歴代レーサー車両
投稿日 : 2020年05月06日
1
最初のレーサー。
兄の友人から譲って貰った88SP。
この車両で通ったのが福島のエビスサーキットで、今考えるとアップダウンが激しくて凄く走りづらいサーキットだったのですが、楽しくてしょうが無かった思いが強いですね。
2
NSR250R 91SP
私のレース人生の中で、唯一の新車。
本当は、89のを買う予定でしたが、たまたま右直事故に巻き込まれて、回復後、慰謝料等で出たての91SP PENTAXを手に入れる事が出来ました♪
因みに、この純正カウルは半月で粉々になって処分しました。
今だったら絶対あんな事しないですけどね😅
3
この頃は、チーム員皆んな同じくらいのレベルで、MCFAJで楽しんでました。
4
91RS250
SP250からノービスのGP250へステップアップし、2年落ちの91RSを30万で譲って貰い参戦。
初め、パワーに愕きましたが、レーサーの軽さとスリックタイヤの凄まじいグリップで、あっというまに魅了されてしまいました。
勿論、NSRも楽しかったのですが、一度このレーサーの走りを味わってしまうと、後戻り出来ませんでしたね。
5
93年、どうしても一度鈴鹿の4耐に出てみたくて、初エントリーしました。
この頃は、物凄いエントリー台数で、予選通過は到底無理だと思っていたので、敗者復活レースの2時間耐久に残るのを目標にエントリーし、何とか2耐にギリギリ拾われて耐久気分を味わえる事に。
鈴鹿自体がこの年初めてだったので、タイムもそこまで出せてなかったのですが、大きなトラブル無くコンスタントに走っていたら5位くらいまで上がっていたらしく、更にそのタイミングで2コーナーにオイルが出て転倒続出したため、棚ぼた3位でまさかの決勝進出!
もう、夢みたいでしたね。 結局、1時間半ほどでパートナーが転倒しリタイヤとなりましたが、最高に楽しかったですね。
因みに、94年もエントリーし無事予選通過したのですが、この年も、2時間半程で転倒リタイヤ。完走は2耐の時しか味わえずに終わってしまいましたが、4耐は、やっぱり特別で一番の思い出です。
6
93RS250(95モディファイ)
ちょうど、ここでMFJのライセンス分けが国内と国際の二つだけになるということで、自分のノービスのポイントだと国内でも国際でもどちらでも選べるとの事で、このタイミングを逃したらまず、上には上がれないかなと、思い切って国際を選択。
マシンも、思い切って新車をと思っていたのですが、残念ながら決断遅く、予定台数完売してしまって、程度の良い93を譲って貰い、95モディファイで乗る事になりました。
型落ちの正立フォークの両持ちスイングアームに慣れてしまっていた為、倒立フォーク&プロアームに慣れず、結局91RSのベストからあまり詰めることが出来ませんでした。
7
国際へ上がり、富士のエリア選手権ではそこそこ成績が出せていたので全日本へステップアップしたのですが、得意な富士でも中々予選通過出来ず、ギリギリでコンソレ(敗者復活レース)へ回される事が多く、結局予選通過は一回だけという情けない結果で引退しました。
それでも、あの頃の高揚感は今でも忘れられないです。 引退後楽しい事も色々有りましたが、やはりレースに変わる物は残念ながら無いですかね。
写真は、最後の全日本だったと思います。
最後のレースだからと気合い入れて走ったのですが、またもやギリギリ届かず、予選落ちで引退するという悔しさで、涙堪えながらハイエースを運転して帰った記憶が有ります。
8
番外編⁉︎
どこのサーキットにも快適に連れてってくれたハイエース。
パワーも無いし、バンなので乗り心地も良く無かったですが、なんの不満も無かったですね♪
こちらも、最高のパートナーでした(^ ^)
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