕎麦のお店です(Hiro.Yさんグッジョブ!!)
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とてもとても美味しかったヽ(*´ω`)ノ

こちらのご主人、営業時代に札幌へ出張したそうで、
札幌出身のHiro.Yさん、札幌在住の私としばしミニサッポロ談義。
楽しかったです(^^)

十割蕎麦も私好みの硬すぎないもので、もう一度食べに行きたい!
次は十割蕎麦の旅か?(笑)


では、寺社めぐりに戻って・・・

◆西明寺
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位置:栃木県芳賀郡益子町
宗派:真言宗豊山派の寺院である
山号:独鈷山
院号:普門院
本尊:十一面観音
*坂東三十三箇所第20番札所

階段上がると
最上段に結界が張ってある石がありました。
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これ何なんでしょうか?
御朱印所の方に聞いてもわからないとのことでした。
知っている方いらっしゃいましたら、教えてくださいm(_ _)m


高野槙がありました。天然記念物です。
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鐘楼堂
楼造り、宝形造り茅葺き(以下説明は、普門院西明寺より)
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三重塔
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相輪の説明看板がありました。
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水煙がちょっとあっさり気味ですが。

本堂
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で、西明寺の最大の名物といえば・・・
『笑い閻魔』
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笑い閻魔様。閻魔堂の扉の格子から見ましたが、私には笑っている様には見えませんでした。
( ゚д゚)ハッ! 私の地獄行きが決まった(;_;)

では普門院西明寺HPから説明を
西明寺の歴史

天平9年(737) 行基菩薩の草創。紀有麻呂によって建立される
延歴元年(782) 一山12坊を数え、隆盛をきわめる。
延喜5年(905) 栄山師によって観音像が修造される。
大納2年(1127) 兵火により堂、塔、12坊とも消失。
治承2年(1178) 堂宇宝塔が再興。
承元3年(1209) 宇都宮景房によって、本堂が修理される。
建長7年(1249) 北條時頼により、七堂伽藍が再興される。
正平6年(1361) 兵火による災厄。
応永元年(1394) 益子勝直により堂宇が再建される。
明応元年(1492) 楼門が建立される。
天文7年(1538) 三重塔が宇都宮家宗により建立される。
元禄14年(1701) 平野赤市発願により本堂が改修される。
正徳4年(1714) 閻魔堂の建立。
淳保7年(1722) 鐘楼が再建され、現況に至る

重要文化財
楼門 - 入母屋造茅葺きの楼門。明応元年(1492年)の建立。
三重塔 - 天文7年(1538年)建立。屋根を銅板葺きとするのが珍しい。
本堂内厨子 - 本堂より古い室町時代の作

この他
弘法大師堂、鐘桜堂、そしてユニークな「笑い閻魔」で親しまれている閻魔堂があります。

普門院西明寺公式HPはとてもよくできています。本堂内陣やご本尊、仏像群の画像など(もちろん閻魔堂内も)掲載されております。
今回本堂内 に入れなくてとても残念でした。必ず再訪すると決めました!


さて、これで2月4日の寺社巡りは終了!

・・・夕食
「はんどう太郎」の中でも有名な店舗だそうです。
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注文したのは・・・
お寿司と蕎麦のセット(^^)

二人ともどれだけ蕎麦が好きなんだ(笑)


・・・2月5日に続く
Posted at 2020/03/19 12:00:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2020年03月16日 イイね!

北関東寺社巡り2月4日(1.5/2)

