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千竜のブログ一覧

2020年09月27日 イイね!

2020年北海道ツーリング(第二弾)_まとめ

2020年北海道ツーリング(第二弾)_まとめ2020年北海道ツーリング まとめ
項目金額備考
総費用 \92076 消費税率10%
内訳:フェリー代 \36290 新日本海フェリー
内訳:高速料金 \8070 休日三割引
内訳:ガソリン代 \11246 116.47L
内訳:食費 \24000 (概算)
内、セイコマ8千円
内訳:宿泊費 \8470 キャンプ・ホテル代等
内訳:その他 \4000 おみやげ代・温泉代等

往復割引もあったため、フェリー代はあまりかかりませんでした。
その他色々は、第一弾とあまり変わらず…
北海道ツーリングは、費用は大体安定してきましたかね。

○北海道行程
☆全体図

※フェリー航路は、往復がわかるようにあえて正確な表記ではありません。

2020年北海道ツーリング第二弾は、往復新日本海フェリーとしました。
結果的に、台風が来たため最善のルートとなったことが幸いでした。
よく考えると400ccでの区分けがなく、昔ながらの750ccで区分されているのは、青森発着と新日本海フェリーくらいになってしまいましたね。
関越自動車道 小出ICから走れば高速料金も高くないし、次回からもメインになりそうな予感がします。

今回の走行距離↓

2,780kmということで、まぁまぁでした。青森まで自走しないと、距離は大きく伸びないですね。
フェリーは乗っていれば着くので、楽過ぎるのがいい事か悪い事か。。。
あと一回くらいは、青森自走もしたいですけどね。

◇北海道内詳細図

道東→道北と、かなり歪なルートとなりました。
狙って行っていますが、なかなか当初からルート確定は行わないので。。。
あと、再び道内有料道路を利用しました。小樽着は道北や道東までの市街地通過が、なかなか面倒という実感でした。

▽通算北海道走行ルート

海岸沿いに、第二ルートを構築しつつあります。
広域農道が大量にあるため、次はマイナー広域農道巡りですかね。
市町村道でも、ほとんど舗装化されているため、気兼ねなく走行できる状態でした。

いつも通り道東は通算だとわかりにくいため、下記に詳細図を記載。
道東詳細図

徐々に道東の農道を制覇しつつありますが、広大すぎてまだまだ…
団体営農の農道等、北海道主体で開発されたものもあり、地図上では細い道でも実際は二車線舗装路がたくさんあります。
そういったところにもスポットをあてて、ツーリングしたいですね。

□その他
・消耗品を心配せずに、ツーリング出来ました(笑)
・朝の天気はイマイチでしたが、肝心なところではよく晴れました。
・久々の道北でしたが、もう一回道北でもいいかもしれません。

2020年北海道ツーリング(第二弾)、おしまい。
Posted at 2020/10/12 21:45:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北海道ツーリング(NC700X) | 日記
2020年09月26日 イイね!

2020年北海道ツーリング(第二弾)_8日目 [最終日]

2020年北海道ツーリング(第二弾)_8日目 [最終日]※この日は雨のため、写真が大幅に少なくなっています。
脳内補完し、お楽しみください。

起床、朝ご飯

バイクの下船については、最後になることが船内放送でアナウンスされました。
このため、接岸風景を見学


当たり前ですが、車同様バックで停泊するのね。

下船

新潟で下船するのは、何気なく初めてでした。

新潟を走行。曇り

のち雨(涙)

このあたりだけなので、一気に抜けました。

お昼は、道の駅で。


新潟はややあつく、冷やしそばとレモンがマッチしていました。

さて、帰りますか。関越自動車道 小出インターチェンジより

帰路へ

この後も、降ったりやんだりでした。

本日のルート
Posted at 2020/10/11 10:28:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北海道ツーリング(NC700X) | 日記
2020年09月25日 イイね!

