
楽しい時間も、残すところ僅かとなってまいりました。
この日は、元々雨予報だったため、旭川に泊まることとしました。

↑晴れ予報に変わっている図
別に泊まらなくとも良かったのですが、「体調不良で帰りのフェリーに乗れない」という事態を避ける保険と思えば、致し方ないことかなと。
当面、公共交通機関を利用する場合は「体調不良で帰れない」という事態を避ける方策が必要になりそうですね…
名もなき農道からスタート

朝日が気持ちいい♪
朝早かったため、サロベツ原生花園へ行きました。

散策開始、一応熊鈴を持って。

【湿原の成り立ち Formationofthewetlands】
サロベツ湿原は面積6,700haの日本で3番目に広い湿原です。中でも発達した高層湿原部分は日本最大規模を誇ります。かつてサロベツ湿原は大きな潟湖で、6千年ほど前から砂丘の発達によって海と遮断されて湿原の形成が始まりました。湿原の西側には、南北に連なる砂丘で日本海と隔てられており、サロベツ川が湿原を取り囲むようにながれていたことで、ここ円山を中心にミズゴケを主体とする高層湿原やスゲなどが特徴の中間湿原、ヨシなどが優占する低層湿原が同心円状に発達しました。湿原の南側にあるペンケ沼・パンケ沼は、湿原の形成過程でできた海跡湖沼です。
浚渫船

泥炭作り

通りかかったら、寄ってみてはいかがでしょうか??
宮の台展望台へ

宮の台展望台について
従来その所在地の地名から徳満展望台と称していたが、サロベツ原野の開発がいよいよ具体化され事業に着手する頃から、サロベツ展望台と称された。その後、昭和三十八年七月十四日、義宮殿下がこの地を視察し、サロベツ原野を遠望されたことから宮の台展望台と命名された。
眼下に望むサロベツ原野は東西八キロ、南北二十七キロ、面積約二万ヘクタールで日本の低地における代表的な湿原で大切に保護されています。
この広さを東京の山の手線に比べると二つがすっぽり入る広さであり、ここから眺める雄大な景観は、永久にあなたの思い出から消えることはないでしょう。

すぐ消えそうな思い出でした。
北海道道972号浜里下沼線から

北緯45度モニュメントへ

速報はこの画像でした。
北海道道855号六志内西雄信内線から

北海道道256号豊富遠別線を走行

北海道道688号名寄遠別線は、開通後かな

令和に変わったものの、開通目処はたたず。
そして本日のメインテーマ、留萌中部広域農道へ

誰も、いない☆
国営農地開発道路(共成歌越地区第1号幹線道路)らしいです

団体営農道整備事業(本当に、こればっかり…)

ここの交差点を曲がり、広域農道へ

立派な看板もありました。

快適道路が続き

終了。オロロンラインへのアクセスルートとして、国道に飽きた人はおすすめです。
羽幌炭鉱跡地を見に行きました。

昭和15年開坑以来、機械化の導入や合理化などにより昭和36年度には念願の100万トン出炭を記録した
昭和29年には、札幌大通り5丁目に大五ビル(札幌本社)を建築昭和32年には、高松宮ご夫妻が築別炭鉱のベルト斜坑をご視察のあと、築炭クラブにご一泊した。厚生施設完備で生活環境は都市並み、羽幌炭磁鉄道の法定外福利費は、全産業の三倍もかけていた

築炭会館(映写室跡) 昭和37年完成
収容人数は500人映画は毎日、昼と夜2回上映の他、会社の記念事業や山の芸能発表会、宝塚や文学座の公演など「文化の殿堂」と呼ばれた
築別炭鉱消防団庁舎 昭和42年
完成1階鉄筋モルタル2階・3階木造モルタル作りの3階建て。スチーム暖房完備・消防車3台。
抗口浴場 昭和35年完成
鉄筋コンクリート防火作りで総面積409,886平方メートル脱衣室はモルタル仕上げ、口ッカーは1036人分、ぬれた作業着もスチーム乾燥できる施設も備え、化粧室は鏡13面、クシ・ポマード・石鹸は無料提供された、売店もあり牛乳などは原価提供された。この浴場の完成で坑内勤務者の出退勤が一般サラリーマンと変わらない服装になった。
発電所 昭和19年完成 1000kwの発電をおこなっていた
本斜坑口 昭和28年大竪入れ坑道の完成と同時に坑口から本坑口まで1,543m掘進貫通した。

なお、朽ち果てすぎていて、立ち入れなかったです。わざわざ行く価値はないですかね。
道路を走りにきたので、これはおまけだったのですが↓

即ゲートですかそうですかorz
下界へ戻り

お昼へ

北のにしん屋さんで食しましたが、配置等が大分変わっていました。
2015年のはぼろ丼↓
若干?海鮮が少なくなったような。。。
そんなことはないのでしょうか??
北海道道741号上遠別霧立線から午後はスタート

が、すぐにゲート

霧立トンネル 1994年12月 北海道開発局 延長691.0m 幅員 6.5m 高 4.7m
施工 地崎・札建・植村(経常建設共同企業体)