北関東寺社巡り2月4日(1.5/2)・・・続き


次に連れてきていただいたのは、
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◆楽法寺
位置:茨城県桜川市本木
宗派:真言宗豊山派
山号:雨引山
本尊:観音菩薩(寺伝:延命観世音菩薩)
坂東三十三箇所霊場第二十四番札所
東国花の寺百ヶ寺茨城六番札所
*雨引観音とも称される
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山門からの磴道(とうどう)
政4年(1821)より1年2ヶ月の歳月を費して完成した大石段で、145段ある。
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鳥w
放し飼いの孔雀にはお会いできませんでした
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鐘楼堂
建長6年(1254) 建立
天和2年(1682) 再建 その後大破
文政13年(1830) 再度建立
昭和50年(1975)瓦葺に葺き替えられたが、他は文政年建設のまま
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仁王門
建長6年(1254) 建立
天和2年(1628) 再建、茨城県指定文化財
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後ろの石垣がすごい!
「文政5年(1822)、尾張の知多半島の石工を督励してこの建物の真下の大石垣を構築したと伝えられており、高さ13m横幅約70m、道路沿いの部分を含めれば200mに及ぶ大石垣は、 名古屋城をしのぐと云われている」

仁王像・・・
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石像かFRPだと思いましたが・・・

帰ってきてから調べると、実際にここに安置されていたものはとんでもない仁王像でした!
楽法寺HP→東京藝術大学 美術文化財保存学彫刻専攻 保存修復彫刻研究室HP
によると、
2019.6.6 雨引山楽法寺金剛力士立像の修復についての記者会見を行いました。
なんと、関東における運慶様最古の像とのことです。(関連資料など多く掲載されております)


以下は雨引山楽法寺のHPより

報告では、当山仁王門に安置する金剛力士立像は鎌倉時代前期の運慶や快慶で知られる「慶派」の仏師によって彫られた可能性が高いことが分かった。また、一体の像の胎内からは、室町時代に納められた木札のほか、未開封の巻物が複数見つかり、今後調査修復を進めることにしている。
 東京藝術大学の藪内佐斗司教授は「鎌倉時代の金剛力士像としては、茨城県下だけでなく関東地方で最も古いと推定され、非常に興味深い発見だ」と指摘している。
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雨引山楽法寺HPより拝借。モザイクは自分が入れました。




宿椎
室町時代の文明4年(1472)に寺が火災に遭った時、御本尊がここに避難して仮の宿にしたことから呼ばれる
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本堂(観音堂)
創建当初の本堂については不詳
建長6年(1254) 再建
文明6年(1474) 五間四面の本堂が落成
大永6年(1526) 真壁治幹大檀那として七間四面の堂宇に改築
天和2年(1682) 十万人講を勧進し現存の大本堂を建立
本堂内外の彫刻は、江戸の人無関堂円哲のもの。
平成10年秋、屋根瓦葺き替え及び塗り替え

ビニールで覆われています。また修理ですかね?
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銅鑼が三つ!
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彩色がキレイ
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こちらの柱にも卍崩し文様が!!

柱の飾り金具、柱角の面取り部分の黒を下に塗ってその上に透かし金具を取り付けたように見えます。
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多宝塔
天平年中(730) 造建
天和3年(1683) 十四世堯長が、三重塔を再建しようとして良材を集めて塔の第二重目まで建設したが、病のため果たせず、十五世堯宗は先師の遺命を奉じて翌
貞享元年正月、工事を進めて円成
嘉永6年(1853) 十万人講を勧進して三重塔を改め、多宝塔としたのが現在の塔
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本堂~多宝塔から続く回廊
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東照山王権現社殿
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鬼子母神堂(手前の朱のお堂)
もと御所明神といい、足利尊氏をまつるために600年前に建立
その後いつしか鬼子母神堂としてお参りされるようになる
享保元年(1716) 再建
平成29年(2017)修復工事完了
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お次は・・・

◆常陸国出雲大社
主祭神 大国主大神
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平成4年12月4日、島根県出雲大社よりご分霊をご鎮座
平成26年9月16日、名称を常陸国出雲大社(ひたちのくにいずもたいしゃ)と改称し、単立宗教法人となる。これにより、出雲大社教との包括関係が廃止。

主祭神 大国主大神の横向きまで島根の出雲大社と同じ
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注連縄もおおきいですね♪
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さざれ石
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駐車場の奥に鳥居がありますが、手前からの方が拝殿に近いので今回は楽をしてしまいました(^^;


さて、このブログは(2/2)になる予定でしたが、昨日より作成途中でデータ消失が2回もあり、計3時間分の作業が失われました。
そのため2月4日分も3部作、この回を(1.5/2)にします(><。
今のうちにアップしなきゃ!データ消えないでね!!

