1969年、アポロ11号により、人類として初めてニール・アームストロング船長が月面に着陸した。次の打ち上げチームのリーダーであり、アメリカ初の宇宙へ行った飛行士アラン・シェパードが体調に支障があることが発覚し、その予備チームであったジム・ラヴェル船長(トム・ハンクス)とフレッド・ヘイズ(ビル・パクストン)、ケン・マッティングリー(ゲイリー・シニーズ)は、アポロ13号の正チームに選抜された。しかし、打ち上げ直前に、司令船パイロットのケンが風疹感染者と接触していることが判明し、なおかつケンには風疹抗体がなかったため、ケンの搭乗は認められないことになった。予備チームと交替するか、司令船パイロットのみ交替するか。判断はラヴェルに任されたが、彼はパイロットのみを交代させる決断をして、予備チームのジャック・スワイガート(ケヴィン・ベーコン)と交替させることにした。スワイガートは歓喜し、マッティングリーは落ち込み、電話の受話器を外して不貞寝する。
1970年4月11日、アポロ13号は現地時間13時13分に打ち上げられた。当初の飛行は順調であったが、アームストロングの月面着陸により国民の関心は薄れつつあったため、テレビ中継は放映されないことになった。だが、その事実は飛行士たちをがっかりさせないために、彼らには伏せられた。その一方、事故の後は、興味本位にマスコミが飛行士の家族にまで殺到し、彼らを憤らせた。
月に到着する直前の4月13日、酸素タンク撹拌スイッチ起動により爆発が発生。酸素タンクから急激に酸素が漏れだした。酸素は乗員の生命維持だけでなく、電力の生成にも使用するため、重大事態となる。当初、事態をつかみ切れていなかった乗員や管制官たちは、途中まで月面着陸を諦めていなかったが、やがて地球帰還さえできないかもしれないという重大事態であることを把握した。司令船は大気圏突入時に起動していなくてはいけないため、飛行士は司令船の機能をシャットダウンし、月着陸船(LM)を救命ボートに見立てて避難する。地上の管制センターでは、管制官達だけでなく、メーカーの人間も含め、関係者全員が招集され、対策が練られた。LMの電力は3人の人間を4日生存させるにはとても持たない。若い管制官のジョン・アーロンは「直ちに電力を落とすべきだ」と指摘し、必要最低限まで電力を削減することとなった。搭乗しなかったマッティングリーは、電力をいかに節約するかをシミュレータを使って検討、地上からラヴェルら乗員をバックアップした。残存電力を保つため、船内は最低限の電力しか使わず、ウインナーが凍るほど寒くなるが、乗員同士支え合う。
しかし、13号がコースを外れていることが判明。原因は、酸素の噴射により軌道のズレが生じたというものであった。誘導コンピュータは電力を使用してしまうため起動できない。このため、手動噴射による姿勢制御を決断。窓の外は船外を漂うゴミと、船内の室温低下とで曇っていてよく見えないが、地球が見えた。これを唯一の目標として、手動による噴射を行い、見事に成功。
ところが、またもやコースについての問題が露見した。月面に着陸しなかったことで、土産として積み込む予定だった月の石100kg分の重量が不足していたためである。不要物を手動で移動させ重心を調整した。管制センターの計算では、大気圏進入角度がわずかに浅かったが、これは乗員に伏せられた。
大気圏再突入を前にして、まず機械船が切り離された。機械船を目視したラヴェルは酸素タンクと水素タンクを覆っている第3区画のカバーが、機械船の全長にわたってそっくりなくなっていることを報告した。その後、着陸船アクエリアスが切り離される。動けなくなった司令船に代わり搭乗員たちを守り、地球へと帰してくれたアクエリアスに感謝の意を述べるクルーたち。
再突入時には通常、通信が約3分間途絶してしまう。ケンは何度も交信を呼び掛けるが、3分間経っても返答はない。誰もが諦めかけた約4分後、ついに交信が入る。限られた資源と時間を使って奮闘した乗務員と管制センターの連携により、クルーは無事に地球に降り立ったのである。
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2016/10/13 10:23:35