2020年北海道ツーリング(第二弾)_7日目

2020年北海道ツーリング(第二弾)_7日目 さて、令和2年台風12号が近づいて参りました。
太平洋フェリー、三井商船フェリー、シルバーフェリーは既に欠航が決定済み。
新日本海フェリーは運行予定でしたが、果たして…

前日はこんな状態でした。天気も確認

考えていてもしょうがないので、一路小樽を目指すことに。

旭川の嵐山展望台より


オススメ穴場スポット??
道はダートなんだけどね


ツーリングマップルでは道道と書かれていますが、実際は市道のようです。

基幹農道舗装 深川第2北地区より

国道451号へ

ここで、新日本海フェリーの運行情報を確認↓

小樽→新潟は二輪車積載可能♪
これで、帰れる。。。
雨雲の動きもチェック

揺れるのは、しょうがないかな。

北海道道11号月形厚田線から

普通林道 五の沢線へ


普通の舗装林道でした。

お昼は、サーモンファクトリーシーフードレストランへ


ここでつまみなどを購入。一気に品物が揃うため、便利でした。

小樽への到着が早すぎたので、小樽市総合博物館で時間つぶし



北海道には、各地に廃線を利用した博物館があります。でも、入場料を徴収されるのものは少ないのですが、ここは良かったです。

雨雲確認

さっさと乗船するか。。。

念の為、タイヤ確認を行い

仙台で変えたばかりですしね。真ん中だけが減りました。乗船

乗船さえすれば、雨はもう関係ありません♪

船内でゆっくりし、出港

さようなら、北海道。本日は勿論

セイコーマートセット。

本日のルート
Posted at 2020/10/10 10:42:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北海道ツーリング(NC700X) | 日記
2020年09月24日 イイね!

2020年北海道ツーリング(第二弾)_6日目

2020年北海道ツーリング(第二弾)_6日目 楽しい時間も、残すところ僅かとなってまいりました。
この日は、元々雨予報だったため、旭川に泊まることとしました。
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↑晴れ予報に変わっている図
別に泊まらなくとも良かったのですが、「体調不良で帰りのフェリーに乗れない」という事態を避ける保険と思えば、致し方ないことかなと。
当面、公共交通機関を利用する場合は「体調不良で帰れない」という事態を避ける方策が必要になりそうですね…

名もなき農道からスタート
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朝日が気持ちいい♪
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朝早かったため、サロベツ原生花園へ行きました。
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散策開始、一応熊鈴を持って。
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【湿原の成り立ち Formationofthewetlands】
サロベツ湿原は面積6,700haの日本で3番目に広い湿原です。中でも発達した高層湿原部分は日本最大規模を誇ります。かつてサロベツ湿原は大きな潟湖で、6千年ほど前から砂丘の発達によって海と遮断されて湿原の形成が始まりました。湿原の西側には、南北に連なる砂丘で日本海と隔てられており、サロベツ川が湿原を取り囲むようにながれていたことで、ここ円山を中心にミズゴケを主体とする高層湿原やスゲなどが特徴の中間湿原、ヨシなどが優占する低層湿原が同心円状に発達しました。湿原の南側にあるペンケ沼・パンケ沼は、湿原の形成過程でできた海跡湖沼です。

浚渫船
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泥炭作り
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通りかかったら、寄ってみてはいかがでしょうか??

宮の台展望台へ
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宮の台展望台について
従来その所在地の地名から徳満展望台と称していたが、サロベツ原野の開発がいよいよ具体化され事業に着手する頃から、サロベツ展望台と称された。その後、昭和三十八年七月十四日、義宮殿下がこの地を視察し、サロベツ原野を遠望されたことから宮の台展望台と命名された。
眼下に望むサロベツ原野は東西八キロ、南北二十七キロ、面積約二万ヘクタールで日本の低地における代表的な湿原で大切に保護されています。
この広さを東京の山の手線に比べると二つがすっぽり入る広さであり、ここから眺める雄大な景観は、永久にあなたの思い出から消えることはないでしょう。
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すぐ消えそうな思い出でした。

北海道道972号浜里下沼線から
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北緯45度モニュメントへ
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速報はこの画像でした。

北海道道855号六志内西雄信内線から
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北海道道256号豊富遠別線を走行
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北海道道688号名寄遠別線は、開通後かな
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令和に変わったものの、開通目処はたたず。

そして本日のメインテーマ、留萌中部広域農道へ
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誰も、いない☆

国営農地開発道路(共成歌越地区第1号幹線道路)らしいです
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団体営農道整備事業(本当に、こればっかり…)
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ここの交差点を曲がり、広域農道へ
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立派な看板もありました。
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快適道路が続き
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終了。オロロンラインへのアクセスルートとして、国道に飽きた人はおすすめです。