続く
Posted at 2020/03/16 18:46:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2020年03月15日 イイね!

北関東寺社巡り2月4日(1/2)

北関東寺社巡り2月4日(1/2)さて、2月4日です。この日は立春。
旧暦の新年ですね。


タイトル画像は・・・あとで分かります。(^^;





ビジネスホテルでの朝食後、Hiro.Yさんに迎えに来ていただいて出発です。
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この日は茨城です。

◆永光寺
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仁王像が!
うう・・光って見えない(><。 スマホ用のPLフィルター欲しい!
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いつものウィキペディアより。

宗派:真言宗豊山派
住所:茨城県古河市尾崎
山号:道楽山
院号:地蔵院
開山:承和10年(843年)に無善和尚によって開山

天明2年(1782年):第18世の宥覚の頃に伽藍が整い、数多くの末寺を有して隆盛を極めた
寛政3年(1791年):殿堂供養塔が建立されている。この塔は無善和尚の徳を称えて建立されたものである。そこには門人の数都合21人と記されており、当時の隆盛ぶりが窺い知れる。

参道を登りつめれば、正面に巨大な石造の不動明王が法安されている。左に入った所に入母屋造り、瓦葺の本堂があり、ご本尊である不動明王が安置されている。
境内には8メートルの高さの牡丹観音像(石像)やミニ四国霊場もある。

「花の寺」としても知られており、4月から5月頃には、牡丹5000株などが咲く。その花に魅せられて参拝に来る人々は数万人にも及ぶといわれる。
牡丹以外にも、梅、桜、石楠花、ツツジ、アジサイなどがみられ、年間を通じて花の絶えることがない寺である・・・・だそうです。

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お不動様とセイタカ・コンガラ両童子、手前に倶利伽羅剣・・・
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龍・・・だよね(^^;?
宝珠、首に付いてるし!
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鳳凰殿?
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!!
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タイトル画像の意味、お分かりいただけました(^^?

10円玉の裏の寺院にある、一万円札の裏の国宝の鳳凰を模したものですね。
篤信の檀家さんや信者さんが多いんでしょうね。

永光寺は北関東三十六不動尊霊場、第三十四番です。

あまり時間をかけずに終了。
お次の目的地は

◆大寶八幡宮
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・大宝八幡宮HPより抜粋
関東最古の八幡様 大宝八幡宮の由緒(簡易版)

大宝元年(701年)、藤原時忠公が筑紫(つくし)の宇佐神宮を勧請創建したのがはじまり。
天台宗の古い経文の奥書に「治承三年(1179年)己亥七月二十二日の未時書了於常陸州下津間八幡宮書了兼智」とあるため、平安末期にはすでに八幡信仰が盛行していたことがわかります。

平将門公も戦勝祈願のために度々参拝し、当宮の巫女によって新皇の位を授けられたと伝えられています。 

「吾妻鏡(あづまかがみ)」に下妻宮(しもつまのみや)としるされ、
文治五年(1189年)、奥州征伐平定の日、源頼朝公が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し摂社若宮八幡宮を創建されました。

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仁王像ですね。↓大宝八幡宮HPによると神仏習合の別当寺院があったとのこと。
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「大宝八幡宮之景」によると、
文治五年(一一八九)源頼朝が、奥羽を平定した九月十八日に寵臣下河辺荘司行平に命じ、摂社若宮八幡宮を勧請し、常陸大掾の支流多気弘幹(下妻荘の下司下妻四郎広幹を指す)をして両社に奉仕させた。

