こんにちは( ^o^)ノ
今回は大きなネタが無いので
小ネタを沢山散りばめたブログだよ!
では先ずは・・・
先日ライフの車検がありまして
VWのお店に依頼しましたが
新店舗でお兄さんの事を知らない
若い営業マンが応対してくださいましたが
小汚いライフを見て
店を間違えてませんか?
みたいな顔をしていました(爆)
車検整備で2日お時間を下さいとの事なので
代車を用意して貰いました。
Polo
TSI Comfortline
オプションの
アダプティブクルーズコントロール
“ACC”(全車速追従機能付)
が付いており
本当に減速するんだ!って
お兄さんは
当たり前の事に感動してたよ^_^;
お兄さんはゴルフⅢ以来の5ナンバーサイズ
(ⅢのGTIは3ナンバーでしたが)
ゴルフもモデルチェンジを繰り返して
現行Ⅶは全幅1800㎜!
個人的はこのサイズがいいな〜だってさ(^_^)
町中はアイドリングストップが効きまくりで
一体いつ充電するんだ?
毎回スタート時
エンジンがブルって震えるには慣れなかったってさ(^_^;)
エンジンはマイナーチェンジで馬力がダウンしたけど
小気味よい加速で心配なし!
実は新型パサートの試乗や撮影をしたんですが
発表前なのでウエブでの公開は控えて下さい
との事なので公開できません(>_<)
次のネタに行くよ!
6月7日は母の誕生日なので
行きたいところがあれば連れていくよと訊ねると
ピンコロ地蔵に会いたいそうな・・・えっ?
調べてみると
全国から健康長寿のまちとして注目される
佐久市のシンボルとして
地元の「のざわ商店街」により
平成15年に「成田山薬師寺」参道に
建立されたお地蔵さまだそうで・・・ほ〜ぉ
ぴんころ地蔵のピンコロとは・・・
病気に苦しむことなく、元気に(ピンピン)長生きし、
病まずにコロリと死のう!という意味だそうです。
お参りをする母の頭が写っております(^_^;
1980年、長野県下伊那郡高森町で
北沢豊治が健康長寿体操を考案。
1983年、日本体育学会に
ピンピンコロリ (PPK) 運動について」と
題し発表したのが始まり。
長野県は男性の平均寿命が1位をキープしていることもあいまって
この運動の普及に力を入れている。
え〜と・・・
そんな運動あったっけ!?
因みに高森町天台宗 瑠璃寺境内には
ピンピンコロリ地蔵があるそうです。
佐久市に入ったらやたら町中に旧車が走っていたので
イベントでもあったのかな?
五稜郭と言えば北海道の函館が有名ですが
なんと!佐久市にも五稜郭があるんですねぇ
日本にふたつしかない五稜郭を見に行くしかありませんね(^-^)
う〜ん・・・(-。-;)
う・・・・・ん
お堀を見るとそれっぽいけど
イマイチ分かりません(爆)
上空からの写真
佐久市からお借りしました<(_ _)>
確かに星形だね。
龍岡城五稜郭は、慶応3年(1867年)に龍岡藩主
「松平乗謨」(まつだいらのりかた)によって造られ
函館の五稜郭とともに日本に2つしかない
五つの稜が星形に突き出た擬洋式城郭です。
江戸幕府はこの当時に城を新たに造ることを禁止していましたが
幕府の重要な役についており
西洋の軍楽に関心を寄せていた松平乗謨は特別に許可をもらい
フランスのリール市の星形の堀をもつ
城郭ボーバン城をモデルとしてこの龍岡城五稜郭を建築しました。
星形の城の起源は
16世紀頃のヨーロッパで戦乱の相次ぐ中で町全体を城壁で囲んだ
「城郭都市」が数多く造られましたが
銃や大砲が発達してくるとこれに対抗して
防御側の死角を少なくする構造が考案されたそうです。
この構造を取り入れた龍岡城は元治元年3月(1864年)より着工して
藩主の政務と住居をかねた御殿や大手門、東通用門などが完成し
慶応3年4月(1867年)に竣工祝いを行っています。
しかし堀は三稜堡をめぐるだけで
南西と西側二稜堡を囲む約270mは未完成でした。
建物も瓦は全部準備されながら一割程の使用であったと伝えられています。
明治維新により江戸時代が終わると、
龍岡城五稜郭の中のお台所に、
近くのお寺(蕃松院)から子どもたちの学校「尚友学校」が移転し
現在も佐久市立田口小学校の校地として使われており
お城の中に学校が建設されているという
全国でも珍しい小学校となっています。
青い部分しかお堀が出来ていないんだね。
佐久市を後にして上田市に向かうよ。
無言館は窪島誠一郎氏により、
信濃デッサン館の分館として平成9年に開館した美術館です。
第二次世界大戦中
志半ばで戦場に散った画学生たちの残した絵画や作品
イーゼルなどの愛用品を収蔵、展示しています。
撮影禁止なのでここで作品をお見せ出来ないのが残念ですが
とある画学生の紹介にこんな事が書いてありました。
「戦地に行くことが決まって、初めて妻の裸体を描いた。
この続きは必ず、帰ってきて描くから・・
そう約束して戦地に赴いた彼は、
しかし2度と帰っては来なかった。」
美術館は苦手な方も
一度訪れてみて下さい
志半ばで戦死された画学生の作品に
会いに来て下さい。
おまけ・・・
深夜の長野新幹線車両センター
おしまい!
Posted at 2015/06/09 02:12:42 | |
トラックバック(0) |
ドライブ編 | 日記