
伝統的なイギリス(連合王国)体制下、及びその遠因となったイングランド人勢力の統治に対するスコットランド民族の自治・独立運動は古くから存在した(スコットランド独立戦争等を参照)。議会制度に基いた政治運動としては同党の結党によって始まった。1934年、スコットランド国民党/民族党(SNP)はスコットランド国家党 (National Party of Scotland) とスコットランド党 (Scottish Party) の合流によって結党された。
一貫して反英主義運動を進め、成立から間もなく勃発した第二次世界大戦ではイギリス政府への反政府運動・徴兵拒否運動を指導した。SNPは利敵行為を働いたとして政府の弾圧を受け、第4代党首ダグラス・ヤング(英語版)らも英軍への参加を拒否して拘束された。大戦終結直後の1945年、マザーウェル選挙区での自治議席にロバート・マッキンタイア(英語版)(後に第6代党首)が補欠当選して政界進出を果たした。続く総選挙では議席を失うが、それからも地道に政党組織の拡大が図られた。
同党の躍進は1967年イギリス議会選挙におけるウィニー・ユーイング(英語版)議員の当選によって本格化した[19]。冷戦下で連合王国の分離を主張する政党が再び議席を獲得したことは危機感を集め、王立審議会(英語版)が開催されるなど大きな注目を集めた。年月を重ねるごとに政治基盤を整え、スコットランド人の民族主義運動を象徴する組織として確固たる地位を築き上げた。1970年代から90年代前半までの同党の政治活動は地方自治体への進出と、連合議会に独立派議員を送り込むことが主眼であった。
1999年、スコットランド出身の連合王国政府首相であるトニー・ブレアは、自らが進める地方分権政策の仕上げとして、1707年の連合法による解散から数百年以来となるスコットランド議会の復活を、イギリス議会に承認させた。併せてスコットランド地方政府・スコットランド議会に対する大幅な自治権を認めるスコットランド法が、住民投票を経て成立した。SNPは独立議会でも存在感を示し、2007年の選挙では議会第一党に躍進した。さらに2011年の選挙では地滑り的大勝利を収め、単独過半数までわずか数議席という大勢力へと成長した[20]。現党首アレックス・サモンドが自治政府首相に選出され、幾つかの少数与党との連立政権を作り上げた。
議会再開以来、地方政府は同規模の政党による複雑な勢力バランスの上で成り立ったが、2011年からは明確にSNPを主軸にした政権となった[21]。中央政府に対する働きかけも継続され、現在連合王国議会においてはスコットランド選挙区から6名の議員団を送り込んでいる。他に欧州議会に2議席を持ち、地方主義運動の連合体である欧州自由同盟に加盟している。またスコットランド地方の自治体において、幅広い勢力圏を作り上げている[22]。
2014年9月、スコットランド自治政府は、SNPが公約に掲げていた独立住民投票を実施した。開票結果は僅差で独立反対派が勝利して、アレックス・サモンドが首相および党首の辞任を表明したが、独立賛成票も44.7%に達したことからスコットランド独立運動への賛成論が高まっていることが浮き彫りになった。後任には女性政治家でスコットランド議会議員のニコラ・スタージョンが就任した。2015年5月、イギリス議会選挙でSNPはスコットランド選挙区に割り振られた59議席の大半である56議席を得るという結党以来の躍進を果たした。それまでスコットランド自治議会や地方自治体選挙での活躍が中心であったため、イギリス議会議席は6議席に留まっていたが、50議席を新たに獲得したことで、以後は第3党として中央政界でも存在感を発揮すると見られている。
Posted at 2016/07/05 10:18:25 | |
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