しかし、弘幹は己れの非徳却って神明を汚さんことを恐れ、常陸国吉田第三宮の神宮寺を勧請し、水戸薬王院の別当職 (神宮寺の長、寺全体の事務を司る)を務めていたものがいたので、その人物に大宝八幡宮の別当職を兼ねさせた、
とあるが、
「大宝八幡宮往代記写」によると、
承久の乱(承久三年・一二二一)に際して、都から来た久仁親王天台宗の学匠に仏教を学び、宝治二年(一二四八)に出家して賢了院と称し、初代の別当になったという。
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この後ろ側に、御幣があります。
神仏習合が分かりやすいですね。
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手水舎
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拝殿
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ご神木
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神楽殿
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さざれ石
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若宮八幡宮
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大宝八幡宮本殿
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祖霊殿(もとは護摩堂だった)
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彫刻がスバラシイ!!
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垂木の龍がワニに見えるw
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カエル?
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雰囲気が良いですね
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この柱の文様なんですが、調べましたら左は紗綾(さや)形 卍(まんじ)崩し、右は三重襷(みえだすき)に花菱・・・だと。

2月3日(1/2)の安楽寺本堂、2月3日(1.5/2)慈光寺観音堂、2月3日(2/2)の正法寺の柱にも卍崩しが入っていまして、関東には多いのかなと思いました。

いままで京都奈良に何度も行っていますが、柱の文様はあまり見たことが無いような・・・(気付いていないだけかもしれません^^;)
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*紗綾形が『卍だ!』とすぐに分かったHiro.Yさん、さすがです!!

社務所御朱印をいただきます。
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待ち番号札
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ああ、梵鐘もありましたわw
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・・・続く
Posted at 2020/03/15 21:07:13 | コメント(2) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2020年03月11日 イイね!

北&関東寺社巡り2月3日(2/2)

北&関東寺社巡り2月3日(2/2)前回から三週間ぶりのUPです(遅っ!)

ようやく心配事も落ち着いてきたので再開です(^^)




続き-----

慈光寺をあとにし、昼食をとることになりました。
Hiro.Yさんとはお互い蕎麦好きということもあり、評判の良いお蕎麦屋さんを調べてくださっておりました。

一見では食事を出すところかわからない(のれんものぼりも何もない)、しいて言えば「ファミレスか?」と思うようなところでしたが、蕎麦はとても美味しかったです!(タイトル写真)


昼食後、寺院巡りを再開します(^^)

◆正法寺
埼玉県東松山市にある真言宗智山派の寺院。
山号は巌殿山。
開山:養老2年(718年)
本尊:千手観音菩薩(観音堂)
阿弥陀如来(本堂)坂東三十三箇所の十番札所。一般には岩殿観音の通称で知られる(ウィキペディアと岩殿観音正法寺公式HPより)

山門(仁王門)まで石段を上がります。
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・仁王像
ワイヤー入りガラスで入念に保護されています。
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ガラスなら見やすいですね。他の寺社でアクリル板かPC版を貼っているところがありましたが、反射が不均一なので微妙に見づらかったことがあります。

境内と奥には・・・
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・観音堂(スバラシイ!)
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養老年間の創建と伝える。寛永、天明、明治と3回再建され、現在の建物は明治11年(1871年)の火災により観音堂が焼失した為、翌年高麗村白子(現飯能市)の長念寺から移築されたもの。
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夏目型?吊り灯籠も細工がいいですねぇ(*′ω`*)
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最上部壁面に彩色が残っています。
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垂木の龍と木鼻の獅子
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観音堂の裏は崖ですね。そして下の方に石仏が並んでいます。
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これは秩父三十四・坂東三十三・西国三十三の百観音と四国八十八か所霊場を表すものだそうです。
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・算額堂
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薄くて読めませんが・・・
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私「算額」って知らなかったのですが、検索してみました(いつものウィキペディで(><)
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江戸時代の日本で、額や絵馬に和算の問題や解法を記して、神社や仏閣に奉納したものである。
平面幾何に関する算額(特に円の中に多数の円や別図形の中に多数の球を入れるなど接点を持つもの)が多い。
明治時代になると、日本には西洋から数学が導入されることとなったが、算額奉納の風習は、この導入を容易にしたとも評価されている。
算額奉納の習慣は、江戸中期に入ると全国的に盛行し、とくに寛政・享和・文化・文政のころは最も隆盛し、明治に入ってからも昭和初年頃まで和算の伝統をひいて継承された。近年、算額の価値を見直す動きが各地でみられ、21世紀に至ってもなお算額の奉納を受け入れる神社もあり、また算額を神社仏閣に奉納する人びとも増えている。これは直接和算の伝統を受け継いだものではないことが多いが、いずれにしても日本人の算術好きをあらわす文化事象とする主張もある。(ウィキペディアより抜粋)
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・・・だそうです(^^;