羽幌炭鉱跡地を見に行きました。
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昭和15年開坑以来、機械化の導入や合理化などにより昭和36年度には念願の100万トン出炭を記録した
昭和29年には、札幌大通り5丁目に大五ビル(札幌本社)を建築昭和32年には、高松宮ご夫妻が築別炭鉱のベルト斜坑をご視察のあと、築炭クラブにご一泊した。厚生施設完備で生活環境は都市並み、羽幌炭磁鉄道の法定外福利費は、全産業の三倍もかけていた
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築炭会館(映写室跡) 昭和37年完成
収容人数は500人映画は毎日、昼と夜2回上映の他、会社の記念事業や山の芸能発表会、宝塚や文学座の公演など「文化の殿堂」と呼ばれた

築別炭鉱消防団庁舎 昭和42年
完成1階鉄筋モルタル2階・3階木造モルタル作りの3階建て。スチーム暖房完備・消防車3台。

抗口浴場 昭和35年完成
鉄筋コンクリート防火作りで総面積409,886平方メートル脱衣室はモルタル仕上げ、口ッカーは1036人分、ぬれた作業着もスチーム乾燥できる施設も備え、化粧室は鏡13面、クシ・ポマード・石鹸は無料提供された、売店もあり牛乳などは原価提供された。この浴場の完成で坑内勤務者の出退勤が一般サラリーマンと変わらない服装になった。

発電所 昭和19年完成 1000kwの発電をおこなっていた
本斜坑口 昭和28年大竪入れ坑道の完成と同時に坑口から本坑口まで1,543m掘進貫通した。
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なお、朽ち果てすぎていて、立ち入れなかったです。わざわざ行く価値はないですかね。
道路を走りにきたので、これはおまけだったのですが↓
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即ゲートですかそうですかorz

下界へ戻り
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お昼へ
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北のにしん屋さんで食しましたが、配置等が大分変わっていました。
2015年のはぼろ丼↓
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若干?海鮮が少なくなったような。。。
そんなことはないのでしょうか??


北海道道741号上遠別霧立線から午後はスタート

が、すぐにゲート

霧立トンネル 1994年12月 北海道開発局 延長691.0m 幅員 6.5m 高 4.7m
施工 地崎・札建・植村(経常建設共同企業体)

そうか、こいつが霧立トンネルか。まさかの出会いでしたが、これで建設中止道道をまた一つ制覇しました。

霧立峠へ

ドコモの基地局、さすがだなぁ(笑)

深名線 幌加内駅跡地を眺め

町中の幌加内交流プラザへ


深名線のあゆみ
明治から大正にかけての幌加内の人々は、深川駅から多度志を経て幌加内に達する鉄道ができたならどんなに便利であり、村の発展に寄与することかと鉄道敷設を強く望んでいました。
明治末、幌加内に入植した吉利智宏は村民の願いを実現するべく、しばしば上京し、鉄道院など関係機関に鉄道の建設を要請しました。しかし、建設予定線としての許可は簡単におりず、吉利をはじめとする村民や関係町村有志の努力は10数年続きました。大正9年にようやく、同11年に着工することが決定しました。はじまった鉄道建設は、昭和16年に名寄まで開通し、20年余り要して深名線が全線開通となりました。開通当初は人々のくらしの足として、また朱鞠内湖のダム建設や木材の積み出しなど産業にも大きな役割を果たしました。
沿線は積雪が多く寒さも厳しいので路線の維持にはたいへんな苦労もありました。しかし、近年のクルマ社会の波とともに道路や除雪体制が整備されて冬でも深名線に頼る必要がなくなり平成7年9月、その使命を終えました。