そうか、こいつが霧立トンネルか。まさかの出会いでしたが、これで建設中止道道をまた一つ制覇しました。
霧立峠へ

ドコモの基地局、さすがだなぁ(笑)
深名線 幌加内駅跡地を眺め

町中の幌加内交流プラザへ

深名線のあゆみ
明治から大正にかけての幌加内の人々は、深川駅から多度志を経て幌加内に達する鉄道ができたならどんなに便利であり、村の発展に寄与することかと鉄道敷設を強く望んでいました。
明治末、幌加内に入植した吉利智宏は村民の願いを実現するべく、しばしば上京し、鉄道院など関係機関に鉄道の建設を要請しました。しかし、建設予定線としての許可は簡単におりず、吉利をはじめとする村民や関係町村有志の努力は10数年続きました。大正9年にようやく、同11年に着工することが決定しました。はじまった鉄道建設は、昭和16年に名寄まで開通し、20年余り要して深名線が全線開通となりました。開通当初は人々のくらしの足として、また朱鞠内湖のダム建設や木材の積み出しなど産業にも大きな役割を果たしました。
沿線は積雪が多く寒さも厳しいので路線の維持にはたいへんな苦労もありました。しかし、近年のクルマ社会の波とともに道路や除雪体制が整備されて冬でも深名線に頼る必要がなくなり平成7年9月、その使命を終えました。

深名線のあゆみ
1911/明治44年この年に御料地(添牛内)へ入植した吉利智宏が、深川を基点と
して三股(朱鞠内)を経て音威子府に接続する鉄道(雨竜線)敷 日間にわたって行われる。
設の請願書を鉄道院総裁に提出。鉄道院技師による現地調査が40 1912/明治45年実地測量。 1916/大正5年 幌加内・一己・多度志・深川の4村で期成同盟会を組織」 1918/大正7年第41回帝国議会にて軽便鉄道としての敷設が協賛される。 1919/大正8年吉利智宏・井尻久吉・青木伝太郎・森武敏らが鉄道省と
内務省に鉄道敷設の請願書を提出。 1920/大正9年着工決定。 1921/大正10年 鉄道省告示第39号により北海道建設事務所の所管に編入。
函館本線深川停車場から多度志村鷹泊までの測量開始。 1922/大正11年着工。 1923/大正12年 関東大震災起こる。 1924/大正13年 深川~多度志、第1次開業となる。開業駅は多度志。 1926/大正15年多度志~鷹泊、第2次開業となる。開業駅は幌成・鷹泊。
1929/昭和4年鷹泊~幌加内、第3次開業となる。開業駅は沼牛・幌加内。 1931/昭和6年 幌加内~添牛内、第4次開業となる。開業駅は雨煙別・政和・添牛内。
雨竜線が幌加内線と改称される。 1932/昭和7年添牛内~朱鞠内、第5次開業となる。開業駅は朱鞠内。 1935/昭和10年名寄~羽幌の名羽線の一部の名雨線として朱鞠内~名
寄の工事に着工。 1937/昭和12年名寄~初茶志内(天塩弥生)、第6次開業となる。開業駅は
西名寄・初茶志内。 1938/昭和13年雨竜ダム起工式(昭和18年10月完成) 1941/昭和16年初茶志内~朱鞠内、第7次開業となる。開業駅は北母子
里・白樺・蕗ノ台・宇津内。 深川~名寄(121.8km)が全通し、名雨線・幌加内線は 統合され深名線と改称。
太平洋戦争始まる(昭和20年8月15日終戦) 1947/昭和22年開基50周年祝賀会を挙行。 1949/昭和24年宇津内駅廃止。 1955/昭和30年
レールバス(キハ01形気動車)導入のため、旭川鉄道管理 局から幌加内村と多度志村に出資の要請、レールバスが 運行され、朱鞠内駅で開通式を行う。円山・宇摩・下幌 成・新成生・上幌加内・下政和(政和温泉)・大曲・共
栄に乗降場が設置される。 1956/昭和31年豊富地区に新富駅を設置。
朱鞠内湖近くに湖畔乗降場を設置。 1958/昭和33年 レールバスに代わってキハ05形気動車が運行。 1959/昭和34年 町制施行記念式典を挙行。
名寄~羽幌の名羽線の工事が羽幌側から着工。 1964/昭和39年 朱鞠内大火(116戸焼失)
第18回オリンピック東京大会開催。 1966/昭和41年名寄~羽幌の名羽線の工事が朱鞠内側から着工。キハ
05形気動車に代わってキハ21形気動車が運行。
後にキハ22形、キハ40形、キハ53形が導入される。 1967/昭和42年町民憲章制定。
1968/昭和43年国鉄諮問委員会は国鉄の合理化・経営再建の方策とし
て赤字路線廃止を勧告。廃止該当83線(北海道内15線) の中に深名線も入る。 関係市町が「深名線廃止反対期成会」を組織し、廃止 反対運動を起こす。
代替輸送の道路が未整備のため深名線廃止は撤回される。 1971/昭和46年 沖縄返還協定調印。 1972/昭和47年
第11回冬季オリンピック札幌大会開催。 1974/昭和49年朱鞠内道立自然公園となる。 1975/昭和50年大曲乗降場廃止。 1987/昭和62年 国鉄分割・民営化。
円山・宇摩・下幌成・上幌加内・共栄・湖畔の各
乗降場が駅に昇格。 1988/昭和63年
青函トンネル、JR津軽海峡線開業。 1989/昭和64年
「天皇陛下崩御。 1990/平成2年雨煙別・新富・藤ノ台・白樺の各駅廃止。 1993/平成5年 北海道南西沖地震起こる。 1995/平成7年JR深名線廃止。 1997/平成9年開基100年記念式挙行。

あんまりツーリングと関係ないので、この辺で。

綺麗な夕焼けでした。
本日は名寄にて宿泊。明日の天気は

令和2年台風12号の足音が…
なお、この時点で太平洋側のフェリーはほぼ欠航という事態に。帰れるか??
本日のルート