他の堂宇は
・弁財天堂
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・百地蔵堂
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・薬師堂
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・本堂
撮り忘れ m(_ _)m

・御神木大銀杏
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雰囲気が良くてとても堪能できました。
観音堂の千手観音座像は、丑年に御開帳されるそうです。丑年にまた来てみたいなあ(^o^)

ところで、今回仁王像をいくつか拝見しておりますが、
何故か お腹が出ている!
ここ、正法寺の仁王像をもう一度。
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安楽寺の仁王像も・・・
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何故なんだろ(・・?

という疑問を持ちつつ次の寺院へ向かいます。

◆慈恩寺
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もう夕方なので暗くなってきました(16時半頃)

・鐘楼堂
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拝観時間は過ぎているので、御朱印のみ頂きました。

宗派:天台宗
山号:華林山
院号:最上院
本尊:千手観世音菩薩
坂東三十三箇所第12番札所
*当寺を由来として大字慈恩寺の地名がある。

天長年間(824年 - 834年)円仁の開山によって創建されたと伝えられる。
1590年(天正18年)関東に入部した徳川家康から翌1591年(天正19年)に寺領を寄進されている。
江戸時代に入ると江戸幕府のほか岩槻城主からも帰依を得た。

日中戦争時の1942年(昭和17年)12月に日本軍が南京で発見した
玄奘の遺骨の一部が戦後この寺に奉安されることとなり、
1953年(昭和28年)5月に十三重の花崗岩の石組みによる霊骨塔・「玄奘塔」が落慶。

1955年(昭和30年)に日台友好のため、台湾に分骨され、現在は日月潭の玄奘寺に奉安されている。
1981年(昭和56年)には、玄奘の属する法相宗の薬師寺にも分骨されており、現在は境内の玄奘三蔵院に奉安されている。

その玄奘塔
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仏舎利様の扱いですが、玄奘三蔵のような業績を残した方ならこのように祀られるのもふさわしいかと。


Hiro.Yさんが「もう一箇寺寄れるかも」と着いたところは

◆小渕山正賢寺観音院

道路から奥まったところにあり良いところなのに皆気付かないのではとHiro.Yさん。

以下、観音院HPより
宗派:本山修験宗 (天台宗系の本山派)
創建:正嘉2年(1258)
本尊:正観世音菩薩 作者不明、年代は飛鳥時代と伝えられる

・仁王門 元禄2年(1689)建立と伝えられる。
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・仁王像
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かなり傷んでいますが、私の好みの造形です!
仁王門は近年修理されているとネットで記述を見つけましたが、この仁王像もぜひ修理していただきたいです。

他にも7体の円空仏や多くの如来、菩薩像があるようです。
真言宗天台宗と日本古来の山岳信仰が結び付き、確固たる地位を築いた修験道を伝える寺院としてとても興味深い寺院ですね。
参拝可能な時間に、また是非訪れたい寺院です。(また来よう)

さて、これでこの日の寺社巡りは終了。
翌日も楽しみ!

◇◇◇◇◇◇◇◇
今回ご案内くださっているのはみん友のHiro.Yさんです。
寺社巡りの大先輩をご紹介します(了承いただいています)

お姿
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15年前の写真とのことですが、カッコイイ方です。今も写真とほとんど変わりません。

愛車はワゴンR
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外装・内装弄っておられますが、『車検対応』がポリシーとのこと。
パーツ交換でエンジン本体以外は新車も同然です。まさに”愛車”ということですね。
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翌日もお世話になりますm(_ _)m

-----続く


Posted at 2020/03/11 13:49:49 | コメント(1) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記

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