深名線のあゆみ
1911/明治44年この年に御料地(添牛内)へ入植した吉利智宏が、深川を基点と
して三股(朱鞠内)を経て音威子府に接続する鉄道(雨竜線)敷 日間にわたって行われる。
設の請願書を鉄道院総裁に提出。鉄道院技師による現地調査が40 1912/明治45年実地測量。 1916/大正5年 幌加内・一己・多度志・深川の4村で期成同盟会を組織」 1918/大正7年第41回帝国議会にて軽便鉄道としての敷設が協賛される。 1919/大正8年吉利智宏・井尻久吉・青木伝太郎・森武敏らが鉄道省と
内務省に鉄道敷設の請願書を提出。 1920/大正9年着工決定。 1921/大正10年 鉄道省告示第39号により北海道建設事務所の所管に編入。
函館本線深川停車場から多度志村鷹泊までの測量開始。 1922/大正11年着工。 1923/大正12年 関東大震災起こる。 1924/大正13年 深川~多度志、第1次開業となる。開業駅は多度志。 1926/大正15年多度志~鷹泊、第2次開業となる。開業駅は幌成・鷹泊。
1929/昭和4年鷹泊~幌加内、第3次開業となる。開業駅は沼牛・幌加内。 1931/昭和6年 幌加内~添牛内、第4次開業となる。開業駅は雨煙別・政和・添牛内。
雨竜線が幌加内線と改称される。 1932/昭和7年添牛内~朱鞠内、第5次開業となる。開業駅は朱鞠内。 1935/昭和10年名寄~羽幌の名羽線の一部の名雨線として朱鞠内~名
寄の工事に着工。 1937/昭和12年名寄~初茶志内(天塩弥生)、第6次開業となる。開業駅は
西名寄・初茶志内。 1938/昭和13年雨竜ダム起工式(昭和18年10月完成) 1941/昭和16年初茶志内~朱鞠内、第7次開業となる。開業駅は北母子
里・白樺・蕗ノ台・宇津内。 深川~名寄(121.8km)が全通し、名雨線・幌加内線は 統合され深名線と改称。
太平洋戦争始まる(昭和20年8月15日終戦) 1947/昭和22年開基50周年祝賀会を挙行。 1949/昭和24年宇津内駅廃止。 1955/昭和30年
レールバス(キハ01形気動車)導入のため、旭川鉄道管理 局から幌加内村と多度志村に出資の要請、レールバスが 運行され、朱鞠内駅で開通式を行う。円山・宇摩・下幌 成・新成生・上幌加内・下政和(政和温泉)・大曲・共
栄に乗降場が設置される。 1956/昭和31年豊富地区に新富駅を設置。
朱鞠内湖近くに湖畔乗降場を設置。 1958/昭和33年 レールバスに代わってキハ05形気動車が運行。 1959/昭和34年 町制施行記念式典を挙行。
名寄~羽幌の名羽線の工事が羽幌側から着工。 1964/昭和39年 朱鞠内大火(116戸焼失)
第18回オリンピック東京大会開催。 1966/昭和41年名寄~羽幌の名羽線の工事が朱鞠内側から着工。キハ
05形気動車に代わってキハ21形気動車が運行。
後にキハ22形、キハ40形、キハ53形が導入される。 1967/昭和42年町民憲章制定。
1968/昭和43年国鉄諮問委員会は国鉄の合理化・経営再建の方策とし
て赤字路線廃止を勧告。廃止該当83線(北海道内15線) の中に深名線も入る。 関係市町が「深名線廃止反対期成会」を組織し、廃止 反対運動を起こす。
代替輸送の道路が未整備のため深名線廃止は撤回される。 1971/昭和46年 沖縄返還協定調印。 1972/昭和47年
第11回冬季オリンピック札幌大会開催。 1974/昭和49年朱鞠内道立自然公園となる。 1975/昭和50年大曲乗降場廃止。 1987/昭和62年 国鉄分割・民営化。
円山・宇摩・下幌成・上幌加内・共栄・湖畔の各
乗降場が駅に昇格。 1988/昭和63年
青函トンネル、JR津軽海峡線開業。 1989/昭和64年
「天皇陛下崩御。 1990/平成2年雨煙別・新富・藤ノ台・白樺の各駅廃止。 1993/平成5年 北海道南西沖地震起こる。 1995/平成7年JR深名線廃止。 1997/平成9年開基100年記念式挙行。


あんまりツーリングと関係ないので、この辺で。

綺麗な夕焼けでした。

本日は名寄にて宿泊。明日の天気は

令和2年台風12号の足音が…
なお、この時点で太平洋側のフェリーはほぼ欠航という事態に。帰れるか??

本日のルート
Posted at 2020/10/09 08:32:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北海道ツーリング(NC700X) | 日記
2020年09月23日 イイね!

2020年北海道ツーリング(第二弾)_5日目

2020年北海道ツーリング(第二弾)_5日目 さて、この日は豊富町へ。まずは天気を確認


本日は晴れそうですね。出発。

仁宇布(ニウプ)駅逓所跡地を発見

仁宇布(ニウプ)駅逓所史跡
■はじめに日本の歴史と共に北海道にも人足行馬、宿次が制度として歴史に現れたのは17世紀前半。北海道開拓と共に歩み、支えた駅逓制度。仁宇布(ニウプ)駅逓所は、1911年12月13日、駅逓として認可され、1912年1月、仁宇布25線に矢敷和佐が管理人となって開設された。その後、蓮沼靖が管理人となり1932年現在地の仁宇布208番地に移転。1943年、駅逓が廃止された。1991年美深町文化史跡。開設1911年~閉設1943年
■モニュメントコンセプト
駅逓は、人々の生活に密着というより、人々の生活そのものであった。人と馬と建物と三位一体となって、物・心・そして夢を運んだ。仁宇布(ニウプ)駅逓所もその重要な役割を担い、時代と共に駅逓の役割は終った。モニュメントベースのフォルムは馬跡を表現し、点在している自然石は時代の人々をイメージし、天に自立した石は、人と馬と建物の三位一体を表現した。石のテクスチャーは歴史(過去~未来)を行え、中央の石の球体は「人々の夢や希望」を乗せた。後世の人々にこのモニュメントを通して、先人達が残した足跡をしっかり受け継ぎ、さらに発展させながら未来を開拓していく「継往開来」というメッセージを永遠に発信し続けたい思いで建物解体を機に建立した。
2005年7月25日 建立者 蓮沼優裕

狐も発見☆


北海道道120号美深中頓別線から

北海道道880号上音標音標線へ

ツーリングマップルには「簡易舗装」と記載されていますが


こんな感じなので、行くときは気をつけましょう(笑)
なお、対向車は2台もあったので、「全く対向車は来ない」という認識で走るのは危ないです。

一応、舗装区間でヘキサを収める。

広域農道巡り


神威岬を通過し

ツーリングマップルでは通行止めとなっていますが、普通に通行出来ました。

天北南部広域農道・猿払村道浜猿払エサヌカ線へ


天気が…

対向車等が来ないことを確認してから

記念撮影。変わらぬ光景

脇道にそれて

こっちのほうが、いい写真ですかね。

猿払電話中継所跡地へ


皆さんこれが最後です さようなら さようなら
昭和二十年八月十五日終戦。それから五日後の昭和二十年八月二十日ソ連軍が樺太(サハリン)真岡上陸を開始しようとした。その時突如日本軍との間に戦いが始まった。この日の電話交換手である九人の乙女達は窓越しに見る砲弾のさく裂、戦火と化した真岡の街、刻々と迫る身の危険、もうこれまでと決断、死の交換台に向い「皆さんこれが最後ですさようならさようなら」
の言葉を残し夢多き若き尊い花の命を絶ち職に殉じた。この思いを繋いだのが当時電気通信の拠点として重要な役割を果たしていた「猿払電話中継所」なのです。
私達は猿払ライオンズクラブ設立二十周年記念にあたり、殉職した九人の乙女の霊を慰め、また電気通信ゆかりの地に電気通信の功績を顕彰すると共に世界の恒久平和を祈り、この碑を建立する。
平成十八年十二月十日猿払ライオンズクラブ

ケーブル類や

モニュメントも


猿払電話中継所 「樺太との電気通信ゆかりの地」
昭和9年(1934)12月11日、北海道と樺太を海底ケーブルで結ぶ東京-札幌一豊原間の長距離電話回線が完成し、初めて樺太と電話が通じるようになりました。
猿払電話中継所は、この海底ケーブル揚陸地の重要中継所として、同年11月1日この地に設置され、以来30年間大きな役割を果たしてきましたが、終戦後樺太との通話がなくなり、また札幌一稚内間マイクロ回線の開通により、その必要性がなくなり、昭和39年(1964)9月30日廃所されたものであります。

電気通信主任技術者として、ここが本日一番のおすすめ観光地?でした。
お昼は、食事処やませ閉店だったため、道の駅のさるふつまるごと館で


ごちそうさまでした。

午後は北海道道889号上猿払清浜線の終点調査から


結構長いダートでした。しかもこの先の林道は、チェーンゲートという謎…

途中には、民有林林道 森林管理道シュトシュベツ線もありました。

開拓地整備農道から戻る

北海道道138号豊富猿払線より

北海道道121号稚内幌延線へ

内陸部の3桁道道、交通量皆無。

天北北部広域農道から

北海道道510号抜海兜沼停車場線へ

本日の宿泊場所、兜沼公園キャンプ場へ

ここのバンガロー、1回使ってみたかったのでわざわざ来場。
・普通にキャンプでも良かったのですが。
結構良かったですが、朝方が冷え込みましたね。

キャンプではないのですが

やっぱりこれでしょ!
なお、付近に店はないため、稚内や豊富町市街地で予め買い物が必要です。

本日のルート
Posted at 2020/10/08 07:00:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北海道ツーリング(NC700X) | 日記

プロフィール

バイクに乗り始めて早10年。 自分用の記録に、アカウント開設。 主に、ツーリング記録を綴っていきます。 2021年12月 ハンドルネーム変更
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2021/12/27 14:18:03

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